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桃の実
Photo by (c)Tomo.Yun
http://www.yunphoto.net 梁父吟 諸葛亮(正確には南陽の土地の民謡)
歩 出 齊 東 門, 遙 望 蕩 陰 裡。
里 中 有 三 墳, 累 累 正 相 似。
問 是 誰 家 墓, 田 疆 古 冶 子。
力 能 排 南 山, 文 能 絶 地 紀。
一 朝 被 讒 言, 二 桃 殺 三 士。
誰 能 爲 此 謀, 相 國 齊 晏 子。
書き下し文:
題「梁父吟(りょうほぎん)」
歩きて斉(せい)の東門(とうもん)を出(い)でて,
遙かに蕩陰(とういん)の裡(うち)を望む。
里中(りちゅう)に三墳(さんふん) 有り,
累々(るいるい)として正に相い似たり。
問う是れ誰が家の墓ぞ,
田疆(でんきょう) 古冶子(こやし)なり。
力は能(よ)く南山(なんざん)を排し,
文は能く地紀(ちき)を絶す。
一朝(いっちょう) 讒言(ざんげん)を被(こうむ)り,
二桃(にとう) 三士(さんし)を殺す。
誰か能(よ)く此(こ)の謀(はかりごと)を為さん,
相国(しょうこく)の斉(せい)の晏子(あんし)ならん。
現代語訳(私訳):
歩いて斉の国の東の門を出て、
遥か遠くの、影でゆらゆらと揺れている村里を眺めていた。
その村里の中には土を盛り上げて作った墓が三つある。
それらは重なり合っていて、三つともよく似ているのだ。
これはどんな人たちの墓なのかと尋ねてみると、
田開疆(でんかいきょう)や古冶子(こやし)という、
勇気と腕力のある者たちです。と答えが返ってきた。
彼等の力は長安(ちょうあん)の都の南にある
終南山(しゅうなんざん)をよく押しのけて、
彼等を記した文章は、大地の秩序を絶やしてしまうことを
よく描いている。
一つの国が人を陥れる言葉に覆われてしまって、
二つの桃によって、三人の勇敢な男たちを殺すような
謀略が行われたのだ。
誰がこんな謀略を成し遂げたのだろうか。
その人の名は、斉の国の宰相である、晏子(あんし)である。
解説:
今回は昔の漢詩の解説をしようと思います。単に漢詩を訳すだけであればすぐにできてしまいますので、今回は原典となる漢文まで掘り下げて訳してみようと思いました。
この詩は三国志の名軍師である諸葛孔明(しょかつこうめい)の作とされていますが、調べてみますと実際には諸葛孔明の作ではなく、当時、孔明がまだ劉備に三顧の礼で迎えられる以前に、畑を耕しながら気ままに暮らしていた時期に住んでいた南陽(なんよう)の土地に伝わっていた民謡で、孔明はそれをいつも好んで口ずさんでいたということだとわかりました。
南陽は現在の中国の河南省南陽市にある町で、南陽武侯祠(なんようぶこうし)または諸葛亮庵(しょかつりょうあん)という孔明の祠(ほこら)がある場所になっています。四川省の成都にある孔明のほこらの成都武侯祠(せいとぶこうし)の次に人気のある孔明の名所だそうです。
この詩は『晏氏春秋(あんししゅんじゅう)』という書物の一節を参考にして作られています。この本は秦の始皇帝が中国を統一する前の、春秋戦国(しゅんじゅうせんごく)時代の、斉(せい)の国の名宰相であった晏嬰(あんえい)の言行を綴ったものです。
晏氏春秋は原文つきで和訳されているものの値段は一冊八千円ほどで三冊組です。とても高いので、原文と註釈がきちんとついている中国語のサイトを探して、何とか見つけました。それに僕が書き下し文をつけて現代語訳をすることにしました。
その一節は、次のようなものです。晏嬰の主君の景公(けいこう)には三人の勇猛な人間が仕えていて、彼等は主君を主君とも思わぬ態度で国内で好き勝手をしていました。そこで宰相の晏嬰は、二つの桃を使って彼等をうまく排除しようと考えました。さて、どのようにしたでしょうか?
以下のリンク先の記事で示します。コメント欄もそちらに設けていますので、こちらはコメント欄を設けないことにしましたので、ご了承下さい。
次の記事 - 「梁父吟(りょうほぎん)」の元になった
『晏氏春秋(あんししゅんじゅう)』の一節です。
(コメント欄はこちらに設けました)
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諸葛孔明
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