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今回は前回の『説苑』の第一巻の「君道(くんどう)」の第二節に出てきた
斉(せい)の宣王(せんおう)の、君主として行うことを尋ねられて答えた
尹文(いんぶん)の説いた、
君主として行う政治の道理とはどのようなものか、
ということの内容を含んだ、尹文の文章である、
『尹文子(いんぶんし)』の一節を訳しています。
こちらは原文・書き下し文・現代語訳の記事になります。
解説の記事は、以下を見て下さい。コメント欄もそちらにあります。
解説の記事
以上のこと、ご了承下さい。よろしくお願いいたします。
『尹文子(いんぶんし)』 大道(だいどう)下 仁、義、禮、樂、名、法、刑、賞、凡此八者、五帝、三王治世之術也。
故仁以道之、義以宜之、禮以行之、樂以和之、名以正之、法以齊之、
刑以威之、賞以勧之。
故仁者所以博施於物、亦所以生偏私。
義者所以立節行、亦所以成華偽;礼者所以行恭謹、亦所以生惰慢;
楽者所以和情志、亦所以生淫放;名者所以正尊卑、亦所以生矜簒;
法者所以斉衆異、亦所以生乖分;刑者所以威不服、亦所以生陵暴;
賞者所以勧忠能、亦所以生鄙争。
凡此八術、無隠於人而常存於世、
非自顕於堯、湯之時、非自逃於桀、紂之朝。
用得其道、則天下治;用失其道、則天下乱。
過此而往、雖弥綸天地、籠絡万品、治道之外、
非群生所養挹、聖人措而不言也。
●書き下し文
仁(じん)、義(ぎ)、礼(れい)、楽(がく)、
名(めい)、法(ほう)、刑(けい)、賞(しょう)、
凡(およ)そ此(こ)の八つの者は、
五帝(ごてい)、三王(さんおう)の治世(ちせい)の術(じゅつ)なり。
故(ゆえ)に仁の以(もっ)て之(これ)を道(みちび)き、
義の以て之を宜(よろ)しとし、礼の以て之を行い、
楽の以て之を和(わ)し、名の以て之を正し、
法の以て之を斉(ととの)え、、刑の以て之を威(おど)し、
賞の以て之を勧める。
故に仁は博(ひろ)く物を施(ほどこ)す所以(ゆえん)にして、
亦(ま)た偏私(へんし)を生(しょう)ずる所以なり;
義は節を立てて行う所以にして、
亦た華偽(かぎ)を成す所以なり;
礼は恭謹(きょうきん)を行う所以にして、
亦た惰慢(だまん)を生ずる所以なり;
楽は情志(じょうし)を和する所以にして、
亦た淫放(いんぽう)を生ずる所以なり;
名は尊卑(そんぴ)を正す所以にして、
亦た矜纂(きょうさん)を生ずる所以なり;
法は衆(しゅう)の異(こと)なるを斉(ととの)える所以にして、
亦た乖(そむ)き分(わ)かるるを生ずる所以なり;
刑は服(ふく)せざるを威(おど)す所以にして、
亦た陵暴(りょうぼ)を生ずる所以なり;
賞は忠能(ちゅうのう)を勧める所以にして、
亦た鄙(いや)しき争(あらそ)いの生ずる所以なり。
凡そ此の八つの術、
人に隠(かく)るる無くして常(つね)に世(よ)に存(あ)りて、
自ら堯を顕すに非ず、湯の時、自ら桀、紂の朝を逃ぐるに非ず。
用いるに其の道を得れば、則ち天下は治まる;
用いるに其の道を失わば、則ち天下は乱る。
此を過ぎて往かば、天地を弥綸(びりん)し、
万品(ばんぴん)を籠絡(ろうらく)すると雖(いえど)も、
治道(ちどう)の外にして、
群生(ぐんせい)の養い挹(おさ)える所に非ざれば、
聖人は措(お)きて言わざるなり。
●現代語訳:
政治の要点として、次の八つの項目があります。
(一)仁(じん)、相手に対する思いやりや慈しみの気持ちのことです。
(二)義(ぎ)、世の中の正しい道理や筋道のことです。
(三)礼(れい)、その「義」を実際の制度や儀礼に表したものです。
(四)楽(がく)、音楽のことです。
(五)名(めい)、「名目(めいもく)」つまり実質的なものに付けられた
名前のことです。
(六)法(ほう)、法律のことです。
(七)刑(けい)、刑罰のことです。
(八)賞(しょう)、功績のある臣下に褒美を与えることです。
大体、この八つのことは、大昔の帝王たちや、すぐれた王たちが
世の中をうまく統治するための方法なのです。ですから、
(一)仁の慈しみの気持ちによって民衆を導き、
(二)義の道理によってふさわしい形に整え、
(三)礼の形式によって実際に行い、
(四)音楽によって心を調和させて、
(五)名目を正して実際のものとの相異を無くして秩序立てるようにして、
(六)法律によって物事を整えていき、
(七)刑罰によって悪い者をおどして正すようにして、
(八)褒美を臣下にきちんと与えることによって、
民衆に正しいことを勧めるようにするのです。
ですから、
(一)仁の慈しみによって気持ちは民衆に広く恩恵を施すことが出来ます。
しかしこれがうまくいかなければ、かえって特定の人に
えこひいきをしてしまうことになります。
(二)義の道理によって筋道立てて物事を行うことができますが、
それがうまくいかないと、かえって浮ついた実質のないものに
欺かれることになります。
(三)礼の形式によって恭しくて慎み深くさせることができますが、
それがうまくいかないと、かえって怠けて礼を失わせることに
なってしまいます。
(四)音楽によって感情や志の向かうところを調和させることが
できますが、それがうまくいかないと、かえって酒やごちそうに
耽ってだらしなくなってしまいます。
(五)名目を正すことで身分の上下を正すことができますが、
それがうまくいかないと、かえって受け継いだものによって
尊大にさせてしまうことになります。
(君主を君主として尊敬させることばかりにとらわれて、
悪い君主まで尊ばれることで、かえって人倫を乱してしまうのです)
(六)法律というのは民衆の異なる考えや態度を揃えることができますが、
それがうまくいかないと、お互いに反目して別れてしまうように なります。
(七)刑罰で服従しない者をおどして服従させることができますが
それがうまくいかないと、相手に乱暴をして痛めつけることにしか
ならないようになってしまいます。
(八)功績のある臣下にきちんと褒美を与えることで、
忠義と才能を伸ばすことを民衆にも勧めることができますが、
それがうまくいかないと、手柄をめぐって野蛮な争い事が
生まれようになります
大体、この八つの方法は、
人の目から隠れたところにあるわけではなくて、
常に世の中に存在するものです。
太古の偉大な帝王の堯(ぎょう)や、殷の初代のすぐれた王の
湯王(とうおう)も、自然に世の中に出て来たわけではないのです。
夏の国の暴君であった桀王(けつおう)や、
殷の国の暴君であった紂王(ちゅうおう)は、自然に国を逐われて
逃げるようになったわけではないのです。
その道理に従って行動することができれば、天下を治めることができ、
その道理に従って行動することができなければ、
天下は乱れてしまうのです。
この道理を離れてしまったところでは、
たとえ天地をそのまま治めることができ、
あらゆるものを思い道理に操ることができたとしても、
それは政治の道理を離れたものであり、
多くの民衆を養って、悪い者を抑えて統治を行う道から
離れたそむいたものですから、
知恵と徳のすぐれた帝王たちは、
それには手を付けないで、口に出すこともないのです。
●書き下し文
※仁(じん): 人が二人いれば自然に発生する、相手に対する
思いやりや慈しみの気持ちのことです。
※義(ぎ): 世の中の正しい道理や筋道のことです。
※礼(れい): 先ほどの「義」をその時々のふさわしい形に整えた、
実際の儀礼や制度のことです。
※楽(がく): 音楽のことです。儒学でも心を養うために大切にされました。
※名(めい): 「名目(めいもく)」のことです。当時の思想では、
名目とそれが指し示す実質的なものとの一致を重視しています。
※法(ほう):「法律」のことです。
※刑(けい): 「刑罰(けいばつ)」のことです。
※賞(しょう): 君主が功績のある臣下に褒美を与えることです。
※五帝(ごてい): 中国の太古の伝説の五人の帝王たちのことです。
いろんな説がありますので、ここでは特定できないようです。
※三王(さんおう): 中国の古代の三人のすぐれた王たちのことです。
夏(か)の国の初代の王の禹(う)、殷(いん)の初代の王の湯(とう)、
殷の紂(ちゅう)王を討伐して周(しゅう)の国を作った
武王(ぶおう)のことです。
※治世(ちせい): 世の中をうまく治めることです。
※偏私(へんし): 特定の人だけをえこひいきすることです。
※華偽(かぎ): 表面上だけで実質が無いもので欺くことです。
※恭謹(きょうきん): うやうやしくて慎み深いことです。
※惰慢(だまん): 怠けて礼を失することです。
※情志(じょうし): 感情とこころざしの向かうところです。
※淫放(いんぽう): 酒色(しゅしょく: お酒やごちそう)に
耽ってだらしがないことです。
※尊卑(そんぴ): 身分の上下のことです。
※矜纂(きょうさん、つぐをほこる): 自分が受け継いだものに
よって尊大な態度になることです。
※陵暴(りょうぼう): 人に乱暴をして痛めつけることです。
※忠能(ちゅうのう): 忠義の気持ちと才能のことです。
※弥綸(びりん): あまねく治めることです。
※万品(ばんぴん): 万物、あらゆる物事のことです。
※籠絡(ろうらく): 相手を言いくるめて自分の思う通りにすることです。
※治道(ちどう): 政治の道理のことです。
※群生(ぐんせい): 多くの民衆のことです。
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