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『老子』の第五章の翻訳です。
合計で 5,000 文字を超えていますので、
記事を前半と後半の二つに分けています。
この前半では原文と書き下し文と、
個々の文章への解説の前半部分をまとめています。
次の後半の記事では、文章の解説の残りと、現代語訳(意訳)と、
さらに感想を付け加えています。
後半の記事
コメント欄は後半の記事の方にのみ設けています。
この点についてご了承願います。宜しくお願いいたします。
『老子』 第五章
天地不仁、以万物為芻狗。聖人不仁、以百姓為芻狗。
天地之間、其猶橐籥乎。虚而不屈、動而愈出。
多言数窮、不如守中。
●書き下し文:
天地は不仁(ふじん)にして、万物(ばんぶつ)を以(もっ)て
芻狗(すうく)と為(な)す。
聖人(せいじん)は不仁にして、百姓(ひゃくせい)を以て芻狗と為す。
天地の間は、其(そ)れ猶(なお)橐籥(たくやく)のごときか。
虚(きょ)にして屈(くっ)せず、
動(うご)きて愈々(いよいよ)出(い)づ。
多言(たげん)は数々(しばしば)窮(きゅう)す、
中(ちゅう)を守るに如(し)かず。
●解説:
「天地不仁、以万物為芻狗。聖人不仁、以百姓為芻狗。」
「天地は不仁(ふじん)にして、万物(ばんぶつ)を
以て芻狗(すうく)と為(な)す。
聖人(せいじん)は不仁にして、百姓(ひゃくせい)を以て芻狗と為す。」
「芻狗(すうく)」はお祭りに使われるワラで作った犬の模型のことで、
お祭りが終われば捨てられるものです。
「不仁」はそのままの意味で言うと「仁がない」ということになり、
「仁」とは、人が二人いれば存在する、相手を思いやる気持ちのことで、
「不仁」は、思いやりや慈しみがない、という意味になり、
そうすると、「天地不仁」は「天地には慈しみがない」となってしまいます。
昨年の震災等を思い出すと、
このまますんなりと解釈もできそうなのですが、
本来の「天地不仁」の意味は、北宋の詩人の蘇軾の弟である、
蘇轍(そてつ)の註釈では、
「天地無私」 「天地に私(わたくし)無し」となります。 つまり「天地は公正無私(こうせいむし)である」、
わかりやすく言いますと、天地は人間を他の万物と比べて
えこひいきしたりおとしめたりせずに、
他の万物と同様に扱うということです。
天地は私心がないので、あらゆる物事は祭りの時に使う
犬の模型のように、必要なときだけ用いられて、
後は自由にしておくのです。
こうしてあらゆる物事は同様に扱われるのです。
「百姓(ひゃくせい)」は民衆のことを指して言います。
ですから聖人(せいじん)、つまり高い徳と知恵を身につけた帝王も
また私心がないので、特定の民衆をえこひいきにしたりせず、
祭りの時に使う犬の模型のように、
必要に応じて用いて、後は自由にしておくだけなのです。
「天地之間、其猶橐籥乎。虚而不屈、動而愈出。」
「天地の間は、其(そ)れ猶(なお)橐籥(たくやく)のごときか。
虚(きょ)にして屈(くっ)せず、
動(うご)きて愈々(いよいよ)出(い)づ。」
「橐籥(たくやく)」というのは、刀鍛冶などが使う「ふいご」のことで、
橐(たく)は空気を入れる袋で、籥(やく)はそこに差し込んだ管です。
袋を縮めると、管から空気が送られます。こうして空気を送り込んで
鍛冶屋の炉の燃焼を促進して、温度を上げていくというものです。
橐(たく)という袋の部分は、現在は蛇腹のものが多いですが、
もともとは革袋を使用していたのです。
その橐(たく)の中は空っぽで空気がいっぱいに入っていて、
その働きを何かにおさえられることはなく、
袋を伸び縮みさせて動かしていくほど、どんどん空気が流れていって
尽きることがない、ということです。
「多言数窮、不如守中。」
「多言(たげん)は数々(しばしば)窮(きゅう)す、
中(ちゅう)を守るに如(し)かず。」
「多言(たげん)」とは口数が多いことで、
「数」は註釈では「屡(しばしば)、」
つまり「たびたび、何度も」という意味です。
道について多くのことを言うと何度も行き詰まってしまう、
となります。 「中(ちゅう)」は北宋の呂吉甫(りょきつほ)の註釈では、
「相当(そうとう)」のことで、これは「相対(そうたい)」、
つまり二つの物事が互いに関係を持ち合って、
どちらか一方では成立しない、そういう状況のことです。
わかりやすく言うと、自分とその対象との間、
把握しようとするその対象と一つになる境地を指しています。
ですから「中を守るに如(し)かず」とは、つまり、
言葉で説明するのではなくて、その対象とぴったり一つになる、
つまりその「道」、自然の道理を体感する、経験するということです。
ここで、「道」とか「自然の道理」といえば
大それた事を考えてしまいがちですが、
わかりやすく言うと自分の日常の生活における
いろんな具体的な物事を経験し、工夫していく、ということです。
そういう各人の姿勢を守らせる、手助けする、ということは、
その物事を言葉で逐一説明するよりも勝(まさ)っているのだと、
そう言っているのです。
(後半部分へ続きます)
後半の記事
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