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こないだ、押井守 監督と鈴木敏夫プロデューサーの
トークセッションに行って来た。
一度は参加した翌日にUPしたテキストだが
煮詰まる途中で一旦は削除した。
東京国際映画祭の絡みでプロダクションIGの
映画「立喰師列伝」の挑戦 と題された2時間にも
及ぶ押井監督のウンチクが非常に興味深かったのだ
映画は本編を見る迄推測の領域を出ないので
作品はさておき今回の話は「自分捜し」
彼が最近ショックだったのは
「自分捜し」をテーマとした映画が飽和状態の中
スピルバーグは「war of the world」を
ルーカスは「episode 3」を撮ったということ
頂点に登りつめて、ようやく撮りたいものが撮れる立場にある
ニ台巨匠が、なぜ敢えてあのような希望も夢もない映画を撮ったのか
時代がそうさせたのか
押井監督の分析はこうである
「自分捜し」は結局何もなかったのではないか、と
(残念ながら)
(メッセージ性のない)「千と千尋の行方不明」然り
その行為自体は幻想に過ぎず
ヒトは他人と関わるその関係性でのみ存在し成立するのだと
こうも言える
「自分がない」ゆえに捜し模索する
達成できていないからこそ、掲げている
スローガンのよう
掲げることで明日へのチカラにはなる
でもそう易々とは見つからない
なぜか?
時間の流れと一緒に
自分が存在するその周囲も変化し続けているからだと思う
自分も常に変化している
そ、
他との関係性から
劇中で妻への愛ゆえにダークサイドに落ちる主人公など
自己犠牲的に息子を捜し娘を守りながら巨大マシンと戦う主人公
いずれもテーマは夫婦、親子、
結局ヒトが信じて守りたいのは「家族」ではないか、と
スピルバーグは何も今になって初めて
家族をテーマに撮り始めたワケでなく
バラバラになった家族がもう一度「家族」として
再会することばっかり撮ってんだけどね
例えそれが擬似的な家族関係であっても
未知との遭遇(疑似家族/父親不在/自分捜し)
1941(疑似家族)
E.T.(疑似家族/父親不在)
ポルターガイスト(家族)
トワイライトゾーン(家族)
太陽の帝国(家族不在/自分捜し)
カラーパープル(家族)
オールウェイズ(疑似夫婦/母親不在)
ジュラシック・パーク(家族/母親不在)
シンドラーズ・リスト(家族/疑似親父)
プライベート・ライアン(家族/自分捜し)
A.I.(疑似家族/家族捜し)
マイノリティ・リポート(疑似親子/息子捜し)
キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(家族捜し/母親不在)
ターミナル(親子・母親不在/父親捜し)
以下は私見でオプション
アルプスの少女(疑似家族/母親不在)
未来少年(疑似家族/両親不在)
ルパン三世(疑似家族/母親不在)
ラピュタ(疑似家族/両親不在)
トトロ(疑似家族/母親不在)
魔女宅(両親不在で自分捜し)
紅(疑似親子/母親不在)
もののけ(疑似家族で自分捜し)
千と千尋(家族不在で自分捜し)
ハウル(疑似家族/両親不在)
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