玄齋詩歌日誌

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老子

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日本刀
Photo by (c) Tomo.Yun
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『老子』の第四章の翻訳の後半です。
合計で 5,000 文字を超えていますので、
記事を前半と後半の二つに分けています。
 
この後半は個々の文章への解説の続きと現代語訳(意訳)と、
さらに感想を述べた部分です。
 
前半では原文と書き下し文と、個々の文章への解説の前半部分です。
 
 前半の記事
 
 
コメント欄は、この後半の記事の方にのみ設けています。
 
この点についてご了承願います。宜しくお願いいたします。
 
 
 
●(前半の解説の続きです)
 
 
ここで、唐の詩人の白居易(はくきょい)が、
「讀老子(老子を読む)」という漢詩の中で、
 
「言葉では言えないというのなら、なぜ老子は五千文字もの言葉を
 費やして、道のことを語っているのだろうか?」
 
という疑問を発していたのを思い出します。
 
 
そもそもこういう疑問を発する対象は、
何も『老子』に限ったことではないのです。
 
 
例えば『論語』にしても、一見するとまるで道徳のお題目を並べたような
この文章を学ぶことに、一体どんな意義があるのか、
 
兵法書の『孫子』に至っては、具体的な軍隊の動かし方など
一つも載っていなくて、
 
かと言って他の兵法書の『六韜(りくとう)』の後半部分では、
戦車を用いた軍隊の動かし方が具体的に載っていますが、
その部分は今の時代では何の意味もないのです。
 
 
そう考えていくと、古典全般を学ぶ意味とは何なのか、
ということを改めて考えさせられます。
 
 
この問題に関しては、『論語』の中でも考えることができます。
 
『論語』を読んでいくと、次の疑問が出てきます。
 
孔子は儒学という、一見すると通り一遍のことを教えているにも
かかわらず、なぜ弟子たちは金太郎アメのように同じような人間にならず、
このようにそれぞれが全く違う個性的な弟子たちになっているのか、
ということです。
 
 
学問を好んで自分の苦しい境遇にも安らいでいる顔回(がんかい)、
弁論が得意で商売が巧みでお金儲けが得意な子貢(しこう)、
勇猛果敢であらゆる困難にも取り組む子路(しろ)、
道徳の面では「十分ではない」といわれながらも、
学問、特に文学にすぐれていた子夏(しか)、
全く違う個性的な弟子なのです。
 
 
なぜこうなるのか? という秘密は、『論語』の言葉の中にあります。
 
『論語』子張(しちょう)篇の一節です。
 
 
(論語の原文)
 
子夏曰、博学而篤志、切問而近思、仁在其中矣。
 
 
(論語の書き下し文)
「子夏(しか)曰(いわ)く、博(ひろ)く学びて篤(あつ)く志(こころざ)し、
 切(せつ)に問いて近く思わば、仁(じん)はその中に在り。」
 
 
ここでの「仁(じん)」はもともとの「相手への慈しみ」という意味ではなく、
孔子でさえももったいぶって言わない意味での「仁」で、
ほとんど「聖人の道」と変わらない意味で使われています。
ここでは後半の「切(せつ)に問いて近く思わば」が重要なのです。
 
 
(論語の現代語訳)
 
孔子の弟子の一人、子夏(しか)が次のように言いました。
 
「多くのことを広く学んで大きな志を持ち、
 
 『切に問う』、つまり、
 儒学の書物のわからないところを、自分の日常の
 切実なところをもとに考えていき、
 
 『近く思う』、つまり、
 自分の日々の生活の身近なところを反省するために、
 儒学の書物の言葉を用いる、
 
 そうしていく中に、『仁(じん)』、つまりすぐれた徳と知恵を身につけた
 聖人(せいじん)の道が存在するのです。」
 
と。
 
(論語の現代語訳はここまでです)
 
 
ここに最も重要なことが書かれているのです。
 
一見するとまるでただのお題目のような『論語』の文章の
中身を覚えておいて、それを自分自身のいろんな具体的な
体験や事象の中に当てはめて考えてみると、
 
その『論語』の文章を理解する「自分なりの答え」が見つかってくるのです。
そこに聖人の道へつながる手がかりがあると、子夏は言っているのです。
 
『論語』という文章はただ一つとしても、
その人その人でそれを世の中と合わせて
考えていってたどりついた部分は異なっているのです。
 
ある人は実際の会社員としての日常を考えるために利用したり、
ある人は自分が把握したことを、全く違う形での詩歌に仕上げたり、
書や絵画という形にまとめ上げる人もいるかもしれません。
インプットするのはたった一つでも、アウトプットは星の数ほどあるのです。
 
 
『孫子』にしてもそうです。兵法について書いているだけのようですが、
その言葉を覚えていって、自分の身の回りを考えていく中で
人と論争するときの準備や、文章を書くときの論理の組み立て方、
人の上に立つ上でどのように行動していけばいいか、ということを
その人なりに考えていくことができるのです。
 
そういう具体的なものへの適用例を、
いちいち書き出す必要はないのです。
そのこと自体はその言葉を学んでいる人たちに任せればよいのです。
 
だからこそ、「道」、つまり「自然の道理」を具体的に体得させるために、
もっともっと簡単に言うと、各人の日常の工夫を助けて
よりよく生きていけるようにさせるために、
 
この具体的な部分を長々と話すことをやめて、
各人が具体的な状況の中で考えていって、
それぞれの体験の中で活かしていく
そのことを手助けすればよいのだということです。
 
 
これが、
 
「多言(たげん)は数々(しばしば)窮(きゅう)す、
 中(ちゅう)を守るに如(し)かず。」
 
という言葉の意味なのです。
 
 
以上をまとめると、次のような意訳になります。
 
 
 
●現代語訳(意訳):
 
 
天地は私心がないので、あらゆる物事をえこひいきをせずに、
あらゆる物事を祭りの時に使う犬の模型のように、
必要なときだけその物事を用いて、後は自由にさせておくのです。
こんなふうにあらゆる物事は同様に扱われるのです。
 
同じように、聖人(せいじん)、つまり高い徳と知恵を身につけた帝王も
私心がないので、特定の民衆をえこひいきにしたりせず、
祭りの時に使う犬の模型のように、民衆を必要に応じてのみ用いて、
後は自由にさせておくのです。
 
 
そんな天地の間に道、つまり自然の道理が存在する様子は、
 
「橐籥(たくやく)」、つまり刀鍛冶などが使う「ふいご」の
ようなものにたとえられます。
 
この「橐籥(たくやく)」の「橐(たく)」は空気を入れる袋で、
「籥(やく)」はそこに差し込んだ管のことです。
 
袋を縮めると、管から空気が送られます。
このようにして空気を送り込んで刀鍛冶の炉の燃焼を促進して、
温度を上げていく、というものです。
 
その橐(たく)の中は空っぽで空気がいっぱいに入っていて、
その働きを何かにおさえられることはなく、
 
袋を伸び縮みさせて動かしていくほど、どんどん空気が流れていって
その空気の流れが尽きることはないのです
 
そういうきわめてもきわめても、きわめつくすことの
決してできないものとして、天地の間のあらゆるところに
道は存在するのです。
 
 
そういう「道」、つまり自然の道理について多くのことを言うと、
何度も行き詰まってしまうのです。
 
それはなぜかと言いますと、
 
私が道について語っていることをあなたたちが具体的な物事に適用する、
つまりあなたたちが日常の工夫の中で考え、体験に活かしていくことは、
あなた方の手に委ねられているからです。
 
 
だから私は、「道」、つまり「自然の道理」をあなたたちに
具体的に体得させるために、もっともっと簡単に言うと、
あなたたち一人一人の日常の工夫を助けて
よりよく生きていけるようにさせるために、
 
星の数ほどあるこの具体的な部分を長々と話すのではなくて、
あなたたちが具体的な状況の中で考えていって、
それぞれの体験の中で活かしていく
そのことを手助けするほうがよいと思っているのです。
 
 
 
●感想:
 
 
今回の『老子』の一節を訳して解説していく中で、
僕が『論語』を読んでいて常に大切だと思っている部分も述べてみました。
 
 
それぞれの人が、それぞれの形で昔の人の立派な言葉を
活かしていってほしいなと切に思います。
 
僕自身もこれからしっかりと学んでいこうと思います。
僕なりに漢詩やいろんな形で、しっかりと活かせるように
努力していきます。
 

閉じる コメント(18)

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今晩はいつも特に嬉しいコメントありがとうございます。この漢訳に応援の☆ポチですよ!素晴らしいですね!

2012/2/7(火) 午後 6:37 [ 清水太郎の部屋 ]

清水太郎さん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
これからもきちんとわかりやすく訳していくことを心掛けます。
これからもがんばって学んでいきます。

2012/2/7(火) 午後 8:05 白川 玄齋

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今晩はいつも嬉しいコメントありがとうございます。いつも思います、これだけの素晴らしい仕事でねる間があるのかとわたしには出来ませんね!尊敬してますよ!いい作品書いてくださいね!

2012/2/7(火) 午後 9:40 [ 清水太郎の部屋 ]

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自分の生活のなかで考え工夫をしていくときに、古典や他人の文章に手助けをしてもらう、こういうふうに誰かの言うことの丸飲みでない方法でいけるのがベストなのでしょうね。傑作。

2012/2/8(水) 午前 2:22 ひろちん。

昔の方は偉大な方が本当に居られたのですね。特に漢国など、それにしてはあまり庶民には浸透していないみたいですが?
何れにしても人の道、偉い方のお教えをお手本に悔いなく生きて行きたいと、今日のブログからの感想であります。ぼち☆〜〜〜

2012/2/8(水) 午前 7:06 [ - ]

清水太郎さん、コメントありがとうございます。
他のブログ記事を更新している間も少しずつ作業をしていますので、
実際にはそれほど長い時間がかかっていないのです。
これからもきちんと訳していきます。

2012/2/8(水) 午前 8:13 白川 玄齋

ひろちんさん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
昔の古典は決して虎の巻の類ではないので、そういう言葉を手がかりに
各人それぞれの具体的な体験に照らして考えていく事が大切だと思っています。
『論語』にしても鵜呑みにできない箇所が何箇所かありますが、
その部分についても自分なりに考えていく必要があると思います。
これからもきちんと学びながら訳していきます。

2012/2/8(水) 午前 8:18 白川 玄齋

みなよさん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
中国は今の政治体制に変わる過程で、
儒学などは過去の遺物として排斥されていました。
魯迅も『孔乙己(コンイーチー)』という作品の中で、
儒学を痛烈に批判しています。
しかし現在はそういうものの大切さが見直されてきたそうで、
教育の過程に少しずつ取り入れられてきているようです。
その国の国民の中に忘れ去られているものが、
少しずつ戻ってきているのかなと思います。
僕ももっともっと漢文や古典を学んで、きちんと生きていこうと思います。

2012/2/8(水) 午前 8:24 白川 玄齋

解り易い説明、有難う御座いますm(__)m
言葉を尽くすと、本来の意味が見えなくなってしまう事が。
自分と向き合う事、なかなか出来ませんーー;
いい加減、ちゃんと向き合わないと、と反省しました。
ポチ☆

2012/2/11(土) 午後 2:43 [ 澤木淳枝 ]

澤木淳枝さん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
僕も何かを言うときに、要点をびしっと言いたいなと思うときがよくあります。
僕も無理のない範囲で、日々きちんと反省していこうと思います。
これからも日々学びながら、しっかりと訳していこうと思います。

2012/2/11(土) 午後 3:32 白川 玄齋

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こんばんは。
決して嫌みではなく、難解な暗号を読み解く名人に出会ったような心持がします(^^)v

どうすれば前後の文章を関連付けて、自らが納得できるように読むことができるか・・・考え抜かれた論説に、まず、拍手します。ポチ☆ポチ☆ポチ☆



天地不仁、以万物為芻狗。聖人不仁、以百姓為芻狗。

天地之間、其猶橐籥乎。虚而不屈、動而愈出。

多言数窮、不如守中。

2012/2/11(土) 午後 7:48 [ 56rinyahoo ]

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「天地不仁、以万物為芻狗。聖人不仁、以百姓為芻狗。」


玄齋さんの意訳は、蘇轍(そてつ)の註釈を参考にしつつ、さらに発展させているように思います。特に、素晴らしいと思った訳は、この箇所です。


『必要なときだけ用いられて、後は自由にしておくのです。こうしてあらゆる物事は同様に扱われるのです。』

2012/2/11(土) 午後 7:57 [ 56rinyahoo ]

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「天地之間、其猶橐籥乎。虚而不屈、動而愈出。」


「ふいご」の例えで何が言いたかったのか・・・その答えを玄齋さんは明示していますね(^^)v



『そういうきわめてもきわめても、きわめつくすことの決してできないものとして、天地の間のあらゆるところに道は存在するのです。』

2012/2/11(土) 午後 8:02 [ 56rinyahoo ]

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「多言数窮、不如守中。」


『孫子』の兵法、『論語』子張(しちょう)篇の一節を例示しての解説は、考え抜いた上での解釈でしょう。古典を深く読んでおられる玄齋さんだからできることです。
とても勉強になります。ありがとうございます(^^)。

2012/2/11(土) 午後 8:13 [ 56rinyahoo ]

56rinyahoo さん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
いつも丁寧なコメントを頂いて、とても嬉しいです。

僕自身ができる限り納得できるまで考え抜いて訳していれば、
読んだ方々にもきちんと通じるということがわかってきました。
これからも考え抜いた上での訳を心掛けていこうと思います。

(その2へ続く)

2012/2/11(土) 午後 10:03 白川 玄齋

(その2)

北宋の蘇轍(そてつ)や呂吉甫(りょきつほ)などの註釈で
言葉の意味を把握した上で、
自分なりのわかりやすい表現に翻訳することに気をつけています。
普段の漢詩の訳でも、できる限り気をつけています。

(その3へ続く)

2012/2/11(土) 午後 10:04 白川 玄齋

(その3)

その部分は「ふいご」の説明だけで終わってはいけないなと、
そう思いましたので、老子は何が言いたいのかを
繰り返して書くことに気を配りました。繰り返しになっても、
わかりやすくするためには必要だと改めて思いました。

(その4へ続く)

2012/2/11(土) 午後 10:05 白川 玄齋

(その4)

その『論語』子張(しちょう)篇の一節は、『論語』の、
ひいては古典作品を読む上での根幹部分だと思っています。
この一節を理解してから、どんな本を読むのも楽しくなってきました。
『論語』は一生を通して読んでいこうと思います。

56rinyahoo さんの懇切丁寧なコメントがとても嬉しいです。
これからもいろんな事を学びながら、しっかりと訳していこうと思います。

2012/2/11(土) 午後 10:06 白川 玄齋


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