玄齋詩歌日誌

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老子

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パルテノン宮殿(ギリシャ・アテネ)
Photo by : Amano Kazaoto
 
 
 
『老子』の第二章の翻訳の後半です。
 
合計で 5,000 文字を超えていますので、
記事を前半と後半の二つに分けています。
 
 
この後半は現代語訳(意訳)と、さらに補足を付けた部分です。
 
前半では原文と書き下し文と、個々の文章への解説をまとめています。
 
 前半の記事
 
 
コメント欄は、この後半の記事の方にのみ設けています。
 
この点についてご了承願います。宜しくお願いいたします。
 
 
 
●現代語訳:
 
 
天下の人々はみな、美しいものを美しいと認識していますが、
実はこれは醜いだけのものなのです。
 
人々はみな、善を善として認識していますが、
実はその認識は、善とは言えないのです。
 
なぜかと言えばそれは何かを「美しい」「善い」と言うことは、
その反対の「醜い」「善くない」
という物や人を作り出してしまうからなのです。
 
しかし、自然の道理である道の観点に立てば、
あらゆる物に醜い物はなく、あらゆる人に善くない人はいないのです。
 
つまり、あらゆる物事、あらゆる人の美点、長所を
きちんと見つめることで、あらゆる物・あらゆる人を
「美しい」「善い」としなければならないのです。
 
 
そのような区別が生まれることによって、
「有る」と「無い」とがお互いに存在してしまい、
「難しい」と「易しい」というものがお互いに成立してしまい、
 
「長い」と「短い」とがお互いの特徴として現れ出てしまい、
「高い」と「低い」とがお互いの存在から、あらわになってしまい、
 
「声」と「音」とがお互いに調和する、ということが成り立ってしまい、
(調和とは、お互いが異なっているからこそ成り立ちうるものなのです)
 
前」と「後ろ」とがお互いに並ぶことで区別がついてしまうのです。
 
そもそも、道の観点からすれば、こういう区別を立てることはないのです。
 
 
このことから知恵と徳にすぐれた聖人(せいじん)は、
「常道(じょうどう)」、つまり「あらゆるところにある道」、
具体的には「あらゆる物、あらゆる人」を使うことで、
限定された道をわずかに見ることのできる者たちを合わせて
一つの大きな道となし、
 
そして「無為(むい)」、つまり「その時々の政治の道理に従って、
なすべきことのみに全力を傾けて目的に向かう」
ために、その大きな道を活用し、
 
「常名(じょうめい)」、つまり「あらゆるところにある道の
それぞれに付けられた名前」、
その名前のついたあらゆる物事、あらゆる人を活用して、
 
「不言(ふげん)」、つまり「教えるという目的にふさわしい
あらゆる物、あらゆる人を手本に言葉を用いること」で、
物事を教えさせ、学ばせていくのです。
 
 
さらに、あらゆる物事に対処させるために、多くの物や人を用いる際には、
その個々が持っているもともとの特徴や美点を発揮させるようにします。
 
それはちょうど天地が万物を作り出すような自然な形で行い、
為政者のこうさせていくのだという意思さえも
気づかせないほどにするのです。
 
人を用いる際には、多くの職人が一つになって器を作るように、
誰が治めているのかということも意識させないほど
自然に行うようにするのです。
 
そのような巧妙な治め方を進めていくためにこそ、
統治を行ってもそれを誇りとすることもなく、
統治に成功しても、為政者が自分の成果を認めさせようと
居座ることもないのです。
 
そもそも、そのようにして、為政者の存在を意識させることなく、
各人が個々の仕事に集中させて能力を
十分に発揮させるようにすることで、
常に立派に天下が治まるという状況を離れることはないのです。
 
 
 
●さらに補足:
 
 
この第二章はとてつもない理想の政治を論じていて、一個人である
私たちにはまるで縁のないもののように感じてしまいますが、
一個人の視点から見れば、また別の角度が見えてくるのです。
 
 
天下の大道、世の中の大きな道の一部を見ている個々人の私たちは、
自分の特徴、美点を発揮させるためにつとめるべきだ、ということです。
 
これは夢を追うとか、天下国家のために働くといかいう
大きなことではなくて、
 
自分が見ている道、つまり自分の日常を過ごす中で、
身の回りの環境に直接に働きかけるための、
自分にとっての最善を求め、行動していく、ということです。
簡単に言うと、目の前の人生を一所懸命に生きる、ということです。
 
 
ここは夏目漱石の、『私の個人主義』を読んで、
参考になるなと思いました。以下、一部引用します。
 
「豆腐屋が豆腐を売ってあるくのは、けっして国家のために
 売って歩くのではない。根本的の主意は自分の衣食の料を得るため
 である。しかし当人はどうあろうともその結果は社会に必要なものを
 供するという点において、間接に国家の利益になっているかも知れない。
 
 これと同じ事で、今日の午(ひる)に私は飯を三杯たべた、晩にはそれを
 四杯に殖(ふ)やしたというのも必ずしも国家のために増減したのでは
 ない。正直に云えば胃の具合できめたのである。
 
 しかしこれらも間接のまた間接に云えば天下に影響しないとは限らない、
 否、観方(みかた)によっては世界の大勢に幾分か関係していないとも
 限らない。
 
 しかしながら肝心の当人はそんな事を考えて、国家のために
 飯を食わせられたり、国家のために顔を洗わせられたり、
 また国家のために便所に行かせられたりしては大変である」
 
 
この文章からも、自分の日常を一所懸命に過ごしていくことは、
たとえ世の中のためという大目的に直接関わるものではなくても、
単に一個人の満足にとどまることはなく、
それが間接的に世の中の大きな道につながっているということに
つながる、そう考えられるのではないかと思います。
 
 
僕個人のことを振り返ってみますと
 
現在の僕は被災地に対して直接何かの活動をすることはできず、
自宅での病気の療養の傍らで自分を高めるための日々の勉強、
漢文や漢詩、その他の詩歌の勉強を続けて、
その時々の心情を漢詩や自由律俳句等に詠む、
そんな生活を続けています。
 
被災地どころか世の中と関わっているのかも定かでない、
そんな生活にも見えますが、

最近ツイッターやフェイスブックで新しく知り合う人でも、
最初の挨拶で「今までブログを見ていました」という人が
海外も含めて結構居られて、驚くことも何度かありました。
 
そんな中で、僕のお相手の方とも知り合うことができました。
どれもこれも、今までの人生の中では、とても考えられなかったことです。
 
 
そんな様々なことを通じて、僕は真剣に学び、努力していくことによって、
新たに知り合うことのできた方々を、常に大切にしていくことによって、
さらにいろんな人と接することができ、世の中と関わっていくことが
できるのだと、
 
そう考えていくことによって、
僕はさらにきちんと努力していこうという
気持ちを新たにすることができました。
 
そう思ってこの文章を書いている日が、
ちょうど昨日の阪神淡路大震災の日、一月十七日でした。
 
これからも僕自身の体調に気をつけながらも、
しっかりとがんばっていきます。

閉じる コメント(24)

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こういう文献は写本に頼るだけかと思っていましたが、発掘調査などで新たなものが見つかるのですね、日本でも天皇陵を調べれば思いもかけないものが出てくるかも知れませんが、御陵は静かにしておきたいという気持ちもあります。
私も物事を区別して見ていると思います、出来るだけ先入観を排除して、かつ自分の視点で見ていきたいものです。傑作。

2012/1/18(水) 午後 0:33 ひろちん。

ひろちんさん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
他にも後漢の鄭玄の『論語』の註釈を付けたテキストが
敦煌で見つかったということなどもありまして、
遺跡から思わぬ漢文の旧テキストが出てくることも結構あるようです。
中国は王朝が常に入れ替わっていますので、堂々と発掘ができる面も
ありますね。僕も天皇の御陵は静かでいてほしいなと思います。
「分け隔てなくすべてを良いものとして見る」というのは
果てしない理想だと僕も思います。
ただどんな人の場合も、その人の長所というものには、
きちんと注目していきたいなと、訳していく中で改めて思いました。
僕も先入観に惑わされないようにしたいです。
これからもきちんと学びながら訳していきます。

2012/1/18(水) 午後 1:37 白川 玄齋

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拝見^^ポチ^^

2012/1/18(水) 午後 8:21 [ f u k o ]

不孤さん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
これからもがんばって丁寧に訳していきます。

2012/1/18(水) 午後 9:42 白川 玄齋

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楽しく読ませていただきました。
自分の天命をどう生かすかということですね。

傑作ぽちです。
お体ご自愛ください。感謝

2012/1/18(水) 午後 10:40 瑠

Ruri さん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
自分の生きている範囲で、どれくらい頑張れるかが大切なのかなと、
この一節を訳しているうちに思いました。
健康に気をつけて、これからもきちんと訳していきます。

2012/1/19(木) 午前 9:36 白川 玄齋

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今晩はいつも特にうれしいコメントありがとうございます。この記事に応援の☆ポチですよ!一生懸命がいいのですね!

2012/1/19(木) 午後 9:54 [ 清水太郎の部屋 ]

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こんばんは。

岩波の訳注を読んでいると「そこで」「そういうわけで」という接続詞がでてきます。
理由がさっぱり分からなかったのですが、玄齋さんに感謝感謝です(^^)v


< 唐の陸希声(りくきせい)の註釈に、次のように解説されています。「用無棄物、教無棄人。在物無悪、在人無不善。而天下不治者、未之有也」 >

< 『北宋の呂吉甫(りょきつほ)の註釈では、『老子』の第一章の言葉から説明をしています。「以常道処事、而事出于無為、以常名行教、而出于不言事」 >

2012/1/19(木) 午後 10:37 [ 56rinyahoo ]

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『それは何かを「美しい」「善い」と言うということは、その反対の「醜い」「善くない」という物を作り出してしまうからなのです。』


下世話なことですが、昨今のセクハラ問題を連想します(^^ゞ

2012/1/19(木) 午後 10:42 [ 56rinyahoo ]

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『自然の道理である道の観点からすれば、すべては美しく、すべては善いものなのです。』


日々の生活では目前の事象を判断して行動しています。
すべてが美しく、すべてが善である・・・これは凡人には感得しえない世界のように思ってしまいます。ほんとに難しいです。

2012/1/19(木) 午後 10:51 [ 56rinyahoo ]

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岩波本での訳注では・・・
「相手があってこそ生まれ」「相手があってこそ調和し」「相手があってこそ並びあう」とされていますが、前節・後節とのつながりが理解できません。
ただ、森羅万象を「陰」と「陽」の調和で説明しているような安心感(?)はあります(^^ゞ

2012/1/19(木) 午後 10:57 [ 56rinyahoo ]

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『統治を行ってもそれを誇りとすることもなく、統治に成功しても、為政者が自分の成果を認めさせようと居座ることもないのです。』


老子は、政治の世界に強い関心をもっていたといわれています。
後世・六朝時代の清談の流行(世俗の濁りに染まぬ)と比較して興味深いです(^^)。

2012/1/19(木) 午後 11:04 [ 56rinyahoo ]

清水太郎さん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
僕も一所懸命に日々生きていければいいなと思います。
これからもきちんと訳していきます。

2012/1/20(金) 午前 8:49 白川 玄齋

56rinyahoo さん、コメントありがとうございます。
本当に丁寧に読んでいただいて感激です。とても嬉しいです。

僕も元来の日本語訳の接続詞が気になっていました。
どうつながるのかというのは、註釈を読んで初めてわかってきました。
陸希声も呂吉甫も、自らの官僚としての政務の中で、
『老子』の文章を考えていた人なので、とても参考になりました。
この部分が理解できたときには、とても楽しい気持ちになりました。

(その2につづく)

2012/1/20(金) 午前 8:54 白川 玄齋

(その2)

セクハラ問題ですか、「醜い」と口に出す人は少ないですが、
人の上に立って気分が大きくなって、これをつい口にすると、
まさしくセクハラだと思いました。

(その3につづく)

2012/1/20(金) 午前 8:59 白川 玄齋

(その3)

両者を弁別して認識することを否定するというよりは、
できる限り物や人の美点、長所に注目して、
世の中に不用な物、無用な人を作らないようにしようという
理想をうたっているように思います。

誰もが大きな道につながる一人だということを感得して、
すべてをまとめて一つの大きな道として活用しよう、
そういうことを述べているのだと思いました。

(その4につづく)

2012/1/20(金) 午前 9:03 白川 玄齋

(その4)

この第二章にはいろんな人が註釈を付けていまして、
この一節をとても美しい対句形式で述べているものが結構ありましたが、
この第二章の意味を理解するという目的には余計なものだと思いました。
その部分は前の文章との接続を意識して、訳すようにしていました。

(その5につづく)

2012/1/20(金) 午前 9:07 白川 玄齋

(その5)

清談のもとになった「竹林の七賢」も、実際に調べてみますと、
俗世間を離れたというよりは、新しく台頭してきた権力(司馬氏)から
のがれ「ようとした」話ですから、実際には世の中と密接に関わった
生々しい話であることに驚いていました。

その後の六朝時代は王朝がころころ変わりながら、
身分が固定される不安定で狭苦しい社会状況の中で、
何とか自分を保とうとした、そんな苦心の跡がうかがえるようです。
俗世間から離れるという発想は、なかなか難しいなと改めて思っていました。

これからもきちんと調べながら訳していこうと思います。
いつも丁寧なコメントが嬉しいです。これからもがんばります。

2012/1/20(金) 午前 9:15 白川 玄齋

第二章も
宇宙は一つのものから生まれてきたものだから夫々のものはみな同じ一部分だ
それを区別するのは人間独自の観点であってその観点こそが混乱を招くのだ!
ということと
夫々のものはみな一つのものの中で夫々の必然性で生まれ育ち衰え消えてゆくものだ
それを誰彼のお陰だとか誰彼の力だとか誰彼の功名にしたがるのも人間独自の間違った尺度に過ぎない

自然本来の営みから見た人間社会の価値観の間違いを痛切に批判してると思います

最近のビッグバン説が老子を裏付けます
科学が道教と仏教を次々と裏付けています
科学が正しい宗教を限り無く証明し続けると思います

2012/1/21(土) 午前 1:40 [ guutaratei ]

guutaratei さん、コメントありがとうございます。
いつも guutaratei さんの『老子』の訳を聞くのが楽しみです。
あらゆるものは道を通じて一つのもの、という考え方は、
ビッグバン説と相通じるものがあると僕も思います。
功績を誰彼に帰する所がないところにこそ、
道の本来の姿がある、改めてそのように思いました。
ヒューマニズム、進歩観の否定というよりは、
未来への正しい批判を通じて世の中を照らしていく、改善していく、
それが『老子』の考え方だと思いました。
これからもきちんと訳していきます。

2012/1/21(土) 午前 9:58 白川 玄齋


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