玄齋詩歌日誌

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朱家角鎮(しゅけかくちん)の城皇廟(じょうこうびょう)の本殿(中国・上海)
参拝者の願い事が書いたお札が下がっています。
Photo by (c) Tomo.Yun
http://www.yunphoto.net
 
 
「竹林の七賢(ちくりんのしちけん)」の一人、嵇康(けいこう)の
詩である『幽憤詩(ゆうふんし)』の翻訳の二回目です。
 
老荘を学ぶ嵇康自身の人生を詠みながら「幽憤(ゆうふん)」、つまり
当時の世の中への人知れぬ憤りの気持ちを込めた詩です。
 
 
 このページは解説の前半の記事です。
 
 原文・書き下し文・現代語訳・語注の記事と、
 この解説の後半部分の記事は、以下の記事を見て下さい。 
 
 原文・書き下し文・現代語訳・語注の記事
 
 解説の後半の記事
 
 コメント欄は解説の後半の記事に設けてあります。
 この点について、ご了承願います。
 
 あと、解説は前半のこの記事から読むことをおすすめします。
 いきなり解説の後半から読むと何の話かわかりづらいですので。
 
 
●解説の前半:
 
 
「竹林の七賢(ちくりんのしちけん)」の一人、嵇康(けいこう)の
詩である『幽憤詩(ゆうふんし)』の翻訳の二回目です。
 
老荘を学ぶ嵇康自身の人生を詠みながら「幽憤(ゆうふん)」、つまり
当時の世の中への人知れぬ憤りの気持ちを込めた詩です。
 
今回の訳す部分は、昔の徳のある人の
政治の進め方について詠んでいます。
 
ひたすらに虚心に民衆たちの意見を聞き、議論をさせる中で
きちんと政治の実情を見極めた上で政治を行っていく、
ということを詩句の中で述べています。
 
 
ひたすらに虚心に民衆たちの意見を聞き、議論をさせる中で
きちんと政治の実情を見極めた上で政治を行っていく、ということは、
同様の事が『韓非子(かんぴし)』の内儲説(ないちょぜい)上という
篇の中で、七術(ななじゅつ)、つまり君子が行うべき七つのことの
一番目の、「衆端(しゅうたん)に参観(さんかん)する」という形で
出て来ます。
 
後の時代には法律で国内を統制する考えの法家(ほうか)と
自然の道理に従って行動する老荘(ろうそう)の考え方が結びついて、
道法家(どうほうか)という一派が出て来ます。この篇もそんな
道法家たちのの思想に基づいて書かれたものとされています。
 
衆端(しゅうたん)とは、人々の言葉や行動のことです。
参観(さんかん)とは、それぞれを突き合わせて調べることです。
つまり、多くの人の言葉や行動を見聞きして、それらを突き合わせて
調べていくことで、正しい政治を行っていくことです。
 
 
広く意見を聞くといっても、いろんな条件が絡んできます。
うまくいかない例が、さらに『韓非子』のその篇の本文にあります。
 
 
魯(ろ)の国の君主である哀公(あいこう)がある日孔子に尋ねました。
 
哀公:「昔のことわざに、『家臣が大勢いれば迷うことがない』
  というものがあり、私も実際に多くの家臣たちと相談して
  政治を行っているのに、うまくいかないというのは
  どういうことだろうか?」
 
孔子:「家臣たちの中に、ある人が知っていることを
ほかの人が知らないということはよくあります。
そういうように家臣たちがそれぞれ異なる意見を出し合う、
その環境が整って初めて、賢明な君主一人のもとで、
家臣たちが議論を戦わせることができるのです。
 
しかし今の魯の国の現状では、重臣の季孫子(きそんし)が
強い勢力を持っている現状ですから、家臣たちもみんな
季孫子と同じような意見を出すだけなのです。
 
殿が国内の人に広く意見を求めても、実際には季孫子ただ一人の
意見を聞いているようなものなのです。
ですから国内の政治がうまくいかないのも当然なのです」
 
 
今の日本の国内で、「広く意見を求める」といった場合、
上記に類するような問題があるのではと思います。
 
 
こういうことを述べていくと、
「実際にどうやってするかということは本文のどこにも
書いていませんから、漢文は何の役にも立ちませんね」
という方が時々いらっしゃいます。これは典型的な勘違いの一つです。
 
そんな方に第一に言いたいのは、
漢文とは虎の巻ではないということです。
 
そもそも「具体的にこうすれば良い」という事など書いていないのです。
もし書いてしまったら大抵、今からすると時代遅れになります。
 
例えば、兵法書の『六韜(りくとう)』に昔の戦車の具体的な動かし方が
載っている箇所は、今の時代に読んでもほとんど何の役にも立ちません。
 
 
むしろ一見して具体的な状況を離れたような抽象的な文面を、
自分自身の今の状況に置き換えて考えてみるのです。
 
たとえば、『論語』でいうと、
『論語』の学而(がくじ)第一の篇に、
 
「曽子曰く、吾(われ)吾が身を三省(さんせい)す。
 人の為に謀(はか)りて忠(ちゅう)ならざるか、
 朋友(ほうゆう)と交わりて信(しん)ならざるか、
 習わざるを伝うるか。」
 
(訳)孔子の弟子の一人、曾子(そうし)がこう言いました。
「私は常に我が身を振り返って、次の三つのことを常に反省しています。
(一)人のために行動したときに、きちんと真心を持って接していたか。
(二)友人との交際の時に、信義を守って応対していたか。
(三)中途半端にしか学んでいないことを人に教えてしまっていないか。
この三点について、常に反省しているのです」
 
(訳は南宋の朱子(しゅし)と北宋の程子(ていし))の
注釈をもとに訳しています。)
 
この文の場合、例えば(二)であれば、
自分の普段の実際の友達づきあいの中で考えていく必要があるのです。
 
「『信頼』と一言で言うけれども、友達と話していたあの時に、
本当はどう言えばよかったのだろう。。。」
 
そんな風に考えていくことで、少しずつ論語の言葉がわかってくるのです。
 
『孫子(そんし)』などを読みながら実際に政務や経営をしていく中で、
具体的な状況に当てはめて孫子の文言の一つ一つを検討していくと、
とても役に立つことになるのではと思います。
 
僕にとっては(三)などはかなり耳の痛い内容です。
日々謙虚に学んでいこうと思います。
 
 
「自分の状況に置き換えて具体的に考える」例の一つとして、
先ほどの、多くの意見を突き合わせて調べる、という考え方は、
いろいろと応用が利くと思います。
 
例えば僕が、古代中国の周(しゅう)の時代から伝わった易の
『周易(しゅうえき)』を訳す場合は、少なくとも二つの注釈に当たります。
 
一つは魏(ぎ)の王弼(おうひつ)の『周易正義(しゅうえきせいぎ)』、
もう一つは北宋(ほくそう: 金が攻めてくる前の宋)の
程頤(ていい)による『程氏易伝(ていしえきでん)』です。
 
そして、今回の詩句に出てくる「含弘(がんこう)」という言葉は、
『周易』の坤(こん)の卦を説明する、彖伝(たんでん)に、
「含弘光大、品物咸亨。」とでてきます。
 
この部分は2つの書でそれぞれ、以下のように書かれます。
(書き下し文と訳を示します)
 
(書き下し文)
 
(周易正義)
「含弘光大,品物咸亨」とは、包含(ほうがん)するに厚きを以てし、
「光」は盛大(せいだい)なるを著(あらわ)す。
故(ゆえ)に品類(ひんるい)の物は、皆な亨通(とうつう)するを得る。
但し「坤」は「元」と比すれば、即ち大なる名を得ず、
若(も)し衆(おお)くの物と比(ひ)すれば、其の実 大なるなり。
故に曰く「含弘光大」なるものなり。此の二句は「亨」を釈(と)くなり。
 
(程氏易伝)含・弘・光・大の四者にて坤(こん)の道を形容(けいよう)し、
猶(な)お乾(けん)の剛・健・中・正・純・粋のごとし。
「含」は包容(ほうよう)なり。「弘」は寛裕(かんゆう)なり。
「光」は昭明(しょうめい)なり。「大」は博厚(はくこう)なり。
此の四者 有りて、故に能(よ)く天の功を承(う)くるを成し、
品物(ひんぶつ)は咸(ことごと)く亨遂(とうすい)するを得る。

(訳)
 
(周易正義)
「含弘光大,品物咸亨」とは、「盛大なものを厚く包み込み、
(ここで「光」は盛大なことを著し、「光いに(おおいに)」と読みます。)
だからこそあらゆる物事がすべてきちんとなし遂げられるのです。」
という意味になるのです。
 
しかし「坤(こん: 大地)」は元(げん)、つまり天の偉大な効用からすれば
「大」とは言えないのですが、ほかの多くのものと比べれば、
「大」と言えるのです。
ですから、「含弘光大」、「光(おお)いに大なるを含弘(がんこう)す」
となるのです。この八文字で、坤の卦を説明する卦辞(かじ)の
「亨(とおる)」、「物事がなし遂げられる」という一字を説明しているのです。
 
(程氏易伝)
含・弘・光・大の四文字で、坤(こん: 大地)の道理を
言い表しているのです。それはちょうど、乾(けん: てん)の道理を
言い表す、剛(つよく)・健(すこやかで)・中(偏ることなく)・正(ただしく)・
純(まじりけがなく)・粋(きよらかである)と比べられるものです。
「含」は「広く包み込み」、「弘」は、「豊かに広々と」
「光」は「明らかにはっきりと」、「大」は「広く厚く」という意味です。
 
この四文字によって、大地が天の効用をよく受け取って、
あらゆる物事をみんななし遂げることが出来るのです。
 
(ここまでが訳です)
 
この2つから、
『周易正義』の「光いに(おおいに)」という部分と、
『程氏易伝』の「大地が天の効用をよく受け取って」というところを
勘案して、
 
「含弘光大,品物咸亨」は、
 
「弘(ひろ)く光(おお)いに大なるを含み、
品物(ひんぶつ) 咸(ことごと)く亨(とお)る」と読んで、
 
「『坤(こん)』、つまり大地が豊かに盛大な天の効用を受け取り、
だからこそあらゆる物事がすべてきちんとなし遂げられるのです」
 
と訳すことができるのです。
 
もっと多くのものを検討していくことで、
さらに正確に訳していけるのではと思いました。
 
多くの意見を突き合わせて調べるのは大切だと、改めて思います。
 
 
(解説の後半へ続きます)

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