玄齋詩歌日誌

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日本外史

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『日本外史』の六回目は、平氏誕生から
平将門(たいらのまさかど)の話が始まります。
平将門と藤原純友(ふじわらのすみとも)が乱を起こした、
承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)の始まりです。


●原文

平氏出自桓武天皇。天皇夫人多治比莫宗。生四子。長曰葛原親王。幼有才名。
長而謙謹好讀書史。觀古今成敗。以自鑒。叙四品。任式部卿。

子高見。孫高望。高望賜姓平氏。拜上總介。子孫世爲武臣。其旗用赤。

高望四子。國香。良將。良兼。良文。並任東國守介。鎭守府將軍。國香子貞盛。
材武善射。爲左馬允。良將子將門。性桀黠。倚攝政藤原忠平。求爲檢非違使。
忠平不省。將門怒。去之東國。據相馬里。劫掠常陸下總。

時國香爲常陸大掾。良兼爲下總介。皆與將門有隙。承平中。將門終攻殺國香。

將門之在京師也。甞詣敦實親王。從兵可五六騎。適貞盛亦來謁。會將門出門。
貞盛謂人曰。將門必生事天下者。今日恨不率士卒。卽率士卒。當擊殺之。


●書き下し文

平氏は桓武天皇より出づ。
天皇の夫人の多治比莫宗、四子を生み、長を葛原親王と曰う。
幼より才名有り、長じて謙謹、好んで書史を読む。
古今の成敗を観て、以て自ら鑑みる。
四品に叙せられ、式部卿に任ぜらる。

子を高見、孫を高望という。高望は姓の平氏を賜い、上総介に拝せらる。
子孫は世々武臣と為り、其の旗は赤を用う。

高望の四子、国香・良将・良兼・良文、並に東国の守介に任ぜらる。

鎮守府の将軍、国香の子の貞盛、材は武にして善く射る。左馬允と為る。

良将の子の将門、性は桀黠にして、摂政の藤原忠平に倚る。
検非違使と為るを求め、忠平は省みず。将門は怒る。
東国に去り之(ゆ)き、相馬の里に拠り、常陸・下総を劫掠す。

時に国香は常陸の大掾為り、良兼は下総介為り。皆な将門と隙有り。

承平中、将門、終に国香を攻め殺す。

将門の京師に在るや、嘗て敦実親王に詣る。従兵、五六騎ばかりなり。
適々貞盛も亦た来謁し、将門の門を出ずるに会う。

貞盛、人に謂って曰く、将門は必ず天下に事を生ずる者なり。
今日恨むらくは士卒を率いざることなり。
即(も)し士卒を率いるれば、当に之を撃ち殺すべしと。


●現代語訳

平氏は桓武天皇(かんむてんのう)を先祖に持ちます。
天皇の夫人の多治比莫宗(たじひまむね)は四人の子供を産み、
長男(本当は三男)を葛原(かずらはら)親王と言います。
親王は幼い頃より才能があるという評判が立っていて、
成長するにつれて態度はへりくだって謹み、好んで書物を読んでいました。
昔の歴史に出てくる出来事の成功と失敗を見て、それを自分の手本としていました。
親王の最初の位である四品(しほん)の位に上り、式部卿に任命されました。


親王の息子を高見(たかみ)、孫を高望(たかもち)と言います。
高望は「平(たいら)」の姓を賜って、上総介に任命されました。
子孫は代々武によって仕える役人になりました。
その家の旗の色には赤を使っていました。


高望の四人の子供、
国香(くにか)・良将(よしまさ)・良兼(よしかね)・良文(よしふみ)は、
皆それぞれ関東地方の国司(こくし: 地方の国の長官)の位である
守(かみ)や介(すけ)に任命されました。

東北の鎮圧のために置かれた役所の鎮守府(ちんじゅふ)の将軍である、
国香の息子の貞盛(さだもり)は、武力の才があって、特に弓が得意でした。
当時は左馬允(さまのじょう)の役職に就いていました。

良将の息子の将門(まさかど)は、性格は悪賢く、
摂政の藤原忠平(ふじわらのただひら)を後ろ盾にしていました。
将門は京都の治安を預かる検非違使(けびいし)の職を求めていましたが、
忠平はそれには取り合いませんでした。
すると将門は怒って、関東へ去っていって、
相馬(そうま)の里を本拠地として、常陸・下総を奪い取りました。


当時、国香は常陸の大掾(だいじょう)であり、良兼は上総介でしたので、
彼らが政務に当たっていた国に侵略したことになります。
ですから将門は皆との関係にひびが入っていました。

承平年間(931 〜 938)の間に、将門はついには国香を攻めて殺してしまいました。


将門が京の都にいたとき、将門はかつて敦実親王(あつみしんのう)の元を
訪ねていたことがありました。
その時に従えていた兵は、僅かに馬に乗った兵が五・六騎いるだけでした。
そのときたまたま貞盛も親王の元へ訪ねていて、
将門が門を出てくるところで出会いました。

貞盛が人にこう言ったそうです。

「将門は必ず天下に戦乱を作り出す者だ。
 今日は本当に残念なことに兵卒(へいそつ: 軍隊)を率いていない。
 もし兵卒を率いていれば、きっと将門を攻めて殺すことができたであろうに」

と。


●語注

※桓武天皇(かんむてんのう): 奈良から平安初期、第五十代の天皇
  (在位 781 〜 806)です。諱(いみな)は山部です。
  光仁天皇の第一皇子に生まれ、延暦十三年(794)に都を京都の平安京に移し、
  律令制度の刷新を断行しました。また、
  坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)に命じて蝦夷(えぞ)を討伐させて、
  天皇の権力を拡大し、律令政治中興の祖と言われています。

※葛原親王(かずらはらしんのう): 桓武天皇の第三皇子で、桓武平氏の祖
  とされています。大蔵卿・式部卿などを経て大宰帥(だざいのそち: 太宰府の
  長官)になりました。天長二年(825)、平(たいら)の姓を名乗ることを
  奏上して許されて、皇族から臣籍に下りました
  (事実は『日本外史』の本文とは少々違うことがわかります)。

※才名(さいみょう): 才能があるという評判のことです。

※謙謹(けんきん): へりくだってつつしむ様子を指しています。

※書史(しょし): 書物のことです。

※四品(しほん): 親王の位の第四番目で、最初に与えられる位です。

※式部卿(しきぶきょう): 式部省(しきぶしょう: 朝廷の礼式や文官の人事を司る
  中央官庁)の長官のことです。四品の親王が任命される名誉職です。

※上総(かずさ):昔の国名の一つで、現在の千葉県の中央部を指しています。

※介(すけ): 四等官で、地方の国の長官である国司(こくし)の第二官のことです。

※守(かみ):四等官で、地方の国の長官である国司(こくし)の第一官のことです。

※武臣(ぶしん): 文官に対して、武事によって仕える家来のことです。

※鎮守府(ちんじゅふ): 平安時代に、東北地方の蝦夷(えぞ)を鎮圧するために
  陸奥(むつ: 当時は東北の奥羽地方を漠然と指す言葉です)に
  置かれた役所のことです。

※左馬允(さまのじょう): 四等官で、左の馬寮(めりょう)の第三位の位のことです。

※馬寮(めりょう): 「衛府(えふ: 宮中の護衛に当たる役所)」に属し、
  官馬の調教や馬具の管理、諸国の牧場の馬の管理などを
  つかさどった役所のことです。

※桀黠(けっかつ): 悪賢いことです。

※摂政(せっしょう): 幼少の天皇や女性の天皇に代わって
  職務を代行する官職のことです。

※検非違使(けびいし): 平安時代の初期、嵯峨天皇の時代に設置された、
  令外の官(りょうげのかん: 律令で規定されていない官職)の一つで、
  当初は、京都の治安維持や風俗の粛正などに当たり、やがて訴訟や裁判までも
  扱うようになった官職のことです。
  検非違使の長官を「別当(べっとう)」と言います。

※劫掠(ごうりゃく): 脅して奪い取ることです。

※相馬(そうま): 利根川中流の下総(しもうさ)の地方の名前です。

※下総(しもうさ): 昔の国名の一つで、現在の千葉県北部と
  茨城県南西部一帯を指しています。

※常陸(ひたち):昔の国名の一つで、現在の茨城県の大部分を指しています。

※大掾(だいじょう): 四等官で、地方の国の長官である国司(こくし)の
  第三官のことです。特に大きな国に設置された官職です。

※京師(けいし): 天子(天皇)のいる都、京都のことです。

※敦実親王(あつみしんのう): 宇多天皇の八番目の皇子で、
  宇多源氏の祖とされています。上野太守や中務卿を経て
  式部卿にまでなりました。出家して僧となり、法名は覚真です。
  仁和寺に住したことから仁和寺宮(にんなじのみや)と呼ばれました。

※士卒(しそつ): 兵卒(へいそつ)、つまり軍隊のことです。


●解説

平将門は伯父たちが政務をしていた領地を攻めて、
一門から恨まれるようになっていく部分ですね。

一説には将門の父の良将の領地が伯父の国香や良兼に奪われていたことから
起こったとされていますので、実際にはどちらかが正しいとは
一言では言えないのでしょうね。


次回から国香の息子の貞盛の仇討ちの話が始まります。

閉じる コメント(10)

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拝見しました。君の訓読みと解説は見事ですよ。期待して拝見します。 ポチ

2009/11/1(日) 午後 5:12 [ f u k o ]

不孤さん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
訓読はこの古書に朱筆で細かく書かれたものも参考になるのでやりやすいです。
合戦の部分は面白く訳していけると思います。
これからもがんばって訳していきます。

2009/11/1(日) 午後 5:20 白川 玄齋

天皇中心で世の中を見ている立場からは
将門は大悪人でしょうね。
これからの展開が楽しみです。

2009/11/1(日) 午後 7:15 ウィル

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((o_(エ)_)oゴロン (o-(エ)-)oムク(*^(エ)^*)vイエーイま い登場♪
すごくこの時代背景が伺われて好きですね^^ぽち

2009/11/1(日) 午後 9:33 Mai

アバター

たしかに将門は今でも京都では評判はよいとはいえない…。
時代は、やや強引でも政治工作や軍を率いる才能のほうに動いたのでしょうね。ポチ。

2009/11/1(日) 午後 9:38 ひろちん。

お早うございます。
上総一ノ宮玉前神社に行きました。歴史の神社ですね。
色々学んでいます。歴史は苦手ですが解りやすく覚えていきます。
最近玄さんのお陰で歴史楽しみです。ポチ

2009/11/2(月) 午前 7:03  HOSI 

ウィルさん、コメントありがとうございます。
将門は新皇を名乗るなどした結果、天皇を唯一正統とする立場からすると、
やっぱり悪人になってしまうのでしょうね。
この先の将門の展開は、今の時代から見ると興味深いものがありますね。
この先もきちんと訳していこうと思います。

2009/11/2(月) 午前 7:09 白川 玄齋

まいさん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
この当時の時代の流れと、この作者の頼山陽の考え方などが
表れてくるところはとても面白いなと思います。
話が面白くなってきたので、次も次もと訳していこうという気持ちになります。

2009/11/2(月) 午前 7:14 白川 玄齋

ひろちんさん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
将門は京都でも評判が悪いのですね。やはり勝手に王朝を建てたことが、
将門の大きな汚点になっているのかなと思っています。
この時代から、武力や知謀が幅を利かせていくのでしょうね。
ここからの歴史は面白くなっていくだろうなと思っています。
次もどんどん訳せたらいいなと思います。

2009/11/2(月) 午前 7:22 白川 玄齋

ほしさん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
おはようございます。今日は少し肌寒くなった朝です。
上総一ノ宮玉前神社ですか。とても古い神社ですね。
確か頼朝の妻の北条政子が安産祈願をした場所だったと記憶しています。
歴史を物語として見てみると面白いなと、僕も訳しながら思います。
楽しみながらきちんと訳していこうと思います。

2009/11/2(月) 午前 7:31 白川 玄齋


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