玄齋詩歌日誌

アメーバブログを退会しました。ヤフーブログだけ続けます。よろしくお願いいたします。

全体表示

[ リスト ]

イメージ 1
故宮の乾清宮
Photo by (c) Tomo.Yun
http://www.yunphoto.net
 
 
●解説
 
建興5年(西暦227年)に、諸葛孔明(しょかつこうめい)が
主君の劉禅(りゅうぜん: 劉備の息子)に奉(たてまつ)った
上奏文(皇帝に意見をするための文章)のことです。

孔明が魏(ぎ)の国へ遠征をする際に、劉備から受けた恩を
劉禅に報いることを述べた文章です。

後の「後出師表(ごすいしのひょう)」と区別をするために、
「前出師表(ぜんすいしのひょう)」と呼ばれることもあります。
孔明の忠義の気持ちが伝わってくる名文です。

原文と書き下し文と続きます。現代語訳は次のページです。
 
 
 諸葛孔明の「出師表(前出師表)」 の現代語訳と語注です。
 
 コメント欄は現代語訳の記事の方に設けます。
 
 
●原文
 
臣亮言:先帝創業未半而中道崩?、今天下参分、
益州疲弊、此誠危急存亡之秋也。

然侍衛之臣不懈於、忠志之士忘身於外者、
蓋追先帝之殊遇、欲報之於陛下也。

誠宜開張聖聴、以光先帝遺徳、恢弘志士之気、不
宜妄自菲薄、引喩失義、以塞忠諫之路也。

宮中府中俱為一体、陟罰臧否、不宜異同。若有作姦犯科及為忠善者、
宜付有司論其刑賞、以昭陛下平明之理、不宜偏私、使外異法也。

侍中侍郎郭攸之費?董允等、此皆良実、
志慮忠純、是以先帝簡抜以遺陛下。

愚以為宮中之事、事無大小、悉以咨之、
然後施行、必能裨補闕漏、有所広益。

将軍向寵、性行淑均、暁暢軍事、試用於昔日、
先帝称之曰能、是以衆議挙寵為督。

愚以為営中之事、悉以咨之、必能使行陳和睦、優劣得所。
親賢臣、遠小人、此先漢所以興隆也;

親小人、遠賢臣、此後漢所以傾也。先帝在時、
毎与臣論此事、未嘗不歎息痛恨於桓・霊也。

侍中・尚書・長史・参軍、此悉貞良死節之臣、
願陛下親之信之、則漢室之隆、可計日而待也。

臣本布衣、躬耕於南陽、苟全性命於乱世、不求聞達於諸侯。
先帝不以臣卑鄙、猥自枉屈、参顧臣於草廬之中、
諮臣以当世之事、由是感激、遂許先帝以駆馳。

後値傾覆、受任於敗軍之際、奉命於危難之痢⊆ね萋鷭粛一年矣。
先帝知臣謹慎、故臨崩寄臣以大事也。

受命以来、夙夜憂歎、恐託付不效、以傷先帝之明、
故五月渡瀘、深入不毛。

今南方已定、兵甲已足、当獎率参軍、北定中原、
庶竭駑鈍、攘除姦凶、興復漢室、還于舊都。

此臣所以報先帝、而忠陛下之職分也。

至於斟酌損益、進尽忠言、則攸之、?・允之任也。

願陛下託臣以討賊興復之效;
不效、則治臣之罪、以告先帝之霊。

若無興徳之言、則責攸之、?・允等之咎、以彰其慢。
陛下亦宜自課、以諮諏善道、察納雅言、深追先帝遺詔。

臣不勝受恩感激、今当遠離、臨表涕泣、不知所云。
 
 
●書き下し文
 
臣の亮(りょう)言わく:「先帝、業を創(はじ)めて未だ半ばならずして
中道にして崩?し、今の天下は参に分かたれ、益州(えきしゅう)は疲弊し、
此れ誠の危急存亡の秋(とき)なり。

然るに侍衛(じえい)の臣は内に懈(おこた)らず、忠志(ちゅうし)の士は
身を外に忘るるは、蓋し先帝の殊遇(しゅぐう)を追うて、
之を陛下に報いんと欲すればなり。

誠に宜しく聖徳(せいとく)を開張(かいちょう)するに、
光(おお)いなる先帝の遺徳(いとく)を以てすべく、

志士(しし)の気を恢弘(かいこう)し、妄りに菲薄(ひはく)に自(よ)りて、
喩えを引きて義を失うて、以て忠諫(ちゅうかん)の路(みち)を
塞(ふさ)ぐべからざるなり。

宮中・府中は俱に一体となり、陟罰(ちょくばつ)・臧否(ぞうひ)、
宜しく異同あるべからず。若し姦を作して科を犯して
忠善(ちゅうぜん)を為すに及びては、

宜しく有司(ゆうし)に付して其の刑賞を論ずるに、
陛下の平明の理を昭(あき)らかにするを以てし、
宜しく偏私(へんし)して、外の法を異ならしむべからず。

侍中(じちゅう)・侍郎(じろう)の郭攸之(かくゆうし)・費?(ひい)・
董允(とういん)らは、此れ皆な良実(りょうじつ)にして、
志慮(しりょ)は忠純(ちゅうじゅん)にして、
是を以て先帝は簡抜(かんばつ)して以て陛下に遺す。

愚は以て宮中の事を為し、事に大小 無く、悉く之に咨(はか)るを以て、
然る後に施行され、必ず能く闕漏(けつろう)を裨補(ひほ)して、
広く益する所有り。

将軍の向寵(こうちょう)は、性行は淑均(しゅっきん)にして、
軍事に暁暢(ぎょうちょう)し、試みに昔日に用いるに、
先帝は之を称して能と曰(い)い、是を以て衆議は寵を挙げて督と為す。

愚は以て営中(えいちゅう)の事を為し、悉く之に咨るを以て、
必ず能く行陳(こうじん)して和睦(わぼく)し、優劣の所を得しむ。

賢臣(けんしん)に親しみて、小人を遠ざくるは、
此れ先の漢の興隆(こうりゅう)せし所以なり;
小人に親しみ、賢臣を遠ざくるは、此れ後漢の傾頽(けいたい)せし所以なり。

先帝の在時、毎に臣と此の事を論じ、
未だ嘗て歎息して桓・霊を痛恨せざることあらざるなり。

侍中(じちゅう)、文書の発行をつかさどる尚書(しょうしょ)や、
長史(ちょうし)参軍(さんぐん)は、此れ悉く貞良 死節の臣にして、
願わくは陛下は之に親しみ之を信じ、
則ち漢室の隆(さかん)なるを、日に計りて待つべきなり。

臣は本と布衣(ふい)にして、南陽に躬耕(きゅうこう)し、
苟(いやし)くも性命(せいめい)を乱世に全うし、
諸侯(しょこう)に聞達(ぶんたつ)せらるるを求めず。

先帝は臣を以て卑鄙(ひひ)とせず、猥(みだ)りに自ら枉屈(おうくつ)し、
参(み)たび臣を草廬(そうろ)の中に顧みて、
臣に諮(はか)るに当世(とうせい)の事を以てす。

是に由りて感激し、遂(つい)に先帝に以て駆馳(くち)を許さる。
後に傾覆(けいふく)に値(あ)い、任を敗軍の際に受けて、
命を危難(きなん)の間に奉り、爾来(じらい)二十有一年なり。

先帝は臣の謹慎(きんしん)なるを知りて、故に崩に臨みて臣に寄するに
大事(だいじ)を以てするなり。

命を受けて以来、夙夜(しゅくや)に憂歎(ゆうたん)し、
託付(たくふ)して效(こう)あらずして、以て先帝の明を傷つくるを恐れ、
故に五月に瀘(ろ)に渡り、深く不毛(ふもう)に入る。

今は南方は已に定まり、兵甲は已に足り、当に奨めて参軍を率い、
北に中原を定めて、庶(ことごと)く駑鈍(どどん)を竭(つく)し、
姦凶(かんきょう)を攘(はら)い除き、漢室を興復(こうふく)し、
旧都に還らんとすべし。

此れ臣の先帝に報いて、陛下の職分に忠なる所以なり。
損益を斟酌するに至り、進んで忠言を尽し、則ち攸之・?・允の任なり。

願わくは陛下の臣に託するに討賊(とうぞく)興復(こうふく)の效(こう)を
以てせんことを;效あらざれば、則ち臣の罪を治めて、以て先帝の霊に告げん。

若(も)し徳を興すの言 無くば、則ち攸之・?・允等の咎を責め、
以て其の慢を彰らかにせん。陛下は亦た宜しく自ら課して、
以て善道を諮諏(ししゅ)し、雅言(がげん)を察納(さつのう)し、
深く先帝の遺詔(いしょう)を追うべし。

臣は恩を受けて感激に勝えず、今、遠離に当たりて、
表に臨みて涕泣(ていきゅう)し、云(い)う所を知らず。

開く トラックバック(0)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事