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『夜航詩話』第一巻の四回目は、前回に引き続いて、漢詩の地名についての話です。
日本の地名を漢詩に入れる場合に、中国の地名を借りることがあります。
ここでは、きっちりとした目的もなく中国の地名を借りることを戒めています。
ここからが本文です。
(原文)
謂武蔵爲武昌、武昌蕞爾一僻邑、擬非其倫、然徂徠南郭輩、爲用武昌魚武昌柳故事、
借以稱之、尚有可諉者、後人遂不必用其事、而相沿稱之、甚亡謂也、其餘如筑紫爲紫陽、
安房爲房陵、石見爲碣石、伊豫爲豫章、加賀爲賀蘭、和泉爲酒泉、若狭爲若耶、
皆唯因一字假用、復顧其當否、不亦妄乎、至如美濃爲襄陽、伊賀爲渭陽、播磨爲鄱陽、
相模爲湘中、名護屋爲呉門、富士川爲巫峽、妄之又妄、近於兒戯矣。
(書き下し文)
武蔵を謂って武昌となす。武昌は蕞爾たる一僻邑なり。擬するに其の倫に非ず。
然れども徂徠南郭の輩、武昌魚・武昌柳の故事を用いんがために、
借りて以て之を称す、尚お諉すべき者あり。
後人、遂に必ずしも其の事を用いず、而して相沿うて之を称す、甚だ謂れなきなり。
其の余は、筑紫を紫陽となし、安房を房陵となし、石見を碣石となし、伊豫を豫章となし、
加賀を賀蘭となし、和泉を酒泉となし、若狭を若耶となすが如きは、皆唯だ一字に因りて借用し、
復た其の当否を顧みず、亦た妄ならずや。
美濃を襄陽となし、伊賀を渭陽となし、播磨を鄱陽となし、相模を湘中となし、
名護屋を呉門となし、富士川を巫峽となすが如きに至りては、妄の又た妄、児戯に近し。
(語注)
※荻生徂徠(おぎゅうそらい): 江戸中期の儒者。名は双松(なべまつ)。江戸の人。
柳沢吉保(やなぎさわよしやす)に仕え、初め朱子学を奉じたが、
後に古文辞学(こぶんじがく)を唱えた。門下に太宰春台(だざいしゅんだい)や
服部南郭(はっとりなんかく)等がいる。
※服部南郭(はっとりなんかく): 江戸中期の儒者。名は元喬(もとたか)、字は子遷(しせん)。
京都の人。柳沢吉保(やなぎさわよしやす)に仕え、荻生徂徠(おぎゅうそらい)の門人となって、
古文辞学(こぶんじがく)を修めた。詩文にも長じた。
※古文辞学(こぶんじがく): 「古学(こがく)」に含まれる日本儒学の一派。
朱子学に対して荻生徂徠(おぎゅうそらい)が唱えたもの。古語の意義を
明らかにすることによって、儒学の経書の本質に迫ろうとする。その門から
太宰春台(だざいしゅんだい)・服部南郭(はっとりなんかく)らが出た。
※武昌(ぶしょう): 湖北省黄岡(こうこう)県の南東にあった地名。
※武昌魚(ぶしょうぎょ): 遠方へ移らなければならないことを歎く様子を指している。
呉の孫皓(そんこう: 三国時代の呉の孫権の孫)が遷都をする時、遷都に反対する者が
流行らせたという童謡の一節にある。
「寧飮建業水,不食武昌魚。寧還建業死,不止武昌居。
(寧ろ建業の水を飲むとも、武昌の魚を食らわず。寧ろ建業に還りて死すとも、武昌に止まりて居らず)」
(訳): もし建業の水を飲む(ことで苦難に遭う)としても、武昌の魚を食べるよりはましだ。
もし建業に帰ることで死ぬとしても、武昌に止まって生き続けるよりはましだ。
※武昌柳(ぶしょうりゅう): 遠く隔たった相手を思いやることを指している。
北斉の張碧蘭(ちょう へきらん)の詩、『寄玩郎(玩郎に寄す)』にある。
「郎如洛陽花,妾似武昌柳。両地惜春風,何時一携手。
(郎は洛陽の花の如く、妾は武昌の柳に似たり。両地 春風を惜しむ、いつか一つに手を携えん)」
(訳)あなたは洛陽の花のようで、私は武昌の柳のようです(お互いに遠く隔たっています)。
二つの場所では、どちらも春風が季節を惜しむように吹いています。私たちはいつになったら
お互いに逢って手を携えて暮らすことができましょうか。
※紫陽(しよう): 安徽省の県名。
※房陵(ぼうりょう): 今の湖北省房県を指す。
※碣石(けっせき): 夏王朝の祖、禹王(うおう)の時代に湖北省の黄河の沿岸の海の
近くにあった山とされている。
※豫章(よしょう): 春秋時代の、揚子江と淮河(わいが)の間の地域を指す。
※賀蘭(がらん): 寧夏回族自治区にある山の名。
※酒泉(しゅせん): 漢の時代の酒泉郡(今の甘粛省の西北部)を指す。
酒の味がする泉があったという伝説がある。
※若耶(じゃくや): 浙江省紹興市東南の若耶山(じゃくやさん)のこと。
昔はこの山を発する川(若耶渓)が鏡湖(きょうこ)に流れていたとされており、
美女の西施(せいし)が蓮を採ったという伝承がある。
※西施(せいし): 春秋時代の、呉王夫差(ふさ)の愛妃。中国古代の美人の代表とされている。
※襄陽(じょうよう): 現在の湖北省襄樊市。洞庭湖の北方200キロメートルのところにある。
※渭陽(いよう): 渭水(いすい)の川の北を指す。
※渭水(いすい): 甘粛省渭原県の北西を源流とし、陝西省を東に流れ、
洛水(らくすい)と合流して潼関県(とうかんけん)で黄河に注ぐ川の名前。
※鄱陽(はよう): 鄱陽湖(はようこ)の東岸。今の江西省鄱陽県の地を指す。
※鄱陽湖(はようこ): 江西省の北にある湖。もとは彭蠡湖(ほうれいこ)と言われていた。
※湘中(しょうちゅう): 湖南省の別称。ちなみに日本の「湘南」とは、この地を流れる
湘水(しょうすい)という川の南を湘南というところから来ている。
※呉門(ごもん): 江蘇省呉県の別称。
※巫峽(ふきょう): 四川省巫山県の東にあり、揚子江上流の難所として知られる。
(現代語訳)
武蔵を武昌に言い換えているものがありますが、そもそも武昌は単なる小さな僻地に過ぎないので、
武蔵をそれに似せるのは道理として正しくありません。
しかし、荻生徂徠や服部南郭たちは、(遠方へ移ることを歎く)武昌魚や、
(遠く隔たった相手を思いやる)武昌柳などの故事を使うために、
あえて武昌の地名を使っているのです。ですからこれはまだ読者が解釈できる余地があります。
しかし後の時代の人は、必ずしもこの故事を用いないのに、これに同調して武昌の名を
利用しているのは、あまりにいわれのないものと言わなければなりません。
それ以外の例に至っては、筑紫を紫陽とし、安房を房陵とし、石見を碣石とし、伊豫(伊予)を
豫章(予章)とし、加賀を賀蘭とし、和泉を酒泉とし、若狭を若耶とするようなものは、
すべてただ一字にちなんで借用しただけで、その名前を使うことが妥当かどうかを考えていません。
何ともでたらめなものではないでしょうか。
ましてや美濃を襄陽とし、伊賀を渭陽とし、播磨を鄱陽とし、相模を湘中とし、名護屋(名古屋)を
呉門とし、富士川を巫峽とするようなものに至っては、でたらめの上にもでたらめで、
子供の遊びに近いようなものです。
ここまでが本文です。
故事を使用するためにあえて中国の地名を選んだなどの例を除いて、鋭い批判が続きました。
相模の南という意味で付けられた「湘南」などは日本の地名として定着していますね。
日本の地名には、こうした漢詩での中国の地名の使用が関連している所があるようですね。
次回も漢詩の地名の話です。無批判に昔の典拠を使ってはいけないという話になります。
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なるほど。ちょっとずれるかもしれませんが、地名って、わが地方都市でも東京や京都と共通する地名がけっこうあるんですよね。本質的に、そういうものなのかな、とも思えますね。
2007/12/6(木) 午後 11:43
ピンパパさん、コメントありがとうございます。
地方にも同じような地名が見られることがありますね。
僕の住んでいる所も、神社にちなんだ名前なので、
同じ地名がいろいろな所に出ているのがわかります。
他の地名にちなんで付けるというのも、
地名の特徴なのかもしれないと思いました。
2007/12/7(金) 午後 2:07
地名の話面白いですね。引用はいいかげんでも、なんか興味をそそられるものがあります。。。
2007/12/13(木) 午前 1:03
コナン王子さん、コメントありがとうございます。
地名を漢語に直す話は、僕も興味深く訳しています。
当時はこんな議論がなされたのかと、とても面白く感じています。
地名の由来を探るのも面白そうですね。
2007/12/13(木) 午後 3:23
なるほど。これは面白いですね。台湾の地名を中国の地名を借りることもあります。日治時代の地名は殆ど改称されました。
2008/1/13(日) 午後 7:12 [ pure taiwan ]
PURE さん、コメントありがとうございます。
漢詩で使われる地名は、中国の地名から借りてくるということは、
この「夜航詩話」を訳していて、興味深く思いました。
台湾でも中国の地名を借りている部分があるのですね。
日本が占領していた頃の地名はほとんど変わっていったのですね。
歴史の悲しい爪痕が残っているのですね。
僕も明るい未来のために何ができるか、考え続けています。
2008/1/14(月) 午前 11:58