奥羽*温故知新

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義経公妻子之墓

 
  源義経公妻子之墓
 
  義経の妻子の墓があるなんて、全く知りませんでした… 
 
 
金鶏山に登ってみようと登山口に来てみると、傍らにこの案内書きが建っており、早速お詣りし、写真を撮らせて頂きました…
 
 
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『吾妻鏡』の「文治五年閏四月三十日己未」
「今日陸奥国において、泰衡、源予州(義経)を襲う。これかつは勅定に任せ、かつは二品(頼朝)の仰せによってなり。予州、民部少輔基成朝臣の衣河館にあり。泰衡兵数百騎を従へ、その所に馳せ至りて合戦す。予州の家人等相防ぐといえども、ことごとくもって敗績す。予州持仏堂には入り、まづ妻子を害し、次ぎに自殺云々。」とあります…
 
 
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      このように義経は北の方と幼児を殺害し、自害したと伝えられています…
 
このお墓は、高舘で悲しくも露と消えた妻子の墓と案内板に記されていますが、もとは千手院境内で、ここから約300mほどの西北金鶏山山麓にあったそうですが、ここに墓石を遷し供養しているそうです……お線香も焚かれており、大事にされているのが分かりますね
 
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隣には「千手堂」があります…
 
この千手堂に関してはリーフレットなどにも記載がなく、鎮座されるこの辺は観光ルートから大きく外れた寂しい場所です♪、・・・堂内に安置される諸仏を案内板でみて驚きました…
…是非いつか拝観したいものです…♪
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調べてみますと毛越寺の支院となっており、千手観音を祀る御堂として伝えられてきたそうです…♪
 
都で「千手堂」とも呼ばれる「三十三間堂」、この平泉にも三十三間堂があったとする説もあるようです…^^♪
 

閉じる コメント(5)

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おばんです♪
え〜、義経の妻子の墓!・・・知らねがったな〜!
金鶏山の登り口すかや、行ってみねげね〜ね・・・これは!
理事に説明しねど♪(笑)

2010/12/11(土) 午後 11:35 mamazo 返信する

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ままぞーさん、おはよござんす^^。

そう・・・そうなんですよ…これは私も知らながったや、信憑性が薄いのが、あんまり宣伝してねんでねべが…んだども、伝説、伝説っていわねで、こういうのもおもしぇよね…^^。

墓石をじ〜っと見ていると、本物ではないかと思い、思わず手を合わせました…^^♪
理事にもキチンと報告しておいてや…(笑)
あと、平泉にも京都と同じような三十三間堂があったとする説…発掘調査などで確認されたら最高ですね…^^♪

2010/12/12(日) 午前 7:23 ビナヤカ 返信する

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おはようございます♪
平泉周辺にはまだまだ埋もれているものがいっぱい有りそうですね〜、興味津々だでば♪
もし三十三間堂あったら清水寺・・・あ〜、これは厳美渓がら毛越寺に向かう途中にあるな〜!
やっぱり三十三間堂・・・あったんでね〜すか♪(笑)

2010/12/12(日) 午前 8:38 mamazo 返信する

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おはようございます^^、私はまだ確認していませんが『平泉旧蹟志』って江戸時代の書物に「金鶏山の下に今熊堂跡があり、それに並んで三十三間堂がある」と記されているそうです♪ただ、これは江戸時代のものでしょ、その辺がちょっと??、でも今まで重視されなかったのは、『吾妻鏡』に記載がない、ってことみたいですが、千手観音を祀っていたと記されている『千手堂』こそが「三十三間堂」では…というのです…♪
これは、京都の人たちが「三十三間堂」のこと「千手堂」とも言うのかどうか、確認できましたらいいのですが… ・・・。

2010/12/12(日) 午前 9:34 ビナヤカ 返信する

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上 ↑ 、京都などには知人もなく、何か聞いてみる良い方法ないでしょうかね?…^^♪

2010/12/12(日) 午前 9:36 ビナヤカ 返信する

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