奥羽*温故知新

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遠野南部氏関係史料[5]

遠野南部氏関係史料[5]
 
 
          『八戸御家二十二代 弥六郎直栄様御代大概之覚書』  
 
    遠野村替の顛末「Ⅴ」
 
「八戸(遠野)南部家文書」の概要
 南北両朝が合体し、室町幕府の支配体制が確立した14世紀末から15世紀半ばの南部長経、光経、長安、守清の時代には、僅かな文書しか残されていない。
 その中でも『八戸郷之内』にある、応永二十六年(1419)8月6日の聖守(南部政光)置文の岩手平館、出羽山北長野、淀河、閉伊飯岡を光経に譲ったとする史料は「出羽山北」にも南部領の存在を示す同時代の貴重な史料である。
 
 
 さて、話は変わり近世文書『弥六郎直栄様御代大概之覚書』の続き。
 
 前回は藩政時代に仙台藩領との境「遊井名田番所」を守った遊井名田与三右ェ門についてでした。

 今回は、5行目からで、一、去々年「ひとつ、さるさるとし」といいますから、「一昨年」即ち、南部利直の居城「三戸城」に直栄が呼ばれ、村替えを依頼され遠野の現状を説明されている寛永四年より2年前「寛永二年(1625)4月8日」に起きた事件です。
 
 鱒沢村の太助さんと佐助さんが、小友村のお寺(常楽寺でしょうか、寺名は書いてありませんね))へ墓参りに行こうと家を出たが、帰宅時間になっても帰ってこず、心配になったのでしょう、二人の家では寺に迎えの者をやって尋ねたところ、寺へは来なかったと聞かされ、近所の人たちを頼み方々探したがとうとう行方がわからなかった。
 
 それから20日ばかりたって大洪水があった際に、鮎貝の渡しに二人の遺体が流れ着いた。
 
 この事を遠野の役人へ訴えでて、いろいろ捜査してもらったが、犯人はとうとうわからず、二人(太助さんと佐助さん)は死に損になってしまった。
イメージ 1

 
※遠野は是までの27年間(1600〜27)余り、よほど治安が悪かったのか、この様な殺人事件が度々起きていました。この後、発生した3事件を利直は直栄に聞かせています。
 
 一(ひとつ)、去年(さるとし)(寛永三年)4月29日の夜......何者の仕業か?、鱒沢村の百姓長右ェ門宅の戸、窓の類を外から塞ぎ、家の者が逃げ出せないようにしてから放火し、一人残らず焼き殺すという事件が起こった。
 
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 この長右ェ門という者は金山も経営しているので家計も豊かな上に田畑も沢山あったので馬も3、40匹持っていた。
 
 ところが、これらの馬が何処へ行ったのか一匹残らず行方がわからなかったので、遠野の役人たちはいろいろ詮索が全く行方がわからなかった。
 
 世間の噂では長右ェ門が3、4年雇っていた仙台領の金掘り人足、与助と長助という者、火事が起きた20日余り前に、仙台領の自分の家に帰ると言って暇を取り、此処を出て行った。
 
 もしかしたら、この者たちの仕業ではなかろうかということも考えられたが、世間の噂に過ぎず確かな証拠はなくわからずじまいだ。
 
※結局これも解決には至らなかったようです。

 他には...、一、(ひとつ)去年(寛永三年)7月14日、鱒沢村の寺で獅子踊りがあり大勢の見物人が来た時、喧嘩が始まり、仙台領から金堀りに来ていた佐吉という者が切り殺されたので、捜査していたならば、鱒沢村の三吉、半内、平内、形部の4人が殺害したことがわかったので敵討ちさせた。
 
※この事件は解決したようですね。
イメージ 2
 
 
 ※利直が最後に語った次の事件はうしろから二行目....次回...

     参考文献 
      吉井功兒『中世南部氏の世界』『地方史研究』 ・『青森県史中世南部氏関係資料』』
       新版『漢語林』・新編『古文書「解読字典」』・福武『古語辞典』・角川『国語辞典』
                                               史料の無断転用厳禁
 

閉じる コメント(6)

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こんばんは(*^_^*)
読んでもなかなか理解が出来ないです。
難しいですね。勉強してます(笑)
ナイス!

2013/12/25(水) 午後 9:02 [ リップ ] 返信する

このころの捜査ってどんなものだったんでしょうね?聞き込みと容疑者への拷問でしょうか・・?科学的なものではなかったんでしょうね。
そうそう、石碑めぐりですが、なかなか回れていなくて珍しいものに出会っていません。気になるものがあったら紹介しますね。

2013/12/26(木) 午前 5:01 ばばちゅ 返信する

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リップさん、おはようございます♪
あっははは、これってマニアックな趣味の類で、勉強するまでのことではないですヨ(^^;)

2013/12/26(木) 午前 9:34 ビナヤカ 返信する

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ばばちゅさん、そうですね、夕べの「科捜研の女」みたいにはいかなかったでしょうネ(笑)...、このあとしばらくしてから、これらの事件を解決してくれる人物が現れます♪

そうでしたか、ブログを一年近くお休みしていたものでしたから、その間に変わった石碑を発見していたなら教えていただきたいと思っていました♪

2013/12/26(木) 午前 9:43 ビナヤカ 返信する

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関ヶ原合戦、「和賀一揆」当時の遠野領主「阿曽沼」への反乱、「和賀一揆」で、遠野も二分し「和賀勢」と「南部勢」に、領主の定まらぬ、時期、三戸南部から派遣城代でも「行政もままならず」遠野は無法地帯と化していたのでしょう、

おまけに、砂糖に蟻が群がる如く、金山に他領からの堀子等、得体の知れぬ人々が屯していたと思われます、この「覚書」に記載されなかった数々の事件、泣き寝入りさせられた商人等も居た事でしょうなぁ、

ドライな見方をすれば、利直が直栄への村替え口説きに、もってこいのネタだったのでは? 私の妄想ですがねぇ(笑) 削除

2013/12/26(木) 午後 11:13 [ 阿久道 ] 返信する

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阿久道さん、おはようございます♪

まったく同感です(^^....、無法地帯化し、手の付けられない遠野郷。しかし、金山は魅力的だ。すでに八戸家領地であった下北半島は借り上げの名のもとに手に入れた。ついでに良港がある八戸の地も欲しい。..と、なると「八戸家の村替え策」が一挙両得ならぬ四得ぐらいあるんじゃないでしょうか(*`此*)。まして、仙台領と境の地、何か事があったら、責任を押し付け、取り潰しって手もありますしねぇ。利直一人の知恵とは考えられず策士北氏あたりの入れ知恵では...(笑)

2013/12/27(金) 午前 7:17 ビナヤカ 返信する

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