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陰ひろみ頼みし松や枯れにけん下葉散り行く年の暮かな 兵部卿の宮(藤壺の兄)
さえわたる池の鏡のさやけきに見なれし陰を見ぬぞ悲しき 源氏
年暮れて岩井の水も氷とぢ見し人影のあせも行くかな 王命婦
親心何心なき子らを見て 先を見られぬことぞ悔しけれ 玄齋
解説:
ここからは新しい記事です。
源氏の父である桐壺院の崩御の場面です。
院のご病状は、(陰暦)十月になると、大変重くなりました。世の中の人で、院を心配していない方は
おりませんでした。内裏(帝)も嘆き悲しまれて、院の元へ向かわれました。院は衰弱なされたご様子
でしたが、東宮のことを、何度も繰り返して帝へお頼みになりました。次に、大将(源氏)のことに
話が及びました。
「私が生きていたときと変わらないように、大事も小事も同様に、源氏に『後見人』として相談なさい。
彼は若い年齢に似合わず、国を治めることにも、ほとんど差し障りがないくらいだと私は見ている。
彼は確かに国を治める人相の備わった人だ。そうであるからこそ逆に気を遣って、親王にせずに、
『人臣の列に加えて、帝の後見に据えるようにしよう』と私は思ったのだ。この私の気持ちに
背いてはならない」
と、院はお言葉を残されました。
他に、帝への父のご愛情の籠もった御遺言を多く残されましたが、女(紫式部)は、天下の政事を
伝えるべき立場にはございませんので、この部分の一端さえも、私の口から語るのはきまりの
悪いことでございます。
(注)この部分は、原文をできるだけ忠実に訳しています。他意はありません。
帝も、
「とても悲しい」
とお思いになって、
「改めて、御遺言を違えさせるようなことはいたしません」
ということを、何度も何度も、院にお伝えしておりました。
帝の御容姿も、限りなく美しく、大人になるに伴って御立派になられたのを、院は嬉しく心強く
ご覧になっておりました。しかし高貴なる帝が父親の元におられる時間には限りがあるので、
帝は急いで帰らなければなりませんでした。お二人は、対面をした後には、かえって悲しみの
残る事が多くなりました。
東宮も、
「帝(兄)と同時に、院(父)の元へ参りたい」
とお思いになっておられましたが、あまりに慌ただしくなるので、日を改めて、
院の元へ向かわれました。東宮は年の頃よりは、大人びて立派で、愛らしいご様子で、今は、
「(院に)逢いたい」
という気持ちが積み重なっていたので、ただ無邪気に院にお会いになるご様子は、
周囲の悲しみを誘うものでした。ことに中宮(藤壺)が、その横で泣き続けている様子を
見るに付けても、院のお心は、千々に思い乱れておられました。東宮に様々なことを
お話になりながらも、まだ頼りのないご年齢なので(、どれほど理解できるのかと思われながら)、
院は先のことをご心配して悲しまれながら、東宮を眺めておられました。
大将(源氏)にも、朝廷の政事に携わるための気配りや、東宮の後見をするための事などを、
院は何度も仰せになりました。夜が更けてから、東宮は帰ることになりました。未だ桐壺院に
残っていた人々は、すべてが東宮にお仕えする者たちで、その人数は、行幸にもほとんど
劣らないものでした。院は(自分と大きく歳の離れた息子の)東宮との対面を満足する時間も
ないうちに、東宮が帰っていくのを、とても寂しく感じていました。
大后(弘徽殿の女御)も、院のお見舞いに行こうと思っておりましたが、中宮(藤壺)が、
いつも院の元に付き添っていることに気が引けて、行くのを躊躇っているうちに、
院の病状はひどくなり、とうとう崩御してしまいました。
その崩御の知らせに、足が地に着かないほどにうろたえて、途方に暮れる人が多くいました。
院は朱雀の帝に代を譲った後でも、国の政治の騒動を鎮めることが多かったのです。
それで院が亡くなったとは言っても、帝の代が変わらないものの、帝はまだ若い身であるので、
政権を担うであろう外戚の右大臣は、とても気短で、思いやりの気持ちの薄い方であったので、
「彼(右大臣)の専断するようになる世の中は」
「一体どうなってしまうのだろう」
と、公卿や殿上人たちは、将来を悲観していました。
中宮(藤壺)と大将(源氏)たちは、とりわけ際立った形ではなく、質素に院の葬儀を執り行い、
後々の法要、供養を行う様子なども、他の皇子たちよりも、源氏は優れていました。それも親子では
当然の道理ではありますが、源氏を、孝心にあふれた人であると、世の中の人も見ていました。
藤の喪服を着けた源氏がやせ衰えた姿も、ひときわ美しく、辛い様子に思われました。去年・今年と、
妻の葵上と父の桐壺院が続いて亡くなり、源氏はこのような経験を考えているうちに、世の中を
とても儚く思えてきました。このような機会になると、源氏は再び出家を決心することも
ありましたが、一方で、いろいろな束縛事も多かったので、それもかなわぬ事でした。
四十九日までは、女御や更衣たちも、みな院に留まっていましたが、それが過ぎると、院から
散り散りにお暇していきました。この日は(旧暦)十二月二十日になっており、世間一般では、
年の暮れの空模様を見るにつけても、なおさら晴れることのない、中宮(藤壺)の心の内でした。
大后(弘徽殿の女御)の心の内を知っていたので、
「大后さまのお心ひとつで動く今のこの世の中では、私はきまりが悪く、住みづらい思いを
するのでしょう」
ということを思うよりも、今は院と親しく過ごしたここ数年の日々を思い出して、悲しみにくれて
おりました。ほんのつかの間の間隔もなく、そう思ってはいても、ここでいつまでも院の御所に
いることは出来ず、誰も皆、他の所へと去っていかなければならない事ほど、悲しいことは
ありませんでした。
宮(藤壺)は、郷里の三条の宮へ帰っていくことになりました。お迎えに、兄の兵部卿の宮が
桐壺院にやって来ました。雪が激しく降り、風も強く吹いていて、院の周辺では、次第に人の往来が
減っていき、そのひっそりとした中で、大将(源氏)は、藤壺の居間へやって来て、院の存命中の
思い出話を兵部卿としていました。前の庭の五葉松が、雪に萎れて、下葉が枯れている様子を見て、
兵部卿の宮が一首詠みました(一首目)。
陰ひろみ頼みし松や枯れにけん下葉散り行く年の暮かな 兵部卿の宮(藤壺の兄)
訳:木陰が広いので、頼みとしていた松は枯れてしまいました。下葉が散っていくように、
四十九日が過ぎて人も去ってしまって閑散とした年の暮れになりましたね。
これはたいした歌ではなかったのですが、時節柄、日々悲しみを感じていた源氏の袖は、
ひどく濡れていました。
池の隙間もなく凍っている様子を見て、源氏は一首詠みました(二首目)。
さえわたる池の鏡のさやけきに見なれし陰を見ぬぞ悲しき 源氏
訳:一面に凍った池は鏡のように澄んでいるというのに、今はもう見慣れた影(院)を
見ることが出来ないのが悲しいのです。
と、思ったままに詠んでいました。ひどく悲しみにくれているからでしょうか、幼稚な歌に
なっておりました。王命婦は、次のように詠みました(三首目)。
年暮れて岩井の水も氷とぢ見し人影のあせも行くかな 王命婦
訳:年も暮れて、井戸の水も凍ってしまい、氷面に見る人影も、凍って浅くなったためか、
すっかり少なくなってしまったようです。(時が経って、人がすっかり減ってしまいました)
その機会には、多くの歌が詠まれましたが、そうむやみと書き続けることでもありませんので
(割愛します)。
(注)ここは原文通りです。僕が割愛したわけではありません。
短歌の評価も、原文通りです。
中宮(藤壺)が三条の宮に戻る儀式は、従来と変わらないほどの人数ではありましたが、
気のせいかしみじみと悲しみが募ってきて、郷里の古い宮も、かえって旅のような気分がして、
今まで過ごしてきた年月を、思いめぐらしていました。
去年は妻の葵上が亡くなり、今はこうして父の桐壺院が亡くなり、源氏の支柱となる人が
いなくなっていく、そんな悲しみが伝わってきます。
歳の離れた父の院が亡くなることも知らずに、無邪気な姿を見せた東宮を、院はどのような
気持ちで見ていたのでしょうか。切ない気分になります。
この後は右大臣の世になって、源氏が次第に転落していくことになります。
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おはようございます。
再開嬉しいです。来客中ですので落ち着いたらゆっくりは意見します。
2007/7/7(土) 午前 8:51
ほしさん、コメントありがとうございます。
ようやく再開しました。いつも読んで下さってありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。
2007/7/7(土) 午前 9:29
おはようございます。
もう一度読み返しにまた伺わせて戴きますね♪
2007/7/8(日) 午前 5:47
y5812y さん、コメントありがとうございます。
読み返していただいているのは、大変励みになります。
これからも続けていきます。
2007/7/8(日) 午前 9:46
こんにちは。悲しい場面ですが、愛する身内の死という悲しみをこうして歌にして少しでも心を軽くしようとしたのでしょうか。
玄さんのお歌にあるように、また子供を残して去っていかなくてはならない親の気持ちは、察するに余りあるものがありますね。
自然の摂理とはいえ、今も昔もお互いに辛いことです。
ましてや、一国を治める貴人の立場なら尚更ですね。
いつも勉強になります。傑作ポチ。
2007/7/8(日) 午後 4:23
ばんびさん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
僕も千々に乱れた気持ちを源氏や中宮たちが詠んでいるところは、
少しでも身内の悲しい死を昇華しようとしたように思いました。
院からすれば孫ほどに歳の離れた東宮との対面の場面は、どこか
身につまされるものがありました。そんな気持ちを詠んでみました。
家族と死に別れることは、自然の摂理とはいえ辛いものですね。
2007/7/9(月) 午前 0:33
ぼ、ボリュームと漢字の多さに(^_^;)となって、逃げます。
・ε=ε=ε=ε= ワーィヽ(。・ω・)ノ タタタタ・・・
2007/7/9(月) 午前 11:00 [ 屋根裏の秘密 ]
九太郎さん、コメントありがとうございます。
長文でわかりづらいのが、この頃の僕の傾向になってしまっていますね。。。
もう少しとっつきやすいネタも仕入れようと思います。
2007/7/9(月) 午前 11:20
古人は折にふれて歌を詠んでことを、改めて思いました。源氏の歌の中で、幼稚というのがありましたが、そうなのでしょうか。作者が幼稚に作ってみたのでしょうかね。いろいろ想像するとおもしろいですね。いつもありがとうございます。
2007/7/9(月) 午後 2:03
akiko さん、コメントありがとうございます。
何か出来事があるその度に、歌を詠んでいた当時の風流な様子が
想像できるようですね。「幼稚な歌」というのは、作者(紫式部)が
源氏の短歌を評して言った言葉ですね。この短歌を作者が幼稚な
ものとして作ったとすると、作者はストーリーに合わせて歌の優劣を
変えているといえますね。こういうところも、探ってみると面白そうですね。
2007/7/9(月) 午後 2:58
悲しみの中で歌を詠んで残すのですね・・
「さえわたる池の鏡のさやけきに見なれし陰を見ぬぞ悲しき」
「年暮れて岩井の水も氷とぢ見し人影のあせも行くかな」
訳して頂きよく解りました。
嬉しいですありがとうございます・ポチ(^<^)
何度も来ます。
2007/7/9(月) 午後 7:07
ほしさん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
毎回読んでいただいて感謝しています。
人を偲ぶために、うたを詠んでいた時代というのも、
しみじみとして感動的ですね。
僕は短歌の意味をきちんと訳せているようで、安心しました。
僕も悲しみを表現する歌が心にしみてきます。
与謝野晶子の訳書なども短歌の訳はつけていないので、
この部分では僕は力を入れようと思っています。
2007/7/9(月) 午後 7:39
人が亡くなることの悲しさは私が兄を
亡くした時の辛さで分ります。
自分を愛してくれた心の深さを思うと
もう一度この世で会いたいと無理なこ
とを言ってみたくなります。
2007/7/10(火) 午後 4:04
はせさん、コメントありがとうございます。
はせさんのお兄様が、どれだけ優しい方であったのかがよくわかります。
僕の叔父は僕と同じ病気の方でしたが、僕が学生の頃に亡くなりました。
その方には非常にお世話になっていたので、もし再び会うことが出来れば、
そう思うこともしばしばです。
2007/7/10(火) 午後 4:55
葵上が亡くなり、桐壺帝が亡くなり、して、源氏の心には、深い陰影というようなものができたかもしれません。人は死というものを通して、世の無常を感じるものだからです。私は、桐壺帝なきあと、
藤壺がどうしたか?もう少し知りたかったです。確か、先に出家している気がするのですが、この藤壺のことが気がかりでなりません。
2007/7/17(火) 午後 7:31
LOVE さん、コメントありがとうございます。
葵上と桐壺帝の死、そしてこの後の左遷によって、彼は成長していきますね。
辛い経験が、源氏を磨く砥石のようにも思います。
この後の藤壺については、この賢木の章で再び取り上げることになります。
そこで藤壺がどうして出家をしたかということが、詳細に書かれています。
二回ほど先の話になりますので、また見ていただけると嬉しいです。
2007/7/18(水) 午前 2:48
親はその子の行く末の無事なことを見極めて死にたいものだと願うものですね。どんなにか心を残して亡くなっていくことでしょう。帝の姿は、秀吉のそれに似通ったものを感じます。
また、年端のいかない子のあどけなく現実を知らないで、父親に会いたいと来られる姿もせつなく感じられます。
それぞれが、それぞれの立場で哀しんでいる様子が、周囲の情景とあいまってよく描かれていると思いました。
〔今の世の天皇家にも重なりて名も無き庶民の自由を思う〕
2007/9/25(火) 午前 6:38 [ - ]
ハルさん、コメントありがとうございます。
自分の死によって、世の中が大きく変化する、それを知った上で、
何とか我が子が無事でいて欲しい、秀吉の秀頼に対する気持ちに通じていますね。
そんな折に、その子がまだ幼く、あどけない姿でいることも、悲しみを誘いますね。
藤壺も、源氏も、朱雀院も、全く違う立場で悲しみを表現していましたね。
一字一句、訳すのに時間をかけました。
一首ありがとうございます。どんなことも自由にはならない高貴な方
のことを想像しました。同時に、庶民の自由というものもしみじみ感じました。
今も昔も、という気持ちが強く感じられました。
2007/9/25(火) 午前 11:02