玄齋詩歌日誌

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曹植

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永寧門(えいねいもん)(中国・西安)
Photo by (c) Tomo.Yun
http://www.yunphoto.net
 
 
 
 こちらは曹操の息子である曹植(そうしょく)の作った有名な漢詩の「洛神賦(らくしんふ)」の導入部分の訳の現代語訳と解説の記事です。コメント欄もこの記事にあります。
 
 
原文と書き下し文と語注については、以下を参照して下さい。
 
 
 前の記事: (一)曹操の息子の曹植の漢詩である、『洛神賦』の
 導入部分です(原文・書き下し文・語注です) 。
 
 
 
●現代語訳:

 題:「洛水(らくすい)の川の女神について、
  韻を踏んだ文で書き表しました」
 
 黄初(こうしょ)三年(さんねん)(西暦 222 年)、私(曹植)は洛陽(らくよう)の都の宮中に行き、再び都の南を流れる洛水(らくすい)を渡っていました。昔の人は、この洛水(らくすい)の川の女神の名前を宓妃(ふくひ)と言っていました。昔、戦国時代の楚(そ)の国の官吏で詩人である宋玉(そうぎょく)が楚の国の王様に答えて、この女神の事を話したという故事に心を動かされて、そしてこの賦(ふ)という詩のように韻を踏んだ文章を作りました。
 
 
その韻文(いんぶん)の中で、以下のように詠んでいました。
 
「私は洛陽の都から東にある私の領地の方へ戻っていた時、伊闕(いけつ)という門のようにそびえ立つ二つの山がある土地に背を向けて、轘轅(かんえん)といういくつもの曲がり道がある山を越えて、通谷(つうこく)という都の南の五十里にある谷を通って、景山(けいざん)という山に登りました。太陽はすでに西に沈もうとしていて、車は倒れそうで馬はいらいらしていた様子でした。
 
 そんな時にあなたは蘅皋(こうこう)という香草の採れる土地で馬たちを解放し、四頭の馬を仙人が植えた霊芝(れいし)というキノコが生える土地で飼い葉を与え、楊林(ようりん)という楊(やなぎ)が多く生える土地で馬たちを自由にさせてやったのです。
 
 このときに私の心は驚きの気持ちに変わり、ぼんやりとして我を忘れて、憂いの気持ちも消えていきました。下にうつむいたらはっきりと見ることができず、上を眺めたらいつもとは違う景色が見えていました。そして岩場のそばに、一人の美しい女性の姿を見たのです。」と。
 
 
 その時に御者を助けながらその御者に言いました。
「お前はあの美しい女性を見たことはあるのか? あんな美しい人は、一体誰なんだろう?」
 
 御者は答えて言いました。
「私めはこの洛水(らくすい)の川の女神が宓妃(ふくひ)という名前であるのを聞いたことがあります。ですからそのような美しい女性なのでしたら、曹植様がご覧になったのは、つまりその女神ではないでしょうか。その姿はどのようなものなのですか、私めにも教えていただきたいのです」
 
 
そこで私は御者に答えて、次のような韻を踏んだ文章を作りました。
 
 
「その姿は・・・
 
 
 
●解説:
 
 今回は曹操の息子である曹植(そうしょく)の作った有名な漢詩の「洛神賦(らくしんふ)」の導入部分の訳を UP しました。本編の部分は百句以上ありますので、その前の部分を分けて今回 UP しました。本編も早く訳して UP しようと思います。
 
 この『洛神賦(らくしんふ)』という漢詩は、曹操(そうそう)の息子である曹植(そうしょく)が、黄初四年(西暦 223 年)に作った賦(ふ)、つまり正確には韻文(いんぶん)、つまり詩のように韻を踏んで、語呂合わせの句である対句(ついく)などを多用した文章のことです。
 
 曹植が洛陽(らくよう)の都から、東にある自分の領地へ戻る際に、洛陽の南にある洛水(らくすい)の川を渡っている時に、何か感じる所があってこのタイトルにある洛神(らくしん)、つまり洛水の川の女神である宓妃(ふくひ)の物語を賦(ふ)の形式の文章にしたものです。
 
 
 この『洛神賦』の背景には、曹植と、その兄の曹丕の夫人である甄氏(しんし)との間の恋愛話があるとされています。
 
 曹操とその正夫人である劉氏(りゅうし)の間に生まれた長男である曹昂(そうこう)は宛城(えんじょう)で曹操を守って死に、次夫人である卞氏(べんし)との間に四人の息子がいました。曹丕(そうひ)、曹彰(そうしょう)、曹植(そうしょく)、曹熊(そうゆう)の四人です。
 
 曹丕は「篤厚恭謹(とくこうきょうきん)」、つまり人情に厚くて恭(うやうや)しい、曹彰は「勇にして無謀」勇敢だけど思慮が浅い、曹植は「聡明機警(そうめいきけい)、却(かえ)って酒を嗜(たしな)みて放縦(ほうしょう)」、つまり聡明であらゆる事に通じていて、頭の回転が良くて察しが良いけれども、そうであるのに酒を好んで自由気ままな生活をしている、曹熊は「身体病弱」、体が弱くて病気にかかりやすい、というそれぞれの評価でした。
 
 
 曹植は頭が良くてあらゆる知識を身につけていて、十歳でいろんな詩文を覚えて、曹操や配下の者たちの賞賛を受けていました。曹操も四人の子どもの中で曹植を一番寵愛していて、当初は後継者に考えていたのですが、争い事を好まない性格であり、さらには気ままな生活がたたって曹操の激怒を買ったことがもとで、結局兄の曹丕が後継者になりました。
 
 
 曹操が各地に遠征をしていた頃に、曹丕も官職にあって都を離れていた折に、曹植はかねてから思いを寄せていた曹丕の夫人である甄氏(しんし)と密会を繰り返していました。
 
 曹操の死後、曹丕が跡を継いだ時に、後漢の献帝(けんてい)を廃位させて洛陽を都として天子(てんし: 皇帝)になり、魏(ぎ)の文帝(ぶんてい)と名乗り、そして父の曹操を追号(ついごう)、つまり死後に称号を贈って
武帝(ぶてい)としました。このことで甄氏は曹丕に激怒し、曹丕の怒りを買ってむごたらしい死に方をしました。
 
 
 そして何年か経った頃、曹植が洛陽の都の宮廷に出向いた時に、曹丕と、曹丕と甄氏の間の子である皇太子の曹叡(そうえい)と食事をした折に、曹植は甄氏のことを想い出して、悲しくて辛い気持ちになりました。そして食事が終わったのち、曹丕から甄氏の遺品である美しい刺繍と金の帯で飾られた立派な枕を曹植に贈りました。曹植はこの枕を見て甄氏を想い出しながら、自分の領地に戻っていた時に、夜に洛水の川を渡る時の舟の中で寝ている時に、夢の中で遠くのぼんやりした所に甄氏が波の上で風を操ってやって来るのが見えました。曹植は驚いて目覚めて、これこそ南柯(なんか)の一夢(いちむ)だと思いました。
 
 南柯の一夢とは、簡単に言うとある男が槐(えんじゅ)の木の下に寝ていた時に、ある王国で王族の暮らしを楽しんで、目が覚めた頃には元に戻っていて、そこに蟻の巣があることに気づき、これが今までいた王国の正体だと思う話です。
 
 今の山東省にある鄄城(けんじょう)という町に着いた時に、そういう夢をまざまざと想い出しながら、かつて甄氏と洛水で逢ったことを想い出して、『感甄賦(かんしんふ)』という韻文を作りました。その四年後に、曹丕の息子の曹叡が即位して明帝(めいてい)の治世になって、明帝はこのタイトルは風流さに欠けると思って、『洛神賦』に改めた、という話です。
 
 
 この話は後世の人にいろんなところで疑いがかけられていて、明の詩人の王世貞(おうせいてい)などは、「こんなのは田舎ものの空想だ」とまで言っているのです。その批判のポイントとしては、甄氏の『甄』の字と鄄城の『鄄』の字とが同じ意味で通じているから、『感甄賦(かんしんふ)』は実は『感鄄賦(かんけんふ)』が本来のタイトルだったとか、甄氏は曹植より十歳ほど年上だということだったりが根拠だそうですが、改めて考えてみると嘘と断定するには足りないものだと思いました。
 
 何よりこの二人に何も関係がなかったとすれば、いくら弟とはいえ息子で皇太子である曹叡の実の母の遺品を曹丕が贈ったりするだろうかと思います。おそらくこの二人の兄弟は甄氏の忘れ形見である曹叡を前に、悔恨と懐旧の念に駆られていたのではないかなと思います。
 
 
 本編も早めに訳していきます。洛水の女神の美しい姿を描いた本編の美しさを、早めに提供することにします。
 
 
 こういう勉強がお相手の方を想う漢詩の参考になっていくと思っています。これからも日々きちんとがんばっていきます。

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今晩はいつも嬉しいコメントありがとうございます。この素晴らしい記事に応援の☆ポチですよ!

2011/11/6(日) 午後 10:39 [ 清水太郎の部屋 ]

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多くの芸術で、後年誰かが周辺事情から作品を解釈することがあります、研究としては面白いのでしょうが、私としては作品自体から広がる雰囲気を大切にしたいですね。洛水の女神の姿が気になります…。傑作。

2011/11/6(日) 午後 11:40 ひろちん。

清水太郎さん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
いろんな努力もしていきたいなと思います。
今日一日もしっかりとがんばっていきます。

2011/11/7(月) 午前 8:00 白川 玄齋

ひろちんさん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
背景も結構面白いですが、作品自体の楽しみとは別の物だと
改めて思いました。僕も作品の雰囲気を大切にしたいです。
洛水の女神の美しさを表す詩句をきちんと訳していくことで、
僕のお相手の方を想う漢詩の時に効果的に活かすことができればいいなと思います。
今日もきちんとがんばっていきます。

2011/11/7(月) 午前 8:03 白川 玄齋

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拝見っしましたポチ^^

2011/11/7(月) 午後 10:34 [ f u k o ]

不孤さん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
いろんな勉強をしていこうと思います。
もうひとつの課題詩もがんばって作っていきます。

2011/11/8(火) 午前 7:41 白川 玄齋

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玄様。 11*7 謎=熊。<隈[目のふちの]。正解です。私は誰???三日おきに出しています。時折のぞいてのコメントを期待しています。
中学の時、主戦のころ、幼学便覧を片手に漢詩を作ったことがあります。昔のことになりました。

2011/11/8(火) 午前 9:36 esp*7*8

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玄様。11*7 誰=アクロバット、曲芸師、軽業師。[綱渡りする人は準正解]。 エスペラント=akrobato.. 英= acrobat. 独=der Akrobat. 仏=l'acrobate 西=la playa. 回答コメント有難うございました。

2011/11/8(火) 午前 9:38 esp*7*8

えすちゃんさん、コメントありがとうございます。
幼学便覧、漢詩を作る時の辞書の一首なのですね。
国会図書館のデジタルライブラリーのサイトで見てきましたが、
詩句がいろいろと載っていたのがわかりました。
今後もいろんな漢詩を作っていきたいなと思います。
これからもがんばります。

2011/11/8(火) 午後 8:22 白川 玄齋

えすちゃんさん、コメントありがとうございます。
軽業師ですか。ピエロかと思ってしまいました。
英文から答えを探すのも面白いです。またこれからも挑戦していきます。

2011/11/8(火) 午後 8:23 白川 玄齋

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洛神賦を今読まれているのですね。
こういう作業は、とても根気の要ることですね。

私は玄さんの漢詩のほうが楽しみですが。
漢詩を読むことで、また自分の漢詩も腕も上がりますね。良き11月の後半でありますように。

傑作ポチ。

2011/11/10(木) 午前 11:03 瑠

Ruri さん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
ふつうの辞書には載っていない言葉も多いので、
清の時代の辞典である『康煕字典』が引ける
中国語のサイトで少しずつ調べています。
時間をかけて確実に行なっていきます。
こういう地道な作業が、お相手の方を想う漢詩を作るときに
役立てばいいなと思って進めていきます。
今月もきちんとがんばっていこうと思います。

2011/11/10(木) 午後 1:34 白川 玄齋


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