玄齋詩歌日誌

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その他の昔の漢詩の解説

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豫園(よえん)の門(中国・上海)
Photo by : clef
 
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 この『荘子(そうじ)』の漢文の一節は、僕が作った漢詩の、
 「読荘子雑篇譲王第二十八」の、その僕が読んだ一節に出てきた
 『商頌(しょうしょう)』の詩の一つである「玄鳥(げんちょう)」という詩を
 訳してみました。
 
 『商頌(しょうしょう)』は彼が古代の詩を集めた『詩経(しきょう)』の中の、
 中国の古代の王朝の商(しょう)、
 つまり殷(いん)の国の徳をほめたたえる詩です。
 
 「玄鳥(げんちょう)」という詩は、玄鳥、つまりツバメが
 殷の国を作ったという伝説を詠んだ詩です。
 壮大な感じのする詩です。
 
 曾子もこういう詩を詠じて心を養ったということを、
 その『荘子』の一節の作者は言いたかったのかなと思いました。
 
 
 こちらにはコメント欄を設けていません。
 僕が作った漢詩の記事にコメント欄がありますので、
 この点をよろしくお願いいたします。
 
 僕が作った漢詩は以下の記事になります。
 こちらにこの詩の解説も載せています。
 
 ブログ記事: 漢詩「読荘子雑篇譲王第二十八」(七言絶句)
 (コメント欄はこちらに設けてあります)
 
 
 今回読んだ『荘子』の一節の本文と書き下し文と訳などは
 以下の記事になります。
 
 ブログ記事: 今回作った漢詩の「読荘子雑篇譲王第二十八」に
 詠まれている『荘子』譲王第二十八の一節の訳です。
 
 
 
●原文
 
 
 『詩經』 「商頌」 玄鳥
 
天 命 玄 鳥、  降 而 生 商、  宅 殷 土 芒 芒。
 
古 帝 命 武 湯、  正 域 彼 四 方。
 
方 命 厥 后、  奄 有 九 有。
 
商 之 先 后、  受 命 不 殆、  在 武 丁 孫 子。
 
武 丁 孫 子、  武 王 靡 不 勝。
 
龍 旂 十 乘、  大 饎 是 承。
 
邦 畿 千 里、  維 民 所 止、  肇 域 彼 四 海。
 
四 海 來 假、  來 假 祁 祁、  景 員 維 河。
 
殷 受 命 咸 宜、  百 祿 是 何。
 
 
 
●書き下し文
 
 
 題: 『商頌(しょうしょう)』 玄鳥(げんちょう)
 
天は玄鳥(げんちょう)に命(めい)じ、
降(くだ)りて商(しょう)を生(しょう)じ、
殷土(いんど)を宅(さだ)めて芒々(ぼうぼう)たり。
 
古帝(こてい)は武湯(ぶとう)に命じ、
域(くに)を正す 彼の四方(しほう)。
 
方(まさ)に厥(そ)の后(きみ)に命じ、
九有(きゅうゆう)を奄有(えんゆう)す。
 
商の先后(せんこう)、
命を受けて殆うからず、
武丁(ぶてい)の孫子(そんし) 在り。
 
武丁の孫子、
武王(ぶおう) 勝たざる靡(な)し。
 
龍旂(りゅうき) 十乗(じゅうじょう)、
大饎(だいき)に是(こ)れ承(う)く。
 
邦畿(ほうき)千里(せんり)、
維(こ)れ民(たみ)の止(とど)まる所(ところ)、
域(くに)を彼(か)の四海(しかい)に肇(はじ)む。
 
四海(しかい) 来(き)たり仮(いた)りて、
来たり仮りて祁々(きき)として、
景員(けいうん) 河(かわ)を維(つな)ぐ。
 
殷は命を咸(み)な宜(よろ)しきに受け、
百禄(ひゃくろく) 是(こ)れ何(いくばく)ぞ。
 
 
 
●現代語訳
 
 
天の神は玄鳥(げんちょう)、つまりツバメに命じて、
天から降りてきて商(しょう)、つまり殷(いん)という国を生み、
殷の国土の遠大な領土をを定めました。
 
天帝(てんてい: 天の神)は初代の商の王の湯王(とうおう)に命じて、
国土の四方の国境を正していきました。
 
今またその君主(湯王)に命じて、
九つの州に分かれた中国の全土を残らず手に入れました。
 
商(殷)の国のその湯王に続いた王も、
天帝からの命令を受けて危険なこともなく
その命令を達成することができました。
 
それは武丁(ぶてい)、つまり二十二代目の王の
高宗(こうそう)と呼ばれた湯王の子孫がいたからです。
 
その湯王の子孫である高宗は、
勇ましい王として君臨し、戦いに負けたことがないのです。
 
龍の旗をはためかせた馬車が十台あり、
我々は素晴らしい酒とごちそうをよろこんで頂きました。
 
王の治める領土は千里四方に及ぶ広大なものであり、
この領土こそ民衆がとどまって生活をするところなのであり、
この天下に国の境を定めて、統治を始めていきました。
 
この天下の中を行ったり来たりして、
さかんに行き来をすることで、
景山(けいざん)という山のふもとにある
殷の国の都の人たちは、
黄河流域を治めていきました。
 
殷の国の人たちは皆、命令をよく守っていたので、
多くの俸給(ほうきゅう: 給料)をもらっている者たちは、
どれほどいたのかわからないほどです。
 
 
 
●語注
 
 
※玄鳥(げんちょう): ツバメのことです。
 
※芒々(ぼうぼう): 大きく遠大であることです。
 
※古帝(こてい): 「天帝(てんてい)」、つまり万物を支配する
  天の神のことです。
 
※武湯(ぶとう): 商(しょう)、つまり殷(いん)の国の初代の王の
  「湯王(とうおう)」のことです。伊尹(いいん)を重用して、
   夏(か)の国の桀王(けつおう)を討伐して天下を統一し、
   国の名前を商(しょう)としました。
 
※奄有(えんゆう): 「掩有(えんゆう)」とも書きます。覆うようにして
  すべて残らず自分のものにすることです。
 
※九有(きゅうゆう): 「九州(きゅうしゅう)」、つまり、太古に中国の全土を
  九つの州に分けたことです。そこから転じて、中国全土を指します。
 
※龍旂(りゅうき): 「龍旗(りゅうき)」、つまり、龍を描いた旗のことです。
  ちなみに蛇足ですが、清の王朝ではこれを国旗としていました。
 
※大饎(だいき): 祖先を祀るときの酒とごちそうのことです。
 
※邦畿(ほうき): 古代中国の周の時代、王様の直轄地の
   千里四方の土地のことです。
 
※祁々(きき): さかんであることです。
 
※景員(けいうん): 景山(けいざん)という山のふもとの民衆のことで、
   ここに殷の都が置かれていました。
 
※武丁(ぶてい): 殷(いん)の第二十二代目の国王で、後世の人からは
  「高宗(こうそう)」と呼ばれています。傅説(ふえつ)を重用し、
  衰えた殷の国を再興しました。この時代に発見された甲骨文字が
  最古のものとされています。
 

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