玄齋詩歌日誌

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古詩(長い漢詩)

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時事漫言(古詩)  玄齋  (上平聲七虞韻)

時 知 惨 劇 亡 無 辜    時に知る 惨劇 無辜を亡(うしな)い
罪 人 自 棄 空 被 誅    罪人自棄にして 空しく誅せらるるを
雖 不 恒 心 因 無 産    恒心ならざるは産無きに因ると雖も
豈 唯 士 有 無 爲 乎    豈に唯だ士のみ為す無き有らんや
獨 學 古 來 聖 人 教    独り学ぶ 古来 聖人の教えを
偏 憂 現 世 仁 人 無    偏に憂う 現世 仁人無きを
大 學 脩 身 及 天 下    大学 修身 天下に及び
一 身 欲 脱 章 句 儒    一身 脱せんと欲す章句の儒を
庶 幾 仁 人 以 忠 恕    こいねがわくは 仁人 忠恕を以て
国 家 無 恙 如 唐 虞    国家 恙(つつが)無く 唐虞の如くなるを


現代語訳:

 時折知るのは、惨劇で罪もない人々が命を失って、

 自暴自棄になって人を殺した罪人は、ただ空しく厳罰に処せられている
 ということである。

 『孟子』には、「民衆が正しい心を持ち続けられないのは、安定した生活が
 できないことによるのだ」とあるけれども、

 「安定した生活ができなくても、悪いことをしない」でいられるのは、
 どうして修養のできた立派な者だけなどと言えるだろうか。

 私は一人、古来からの優れた人徳を備えた人(聖人)の教え(儒学)を学んでいる。

 そのときには、現在の世の中に仁人(人徳を備えた情け深い人)がいないことを
 ひたすら憂えている。

 儒学の四書の一つの『大学』の修身(身を修める)から天下が泰平になるの
 一節を読むたびに、

 私自身が言葉の解釈に終始して、その言葉の精神を理解していない
 未熟な儒学者を脱したいと、いつも思うのである。

 いつも願うのは仁人が忠恕(自分のまごころを相手に推し及ぼす)の
 心を持つことで、

 国家が何事もなく平安に治まって、古代の伝説の聖人の堯(ぎょう)や
 舜(しゅん)の治世のようになってほしい、ということである。


語注:

 ※無辜(むこ): 罪のない人々を指しています。

 ※被(〜せらる): 「〜される」という受け身の表現です。

 ※誅(ちゅう): 刑罰を与えて殺す、という意味です。

 ※恒心(こうしん): 「道義を守る一定不変の心」のことです。
   『孟子』の本文に出てきます。三句目、四句目は下記の解説を参照して下さい。

 ※無産(むさん、さんなし): 「安定した財産を持っていない(安定した生活が
  できない)」ということを意味しています。

 ※聖人(せいじん): 儒学の書物に出てくる、最も高い人徳を備えた人たち
  のことです。

 ※仁人(じんじん): 仁徳をそなえた人、情けの深い人を指しています。

 ※大学(だいがく): 儒学の「四書」の一つです。儒学の基本的な考えが
  書かれています。

 ※修身(しゅうしん): 自分の身を修めることです。これも下記の解説を
  参照して下さい。

 ※章句(しょうく): 文章の解釈に終始して、文章に書かれている精神を
  理解しない学問を意味します。「章句の儒」は、そのような学問に終始する、
  儒学者の中の未熟な者のことです。

 ※庶幾(こいねがわくは): 「どうか〜であってほしい」という意味です。

 ※無恙(つつがなし): 何事もなく平安であることを指しています。

 ※唐虞(とうぐ): 古代中国の聖人二人の頃の治世を指しています。
   「唐」は堯(ぎょう)帝の姓「陶唐(とうとう)氏」、
   「虞」は舜(しゅん)帝の姓「有虞(ゆうぐ)氏」のことです。
   この時代は統治者の存在を忘れるほどによく治まっていたとされています。

解説:

 最近では、町中で突然、何の罪もない人々が次々に殺される事件が
 度々報じられています。このような凶行に及んだ罪人たちに共通するのは、
 自分の身の回りの生活が思うようにいかなくて、自暴自棄になって
 「誰でも良いから殺す」という気持ちになったということです。


 このような事件を聞くたびに、『孟子』の梁惠王章句上の一節が頭に浮かびます。

 「無恒産而有恒心、惟士爲能。若民、則無恒産、因無恒心。苟無恒心、
  放辟邪侈、無不爲已」

 「恒産無くして恒心有る者は、ただ士のみ能くすと為す。民のごときは
  則ち恒産無ければ、因りて恒心無し。苟も恒心無ければ、放辟邪侈、
  為さざるなし」

 訳: 恒産(安定した生業による一定の収入)がなくても恒心(道義を守る
   一定不変の心)があるのは、よく修養のできた立派な者だけがよくできる
   ことです。普通の民衆においては、恒産がなければ恒心はないものです。
   もし恒心がなければ、(現状を脱するために)勝手で邪悪なことであっても、
   何でもしてしまうようになるのです。

 この後には民衆には安定した生活をさせていないのに、罪を犯したから
 といって罰するのは、民衆を罠にかけるようなものだと言って、
 王を戒める文章が続いています。


 しかしこれは、孟子があくまでも一国の為政者に対して述べたものであって、
 民衆に対しては同じように説くことはないでしょう。

 決して、安定した生活ができなければ、何をしても良いということには
 ならないはずです。

 恒産が無くても恒心が持てるようにということまでは望めなくても、
 せめて「どんな悪いこともしてみせる」という気持ちを持たないことは、
 どんな市民であっても心がけなければならないところだと思います。

 この意味で、何の関わりもないものを惨殺した犯人には、
 全く同情がする余地がないと思っています。



 このようなことを考えていると、僕自身はどうなのだという気持ちも起こってきます。

 道楽で儒学の経書を読み、それが漢詩や後世の儒者が書いた文章で
 述べられている部分を見つけて喜んでいる現状は、まさしく高名な儒者が
 批判するところの「章句の儒」、つまり経書の文字解釈に終始して、
 経書の精神を理解しない儒学者とそう変わらないのではないかと思いました。

 経書に書かれている言葉を覚えるのは簡単であっても、それが自分自身の
 身の回りでどのような意味を持つかということを考えて、
 実践に及ぶところまで行かなければ、「章句の儒」と変わらないのです。


 特によく思うのは、四書五経の四書の一つの『大学』に書かれている、
 「致知・格物・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下」というものが、
 僕の中ではとても抽象的だということです。
 
 この部分は大雑把に言えば、「致知〜修身」が自己の修練の工夫であり、
 「斉家〜平天下」がその修練による成果だということになります。

 後半の「修身・斉家・治国・平天下」という部分を取り出して、
 簡単に説明すれば、身を修めることから、家がおさまって、国がおさまって、
 天下が泰平になることに繋がっていくということです。
 そのような基本的な考え方が儒学の中にあります。

 自己の身を修めることから始まって、天下泰平になるということが、
 僕の中では非常に抽象的でしたが、
 この事件によって、少しは考えるきっかけになりました。

 今日の朝日新聞の朝刊のオピニオン欄の、犯人が「一本の藁」を
 つかむことができれば、或いは犯行を思い止まったかもしれない、
 という部分を読んで、少しなるほどと思いました。
 
 もし今回の凶行に及んだ犯人の身近に、思いやりの深い人物(仁人)が
 いたとすれば、その人物が「一本の藁」の役割を果たして、
 或いはその凶行に及ぶことをためらったかもしれない、などと考えていました。

 このような仁人になるための修養と考えれば、上記の身を修めることが
 天下泰平に繋がる、という意味も少しは見えてきたように思いました。
 このような出来事によって本来起こってしまう事件が起こらないことで、
 平和の世の中になるというように考えてみました。

 このような世の中は昔の理想の時代、聖人の堯や舜が治めていた
 時代を想起します。僕はこのような世の中を願ってやまない、
 いつもそう思います。


 しかしそのような犯行を行おうという気持ちを秘めている人に対する
 適切な態度などというものは、相当に思いやりや真心を持っていなければ
 到底できないと思います。

 それにそのような仁人の心に触れて犯行を思い止まったとしても、
 それは誰も気づかないところで行われたことなので、誰も評価してくれる
 わけではないのです。そのようなことを進んで行えるのは、
 並大抵の修練ではいかないものだとつくづく思いました。



 今現在においては、僕の思っていることはまさしく「漫言」、
 つまり「深く考えない、いいかげんでとりとめのない言葉」
 に過ぎないと思いました。

 時事を述べるのはやはり難しい、改めてそう思いました。




余談:

 以下、この古詩についての余談です。

 古詩というのは、近体(律詩や絶句)に適用される規則を破った詩体のことです。

 よく、「古詩は規則がなく自由に作れる」などと言われていますが、
 実際には規則が存在します。それは「近体の規則を明確に破ること」です。

 途中で韻を換える「換韻格」は、そのままでも近体の規則を破っていますので
 平仄は自由ですが、この詩のように、一つの韻で長い詩を作る
 「一韻到底格」では、そのままでは近体と区別がつかないので、
 明確に平仄を改めています。

 ものの本によると、一韻到底格のルールでは、
 「韻を踏む部分の五文字目を平声にして、四文字目を仄声、
  二文字目を平声にする、
  韻を踏まない部分の五文字目を仄声にして、四文字目を平声、
  二文字目を仄声にする」

 とありましたので、この詩ではそのルールを守っています。

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玄さん♪
うなずきながら読んでいます。
今回の事件も、近くに聞いてあげられる人がいたら事件が起きないかも知れない…
星は無能ですが、
矢張り親ですね、助けて上げる事が出来たのは親です、悩んで寂しかった相談が出来なかったのかしら〜親も母親です、どんな悪い事した人も母に会いにくるでしょう〜〜
今の時代悪いと人のせいにするお母さん、一番に反省は母親ですね
母の姿見て子は育ちます。
玄さん素晴らしいいい加減でないです。
どうぞ若者に訴えてください…
ポチ☆彡

2008/6/23(月) 午後 8:38  HOSI 

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初めまして、訪問に来ました。色々な記事をそして面白いインコの写真を貼りたいとおもいます。これからも宜しくお願いします

2008/6/23(月) 午後 8:40 [ dorachan1103 ]

とても重い詩ですね。
最近は、物騒な事件が多いです。事件の背後にある原因を除去しなければ、同じようなことが何度も繰り返されるでしょう。
子供が安心して暮らせる世の中になってほしいものです。

2008/6/23(月) 午後 8:49 [ - ]

孟子のことば、考えさせられますね。ボクも今、経済的に苦しく、ともすると自分のことばかり心配してることに気づきます。孔子がボクの境遇にあったら、どう振る舞うんでしょうね。依然前向きで明るい心を保ちながら、淡々と生きていくのかも。。

2008/6/24(火) 午前 8:58 ピン太郎

ほしさん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
一番身近にいる家族が気づいてあげることも重要なのですね。
僕も非常に苦しんだときには家族の言葉が一番身にしみました。
両親を初めとして家族には本当にいつも感謝しています。
マザー・テレサが世界平和のために何をすべきかと問われたときに、
まず自分の家族を大切にしなさいという言葉がありましたね。
僕も身近なところから改めていきたいと思います。

2008/6/24(火) 午後 1:09 白川 玄齋

dorachan1103 さん、初めまして。
よろしくお願いいたします。

2008/6/24(火) 午後 1:11 白川 玄齋

モカコクーンさん、コメントありがとうございます。
一人一人の心を改めることも大事ですが、
根本原因を突き止めることも重要ですね。
労働環境の改善もしていく必要がありますね。
安心して暮らせる世の中がきてほしいと、僕も思います。

2008/6/24(火) 午後 1:14 白川 玄齋

ピンパパさん、コメントありがとうございます。
孟子の言葉には非常に身が引き締まりました。
苦しい中でも節操を換えることなく生きていかなければ・・・
僕もそう思いつつも、時々苦しくなりますね。

孔子も苦しい人生を歩いた人ですね。
弟子たちがついに音を上げたときには、
「君子固より窮す、小人窮すれば斯に濫る」
「君子ももちろん困窮する。小人は困窮すれば道理に背くのだ」
と言って弟子たちを励ました一節がありますね。
孔子も悩みながら生きていったのではと思いました。

2008/6/24(火) 午後 1:34 白川 玄齋

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第六句に胸が痛みました。私も全然「仁人」じゃない。「恒産」も「恒心」もない。大半の日本人がそうだと思いますが、本当にどうしたら少しでもいい世の中になるのでしょうね。

2008/6/24(火) 午後 3:48 あきこひめ

akiko さん、コメントありがとうございます。
僕も「仁人」というにはほど遠いです。
「恒産」も「恒心」もないけれど、せめて悪いことはしない、
そう思って日々を生きるのが精一杯です。
身近な人を思いやることから始めようと、僕はせめてそのように考えています。
僕もどうしたらいい世の中になるのか、もっと考えていきたいです。

2008/6/24(火) 午後 4:05 白川 玄齋

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あ、私は昨日更新を見逃したのですね・・・^^
今日も某所で食事所で、テレビが点いていたので
耳だけオープンにしていましたら。また事件。
ひどい事件が多いです。直情型的事件が多いのは、
やはり感情というのを抑えられないからでしょう
ね。コントロールが必要ですね。世の中への甘い
期待感からかもしれません。一度徹底的に苦労し
たら、こんな事件は起さないと思います。
結局、人のせいにすることが、甘いのだと思いま
す。そういうことを常に思います。
いたたまれない気持ちになりますね・・・。
良き世でありますように。ポチ!

2008/6/24(火) 午後 9:39 瑠

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「恒産」と「恒心」の単語が
いまの現代社会にあって胸に
突き刺さりますね。
確かに現代はアキバの事件のように
若者たちの「キレル」という感情は
わたしは社会の責任だと思っています。

2008/6/25(水) 午前 3:57 -

Ruri さん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
最近はひどい事件が多いですね。悲しくなります。
「世の中への甘い期待感」僕にも分かるようです。
誰かが何とかしてくれるだろうと思うと、うまくいかないことが多いですね。
周囲の援助がいるとしても、基本的には自分の人生を切り開いていく
のは自分だという自覚が必要なのでしょうね。
自己コントロールも重要ですね。僕は家族の顔を思い出すと、
どんな苦しいときでも悪いことは絶対にできないですね。
悪いことを思い止まらせるために具体的な何かを意識させることも
重要ではないかと思います。
良い世の中になってほしいですね。

2008/6/25(水) 午後 3:09 白川 玄齋

吉祥天さん、コメントありがとうございます。
『孟子』のこの一節は、今の社会に深く突き刺さりますね。
今の世の中を見直すために、慎重に古典を読んでいかないと
いけないのではと思うようになりました。
最近の事件では、お年を召した方でも「キレル」事件がありますね。
社会のどの部分にキレやすい事情があるのかも、考えていく必要が
あるのですね。僕ももっと考えていきたいです。

2008/6/25(水) 午後 3:14 白川 玄齋

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今日は、七言の一韻到底格は古詩と言っているが近体詩より後に出来た詩形である。近体詩より自由に発想したいと言う詩人達が編み出したもので、古詩にも平仄が有ると説きだしたのはそれよりも後であるようです。君の研究課題にされるのも良いと思います。

2008/6/29(日) 午前 9:45 [ f u k o ]

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お〜〜〜い玄齋、あんまり立派なことを言いすぎると後で困ることがありゃせんかい。
君は立派な人だとは知っていますが。

2008/6/29(日) 午前 9:50 [ f u k o ]

不孤さん、コメントありがとうございます。
平仄のある古詩というのは、比較的新しい時代のものなのですね。
『新字源』の古詩の説明の中でも、「唐以後の古詩の形式で作られたもの、古体詩」
というものを見つけました。僕の言う古詩は正しくは「古体詩」になるのですね。
僕の研究課題にしていきたいなと思っています。
清の王士禎(漁洋)などの本を確認していこうと思います。

あまりに立派なことを文章で書きすぎたなと反省しています。
謙虚な姿勢も大切にしていきたいと思います。

2008/6/29(日) 午前 11:03 白川 玄齋

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玄さん、小父さんの言うことをまともに取りなさんな!!!

2008/6/30(月) 午前 6:53 [ f u k o ]

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そうそう、「古詩韻範」という和本の冊があります。今時ちょっと手に入りませんよ。貸してあげましょう読むと良いですね。
なんなら、今の易經が済んだら、詩集に連載してくれても良いですね。小父さんは易經で連載は休みます。また会ったときに。

2008/6/30(月) 午前 7:00 [ f u k o ]

不孤さん、コメントありがとうございます。
少しは謙虚な姿勢を大切にしつつ、また古詩を作っていこうと思います。
日課として易經を読んで反省することも多い日々です。
武元景文著の『古詩韻範』ですね。ぜひ読んでみたいです。
詩集の連載等も、次に会うときに相談します。

2008/6/30(月) 午後 0:05 白川 玄齋


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