|
●原文:
尋春 (明) 王陽明
十 里 湖 光 放 小 舟, 漫 尋 春 事 及 西 疇。
江 鷗 意 到 忽 飛 去, 野 老 情 深 只 自 留。
日 暮 草 香 含 雨 氣, 九 峰 晴 色 散 溪 流。
吾 儕 是 處 皆 行 樂, 何 必 蘭 亭 説 舊 遊。
●書き下し文:
題: 「春を尋(たず)ねる」
十里(じゅうり)の湖光(ここう)に小舟(しょうしゅう)を放ち、
漫(そぞ)ろに尋(たず)ぬ 春事(しゅんじ)の西疇(せいちゅう)に及ぶを。
江鴎(こうおう)に意は到りて忽(たちま)ち飛び去り、
野老(やろう)の情は深くして只(た)だ自(みずか)ら留(とど)まる。
日暮(にちぼ)の草香(そうこう)雨気(うき)を含み、
九峰(きゅうほう)の晴色(せいしょく)渓流(けいりゅう)を散(さん)ず。
吾(わ)が儕(ともがら)は是(こ)れ皆(みな)
行楽(こうらく)する処(ところ)、
何ぞ必ずしも蘭亭(らんてい)に旧遊(きゅうゆう)を説(と)かん。
●現代語訳:
題: 「春を尋ね歩いた様子を漢詩に詠みました」
十里の大きな湖の景色の中、小さな舟に乗って、
何ともなしに春の農作業が西の畑にやって来たかどうかを
人に尋ねていました。
川のカモメは私の気配を知ったのか、すぐに飛び立っていき、
そこに住む田舎の老人は、深い思いやりを持っていて、
自分の心をその場に留めて、他をうらやむこともないのです。
夕暮れの草の香りには雨が降りそうな気配が感じられ、
九華山(きゅうかざん)の山の晴れた景色の中、
谷川の流れが四方に分かれているのを眺めることができます。
私はこうして近くの遊び楽しむ場所を仲間としているのです。
どうしてわざわざかつて東晋(とうしん)の時代に、書道で有名な
王羲之(おうぎし)が当時の名士を集めて風流な宴会をした
蘭亭(らんてい)のことを説明する必要があるでしょうか。
●語注:
※湖光(ここう): 湖の景色のことです。
※春事(しゅんじ): 春の農作業のことです。
※西疇(せいちゅう): 西にある畑のことです。
「疇(ちゅう)」は畑、あるいは畑のあぜ道のことです。
※江鴎(こうおう): 川に生息しているカモメのことです。
※野老(やろう): 田舎の老人のことです。
※日暮(にちぼ): 夕暮れ時のことです。
※雨気(うき): 雨が降りそうな気配のことです。
※九峰(きゅうほう): 現在の中国の安徽(あんき)省の
青陽(せいよう)県の西南にある「九華山(きゅうかざん)」という山です。
※晴色(せいしょく): 晴れた景色のことです。
※行楽(こうらく): 遊び楽しむことです。
※蘭亭(らんてい): 中国の東晋(とうしん)の時代の政治家で書家である、
王羲之(おうぎし)が多くの名士たちを、今の浙江省紹興市の南にある
会稽山(かいけいざん)という山にある蘭亭(らんてい)という
別荘に招き、曲水の宴(きょくすいのえん)を開いたとする場所です。
※旧遊(きゅうゆう): 昔に行った風流な遊びのことです。
●解説:
明の儒学者の王陽明(おうようめい)の、
春を尋ねて散策する様子を詠んだ、七言律詩を訳してみました。
王陽明は陽明学という儒学の一派を開拓した人です。
大塩平八郎や幕末の志士たちがこれを学んで
影響を受けたとされています。
こうして聞くと、ともすれば反体制を煽るような考え方
という誤解もありますが、実際にはいたってまともな考え方です。
実践と道徳を重んじ、儒学というよりは、やや禅に近い考え方で、
経書(けいしょ: 儒学の書物)をもとに自分の心を養っていき、
人間がもともと持っている曇りのない心に立ち戻っていき、
聖人へと近づいていく、そういうことを説いたものです。
この「経書をもとに」というところが後継者の左派の中で
しだいに忘れ去られていって、一部に経書さえも不要だとする
危険思想に発展していったりしていきました。
儒学で「実践重視」とか言うと、
「実践はなかなか難しいですね」という方がよくおられます。
そのお気持ちがとてもよくわかります。
僕も何年も前に経書の内容を鵜呑みにして行動してひどい目にあって、
しばらく経書から遠ざかっていた頃がありました。
ここで反省して思ったのが、一足飛びに実践というものを焦らずに、
経書の内容を自分の具体的な状況に照らして考えていって、
少しでも自己の改善につながるようにしていく、
ということが必要だと改めて思いました。
「理解したように実践する」というよりは、
「少しでも実践に移せる形で理解していく」ということだと思いました。
漢詩の内容に戻りますと、春の景色を求めて散策していく光景が、
漢詩の中で展開されていき、風流な景色、楽しい状況は
常に目の前に広がっていて、自分とは全く無関係の、
趣向を凝らした風流な場所や状況をわざわざ考える必要はない、
という一種の悟りの境地のようなものを詠んだ内容だと思います。
こういう特別な風雅な場所を考える必要がない、
という「特別な風雅な場所」の例として、
蘭亭(らんてい)という場所を挙げています。
これは中国の東晋(とうしん)の時代の政治家で書家である、
王羲之(おうぎし)が多くの名士たちを今の浙江(せっこう)省の
紹興(しょうこう)市の南にある会稽山(かいけいざん)という
山にある蘭亭(らんてい)という別荘に招き、
曲水の宴(きょくすいのえん)を開いたとする場所です。
曲水の宴というのは、曲水(きょくすい)という
人工的に作った流れの曲がった小川に酒を注いだ杯を流して、
その杯が自分の前を通り過ぎる前に詩を作って杯を取り、
そのお酒を飲むという風流な遊びのことです。
三月三日の上巳(じょうし)の桃の節句の頃に行われていたそうです。
その王羲之(おうぎし)が西暦 353 年の三月三日に
蘭亭(らんてい)で行ったその曲水の宴で作られた詩の、
詩集の序文こそが、王羲之の有名な書作品である
蘭亭序(らんていじょ)になります。
こういう特別な場所ではなく、目の前にこそ楽しい景色が広がっている、
目の前の世界こそが極楽だ、という考え方には、
目の前の煩悩にあふれた現実の世界を極楽のように変えていこう
という『維摩経(ゆいまきょう)』で説かれる世界にも
通じているように思いました。
王陽明は宦官を弾劾して、逆に僻地に左遷させられたときに、
その僻地の大自然の中で、そういう境地を感じ取っていったのでは
ないか、そのように思っています。
こういう境地を僕も少しでも得られるようにと、
日々学んでいこうと思います。
●少し訂正(2月13日):
二句目の「漫 尋 春 事 及 西 疇。」の解釈を訂正しました。
書き下し文を、「漫(そぞ)ろに尋(たず)ぬ 春事(しゅんじ)の
西疇(せいちゅう)に及ぶを。」
と改めました。
「西疇(せいちゅう)」は西の畑のことで、
陶淵明の「帰去来辞(ききょらいのじ)」という詩の中で、
農人告余以春及, 農人 余に告げるに春の及べるを以てし,
將有事於西疇。 将に西疇に於て事有らんとす。 (訳) 農民は私に春が来たということを告げて、 西の方の畑で農作業をしようとしていました。 とある所から推測すると、「漫 尋 春 事 及 西 疇。」の訳は、
「何となく春の農作業が西の畑にまで及んでいるかどうかを
人に尋ねていました。」
となると考え直しました。
こういう所は常に学んでいこうと思います。
|
その他の昔の漢詩の解説
[ リスト ]





『こういう特別な場所ではなく、目の前にこそ楽しい景色が広がっている、目の前の世界こそが極楽だ、という考え方には、目の前の煩悩にあふれた現実の世界を極楽のように変えていこうという『維摩経(ゆいまきょう)』で説かれる世界にも通じているように思いました。』
↑
玄齋さんの読みの深さに驚いています。
王陽明は仏教にどのような姿勢で臨んだのか、中央政権での活躍を望んでいなかったのか、高官になっていたであろう友人にどのような思いをもっていたのか・・・いろいろ考えさせられました。ありがとうございます(^^)。
2012/2/12(日) 午後 6:56 [ 56rinyahoo ]
sakurajinyapoo さん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
三島由紀夫が陽明学という場合には、
三島由紀夫はどこをどう間違えて解釈していたのかなと思っていました。
王陽明は病気の中盗賊の討伐に四方を駆け回りながら学問を続けていった、
そういう人ですが、この詩などを見る限りでは人としての
自然の情があふれている、改めてそう思いました。
sakurajinyapoo さんは、どこかのお店で PC を借りて
操作しているのですね。ありがとうございます。
僕もこれからもがんばっていきます。
2012/2/12(日) 午後 9:21
56rinyahoo さん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
いつも丁寧なコメントを頂いて、とても感謝しています。
この詩は王陽明の全集の漢詩の原文に、僕が独自に書き下し文と
現代語訳をつけたものです。こういう作業はとても勉強になります。
(その2へ続く)
2012/2/12(日) 午後 9:22
(その2)
>> 『何 必 蘭 亭 説 舊 遊』
この手の結句のオチは唐の白居易の詩にもよくありますので、
「道は遠くではなくて自分の身近な所にある」
という一種の悟りの境地のようなものを詠んだものと考えていました。
(その3へ続く)
2012/2/12(日) 午後 9:23
(その3)
王陽明が九華山で隠者たちと問答をしていたという話もありますね。
九華山が出てくる詩は全集の中にまだいくつか見つかりました。
(その4へ続く)
2012/2/12(日) 午後 9:23
(その4)
貴州省の龍場というのは当時は言葉も通じない未開の地だったそうです。
そんな中で他の役人はギブアップしていったものの彼だけは何とか耐えていって、
政務をきちんとこなしながら自分の学問の境地を開いていったそうです。
(その5へ続く)
2012/2/12(日) 午後 9:24
(その5)
『維摩経(ゆいまきょう)』は何度も読んでいるお経の一つです。
維摩居士(ゆいまこじ)というお釈迦さんの弟子たちを論破するほどに
仏道に通じていて、その上で世の中で成功して蓄えた財産で人助けをする、
という理想的な人物が出てくるお経です。このお経を読むと
身近にこういう人が何人かいるなと思って嬉しくなります。
(その6へ続く)
2012/2/12(日) 午後 9:25
(その6)
王陽明は若い頃にいろんな分野に手を出していて、
朱子学の大成者の朱熹と同じように仏教や道教にも手を出していて、
その後やっぱり儒学だと考えて経書の勉強に戻っていきました。
そのために他の人よりもかなり遅い年齢に科挙に合格したそうです。
でも、このときの経験が彼の思想と用兵術の才能を
養っていったのかなと思いました。
(その7へ続く)
2012/2/12(日) 午後 9:27
(その7)
王陽明の学問の境地を示す名言がいくつかありますが、
その言葉は彼の門人たちがおもちゃにして、悟った風なことを口にしていたのを
陽明がたしなめる、そういう場面が彼の語録の『伝習録』によく出て来ます。
そういう名言よりもむしろ、こういう漢詩の中で自然に表現されているものこそ、
彼のたどり着いた境地をよく示しているものと、そう思っています。
これからもこういう人物の漢詩も訳していきたいなと思います。
いつも丁寧なコメントを頂いて、とても嬉しいです。
これからもきちんとがんばっていきます。
2012/2/12(日) 午後 9:28
この詩、放小舟なんでしょ、だから湖上に居るわけですは、
なのに及西疇とは辻褄があわないんだなこれが^^fukoちゃん変ですかね^^この詩の言いたいところは結聯でしょうけど、ここはウ〜〜ンと呻るところでんな^^
2012/2/12(日) 午後 11:16 [ f u k o ]
不孤さん、コメントありがとうございます。
僕も何で「西疇」で春なのに「西」なのかと疑問に思っていました。
あらためて調べて、やっとわかってきました。
「西疇」は陶淵明の「帰去来辞」に出てくる一節で、
「及ぶ」の意味もわかってきました。
農人告余以春及, 農人 余に告げるに春の及べるを以てし,
將有事於西疇。 将に西疇に於て事有らんとす。
(訳)
農民は私に春が来たということを告げて、
西の方の畑で仕事をしようとしていました。
この一節でようやく理解できました。
> 漫ろに尋ぬ春事の西疇に及ぶを。
として、
「春の出来事が西の畑にまで及んでいるかどうかを『質問』しました」
と考えられるのではと改めて考え直しました。
(その2へ続く)
2012/2/13(月) 午前 8:44
(その2)
結聯。。。僕も確かにわかりづらい所があったのですが、
白居易の五言絶句の『禁中』の中の、
好是修心處, 好し是れ心を修むるの処、
何必在深山。 何ぞ必ずしも深山に在らんや。
(訳)
(皇居の中という)この場所こそ心を正しくするのに良いところだと言えます。
どうしてわざわざ人里を遠くはなれた奥深い山へ行く必要があるでしょうか。
と同じような解釈のもとで王陽明は詠んでいたのではないかと推測していました。
他人の詩でなければいろいろと推敲したい所もありました。
今後もこういう所をもう少し突っ込んで理解していこうと思いました。
2012/2/13(月) 午前 8:49
fukoはこういう学者の詩は嫌いでネ^^ようするに几上の詩なんですよね^^
なぜ「十 里 湖 光 放 小 舟」この後にこれが来るのかネ^^
2012/2/13(月) 午後 9:52 [ f u k o ]
漫 尋 春 事 及 西 疇←こう云うのは、帰去来の辞からパクってきる^^←(これはfukoの爆笑のマークだとおもってくれ)。これは俺とお前の笑談だよ^^
結聯。。。僕も確かにわかりづらい所があったのですが居易の五言絶句の『禁中』の中の・・・・、
好是修心處, 好し是れ心を修むるの処、
何必在深山。 何ぞ必ずしも深山に在らんや。
↑
これはなんや、白居易のパロデーでっか^^
2012/2/13(月) 午後 10:07 [ f u k o ]
不孤さん、コメントありがとうございます。
改めて考えてみますと、確かにわざわざ船の上という舞台を
用意することも必要がないように思いました。
韻を消化するために頭の中で懸命に考えた部分、
そのようにも思いました。
(その2へ続く)
2012/2/13(月) 午後 10:09
彼の安岡正篤先生も昭和の陽明学者ですは。君も勿知ってるな^^
2012/2/13(月) 午後 10:12 [ f u k o ]
(その2)
その五言絶句は白居易の詩の全集の「閑適」の章にあった詩句です。
何だか全く同じ発想のように思っていました。
こういう悟境を詠む詩の共通点のようにも思いました。
> これは俺とお前の笑談だよ^^
了解しています。
こういう部分を突っ込んで考えるのも面白いなと思いました。
2012/2/13(月) 午後 10:15
> 安岡正篤先生も昭和の陽明学者です
安岡先生の『王陽明』と『禅と陽明学』がとても参考になっています。
朱子学についても『禅と陽明学』を読む中で詳しくなりました。
漢文についてのわかりやすい説明が、とても勉強になっています。
そこからさらに『伝習録』や王陽明の全集を読んで学んでいます。
この部分の勉強もずっと続けていきます。
2012/2/13(月) 午後 10:33
上品な趣がある詩だと思いました。
自然を描写した作品もいいですね。
2012/2/26(日) 午後 2:48 [ Kapok ]
Kapok さん、コメントありがとうございます。
自然を描写する中に、自分の気持ちを詠む、
漢詩を鑑賞する楽しみの一つだと思います。
こういう漢詩もきちんと訳していこうと思います。
これからもしっかりとがんばっていきます。
2012/2/26(日) 午後 5:59