玄齋詩歌日誌

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その他の昔の漢詩の解説

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大輪の菊
Photo by : 季節の素材とひな形 -Shangri_La-
http://kimi.cside.com/
 
この記事はモンゴルのチンギス・ハーンに仕えた
耶律楚材(やりつそざい)が詠んだ菊の漢詩の記事の後半部分です。
コメント欄もこちらにあります。
 
この後半部分では、現代語訳と解説を書いています。
原文と書き下し文と語注については、次の前半の記事を参照して下さい。
 
 前半の記事
 
 
以上のこと、ご了承願います。
よろしくお願いいたします。
 
 
 
●現代語訳:
 
 
題: 「黄華老人(こうかろうじん)と呼ばれた王庭筠(おうていいん)が
  詠んだ、『献陵(けんりょう)の呉氏(ごし)の成趣園(せいしゅえん)を
  題する』 という詩と同じ韻を使ってお返事を書きます。」
 
 
雪渓(せっけい: 雪で覆われた谷)という号のある王庭筠(おうていいん)
さん、あなたはの文人としての筆の技量は、その才能が
北斗七星のように輝いていて、
 
本の虫と言えるほどの読書家のあなたは、詩を一首書いておりましたね。
 
私は遅ればせながらそれに続こうと筆を操ってはいますが、
ひそひそとしたうわさ話の中で、(高い地位に就いている自分を)
批判するものもいないという残念なありさまです。
 
かつて成人の年齢になった詩人の陶淵明(とうえんめい)は
官職を辞めて去っていき、松や菊や竹を植えた俗世間から離れて住む
隠者(いんじゃ)の住まいで気ままに楽しむ、まさに、三友(さんゆう)、
つまり衰えた世の中で友とすべきものと言えるでしょう。
 
陶淵明はのんびりと菊の花を手にとって南の方の山々を眺めながら、
東の垣根で好きなようにお酒を飲んで、九月九日の重陽(ちょうよう)の
節句の日にお酒に酔っていました。
 
金の時代、献陵(けんりょう)という土地の呉(ご)さんと
言われた梁子直(りょうしちょく)という人は、荒れ果てた土地を耕して
一人で隠居をして過ごし、高い志をもってあえて王侯貴族に仕えることを
しない態度というものは、本当に自分のものにしたいものだと思います。
 
そういう風流で俗世間から離れた地で静かに寝て暮らし、
そのまま年を取って亡くなっていきました。
 
今年は天子(てんし: 皇帝)に付き従って長安の都を流れる
渭水(いすい)の川を渡り、かつてここで唐の詩人の王維(おうい)が
詠んだ詩にある別れを象徴するもの寂しい柳の木があるのを
悲しんでいました。
 
私は仙人のように隠居をする計画を梁子直(りょうしちょく)を見習って
隠居をしていこうと思っていましたが、美しい詩歌を詠むことさえも
あなた(黄華老人(こうかろうじん))に遅れを取ってしまいました。
 
音楽を理解する友人であっても、その友人がすでに昔の人に
なってしまえば、風流な琴の音色など聞くことができないのです。
それは弦が切れた琴と同じなのです。
 
高い所で風に向かって立って、心を痛めながら、
薄絹の布で覆われた高価なお酒を飲んでいます。
 
ああ、私はただ名誉や利益にあくせくして世の中を渡っていく
そんなただの人になってしまいました。
 
かつて陶淵明(とうえんめい)のように俗世間から隠れて
自然の中で生活をすることに
憧れていたかどうかさえ忘れてしまっているのです。
 
 
 
●解説:
 
 
この漢詩は、チンギス・ハーンに仕えた耶律楚材(やりつそざい)の、
それ以前に金の王朝の官僚であった頃の漢詩です。
 
耶律楚材は、もとは宋に攻め込んで中国の北半分を占領した
北方の騎馬民族である女真族(じょしんぞく)の国である、
金(きん)に滅ぼされた遼(りょう)という国の王族の末裔で、
彼の父は金の国の宰相まで務めていました。
 
彼の父は若い頃になくなっていて、漢人の厳しい母親の手で
育てられました。その後、宰相の息子と言うことで科挙を免除されて、
その代わりの試験で主席を取って、官僚として出世していきました。
 
その後、金がモンゴルに滅ぼされた後は、チンギス・ハーンに
捕らえられて、天文と占いに通じていた彼を漢語の翻訳係として
任用しました。
 
その後、中書令(ちゅうしょれい)という地位に就き、これは中国の
官僚制度では宰相を意味する地位で、元の漢文の歴史書である
『元史』には占いを通じて重要な政治の助言をして、
チンギス・ハーンの後継者の決定にも関わったとされています。
 
しかし、実際にチンギス・ハーンが重用していたのはモンゴル人の次には
イスラム商人であり、漢人やその他の人たちは冷遇されていました。
 
当時は中書令(ちゅうしょれい)と言われながらも、
実際には漢語への翻訳係の長という地位であったとされています。
 
しかしながら、南宋を攻めるときに漢人を皆殺しにしようと
していた所を彼らから税金を取って国庫を豊かにしましょうと
諫めて彼らを救ったり、孔子の子孫を保護して儒学の保護を
するように進言してその実現に努めたりしたことなどは、
後世への貢献が大きかった所だと思います。
 
 
日本人の視点から考えてみると、もし彼の活躍がなければ
モンゴルは漢人たちを組織することができずに、
元という国を作れずに元寇は起こらなかったのかもしれない、
などと考えることもできますね。ここはあくまでも歴史のロマンの世界です。
 
 
漢詩は耶律楚材が金の王朝に仕えていた頃に、
九月九日の重陽(ちょうよう)の節句に黄華老人(こうかろうじん)という
号の王庭筠(おうていいん)という人に宛てて、
 
王庭筠(おうていいん)が同じく金の時代の隠者であった
梁子直(りょうしちょく)が成趣園(せいしゅえん)という土地に移り住んで、
田園詩人と言われた東晋の詩人の陶淵明(とうえんめい)のように
暮らしていたことを詠んだ漢詩に、彼が唱和して詠んだ漢詩を
返事として送ったものです。
 
この九月九日の重陽(ちょうよう)の節句に日には、
高い丘に登って、茱萸(しゅゆ: かわはじかみ)の
実のついた枝を頭にさして、菊の花を浮かべた酒を飲んで
邪気を除く行事が行われました。九は、易では陽のめでたい数を
示しています。重九や重陽は九が重なるという意味です。
 
その様子が陶淵明の「飲酒 其の五」という詩に描かれています。
その一節を以下に示します。
 
(陶淵明の詩の原文)
 
采菊東籬下、悠然見南山。
 
 
(陶淵明の詩の書き下し文)
 
菊を東籬(とうり)の下(もと)に采(と)りて、
悠然(ゆうぜん)と南山(なんざん)を見る。
 
 
(陶淵明の現代語訳)
 
菊の花を東の垣根のところで摘み、
ゆったりとした気持ちで、廬山(ろざん)の壮大な山を眺めていました。
 
(ここまでが陶淵明の詩の現代語訳です)
 

それをもとに、現在の金の国での隠者の二人が陶淵明のように
過ごしているのに対して、彼自身は官僚生活に拘束されている、
それを嘆いた詩です。
 
その嘆きを「知音(ちいん)」という言葉のもととなった
故事を引用しています。
 
知音(ちいん)は、老荘系の書物の一つである『列子(れっし)』の
「湯問(とうもん)」篇の一節がもとになっています。
 
秦の始皇帝が中国を統一する以前の春秋戦国(しゅんじゅうせんごく)
時代に、琴の名手の伯牙(はくが)の弾く琴の音を聴いて、
親友の鍾子期(しょうしき)は伯牙の心境を理解したことから、
 
音楽を理解する者という意味から転じて、心をよく理解しあった
親友のこと知音(ちいん)と言います。
 
さらにこの話の続きで、「断弦の琴(だんげんのきん)」という話があります。
その後に親友の鍾子期(しょうしき)が病気で死んでしまうと、
伯牙は弦を断ち切って二度と琴を弾くことが無かったという話から、
断弦の琴(だんげんのきん)は、そんな親友は滅多にいない、
ということを示す言葉です。
 
親友の鍾子期(しょうしき)を失った伯牙(はくが)のように、
金の時代の隠者二人とともにそういう風流な時期を過ごす機会を
逸してしまっていて、自分の気持ちさえも変わってしまったのではないか、
そんな耶律楚材の嘆きを感じる詩に思いました。
 
社会に関わることが通常である現代では理解することが難しい
考えですが、宮廷の中での権力争いを避けて、
田園にこもって隠居生活をする、そういうものを良しとする
考え方が存在していて、耶律楚材もそういう考え方に憧れていたのです。

それにしても、このような故事をふんだんに用いた長い詩を
作った耶律楚材という人物は、もしかしたらチンギス・ハーンに
もっと重用されていたのかもしれない、などと改めて考えていました。
 
 
こういう詩をきちんと学んでいって、
普段の作詩に役立てていこうと思います。
 

閉じる コメント(22)

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世の中は65歳定年制とかで、隠居してのんびり菊を育て愛でるという生活を許してくれないようです。まあ昔から老後に静かなところに住んで遊ぶということの出来るひとはごくごく僅かだったのでしょうけど。この時代の高級官僚もすごい退職手当や生活資金が出たのでしょうか?^^; 傑作。

2012/2/22(水) 午後 2:09 ひろちん。

ひろちんさん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
風光明媚な所に田畑を買って、菊の花を愛して過ごす、
それを可能にするだけの給金や退職金をもらっていたということが、
改めて想像できました。そういう所も意識の違う所ではないかと、
僕も改めて思いました。考えてみるとすごい生活ですね。

2012/2/22(水) 午後 2:54 白川 玄齋

勉強をし偉くなられてもやがて静かに菊を眺めなから年を取り生きて行きたいと思うのも人間でありましょうか?・・・・・ぼ☆〜〜〜

2012/2/23(木) 午前 4:56 [ - ]

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ジンギスカンに関しては 「青き狼」という小説を読んだくらいの事しかないのですが、元寇がなければ・・・なんて
考えてみると、日本の歴史にも影響があったのかも。??

菊は強い花で、「仏さんの花」のイメージが強いけれど
普段の花としてもすきなんです。母の母が「きく」という名前でした。強いように・・・という事だそうで。

2012/2/23(木) 午後 2:20 ある おかん

みなよさん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
耶律楚材も金の宮廷に仕えていた頃からエリートですので、
そこまで地位をきわめた人にしか本当の気持ちが
分からないようにも思います。僕もほんの少しでも
理解できたらいいなと思っています。
いろんな事をじっくり学んでいこうと思います。

2012/2/23(木) 午後 4:57 白川 玄齋

ある おかんさん、コメントありがとうございます。
チンギス・ハーンに耶律楚材が仕えていなければ、
元寇が起こらなかったのでは、などと空想していました。
菊は寒さにもかなり耐える強い花だと聞きました。
ある おかんさんのお祖母様の名前も、そんな願いが
込められているのですね。とても良い名前だと思います。
こういう長い漢詩も訳すのに挑戦していこうと思います。
これからもきちんと学んでいきます。

2012/2/23(木) 午後 5:01 白川 玄齋

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この時代の歴史は複雑ですね・・・
中国各地に王朝が並立している時でもありました

陶磁器の世界でもこの時代のものが最もすぐれていると評価されています
モンゴル人が漢詩を好んだとは思えないふしがありますが、懐の広い国ですから、人材も多いですね・・

記事にポチ

2012/2/23(木) 午後 5:07 [ 夢想miraishouta ]

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この時代の中国人と日本人の感性はよく似ていたのでしょうね・・・
陶淵明の詩は教科書にも出ていました・・・

2012/2/23(木) 午後 5:09 [ 夢想miraishouta ]

夢想miraishouta さん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
夢想さんの所でお見かけする陶磁器も、元の時代のものがありましたね。
当時は陶磁器も優れていたのですね。すごいですね。
当時のモンゴルには世界各地の人材がいましたので、
兄弟で領土を分割することがなければ、すごいことに
なっていたのではと思います。
これからもいろんな歴史を学んでいこうと思います。

2012/2/23(木) 午後 5:10 白川 玄齋

夢想miraishouta さん、コメントありがとうございます。
岩波文庫の『陶淵明全集』は最初に買った漢詩集ですので、
とても印象に残っています。この時代の人々の感性を
少しでも身につけたいなと思いました。

2012/2/23(木) 午後 5:12 白川 玄齋

2012/2/23(木) 午後 5:12 の鍵つきの内緒さん、
コメントありがとうございます。
その入院されている方にはくれぐれもお大事に
なさって下さいとお伝え下さい。
治療が何より大切だと僕も思います。

2012/2/23(木) 午後 5:31 白川 玄齋

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歴史を知らないと世界も芸術も見えませんね

2012/2/23(木) 午後 10:21 [ 夢想miraishouta ]

壮大な中国歴史の大河の中で陶淵明の人となりがぼんやりとながらも浮かび上がってきました!
此の詩の作者が淵明に続く二人を偲ぶことによって自分もその様に生きる生き方に共鳴すると宣言し
更にその様な友は伯牙と鍾子期の絆の如く貴重なものだと主張するこの詩に
禅の系譜にも似た生き方の共鳴の系譜を感じました
ありがとうございました!

2012/2/24(金) 午前 0:13 [ guutaratei ]

お早うございます
短歌を習い始めた頃は難しければ難しい程、習い覚えた事に感激し嬉しかったものですか、老いて来るともうとにかく、沢山の物に挑戦する力がなくなってくるのです。こんな自分になろうとは夢にも思っていませんでした。
哀しいかなこれが本当の真実です。歌だけは死んでも放さないぞと夢中になってたのに、それすら止めてしまうと行った。しかし心の中からpcを初め二、三の近所の方と死ぬ迄やろうと云う気はぬけてはいません。それも楽しみながらと云う程度です。
以上お読み下されば私が何を言わんとして居るかがようくお判りと思います。
せっかく判り安くかみ砕いてお書きくだされても、もし私の為でしたらお止め下さい。
何時もお出で下さいますのに、申し訳なく思って居ります。ぼちほし〜〜〜

2012/2/24(金) 午前 6:57 [ - ]

夢想miraishouta さん、コメントありがとうございます。
一方で歴史だけ知っていて、身の回りのことには何もできない、
そういう人間が大きな態度をしていることも結構ありまして、
それはそれで別の問題がある上に、多くの人を歴史から遠ざける
結果になりかねませんので、そういう所はきちんと僕も
そういう人間を反面教師にしながら、日々がんばっていこうと思います。

2012/2/24(金) 午前 7:22 白川 玄齋

guutaratei さん、コメントありがとうございます。
風流の友を大昔の詩人に求める、こういう事こそ「尚友(しょうゆう)」、
書物の中の昔の人を友とする、ということだと改めて思いました。
伯牙と鍾子期の話は調べてみると面白いですので、
その部分の漢文を訳してみようと思います。
禅はまだきちんとは理解しておりませんので、
こちらも着実に学んでいこうと思います。

2012/2/24(金) 午前 7:28 白川 玄齋

みなよさん、コメントありがとうございます。
分かりやすく書いているのは、みなよさんだけでなく、
いろんな人を読者の対象にするためですので、
ご負担に感じられなくても良いですよ。
不孤さんに「漢詩は平易に作りなさい」と言われたときに、
その言葉がとても心にしみてきまして、他のいろんな記事、
翻訳等をしていくときにも、できる限り平易に書いていこうと
心掛けるようになってきました。その延長で現在まで来ています。
そのおかげでいろんな人に読者になっていただいて、
ツイッターやフェイスブックでも、リンク先のこのブログの記事を
読んで下さる方がとても多くなってきたのが嬉しいです。
これからもきちんと分かりやすく訳していきます。

2012/2/24(金) 午前 7:33 白川 玄齋

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頑張れ玄さん!いつも優しく噛み砕いた漢文、語彙説明、惜しまない労力に感謝!どうもジンギスカンでないと我々世代はピンとこない。カーンになって久しいが何時からかな。ポチ☆!

2012/2/25(土) 午前 8:43 sak*raj*nya*oo

2012/2/25(土) 午前 8:31 の鍵つきの内緒さん、コメントありがとうございます。
ありがとうございます。いろんな配慮をしていただいて、とても嬉しいです。
今日も暖かいので身体が楽です。明るく過ごしていこうと思います。

2012/2/25(土) 午後 1:21 白川 玄齋

sakurajinyapoo さん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
今後もできる限り分かりやすく書いていくことを心掛けます。
「ジンギスカン」に「チンギス・ハーン」、いろんな呼び方があって、
統一がされていないのも呼び方に迷う所です。
これからもしっかり学んで訳していこうと思います。

2012/2/25(土) 午後 2:02 白川 玄齋


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