玄齋詩歌日誌

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夜航詩話

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今回は漢詩で扱う日本の地名についての話です。

日本の地名がそのまま漢詩で使われるということはあまりなく、
多くは漢詩に合わせて別の名前に置き換えることになります。

たとえば「淀川(よどがわ)」は漢詩では「澱江(でんこう)」という名前になります。

『夜航詩話』の著者は、昔はこのような名前の変更が氾濫して、
元の地名がわからない位になっている、という批判をしています。



(原文)
我邦凡百稱呼、多不雅馴、而地名特甚也、先輩病其難入詩、往往私修之、葢詩者爲諷詠之物、
妙在化俗爲雅、故其不勝野朴者、不得不莊飾就雅馴耳、然徂徠南郭輩、如改諏訪湖爲鵞湖、
岡崎城爲豐沛、目黒山爲驪山、白山爲商山、胡亂牽彊、是誠何義也、自來好奇之徒、
雖其不必陋者、亦強欲擬漢土、即輒擅自換易、使人不能辨其爲何地、楊萬里詩云、
里名只道新名好、不道新名誤後人、可見此弊宋人作俑、至明李王輩、謂燕京爲長安、
以便其聲調遂波及此方、至紊輿志名實倶亡、不唯風雅之罪人也。



(書き下し文)
我が邦凡百の称呼、多くは雅馴ならず。而して地名は特に甚しきなり。

先輩、其の詩に入り難きを病み、往々私に之を修す。

蓋し詩は諷詠の物たり、妙は俗を化し雅となすに在り。
故に其の野朴に勝えざる者は、荘飾して雅馴に就かざるを得ざるのみ。

然れども徂徠・南郭の輩、諏訪湖を改めて鵞湖となし、岡崎城を豐沛となし、
目黒山を驪山となし、白山を商山となすが如きは、胡乱牽強、是れ誠に何の義ぞや。

自来奇を好むの徒は、其れ必ずしも陋ならざる者と雖も、亦た強いて漢土に擬せんと欲し、
即ち輒ち擅に自ら換易し、人をして其の何地たるを弁ずる能わざらしむ、

楊萬里の詩に云う、「里名只だ道う新名好しと、道わず新名後人を誤る」と。

見るべし此の弊は宋人俑を作り、明の李王の輩に至りて、燕京を謂って長安となし、
以て其の声調を便にし、遂に此の方に波及し、輿志を紊し名実倶に亡ぶるを致す、
唯に風雅の罪人たるのみならざるなり。


(語注)
※荻生徂徠(おぎゅうそらい): 江戸中期の儒者。名は双松(なべまつ)。江戸の人。
 柳沢吉保(やなぎさわよしやす)に仕え、初め朱子学を奉じたが、後に古文辞学(こぶんじがく)を
 唱えた。門下に太宰春台(だざいしゅんだい)や服部南郭(はっとりなんかく)等がいる。

※服部南郭(はっとりなんかく): 江戸中期の儒者。名は元喬(もとたか)、字は子遷(しせん)。
 京都の人。柳沢吉保(やなぎさわよしやす)に仕え、荻生徂徠(おぎゅうそらい)の門人となって、
 古文辞学(こぶんじがく)を修めた。詩文にも長じた。

※古文辞学(こぶんじがく): 「古学(こがく)」に含まれる日本儒学の一派。朱子学に対して
 荻生徂徠(おぎゅうそらい)が唱えたもの。古語の意義を明らかにすることによって、
 儒学の経書の本質に迫ろうとする。その門から太宰春台(だざいしゅんだい)・服部南郭
 (はっとりなんかく)らが出た。

※鵞湖(がこ): 山の名前。江西省鉛山県にある。宋の朱子が終生の論敵の陸象山と
 論争したところで有名。

※豐沛(ほうはい): 漢の高祖劉邦の生誕の地。江蘇省銅山県の北西の豊邑(ほうゆう)を指す。
 漢詩では帝王の故郷を指す時に使われる。

※驪山(りざん):陝西省臨潼(りんとう)県の南東にある山。秦の始皇帝の墓がある。
 また、ふもとには温泉があり、ここに唐の玄宗が華清宮(かせいきゅう)を建てた。

※商山(しょうざん): 陝西省商県の東にある山。商山四皓(しょうざんしこう)の隠れた
 ところとして有名。

※商山四皓(しょうざんしこう): 東園公・角里(ろくり)先生・綺里李(きりり)・夏黄公の
 四人の老人。秦の時代末期の戦乱を避けて商山に隠れていたが、高祖劉邦が太子を廃位しようと
 したとき、参謀の張良の招きにより太子を補佐したので、高祖は廃位をあきらめた。

※楊万里(よう ばんり): 宋代の学者。字は廷秀(ていしゅう)。諡(おくりな)は文節。
 学者は誠斎先生と号した。いくつかの学問上の重要な官についた。詩文に巧みで、
 『誠斎詩話』その他の著作がある。

※宋人俑を作り: 「俑(よう)」は顔かたちを人に良く似せた木の人形のこと。
 昔は「芻霊(すうれい)」という草を編んで作った人形を死者の棺に入れていたが、
 春秋時代の宋の国の人が、代わりにこの俑を使い出して、やがてはこれをきっかけとして、
 生身の人間を殉死者にする風習までが生まれるようになったことを指す。
 (『孟子 梁惠王章句上』より)。

※李王(りおう): 李攀龍(り はんりょう)と王世貞(おう せいてい)の二人を指します。
 二人の文学は、荻生徂徠に影響を与えている。

※李攀龍(り はんりょう): 明代の文人。歴城(山東省)の人。字(あざな)は于鱗(うりん)。
 詩文の復古を唱え、『滄溟集』三十巻の著作がある。『唐詩選』の編者と目されている。

※王世貞(おう せいてい): 明代の政治家・文人。字(あざな)は元美(げんび)。
 号は弇州山人(えんしゅうさんじん)。李攀龍(り はんりょう)とともに詩文の復古を
 主張していた。

※燕京(えんきん): 北京の別名。五代の晋(しん)の時代のときにつけられた地名。
 清の時代に北京と名付けられた。

※長安(ちょうあん): 前漢・隋・唐などの都。今の陝西省西安市付近。

※輿志(よし): 地理について記してある書物。地理書を指す。「輿誌(よし)」とも言う。


(現代語訳)
我々日本のもろもろの名詞は、多くは漢詩に向くような、雅(みやび)に訓読できるものには
なっておりません。特に我々の地名は、その特徴が顕著に表れています。

我々日本の先人たちは、そのもろもろの名詞が漢詩に入りにくいことに悩んで、
しばしば私に次のことを学ばせました。

「そもそも詩は節を付けて歌うためにあるものだ。その極意は俗なものを雅なものに変えてしまう
 ことにある。だから粗野で素朴になってしまって鑑賞に堪えないのであれば、それを飾り立てて
 雅な訓読になるものにしなければならないのだ」

と。


しかし荻生徂徠(おぎゅうそらい)や服部南郭(はっとりなんかく)の連中は、
諏訪湖の名前を鵞湖と改め、岡崎城を豊沛と改め、目黒山を驪山と改め、
白山を商山と改めてしまい、でたらめで牽強付会も甚だしいものになってしまいました。
これでは本当にどこに正しいことがあるというのでしょうか。そもそも珍奇な
ものを好む連中は、必ずしも愚かな者ではないとしても、強引に中国の地名に
なぞらえようとして、すぐに自分の思うとおりに変えてしまって、
他の人にそれが元々はどこの土地であったかを判別できなくさせてしまうのです。


楊萬里の詩には、

「道理や名分だけが、新しい名前を良いと言うのあり、そうでなければ新しい名前が後の人を
 誤らせることになるのだ」

と言っております。


このような弊害は、宋人が俑を作ることによって、やがて本当の人間を殉死者にする風習が
生まれたようなものであり、明の李攀龍(り はんりょう)や王世貞(おう せいてい)の
連中に至っては、燕京(いまの北京)を長安(いまの西安)と言い換えて、それによって
声の調子を整えて、それが遂に日本にまで波及して、地理を記した文献を乱して、
名目も実質も共に滅びてしまいました。これでは単なる風雅の上で罪を犯しただけの
人であるとは言えなくなってしまいます。



ここまでが本文です。

日本の地名を中国の土地の名前で表現するというのは、
いろいろな弊害があるというのがこの一節の内容ですね。

現在に漢詩をする人は、漢詩の地名には昔から使い慣れた表現を吟味していく必要がありますね。

昔の用例が豊富なものを選んで、冒険をしないようにしていかないと、鑑賞する人が、
この詩は何について詠んでいるかということがわからなくなるということですね。

この辺は漢詩の言葉には、過去の用例が出ているものを使わなければならない、
という注意点と同じだと思いました。


次回以降ももう少し日本の地名についての話が続きます。

閉じる コメント(12)

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佳境に入ってきましたね。富士山を富岳と言うのは解りやすい。芙蓉
なんて言いますね。

おおいに期待しています。ポチ

2007/11/28(水) 午後 11:34 [ f u k o ]

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ふじは、不二が古そうですね。
富士は、近世の字の書き方の、様ですね。

日本語の富岳は、漢詩から来たのですね。


日本語の漢字による漢字詩なれば、
多くの人がすぐに、笑い読むかもしれませんね。

漢詩の山は、富士より高し。左兎

2007/11/29(木) 午前 11:23 歌人太聖

不孤さん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
ようやく漢詩についての話になってきました。
漢詩の勉強のつもりで丁寧に訳していけるように努力します。
富士山は「富岳」ですね。これはわかりやすい例に思いました。
もう少し続く漢詩の名詞についての話を興味深く訳していきます。

2007/11/29(木) 午後 0:01 白川 玄齋

歌人太聖さん、コメントありがとうございます。
古語辞典を引くと、富士山は古くは「不尽」「不二」とありますね。
漢詩では「富岳」なのですね。今回初めて学びました。
中国の人にもわかるように漢詩を書くというのは、
江戸時代の人も苦心していたということがわかってきました。
僕も漢詩の山を一歩ずつ確実に歩んでいこうと思います。

2007/11/29(木) 午後 0:09 白川 玄齋

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7月8月と今年、2回中国に行ってきましたが
漢字がまったく違うんですね。
同じ漢字でも発音が違いますね。
漢詩は親父の専門でしたね。
本当は万葉、古今などが主でしたが
その原点は漢詩にあり、と言っておりました。

2007/11/30(金) 午前 3:35 -

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私の短歌の先生も、漢詩の世界にヒントを得て、短歌を詠まれることがあるそうです。大変博学な先生で、特に陶淵明がお好きなようです。無知な私は足元にも及びませんが、そういう世界があることだけは知っておきたいといつも思っています。

2007/11/30(金) 午前 11:25 あきこひめ

吉祥天さん、コメントありがとうございます。
中国は方言も多彩で、地方によって発音が全く違うとは聞いていました。
漢字まで全く違うのですね。改めて中国は広いと思いました。
吉祥天のお父様も漢詩が専門なのですね。
古典の散文も、元々は漢文でしたね。
日本の歌や文章の原点は漢詩や漢文にあると、僕も思います。
僕も古典と漢文を共に学んでいこうと思います。

2007/11/30(金) 午後 1:45 白川 玄齋

akiko さん、コメントありがとうございます。
akiko さんの短歌の先生も、漢詩を学んでおられるのですね。
短歌と漢詩を共に学んでいるとはすごいです。尊敬します。
陶淵明は僕も読んでいます。非常に博識な詩人だと思います。
昔の詩人は不遇な人生が多いと、しみじみと思います。
僕も日本と中国の古典を、できる限り学んでいきたいと思います。

2007/11/30(金) 午後 2:13 白川 玄齋

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星には無知で解りませんが~読まないより読んだほうが良いとおもっています。
最近感動する事ないですが、皆さんのコメントと読みまして。
玄さんの学んでいく姿に感動しました。
お若いです学んでください頑張るのですよ。ポチ(^<^)

2007/11/30(金) 午後 3:41  HOSI 

ほしさん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
今のうちに漢詩をどんどん学んでいきます。
日々おろそかにせずにがんばっていきます。
いつも応援ありがとうございます。

2007/11/30(金) 午後 4:19 白川 玄齋

う〜ん、確かに日本の地名そのままじゃ、漢詩になりませんものね。
そう考えると、現代に漢詩を作るのは大変ですねぇ。
玄齋さんに、感心しちゃいます。

2007/12/1(土) 午前 9:57 ウィル

ウィルさん、コメントありがとうございます。
漢詩を始める以前は、なぜ漢詩では地名が変わっているのかと
疑問に思っていましたが、ここに先人たちの苦労があったとわかりました。
今漢詩をするためには、そういった以前使われたものを注意して使う必要がありますね。
僕はこれからも少しずつ、このようなところを学習していこうと思います。

2007/12/1(土) 午前 10:48 白川 玄齋


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