玄齋詩歌日誌

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源氏物語・桐壺

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かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり   桐壺



解説

桐壺更衣の最期となる場面です。


ここからが本文です。



第二皇子(源氏)が袴着の儀式をしたその年の夏に、御息所(桐壺更衣)は
ちょっとした病気になって、郷里に下がろうとしましたが、帝はそのような
暇乞いをお許しにはなりませんでした。


  (注)御息所(みやすどころ): 天皇の御寝所に仕える女性のことで、
   天皇の御休息所が本来の意味です。天皇の夫人たちの中で「女御(にょうご)」や
   「更衣(こうい)」に相当する宮女を指し、皇子・皇女を産んだ女御・更衣に対する
   尊称として使われます。更に後には、更衣に限って用いられる尊称になりました。

   桐壺更衣は皇子(源氏)を産んだので、御息所の尊称で呼ばれるようになりました。


(桐壺は)長年にわたって、常に病気がちになっていましたので、
すでに帝はこのことに慣れておられたので、

「まだしばらくの間は、(御所での)養生をして様子を見なさい」

と、帝は仰せになられましたが、日に日に病気が重くなって、わずか五・六日の間に、
とても衰弱してきたので、桐壺の母君は、泣く泣く帝に申し上げて、桐壺の暇乞いをさせました。
このような時には、

「(宮中を死で穢すような)万一にもあってはならない失態を犯さないようにしなければ」

と、桐壺は配慮をして、皇子(源氏)を御所に留めたまま、人目を避けて
一人だけ退出していきました。桐壺を留めておくことにも限度がありますので、
そんなにまではお留めになることはできずに、(死の穢れを避ける決まりによって)
お見送りさえもできない心配な状況に、何とも言いようのない悲しみを覚えておられました。


大変華やかで、かわいらしい人(桐壺)は、ひどく痩せてしまって、

「(帝とお別れすることが)とても悲しい」

と、しみじみと思いながらも、言葉に出しては帝に申し上げることはできずに、
意識もはっきりせず正気も失っていました。そんな桐壺の状況を帝はご覧になって、
過去も未来もお考えになることはできずに、あらゆることを泣きながら約束されますが、
桐壺はそれに返事をすることもできませんでした。まなざしなども、とてもだるそうにしていて、
平常よりいっそう弱々しくなって、意識のない状態で臥していたので、

「いったい、どうなってしまうのだ」

と、帝は不安になっておられました。手車の宣旨(てぐるまのせんじ)を仰せになりましたが、
まだ桐壺を局にお留めになって、(病室への)退出をお許しにはなりませんでした。


  (注)手車の宣旨(てぐるまのせんじ): 輦車(れんしゃ)、つまり輿の形の屋形の
   左右に小さな車輪を付け、手で引いて動かす車に乗って、宮門への出入りを許可する
   天皇の略式の命令のことです。


「『死出の旅路でも、遅れたり先立ったりするまい』と、私と約束したではないか。
 いくら何でも、私を置きざりにして行ってしまうことはできまい」

と、帝は仰ると、女(桐壺)も、

「とても悲しい」

と思いながら、帝のお顔を見上げて(一首目)、


「かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり   桐壺

 訳: 人の命には限りがあるものとわかっておりましたが、ここであなたとお別れすることを
  悲しく思います。本当はまだまだ私は現世での道を歩んで(生きて)いきたいのです。


ほんとうに、私はこのように思っております」


と、桐壺は息も絶え絶えに言いました。更に帝に申し上げたいことがあったのですが、
とても苦しくなって死にそうな様子になって、これ以上言うことはできませんでした。
(そんな様子を見て、)

「このままで、たとえ最期になってしまったとしても、見届けたい」

と、帝は仰せになりましたが、侍従たちは、

「今日から始めようと思っていた祈祷などを、しかるべき方々が引き受けられております」

と、帝に申し上げて、(桐壺の退出を)急がせたので、帝は仕方がないと思いながら、
桐壺を郷里にお返しなさいました。


帝は急に悲しみでお胸がいっぱいになって、まどろむこともできずに、
夜を明かすことができかねるご様子でした。

御使者が行き来する間もないうちに、帝は更に気がかりなお気持ちを、
何度も仰っておりますと、郷里の人々は、

「夜中を過ぎた頃になりまして、御息所(桐壺)はお亡くなりになりました」

と言って、周りにいた人々が泣き騒いでいたので、御使者も、とてもがっかりした様子で、
宮中に報告に上がりました。


桐壺の死の知らせをお聞きになると、帝は動揺されて、何もお考えになることができずに、
部屋に引きこもっておられました。

忘れ形見の皇子(源氏)を、こんな時にも帝はお逢いになりたがっておりましたが、
このような(死の穢れがある)中で、服喪中の子供を宮中に置いておくことは
前例のないことなので、皇子は(桐壺の)母親の郷里に退出することになりました。


  (注)この頃の服喪の期間は父母・夫の死は服喪一年、祖父母の死は五ヶ月、
   妻・兄弟は三ヶ月となっていますが、延喜七年(西暦907年)以後の規定では、
   七歳以下は服喪をしなくて良いことになっています。ですからこの物語の時代設定は、
   それより以前になっているということがわかります。


皇子(源氏)は、

「何事があったのだろう」

とさえ思うことができずに、側仕えの人々が泣いて取り乱していたり、
父帝も、お涙を絶え間なく流しておいでになっていたりするのを、

「不思議だな」

とだけ、皇子は思っていました。


親子の別れは、たとえ普通のことであったとしても悲しくないということは
ないのですから、ましてやこのような別れは、とても悲しくて何とも言いようがございません。



ここまでが本文です。

死というものを感じ取ることができないほどの幼い子供を残しての死は、何とも悲しいものです。

桐壺が最期に詠んだ一首は、何とも表現しようのない悲しい一首であることが、
訳してみて改めてわかりました。僕も現代語訳をしていますが、非常に意味深長な一首で、
まだまだ不完全な訳になっています。


次回は桐壺の葬儀の場面です。弘徽殿の女御と源氏との確執の端緒が垣間見えます。

閉じる コメント(10)

こういう状況の歌だと、現代語訳って理解するための助けにはなりますが、原文の味わいってありますよね。しみじみと心に訴えかけてきます。

2007/11/6(火) 午後 8:34 ウィル

帝の悲しみの深さが伝わってきます。桐壺と帝は、この時代の高貴な身分の人には稀有な純粋な愛情で結ばれていたのですものね。
源氏という、光り輝くような人物が二人の間に生まれたというのも納得できる感じで、紫式部はやはり巧いと思います。

かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり

この歌にも、桐壺の無念が表れていますね。絶唱が胸に響きます。
傑作ポチ。

2007/11/7(水) 午後 0:24 yu00

ウィルさん、コメントありがとうございます。
翻訳の文章を楽しむのも、古典作品の面白いところですが、
原文を読んで味わうのも、この一首の場合は特に感じられます。
この一首に強いメッセージが込められていることと思います。

2007/11/7(水) 午後 3:34 白川 玄齋

ばんびさん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
高貴な身分に生まれた二人の、とても純粋な恋の物語にしみじみとします。
このような時代には珍しいことなのでしょうね。
そのおかげで生まれた源氏という希有な人物の物語の、
導入部分として印象深い箇所だと思いました。
桐壺の無念を詠じた一首にもとても感動しました。
紫式部は歌も文章もすごい方だと思いますね。

2007/11/7(水) 午後 3:40 白川 玄齋

顔アイコン

桐壺が郷里へ帰ったとき、源氏はまだ宮中にいたのでしたら、桐壺は大きな二つの別れをしたのですね。
夫とひとり子を同時に失うと心の支えがなくなりますね。
桐壺が可哀想!

2007/11/7(水) 午後 4:35 はせばあ

はせさん、コメントありがとうございます。
桐壺は子供(源氏)が自分の巻き添えにならないようにと、
源氏を宮中に残して一人で郷里へ帰っていきました。
夫と子供と離れて最期を迎える、桐壺の無念はどれほどだったかと
考えさせられますね。僕も何とも哀れに思いました。

2007/11/7(水) 午後 5:05 白川 玄齋

顔アイコン

桐壺の更衣は、なんだか哀れですね。その分、源氏の生涯が浮上してきて引き立つようにも思われます。若死にした人のおもかげは、若死にした当時のままで人の心に残りますから、そういう意味では、桐壺の更衣は、人の心に残る人だったかもしれませんね。

2007/11/7(水) 午後 5:49 マイラブ

LOVE さん、コメントありがとうございます。
桐壺は非常に悲しい死に方をしていますね。
その分、源氏の心に強く残っているのでしょうね。
その気持ちが藤壺に行くのもわかるような気がしますね。
物心つかない時に死んだ母に似ている、そんな風に周囲から言われると、
切ない気持ちが源氏の中に生まれたのかもしれないと思いました。

2007/11/7(水) 午後 6:15 白川 玄齋

ここからいよいよ光る君の、失った心を取り戻す、さすらいの旅が
始まるのですね〜 感慨深いです。

平安人の教養の一部を習得出きる様に、頑張らないといけませんね。

2007/11/11(日) 午後 3:34 sio

zaivan さん、コメントありがとうございます。
源氏が失った気持ちから、藤壺に対してどのような感情を抱いたか
ということが、「桐壺」の章の後半で語られます。
源氏がどのような心情であったかを想像するとしみじみとします。
僕も漢文や漢詩などの古典も消化しながら、何とか訳していきます。

2007/11/11(日) 午後 3:48 白川 玄齋


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