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『説苑(ぜいえん)』という漢文の翻訳の二回目です。
これは前漢の学者である劉向(りゅうきょう)によって書かれた、始皇帝の 秦より前の時代から前漢までの間の故事や伝説をまとめたものです。 当時のいろんな思想が具体的な出来事の中で述べられています。 今回は『説苑』の第一巻の「君道(くんどう)」の第二回目です。 君主(くんしゅ)、つまり国を統治する人の身につけるべき 道理や心得について書いてあるところです。 こちらは『説苑』の二回目の訳の文章中で引用されている 『書経(しょきょう)』と『詩経(しきょう)』の一節について 説明した資料の記事です。 原文・書き下し文・現代語訳・語注については、 以下の記事を見て下さい。
原文・書き下し文・現代語訳・語注の記事
以上のこと、ご了承下さい。よろしくお願いいたします。 ●資料:
ここではこの『説苑(ぜいえん)』文章の中で引用された
『書経(しょきょう)』と『詩経(しきょう)』の一節について解説します。
『書経』は懐かしいです。数年前の大晦日に読んでいたのを
思い出します。
「睿作聖」
「睿(さと)くして聖(ひじり)と作(な)る」
(訳)
「物事によく通じる聡明さを持つことで、聖人となるのです」
この部分は、昔の帝王の事蹟をまとめた、
『書経(しょきょう)』の「洪範(こうはん)篇」の一節です。
殷の暴君であった紂王(ちゅうおう)を討伐して
周の国を作った武王(ぶおう)は、この殷の国の国民をまとめるために、
弟の武庚(ぶこう)をこの辺りの君主として統治させました。
そして武王は殷の王族の一人であった箕子(きし)のもとを訪れました。
すると箕子は武王に以下のようなことを言いました。
「大昔の帝王の舜(しゅん)の時代に、治水事業を担当していた
鯀(こん)が、洪水を止めようとして、治水の道理に逆らって
失敗しました。そのことによって天を支配する神の天帝(てんてい)が
怒り、九つの偉大な法を鯀に与えずに、鯀を殺してしまいました。
そこで帝王の舜は鯀の息子の禹(う)に治水事業を任せると、
禹は見事にこの治水事業を果たして、天帝からその九つの偉大な法を
授けてもらったのです。それが『洪範九疇(こうはんきゅうちゅう)』
と呼ばれるものです。」
と言って、以下、九つの法について述べています。
その中の二番目として、つつしんで五つのことを行い、
しっかりと身につくようにと、次のように述べています。
ここから原文を示します。
(原文)
二、五事:一曰貌,二曰言,三曰視,四曰聽,五曰思。貌曰恭,
言曰從,視曰明,聽曰聰,思曰睿。恭作肅,從作乂,明作哲,
聰作謀,睿作聖。
(書き下し文)
二は、五事(ごじ)なり。:
一に曰(いわ)く貌(ぼう)、二に曰く言(げん)、三に曰く視(し)、
四に曰く聴(ちょう)、五に曰く思(し)なり。
貌は恭(きょう)なるを曰(い)い、言は従うを曰い、視は明なるを曰い、
聴は聡(そう)なるを曰い、思いは睿(えい)なるを曰う。
恭は肅(しゅく)と作(な)り、従は義と作り、明は哲と作り、
聡は謀と作り、睿は聖と作る。
(訳)
九つの法の二番目は、行うべき五つのことなのです。
(一)貌(ぼう)、つまり恭しい態度で人に接することです。
そうすることで心も恭(うやうや)しいものになります。
(二)言(げん)、つまり道理にしたがったことを言うことです。
それによってきちんとした政治を行うことができます。
(三)視(し)、つまりあらゆる物事をはっきりと見ることです。
それによってあらゆる物事が明らかになります。
(四)聴(ちょう)、つまりきちんと臣下の声に耳を傾けることです。
そうすれば政治のはかりごとはきちんとうまくいくようになるのです。
(五)思(し)、つまりこれは睿(えい)、微妙なところまで
行き届くように考えることです。
それによってあらゆる物事に通じるようになるのです。
(ここまでが訳です)
最後の五番目の部分が引用箇所です。
この訳は『書経』の伝統的な注釈をもとにしています。
学者によっては「睿(えい)」を「容(よう、いれる)」と解釈して、
「広い心で臣下の意見を受け入れる」という風に訳している人もいますが、
尹文(いんぶん)の説いた『無為(むい)』の考えからすれば、
道理の要点となる部分のみに従って余計なことをしないようにして、
そうして時間を掛けた上でしっかりと臣下の話を聞き、その意見を
微妙なところまで見通すように検討していく、
そう考えると、今までの解釈のままで良いのではないかと思っています。
もう一つは『詩経(しきょう)』の一節です。
「岐有夷之行,子孫其保之!」
「『岐(き)に夷(たいら)かなるの行(みち)あれば、
子孫(しそん) 其(そ)れ之(これ)を保(たも)たん」
(訳)
岐山(きざん)という険しい道が平らな道になることによって、
その子孫はこの国を保つことができたのです。
(「険しい道」は注釈に基づいたものです。)
これは『詩経』の中の、古代の周(しゅう)の国の徳をたたえた詩の
周頌(しゅうしょう)の中の「天作(てんさく)」という詩です。
かなり言葉自体は異なりますが、ここから引用されたことは確かです。
では、その詩の全文と訳を示します(訳はわかりやすく意訳しています)
(原文)
『詩經』 「周頌・天作」
天 作 高 山, 大 王 荒 之。 彼 作 矣, 文 王 康 之。
彼 徂 矣, 岐 有 夷 之 行。 子 孫 保 之。
(書き下し文) 天は高山(こうざん)を作り、大王(だいおう)は之(これ)を荒(たがや)す。
彼が作れば、文王(ぶんのう)は之に安(やす)んず。
彼が徂(ゆ)き、岐(き)に夷(たい)らかなるの行(みち)有れば、
子孫は之に保(やす)んず。
(現代語訳)
天は高い山を作り、その高い山を古代の帝王の舜(しゅん)の臣下で
農業を司る官職にいた后稷(こうしょく)の子孫である
古公亶父(ここうたんぽ)が耕して、周(しゅう)の国造りは始まったのです。
古公亶父(ここうたんぽ)が作ったその国を、彼の孫にあたる
文王(ぶんのう)が安定させることができたのです。
この岐山(きざん)という高い山はとても険しい山なのですが、
彼がそこへ行って平らな道路を広げていったので、
その周の国の子孫は長く栄えることができたのです。
(ここまでが訳です)
『平らな道』というのは、君主が無理なく国を運営して安定させることの
喩(たと)えに尹文(いんぶん)が引用したのだと思います。
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