奥羽*温故知新

訪問ありがとうございます。

平泉文化遺産

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]

秘仏 御開帳

 
       秘仏 御開帳
 
 
 
今、平泉では世界文化登録遺産を記念するとともに、昨年発生した東日本大震災による物故者慰霊・被災地復興祈願のために50年に一度の御開帳といわれる中尊寺秘仏「一字金輪仏頂坐像」が特別に御開帳されています。
 
  ちょうど奥州市に野暮用があったので、平泉まで足を延ばし家内と仲良くお詣りしてきました
イメージ 1
 
 
奥州藤原氏三代秀衡の念持仏と伝えられ、尊像には彩色が施されており俗に「人肌の大日如来」とも称される一字金輪佛。
 
仏名の「一字」とは、この尊体が梵字の「ボロン」一字で表象されるからといい、諸仏の徳を一身に集めた金輪のごとき最勝の仏頂尊であることを意味しているという。
イメージ 2イメージ 3
 
 
 
 
 
 
一字金輪佛は、西を向いて安置されるべきと説かれる、これは光炎ゆらぐ大日輪を背にするからで、日輪は東に現出し、それを背にする金輪佛は当然西を向くことになる。
 
江戸時代の記録に「…金輪閣 一字大日金輪 金色堂前と云う…」とあり、もし所伝のごとく金色堂の前に一字金輪佛を本尊とする金輪閣があったとすれば西方浄土を具現した金色堂とは向かい合う形で建っていたことになります。
イメージ 4イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
          御朱印を頂く
イメージ 6
写真撮影もここまで!
 
像高76㎝、桂材の寄木造り、半眼に見開く伏目がちの面差しに、水晶の玉眼がふと慈悲の涙に光っているように見えた。頭に頂くのは「五智の宝冠」、金色に咲き揃う宝相華唐草の透彫りの文様。
 
イメージ 7

 
御開帳は一ヶ月間などとケチなことはいわず、今年の11月11日(日)迄です、是非の拝観をお薦めいたします。

開く コメント(19)

 
 
祝…平泉の文化遺産…
      世界遺産登録決定!
 
      特別企画  平泉・散策
 
イメージ 1
 
地図には載っていませんが、讃衡蔵の向かいに阿弥陀堂と、その西隣弁天池の中島に弁財天堂が建っています・・・。
 
            中尊寺  阿弥陀堂
 
 竹林を背後に従えたかっこうで、宝形造りの屋根が見事な「阿弥陀堂」が建っています・・・。
イメージ 2
 
イメージ 5
      ご本尊の阿弥陀如来座像              大黒天像
 イメージ 6 イメージ 7
 
 
             弁財天堂
 
弁財天堂は正面三間、側面二間、正面に向拝が設けられ、寄棟造り茅葺き屋根の建物です。
           (正徳六年(1716)建立の棟札が残っています…)
イメージ 8
   護摩を焚く時使うのでしょうか…?、そういえば、どっかでも見たことありました…。
イメージ 9
              やはり茅葺き屋根は趣がありますよねぇ〜・・・
イメージ 10
    礎石の並びです、ここ見るのも好きなんです…柱も複雑な組み方をしています…
  床下を高くしているのは、周りが池のため、湿気からお堂を守るためのものでしょうか…
イメージ 11
 
寛永十八年(1641)の「中尊寺一山地図」には「三重池」の記述があり、この辺りには大きな池があったようです…
イメージ 3
案内板によると「当堂は宝永2年伊達家寄進の堂宇にて弁財天十五童子像を安置す。
弁財天はインドの薩羅我底河より生じたる神にて水に縁深く池、河の辺に祀られる。
又、妙音天とも称し河水の流るる響の如く能弁にして悩める衆生を救い悦ばしむる。
・・・」とあります。
イメージ 4
 
 
 
平成12年、開山1.150年を記念して完成した
                   「讃衡蔵」
 
 中尊寺に伝わる、国宝・重要文化財26件を中心に3.000点あまりの貴重な文化財を展示じている建物です。
イメージ 1
 
           中に入るとすぐに、この三体の丈六仏が迎えてくれます…
       右から願成就院の『薬師如来座像。像高266㎝』、『阿弥陀如来座像。像高268㎝』、
       金色院の『薬師如来座像。像高265㎝』、すべて木造、国重文。
イメージ 2
これら三体の丈六仏は顔つき、衣の表現がそれぞれ違っていて、異なった仏師の造像と推測され、制作時期もすべて12世紀後半と推測されるものの微妙にずれていると考えられているそうです。
 
 続いて、目の前に現れるのが
              『木造千手観音立像。像高74㎝、国重文。』
イメージ 3
 
          私のお気に入りNO1・・・・『木造騎獅文殊五尊像』
         現在はこの讃衡像に祀られていますが、もともとは中尊寺経蔵の御本尊です。
 
文殊菩薩が獅子に乗り、半跏する姿で、獅子の手綱を取るのが「優填王(うてんおう)」、
髪を美豆良に結った「善財童子(ぜんざいどうじ)」
頭巾を被った「婆藪仙人(ばすうせんにん)」、
比丘形の「仏陀婆利(ぶっだはり)」の四眷属を従えた騎獅文殊菩薩像。
イメージ 4
文殊菩薩および四侍者像は12世紀後半の作ですが、中国五台山の渡海文殊五尊形式で、経蔵の本尊にされていました。
 
 
          同じ『騎獅文殊五尊像』が山形県寒河江市の慈恩寺にもありました
                 (こちらは善財童子が欠損していました。)
イメージ 5
        騎獅文殊菩薩像を我が国に伝えたのは慈覚大師円仁と言われています…。
 
円仁は日本からの留学生として五台山を訪れていますが、この五台山という五つの山からなる霊山は文殊菩薩の住まいといわれ、この山で金色に輝く文殊菩薩に会えば「不老不死」を得ることが出来るそうです…円仁は残念ながら会わなかったと言うことになりますね。
 
 
              金色堂
 
讃衡蔵(宝物館)の隣りに金色堂がありますが、普段はもっと混雑していますが、この日は特別でした〜…(笑)^^♪
                  金色堂を覆う昭和40年完成の「新覆堂」
イメージ 1
 
    金色堂は小さな宝形造りの阿弥陀堂であり、奥州藤原氏時代、唯一の建築遺構です。
                 新覆堂の中で黄金に輝く『金色堂』・・・
 
 
 
 
 
 
イメージ 2
棟木墨書銘から天治元年(1124)の上棟ということがわかっています…。
 
建立者は初代藤原清衡、この奥州の長い戦乱で命を落とした人々を浄土に導くため金色の浄土そのままに内外四壁ことごとく金箔を押したものとされています。さらにここを自らの墓所とし、「葬堂」としています 
金色堂内部…もちろん撮影禁止です…。
建立からおよそ30年後左右の壇が設けられ、中央壇に清衡、西南壇に基衡、西北壇に秀衡と泰衡の首級が納められています。
イメージ 8
 
清衡が金色堂を建立したとのは69歳の時だったそうで、その4年後他界、『吾妻鏡』にその死に関しての記載があり、「入滅の年に臨みて、にわかに逆善を修す。」、と旅立ちの日を想定し、その日に向けて死の準備に入ってことが記されています。
 
    これは水分を減らしたりしていき、ミイラとなり肉体を永延化することだったのでしょうか…。
 
『中尊寺落慶供養願文』の「鎮護国家大伽藍一区」の中にも記載されていない「金色堂」は清衡が自らの葬堂として建てたものとも考えられているようです。
 
                内陣に駆使された螺鈿、蒔絵の技術
 
  内陣巻柱の螺鈿細工「宝相華唐草文」             内陣正面に輝く「蟇股」
                                   やはり宝相華唐草文を施しています。
 
   イメージ 9        イメージ 10
藤原三代を祀る須弥壇
中央に阿弥陀如来座像、その左右に観音、勢至菩薩の脇侍と地蔵菩薩、そして壇上の左右前方に持国天、増長天の天部像…。
イメージ 12
 
定印を結ぶ「阿弥陀如来座像」
イメージ 11
 
 
          勢至菩薩立像                   観音菩薩立像
        イメージ 3               イメージ 4
地蔵菩薩立像
本尊の阿弥陀如来の左右に、三体ずつ、計6体安置されています。
イメージ 5
 
                 増長天立像                 持国天立像
 
             イメージ 6       イメージ 7
西南壇の増長天は失われていました、側にいた僧侶に聞けば、昔、盗難にあってしまったそうです。
 
この2体は、本来「広目天」・「多聞天」を加え、四天王像として祀られることが多く、世界の中心とされる須弥山の四方を守る尊像です。
 
金色堂のように伽藍の内外全体を「皆金色」にした例は、この中尊寺以前には皆無であり、中国の仏教遺跡でも例を見ないそうです・・・^^♪
 
 

開く コメント(22)

開く トラックバック(1)

 
 
祝…平泉の文化遺産…
      世界遺産登録決定!
 
      特別企画  平泉・散策
 
 
   本尊不動明王が衆生を救う
 
         不動堂
 
 
中尊寺本堂の斜め向かいに昭和52年に創建されたという、真新しい「不動堂」が建っています…。
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
毎月28日が不動尊の縁日で、家内安全、身体健全、病気平癒、商売繁盛、受験合格、厄除開運などを祈願して護摩焚きが行われるそうで参詣客で賑わうそうです…
 
           私もあやかりたいと、先ずは手水を使い参拝に向かいます…
イメージ 3
                       扉は固く閉ざされていました・・・
イメージ 4
 
            御本尊は「不動明王」        …この図像は他から借りて掲載します…^^;
 
イメージ 5
 
不動明王は大日如来の教令輪身のお姿とされ、右手に宝剣、左手に羂索を持つという像容です…
上の図像に描かれた両脇侍の向かって右が「コンガラ童子」、左手が「セイタカ童子」です…
台座はこれは磐石座ですが、瑟々座の時もあるようです…衆生を救うためとはいえ、恐ろしい憤怒の形相ですね〜・・・
                   
イメージ 6
 
 
 
峯薬師堂 
  
中尊寺本堂の裏門から出ると、木立越しに隣りの峯薬師堂が見えます… 
イメージ 2
  
寛永年間(1624〜1644)の中尊寺山内古絵図を見ると、本堂南側の山中に「山ノ薬師」と記されており、そこが本来の峰薬師堂があった所とされ、現在の建物は棟札により元禄二年(1689)の建立とわかり、その時、この地に移されたと考えられているようです…         
     正面から参拝に向かいます…
イメージ 4
 
      参道脇に何故かこの親子蛙の石像が鎮座しています…^^♪、
 
向かいにあった売店のおばさん…いや、お姉さん^^に聞いてみると…
 
「周りの池には天然記念物のモリアオガエルがいて、この石像を置いた」、とのことでした…が、モリアオガエルと石像との関係がイマイチ曖昧な感じ…^^。
続いて曰く…「こちらで蛙の置物やストラップなどを販売しています、無事カエル、お金がカエルと言って縁起の良い物です。」
そこで私が続いて、「ひっくりカエルもあるんじゃないですか」って言ったら大笑いしていました…(笑)
 
イメージ 5 イメージ 6
 
おっと、寄り道をしてしまいました…^^♪
 
      三間四方宝形造り瓦葺きの寺院で正面に向拝が付けられています…
イメージ 7
  
堂の面積は32.5坪、堂内には4本の柱(四天柱)が建てられ、そこに須弥壇が設けられ、御本尊の丈六の薬師如来座像が安置されていたそうです…
 
しかし、現在はその薬師如来座像(桂材の寄木造り、金色に漆を塗り金箔をおいたもので、藤原末期の作)は重要文化財として讃衡蔵に遷され安置されています…                  イメージ 8
 
 
現在の御堂は昭和57年の改築で、御本尊も薬師如来を中心に日光菩薩、月光菩薩の三尊とし、堂の改築を契機に昭和63年、前立本尊として仏師松尾秀麻師の謹刻になるものである…と案内板にあります。
 
        その前立本尊「薬師三尊」…「オン コロコロセンダリマトウギ ソワカ」
イメージ 9
 
このお堂の東側に国重要文化財指定の願成就院宝塔がひっそりと佇んでいます・・・
 
笠の形状やその上の宝珠から平安時代末のものとされ、この相輪は五輪塔の空風輪の形を成しています…。(一説には同院に住持した密淨上人の墓とも伝えられているようです…。) 
イメージ 10 イメージ 3
 
 
 
大日堂
  
峯薬師堂の参拝を終え、隣の大日堂へと移動…
 
イメージ 1
ここも扉が開いていますので、御本尊を直接拝めそうです…
 
イメージ 2
  
大日堂の呼称から本尊は大日如来とふんでいましたがやはりそうでした、写りが悪いのですが、中央に智拳印を結ぶ「金剛界大日如来像」が安置されています…。
イメージ 3
  
向かって左手には「千手観音像」と「不動明王像」・・・右手には「胎蔵界大日如来」でしょうか法界
定印を結んでいます、その右手には不動明王と脇侍の矜羯羅童子、制吐迦童子で不動三尊を形成し安置されています…
イメージ 4 イメージ 5
 
  それにしてもこの落書きには困ったものですね…(怒)… 
イメージ 9
 
 
 お堂の右手には立派な「宝筐印塔」が立っています… 
イメージ 6
 
  おや…こちらはなんと呼べばいいのでしょう、宝塔としておきます…(^^;
イメージ 7
  
一字一石の文字が読めます・・・上には「大乗妙典」とありますから、このお経を一個の石に一文字ずつ墨書した一字一石経をここに埋めたんでしょうか…^^♪
イメージ 8
 
      三間四方、宝形造りの屋根に庇を付けただけといった本当にシンプルなお堂ですね…
イメージ 10
 
 
 
鐘楼
  
     鐘楼は大日堂の隣りの丘の上に立っています…。
 
宝形造り茅葺き屋根を持つ二間四方の小さな建物です…、文禄二(1593)建立といいますからよくぞ建っていてくれたって感じです。中の梵鐘はそれより古く康永二年(1343)に鋳造され、以後多くの僧が撞き続けたんでしょう撞座はもう窪んでしまい現在は撞かれていないそうです…。(これ以上近くには行けません♪)
 
イメージ 1
 
           建武四年(1337)中尊寺全焼をを今に伝える銘を持つ梵鐘
          撞座が窪んでいるのがわかりますよね…
イメージ 2
 
イメージ 3
 
奥州藤原氏初代清衡はかつて二階建て二階建ての鐘楼を建て、『中尊寺供養願文』の中に見える清衡の本意は、「一音の及ぶ所千界を限らず、抜苦与楽、普(あまね)く皆平等なり」と記されています…。
  
「鐘の音は響き渡ること限りなく、皆平等に苦しみを抜き、安楽を与える。朝廷軍や蝦夷の人々が戦乱に没したことは古来幾多あったであろうか。此の地であっては人だけでなく、獣や鳥、魚、貝の類も昔から計り知れないほど犠牲になっている。霊魂はあの世に去ったが、骨は朽ちてこの世に塵となって残る。鐘の声が大地を揺るがす毎に、罪なく犠牲になった霊が浄土に導かれますように…」

  藤原清衡の悲劇的な体験から、平和の尊さを綴った有名な一節です。

 

開く コメント(18)

毛越寺常行堂

…平泉の文化遺産を世界遺産へ…
 

特別史跡・特別名勝
      毛越寺
 
毛越寺への誘い 【其の五】
 
イメージ 13
 
年が明け…
 
「毛越寺への誘い」、も最終編…、
 
金堂(円隆寺)の隣り、常行堂からスタート、そしてシリーズは最終回となります…。
 
 
  現常行堂は、享保十七年(1732)に仙台藩主伊達吉村公の武運長久を願って再建されました。
 
          常行堂の参道
イメージ 1
 
 
         五間四方の宝形造り…茅葺き屋根が素敵ですね〜…
 
イメージ 2
 
                       以前、紅葉の時期に参拝したとき…
イメージ 14
 
イメージ 15
 
         常行堂の宝冠阿弥陀如来像
 
イメージ 16
 
               中尊・脇侍とも寄木造りで江戸期の作とされる。
 
                     定印を結ぶ宝冠阿弥陀如来座像、像高82.7㎝、
イメージ 11
 
 
   奥殿には秘仏としてあがめられている摩多羅神(またらじん)が祀られています。
 
摩多羅神は修法と堂の守護神であり、地元では古くから作物の神様として信仰されています。奥殿の扉はふだんは固く閉ざされ、33年に一度御開帳されます。
 
 
          この奥殿なんですよね…、『摩多羅神』が安置されているのは…
イメージ 20

また、正月二十日に行われる摩多羅神の祭礼「二十日夜祭」では重要無形民俗文化財「延年の舞」が奉納されます。
 
「延年の舞」は、仏を称え寺院を崇め、千秋万歳を寿ぐ舞で、古くは多くの寺院で法会の後に催されいたそうです…。
イメージ 12


常行堂の前には、毛越寺の現在の鐘楼があります。
前回2008年に世界遺産登録が決定されれば、その年の暮れのNHK除夜の鐘はここから放送になる予定だったそうです、しかし、今年、登録決定すれば、・・・いまから大晦日が楽しみです…(笑)
イメージ 17
 
 イメージ 18  イメージ 19

 
イメージ 3
 
 イメージ 4  イメージ 5
 
 
イメージ 6
 
 イメージ 7  イメージ 8
 
 
イメージ 10
 
イメージ 9
 
 
 これにて毛越寺の臨池伽藍跡と浄土庭園の紹介は終わります…
        
       お付き合いありがとうございました…
 
 
          以前に紅葉の時期、訪れたときの画像です…
            イメージ 21
 
 

開く コメント(6)

毛越寺伽藍跡

…平泉の文化遺産を世界遺産へ…
 

特別史跡・特別名勝
      毛越寺
 
毛越寺への誘い 【其の四】
 
     講堂跡
 
イメージ 1
           
          内陣の仏壇の下部は厚い粘土層で造成されていました…。
 
イメージ 2
 
       毛越寺の伽藍と庭園構成
 
 
イメージ 1
 
 
    金堂円隆寺跡
堂内には金銀がちりばめられ、本尊は丈六(立像なら一丈六尺=約4.85m)の薬師仏で周囲には十二神将が配されていたといいます・・・・
イメージ 14
イメージ 17
 
 イメージ 15  イメージ 16
 
        地図では鼓楼となっています…、(鼓楼と記された文献もありますが、リーフレットでは経楼)
 
イメージ 3
 イメージ 4  イメージ 5
イメージ 6
 
 イメージ 7  イメージ 8
 
   平安時代の浄土式庭園の貴重な遺構とされる『大泉が池』
        北の橋が架かっていたであろう場所から、中島、南大門方向を見ています…
イメージ 9
 
     遣水跡・・・・山水を池に取り入れるための水路
 
イメージ 10
 イメージ 11  イメージ 12
 
                毎年五月第四日曜日に開かれる『曲水の宴』
古代中国では曲水(きょくすい)、毛越寺では(ごくすい)と読んでいますが、発掘調査で発見以後復元され、水路の汀に座り、水路に浮かべた盃が自分の前に来るまでに和歌を詠む、といった遊び♪
イメージ 13
       
      次回、現常行堂から・・・・^^♪

開く コメント(4)

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事