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皇后の璽(前漢の高祖劉邦の皇后の呂后の印鑑です)
Photo by (c) Tomo.Yun
『老子』の第三章の翻訳です。
合計で 5,000 文字を超えていますので、
記事を前半と後半の二つに分けています。
この前半では原文と書き下し文と、
個々の文章への解説をまとめています。
次の後半の記事では、現代語訳(意訳)と、さらに感想を付けています。
後半の記事
コメント欄は後半の記事の方にのみ設けています。
この点についてご了承願います。宜しくお願いいたします。
『老子』「第三章」
不尚賢、使民不争。不貴難得之貨、使民不為盗。不見可欲、使心不乱。
是以聖人之治、虚其心、実其腹。弱其志、強其骨。
常使民、無知無欲、使夫知者、不敢為也。為無為、則無不治。
●書き下し文:
賢(けん)を尚(とうと)ばざれば、
民(たみ)をして争(あらそ)わざらしむ。
得難(えがた)きの貨(か)を貴(とうと)ばざれば、
民をして盗(とう)を為(な)さざらしむ。
欲(ほっ)すべきを見(しめ)さざれば、
心をして乱れざらしむ。
是(こ)れ以て聖人(せいじん)の治(ち)は、
其(そ)の心を虚(むな)しくし、其の腹(はら)を実(じつ)にする。
其の志(こころざし)を弱め、其の骨(ほね)を強くす。 常(つね)に民(たみ)をして、無知無欲(むちむよく)ならしめ、
夫(か)の知者(ちしゃ)をして、敢(あ)えて為さざらしむるなり。
無為(むい)を為さば、則(すなわ)ち治(おさま)らざる無(な)し。
●解説:
とても誤解の多い第三章ですので、まずは誤解を解くことから始めます。
問題の箇所は、
「常使民、無知無欲、」
「常(つね)に民をして、無知無欲(むちむよく)ならしめ、」 という部分です。文字通り読むと「常に民衆の知恵と欲望をなくさせる」
ということになります。この一節を読んで、一種の愚民政治ではないか、
と思った人たちが『老子』を批判するわけです。
他の本を見ても、愚民政治は老子の説くところではないとは
述べてはいますが、その後の文は深遠な哲学に入り込んでいて、
狐につままれたように感じるかもしれません。
僕も何年も読んでいますが、それで思ったのは、
その議論にはそれはそれで高い価値があるとは思いますが、
愚民政治を述べているのではないという事は、
もっと明快に述べることができると思います。 「無知無欲(むちむよく)」という場合の「知」とは何か、
つまり君主は民衆に何を教えないかということを、
きちんと考えていけばよいのです。
北宋の政治家の呂吉甫(りょきつほ)の註釈のなかで、
たった四文字で明快に答えています。それは、
「上之所尚」
「上(しょう)の尚(とうと)ぶ所」
つまりは、君主が民衆に教えないのは、
「君主が好んで尊重していること」なのです。
君主が何かを好むと、民衆はすぐにそれにならう、ということがあります。
例えば、もし時の総理となった人がゴルフを嗜んでいたとすれば、
ゴルフを始める人があちこちで出てくるようなものです。
これぐらいであれば、別に何の害もないわけです。
でも今とは違う専制君主の制度の中で、さらにその対象に対して、
君主が相当入れ込んでいたらどうなるでしょうか。
君主がある珍品を大変好んでいるという話を聞きつけて、
ある人が先回りして入手した上で、君主に贈り物として届けたときに、
君主が大変感謝して出世を遂げていったならば、
民衆たちも君主に近づく手がかりとしてその珍品を求めようとします。
あるいはそうして、民衆の新たな欲望に火をつけることになります。
『孫子(そんし)』の九地(きゅうち)篇には、
「先んじて其の愛するところを奪わば、則ち聴かん」とあります。
もともとは「先に敵の有利な地を占拠しておけば、
敵軍を思い通りにできる」、という意味ですが、
「君主の好むものを先に入手して、それをもとに交渉する」、
という応用も利きます。
営業の方が得意先の上司の方と好みや趣味を合わせて
近づいていくのと同じなのです。
君主の偏った好みを利用して、君主に取り入る悪い家臣が
はびこる原因にもなりかねないのです。
『韓非子(かんぴし)』の二柄(にへい)篇には、 「細腰(さいよう)」という言葉が出て来ます。 春秋戦国時代の中国の南方にあった楚(そ)の国の
霊王(れいおう)という王様が、腰の細い美人、 つまり細腰(さいよう)の女性を好んだために、
楚の国の都では無理に痩せようとして、
お腹をすかせた女性が増えるようになった、という話が出て来ます。 昔の時代においては特に、君主が自分の好みを示すというのは
民衆に有害な影響を与えることが多かったのです。
だからこそ君主がそのような嗜好を表に出さないようにして、
民衆の欲望を喚起させて国内を混乱させるようなことは
しないでおこうというのが、
この『老子』第三章の主要な意味なのです。 では、本文に入っていきます。
「不尚賢、使民不争。不貴難得之貨、使民不為盗。
不見可欲、使心不乱。」
「賢(けん)を尚(とうと)ばざれば、
民(たみ)をして争(あらそ)わざらしむ。
得難(えがた)きの貨(か)を貴(とうと)ばざれば、
民をして盗(とう)を為(な)さざらしむ。 欲(ほっ)すべきを見(しめ)さざれば、
心をして乱れざらしむ。」 「賢(けん)を尚(とうと)ぶ」は、徳のあるすぐれた人を尊重する、
「得難(えがた)きの貨(か)を貴(とうと)ぶ」は、
滅多に手に入らない貴重なお宝を尊重する、 「欲(ほっ)すべきを見(しめ)す」は、
人が欲しいと思うもの、尊ぶべき物事を見せる、ということです。 ここで単に訳してしまうと後々紛らわしいので、 ここでは問題点のみを示します。
(全体の訳は後述します) ここで問題になってくるのは、次の三つ、
(一)尚賢(しょうけん): 賢者、つまり徳のあるすぐれた人物を尊ぶこと
(二)滅多に手に入らないような貴重なお宝を尊ぶこと
(三)人が欲しいと思うもの、尊ぶべき物事を民衆に示すこと
もし、突然君主が禁令を出して、この三つを完全に捨て去ったとすれば、
どうなるでしょうか。おそらく無用に国を混乱させてしまって、
かえって国を治めるのが難しくなってしまうのではないかと思います。
この部分を一つの理想を説いたものだとすれば、
そのままきちんと通用しますが、
実際に現代を生きている私たちは、どう考えていけばよいでしょうか。
(ちなみに彼は、有名な詩人の蘇軾(そしょく)の弟です)
(註釈の原文)
天下恥三者之以患、而欲挙、而廃之、則惑矣。
聖人不然、未嘗不用賢也、独不尚賢耳。
未嘗貴難得之貨也、独不貴之耳。未嘗去可欲也、独不見之耳。
夫是以賢者用、而民不争、難得之貨、可欲之事、
畢効于前、而盗賊禍乱不起。
(註釈の書き下し文)
天下の三者(さんしゃ)の以(もっ)て患(うれ)いとなるを恥じ、
而(しか)るに挙(あ)げんと欲して之を廃せば、
則(すなわ)ち惑(まど)えり。
聖人(せいじん)は然(しか)らず。
未(いま)だ嘗(かつ)て賢(けん)を用いざるにあらず、
独(た)だ賢(けん)を尚(とうと)ぶのみならざるなり。
未だ嘗て得難(えがた)きの貨(か)を貴(とうと)ばざるにあらず、
独だ貴ぶのみならざるなり。
未だ嘗て欲(ほっ)すべきを去(さ)らず、
独だ之を見すのみならざるなり。
夫(そ)れ是(ここ)に賢者(けんじゃ)を以(もっ)て用(もち)うれば、
而(しこ)うして民は争(あらそ)わず、
得難きの貨、欲すべきの事、畢(ことごと)く前に効(なら)いて、 而うして盗賊(とうぞく)・禍乱(からん) 起こらず。
(註釈の現代語訳)
恥ずかしく思っているのですから、
何か尊ぶべきものを手に入れようという気持ちを持っているのに、
君主がそれを廃止したとすれば、民衆は自由な判断が
できなくなってしまうのです。
聖人、つまり徳と知恵の優れた帝王は、そのようなことはしないのです。
知恵と徳のある賢者を用いないわけではなく、特定のある能力、
ある職能を尊重して、それだけを寵愛するということがないのです、
滅多に手に入らない貴重なお宝を尊重しないのではなく、
あるお宝だけに執心して、尊いとするようなことをしないのです。
人々が欲しいと思うもの、それを取り去るような過激なことを
するのではなく、ある特定のもののみを取り上げて、
尊いものとして示すことがないのです。
そもそもこのようにして賢者を登用すれば、
民衆は君主が好む特定の能力や職能を身につけたり装ったりする
無用な争いを起こすことなく、
滅多に手に入らない貴重なお宝や、人々が欲しいと思うものが、
以前とそのままで民衆の前にあり、
珍品を手に入れようとして、盗賊や世の中が乱れるようなことが
起こらないのです。
(ここまでが註釈の現代語訳です)
前述の三者を廃止するのではなく、君主の好みによって
極端に偏りを見せないようにする、ということになります。
「是以聖人之治、虚其心、実其腹。弱其志、強其骨。」
「是(こ)れ以て聖人(せいじん)の治(ち)は、
其(そ)の心を虚(むな)しくし、 其の腹(はら)を実(じつ)にする。 其の志(こころざし)を弱め、 其の骨(ほね)を強くす。」 ここは、
「聖人の政治は、
民衆の心を欲望に動かされないようにし、
大切なものを失わせないようにするのです。
何かを欲しいという気持ちを弱めるようにして、
その分、人間としての根本の部分を強くしていくのです。」
となります。 ホントに必要な民衆の力(腹・骨)を養っていこう、という内容ですが、 このときに大切なのが、李宏甫の註釈にある四文字です。
「令一不見」 「一(いち)をして見(しめ)さざらしむ」つまり、
示さないようにする」
ということです。
「常使民、無知無欲、使夫知者、不敢為也。為無為、則無不治。」
「常(つね)に民をして、無知無欲(むちむよく)ならしめ、
夫(か)の知者(ちしゃ)をして、敢(あ)えて為(な)さざらしむるなり。 無為(むい)を為さば、則(すなわ)ち治(おさま)らざる無(な)し。 「常使民、無知無欲、」は最初に説明しました。
「使夫知者、不敢為也。」
「夫(か)の知者(ちしゃ)をして、敢(あ)えて為さざらしむるなり。」
ここで「知者(ちしゃ)」は「知恵ある者、賢者」のことです。
ここの、「不敢為(あえてなさず)」は、
「無為(むい)」と相通じるものがあります。
「不敢為」「敢(あ)えて為(な)さず」の意味は、
「『無為(むい)』、つまり『本当に必要な物事のみをしっかりとしていく』
ために、『それ以外のことをしないようにする』」
という意味です。
そうやって「無為(むい)」、つまり、
「その時々の政治において必要なことだけをしっかりしていく」、
という状況を作り出していくことで、
「無不治」「治(おさ)まらざる無し」
つまり、「きちんと天下を治めることができる」、ということです。
以上を意訳という形でまとめると、以下のようになります。
後半に続きます。
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