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この記事は唐の詩人の盧仝(ろどう)が詠んだお茶の漢詩を
翻訳したものの後半部分です。
この前半部分では、その漢詩の現代語訳と解説を書いています。
原文と書き下し文と語注については、次の前半の記事を参照して下さい。
コメント欄はこの後半の方にあります。
前半の記事
普段漢詩や漢文になじみのない方は、この後半の現代語訳から
目を通していただけると分かりやすいと思います。
私は最も大切なのはこの漢詩の中に何が書いてあるかだと思っています。
それをできるだけ分かりやすく説明していくことに努力しております。
以上の点を、ご了承願います。
よろしくお願いいたします。
●現代語訳: 題: 「諫議大夫(かんぎだいふ)という天子(てんし: 皇帝)を諫める
官職にいる孟(もう)君が新茶を詩を詠んだ手紙とともに 送ってきたので、感謝の意を込めて、急いで走り書きして作った詩です」
昼間の太陽は、一丈五寸(約 230cm )の高さにあって、
眠気がさらに強くなったときに、
朝っぱらから将軍が急ぎの用事で門を叩いて、
孔子も尊敬したという政治家の周公(しゅうこう)を驚かすような
真似をするのは誰なのでしょう(孟諫議(もうかんぎ)ですね)。
門番によると、白い絹の手紙を縄で縛り、その縄の三箇所の結び目に
印泥(いんでい: 朱肉のこと)をつけて印を押して、
厳重に封印をした手紙が来るではないですか。
封筒を開けてみるとまるで君(孟諫議(もうかんぎ))の懐かしい顔を
見るような気持ちになりました。
今、私(盧仝(ろどう))の手には、君が贈ってくれた選りすぐりの
「団茶(だんちゃ)」、つまり茶の粉を練り固めた
上等のお茶の玉が三百個あります。
聞くところによれば、(孟諫議は)新年に山の中に入って、
冬眠をしていた虫たちが春の風が吹くのに驚いたそうですね。
天子(てんし: 皇帝)は必ず陽羨(ようよう)の土地で取れたお茶を
飲まれますね。多くの草たちは、そのお茶を摘むまでは、
緑の葉を茂らせることはないのです。
(草木さえも、天子へのお茶が出来上がるのを待っているのです)
天子の慈しみにあふれた気持ちが、玉串(たまぐし)のように美しい、
多くの人材を集めることになり、
春の前に(お茶の)見事な黄金の芽が抜き出てきます。
お茶の葉のすぐれたものだけをつみ取って、
お茶の葉のかぐわしいものを火であぶり、そして束にしてまとめていき、
選りすぐってとても良いものであるのに、
驕ることもない、そんなお茶になるのです。
そんな高級なお茶が最も尊い地位(天子)に献上された残りは、
それに次ぐ王侯貴族の身分の高き人たちの所に行くのです。
どうしてこんな、山中に隠れ住む私のような者の家に
やって来たのでしょうか(君(孟諫議(もうかんぎ))にとても感謝します)。
この粗末な家の門を閉じたおかげで
かえって風流を理解しない訪問者はいなくなり、
身分の高い人がかぶる薄絹で作った帽子は、
カゴの先に引っかけて、ただそういうお茶を飲むだけです。
青く澄んだ雲のようなお茶の色は風に引っ張られて絶えず動いており、
水の泡が光に照らされて茶碗の表面に集まっています。
一杯目を飲むと喉(のど)と口元を潤して、
二杯目を飲むと、孤独の苦しみからも解放されます。
三杯目を飲むと、詩の浮かばない腹の中を探っていって、
ただ五千巻にも及ぶお経があるのを思い出すだけなのです。
四杯目を飲むと、軽い汗を流して、
普段、心に思っている不平不満が、すべて毛穴から抜け出ていくのです。
五杯目を飲むと、身体の全身が清らかになり、
六杯目を飲む頃には、仙人の世界にも通じてきます。
七杯目はもはや飲むことができなくなり、
ただ両脇に清らかな風がそよそよと吹いてくるのを感じます。
仙人がいる山の蓬?山(ほうらいさん)は、どこにあるのでしょう。
玉川子(ぎょくせんし)と号する私は、
この清らかな風に乗って、仙人の世界へ帰っていこうと思います
山の上の多くの仙人たちは人間の住む土地を管理して、
地位はまさに気高いものとなって、
世間の辛い出来事からも離れていられるのです。
どうして百万億にも上る多くの民衆たちの運命など
知ることができましょうか。
もし知るとすれば仙人は険しい山の頂上から落ちて、
民衆と同じように艱難辛苦に苦しむ事になるのです (そう、今の私(盧仝(ろどう))のようにです)。
だから諫議大夫(かんぎだいふ)という地位にある君は、
民衆に次のことを質問してみなさい。
結局のところ、再び民衆の彼らが一息ついて
安らぐことができるかどうかを。
●解説: この漢詩は唐の詩人の盧仝(ろどう)が友人の孟諫議(もうかんぎ)が、
新茶を手紙とともに贈ってくれたことに急いで返事として詠んだ漢詩です。 諫議(かんぎ)は諫議大夫(かんぎたいふ)という官職名を示します。
政治の成功と失敗を論じて、天子の過ちと政治上の問題点を
諫める官職です。友人は諫議大夫(かんぎたいふ)の孟(もう)さんです。
この孟さんを詩の中では孟諫議(もうかんぎ)と表記しています。
彼(孟諫議(もうかんぎ))が友人の盧仝(ろどう)のために
高級なお茶を持ってきてくれたのです。
それに対するお礼を述べた漢詩になっています。
他の方のサイトでは、この詩をいろんな風に訳していますので、
詩のタイトルを簡体字に変換した上で検索し、
中国ではどのように解釈されているかをもとに、
今回の翻訳を検討して、今回 UP しました。
漢詩の会の方々に連絡した後も何度か手直しをして、
時間がかかっておりました。ようやく出来上がってほっとしています。
盧仝(ろどう)(西暦 795 〜 835 )
(日本語版 Wikipedia は三月六日の時点では不正確です))
は、唐の時代の詩人で、河南省の済源(さいげん)の出身です。
済源は済水(さいすい)という川の源流付近の場所で、昔はそのまま
海につながっていましたが、今は黄河と下流域で合流しています。
さらにこの済源は玉川(ぎょくせん)という
別名で呼ばれ、これを盧仝は自分の号としています。
子どものときは貧しい家に生まれましたが、蔵書だけはたくさん
ありましたので、それをもとに勉強して、二十歳になる頃には
盧山(ろざん)の山に隠居していました。
ここで常に作詩をしていて、僧侶の方からの依頼をもとに
作詩をすることで生計を立てていたそうです。
朝廷は何度も彼を召し抱えようとしましたが、
決して応じようとはしませんでした。
当時の河南県の県令(けんれい: 県知事)であった、
詩人としても儒学者としても有名な韓愈(かんゆ)が、
彼の才能と高い志をとても評価していました。
一方で彼は友人をとても大切にしており、
常に手紙等をやりとりをして礼を尽くして応対していました。
そんな彼の作ったこの漢詩も、お茶を贈ってくれた友人への感謝と
恩情にあふれたものです。この詩は唐の陸羽(りくう)が著した
茶の本である『茶経(ちゃきょう)』と並び立つほどに有名で、
常に吟詠の対象として広く親しまれているものです。
では、内容の説明です。
殷の紂王(ちゅうおう)を討伐して周王朝を開いた武王(ぶおう)の弟の
周公旦(しゅうこうたん)の門を叩いて起こす、などという大げさな表現や、
政治上の過ちや天子の個人的な過失を諫める諫議大夫(かんぎたいふ)
の地位を示すような手紙のように描いて、
友人への深い敬意を示しています。
その後、その優れたお茶の産地を説明しながら、高級なお茶は、
まずは太平の世をもたらしてくれる天子(皇帝)に献上され、
その残りも王侯貴族の口にはいるような、そんな大層なものを
山奥に引き籠もっている私に送ってくるとは。。。という 友人からの贈り物への感激と、盧仝自身への自嘲の 気持ちを込めて詠んでいます。
盧仝自身は山中に引き籠もって俗世間を離れて暮らし、
君からくれたお茶をおいしく頂いているよ、と続いています。
このあとお茶を七杯飲もうとする、有名な箇所に続いています。
一杯目では口元と喉の渇きを癒し、
二杯目では孤独の苦しみが癒され、
三杯目では詩を作ろうという気持ちを起こしても、
仏教の経典をまとめた『大蔵経(だいぞうきょう)』の
五千巻を思い出すだけだと、
お茶の偉大さに圧倒されそうな大層な表現です。
四杯目では心の不平不満が汗とともに流れ落ちて爽やかになっていき、
五杯目では身体が清らかになり、
六杯目では仙人と同じような境地になり、
そして七杯目はもう飲むことができなくなって、
両脇に吹いてくる爽やかな風に乗って仙人が住むという
蓬莱山(ほうらいさん)まで飛んでいこう、
というような、スケールの大きな話にまで展開していきます。
仙人の高い山にいれば、今の民衆の苦しみは耳に入らないけれども、
私はそんな民衆の苦しみを知って心が乱れたために、
そんな高い所から落ちてきて、そして民衆と同じ苦しみを味わっている、
自分はそんな、仙人の国から落ちてきた人間なのだと、
だからこのお茶によって生じた風で、仙人の国へ戻りたいのだと、
そう述べています。とても気高くて想像力豊かな部分ですね。
私(盧仝(ろどう))は仙人の国へ行くから、
君はその官職にふさわしい仕事をしてほしいと、
天子や政治の過失を諫めて、
民衆を一息つかせる状況に持っていってくれと、
友人の孟諫議(もうかんぎ)に願いを託しています。
これはおそらく、盧仝なりの友人へのエールだと、僕はそう思いました。
この頃は宦官(かんがん)という、去勢されて天子の身の回りの
お世話をする役人に、権力を牛耳られていて、
民衆の苦しみに満ちていたときでした。
時の皇帝の文宗(ぶんそう)は宦官たちを争わせて一網打尽に
皆殺しにしようと謀略を巡らしますが、寸前で発覚して、
反対にこの謀略に関わった官僚たちが大量に逮捕されて処刑されました。
これは甘露の変(かんろのへん)と呼ばれるものです。
盧仝自身も、ある高官の屋敷の宴会に招かれてに来ていた所を
逮捕され、彼自身はこの謀略とは無縁だったのですが、
巻き添えを食らって処刑されました。
そんな世の中でしたので、盧仝がこの友人に託した思いは
相当なものだったのだろうと、そのように思っています。
この漢詩を学びながら、盧仝の詩人の心を学んでそこから僕自身の
詩人の心も養っていきたいなと思います。
これからもしっかりと学んでいきます。
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その他の昔の漢詩の解説
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余談ですが、諫議大夫という官職は唐王朝の第二代皇帝である太宗のときに作られたようですね。
貞観政要(太宗と家臣の対話を記したもの)の分かりやすい解説書(谷沢永一氏と渡部昇一氏の対談)を売ってましたので注文しました。
玄齋さんのおかげで中国史にも興味がでてきました。とても感謝しております(^^)。
2012/3/7(水) 午後 10:17 [ 56rinyahoo ]
56rinyahoo さん、コメントと傑作ポチ、ありがとうございます。
いつも丁寧なコメントに感謝しています。
昨夜から明日の病院への通院の準備をしています。
リコメはその帰宅後にじっくりと行っていきます。
病院に資料を持っていって、読んだ上でしっかりとコメントいたします。
ちなみに、僕が今回参照しているサイトは以下のサイトです。
文字が簡体字(かんたいじ)の中国語ですので、
Google の翻訳サイトなどで繁体字(はんたいじ)に変換すると
少しは読みやすくなります。
Web サイト: 走筆謝孟諫議寄新茶 - 百度文庫
http://baike.baidu.com/view/1124430.htm
いつも丁寧なコメントに感激しています。
感謝の意味を込めて帰宅後にきちんとしたリコメをしていきます。
よろしくお願いいたします。
2012/3/7(水) 午後 10:21
昔の韓国は素晴らしい高徳な方々がおられたのですね。そしてお茶に対しての礼状の文、素晴らしいお茶がこの国にも有ったなら政官の人々にも飲んで貰い、金の猛者にならず民を安らげてくれるでしょうね・・・・。
ぼちほし〜〜〜
2012/3/8(木) 午前 6:39 [ - ]
お久しぶりです。
ちょうど、テストも終わり、ゆったりとしているのでコメントをしました。
お茶の漢詩は、学校でも塾でも見たことがないので新鮮さを感じます。
まだまだ、自分が知っている以上に漢詩がいっぱいあることを学べてうれしいです。
もっと、色んな漢詩を玄さんの漢詩を読んで学びたいと思います。
2012/3/8(木) 午後 3:58 [ korikori1997 ]
56rinyahoo さん、先ほど帰宅しました。改めてコメントいたします。
コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
いつも丁寧なコメントを頂いて、とても感謝しています。
感謝の意を込めて、これからしっかりとコメントしていきます。
漢詩の会の方々と直接お会いする機会がない現状では、
こういう貢献をきちんとしていきたいなと思います。
今回、翻訳が完成してほっとしています、
何点か、訂正した点がありますので、確認していただければと思います。
(その2へ続く)
2012/3/8(木) 午後 8:39
(その2)
括弧書きの部分は、註釈をもとに付け加えています。
直訳だけだと分かりづらい部分がありますので、
こういう所にも配慮していこうと思います。
> もし知るとすれば仙人は険しい山の頂上から落ちて、
> 民衆と同じように艱難辛苦に苦しむ事になるのです
> (そう、今の私のようにです)。
ここは他の人との訳と違う所です。
他の訳では天子(皇帝)や高官が仙人の国のような所にいて、
民衆のことを省みない、そんな風に訳していますが、
これは盧仝(ろどう)自身が仙人の国から落ちてきた存在だと、
それは民衆の苦しみに心を乱された結果であると、そう言いたかったのです。
私は再び仙人の国へ行くから、私を安心させるためにも、
君には君の職務をきちんと勤めあげてほしい、そう言いたかったのだと思います。
(その3へ続く)
2012/3/8(木) 午後 8:40
(その3)
> 玄齋さんの解説文を拝見するまで、最後の文章(結論にあたる)を
> どのように理解すべきか分かりませんでした。
> 「民衆に問いなさい・・・今の暮らし向きはどうですか」と
> 助言しているようですが、盧仝は傍観者のように思えたのです。
盧仝はある意味で盧仝自身が傍観者に過ぎないことを自覚していて、
だからこそ友人にかける期待、応援が大きかった、そのように思います。
漢詩が巧みであった彼なりの、国と友との両方を思う気持ちの表明だったと思っています。
(その4へ続く)
2012/3/8(木) 午後 8:41
(その4)
そこで僕が「エール」と解説しました。
友情の大きさを、この詩に深く込めていると思います。
国政に参与しない彼なりの、全力を漢詩に投じたのだと思いました。
(その5へ続く)
2012/3/8(木) 午後 8:42
(その5)
56rinyahoo さんの質問に答えるべく、
通院の待ち時間の間に資料を探っていきました。
> 友人の孟諫議が盧仝に送った文章は、茶(希少で高価です)を送ります
> というだけの内容だったのか。
孟諫議が送った手紙の内容は、確認することができませんでした。
ただ、国政に対するアドバイスを孟諫議が盧仝に求めた、
というのは考えづらいように思います。
二十歳で隠遁生活をして官僚としての生活をしたことのない盧仝に、
孟諫議が国政について尋ねたり、国政に関する具体的な悩みを
打ち明けたりすることはなかったのではと思います。
孟諫議の方も盧仝に対する配慮をして、風流な友(盧仝)に対して
きちんと接していたのではないか、そんな風に想像しています。
(その6に続く)
2012/3/8(木) 午後 8:43
(その6)
> 一杯、二杯、三杯と茶を飲んだ時の様子を何故、盧仝は書いたのか。
> 仙郷に向かう(世俗を離れる)ための準備(?)だったのか。
註釈を読んでみますと、「孟諫議からもらったお茶に対する最高の賛辞」ということでした。
もはや七杯目は口にできないほどに素晴らしい。。。こんなお茶を頂いて感激しています。
そういう盧仝の気持ちを表現しているものだと思います。
(その7に続く)
2012/3/8(木) 午後 8:44
(その7)
> 茶の贈答を受けたお礼状(この詩文)を見て、
> 孟諫議はどのように思ったか。
この詩の後日談も確認できない所でした。
この後に盧仝は、宦官に権力を乗っ取られた時の皇帝の文宗(ぶんそう)が、
宦官同士を争わせた後に彼らを皆殺しにしようという謀略を実行し、
寸前に発覚して返り討ちに遭い、反対にそれに加わった高官たちが逮捕されて
処刑される、という「甘露の変(かんろのへん)」の巻き添えを食って、
何も関係がなかったのに同様に逮捕され処刑されました。
もしかすると孟諫議は自分の職務を果たそうと天子に上奏して、
宦官が権力牛耳っている現状を諫めたのではないかと、
そのために孟諫議と友人の盧仝がともに悲劇に見舞われたのではないか、
そんな風に思い浮かべていました。これは僕の歴史のロマンの中の想像です。
(その8へ続く)
2012/3/8(木) 午後 8:44
(その8)
『貞観政要』は太宗(たいそう)を諫めた魏徴(ぎちょう)が特に有名ですね。
この主従はとんでもない二人なのです。。。
魏徴(ぎちょう)は唐の高祖である李淵(りえん)の長男である李建成(りけんせい)に
仕えていて、李建成の弟である李成民(りせいみん: 後の唐の太宗)を討つように
進言していました。
李建成が李成民の弓で殺された後、魏徴は李成民のもとへ行って、
国政の内容などを諫める発言をしていきました。
僕が李成民なら魏徴をさんざん拷問した上で簡単に殺さずに、
積年の恨みをじっくりと晴らすと思うのですが、
太宗はそのまま彼を諫議大夫の位へ付けて、後に魏徴を
最大の更新として高く評価することになります。
太宗も魏徴も、僕には理解できないくらい偉大です。
太宗は兄殺しの実行者としてうるさく言われることもあるのですが、
それを差し引いても彼の偉大さは少しも損なわれないと思いました。
(その9へ続く)
2012/3/8(木) 午後 8:45
(その9)
56rinyahoo さんのコメントにはいつも励まされて、
僕の勉強を助けてくれることに、いつも感激しています。
何度もお礼を申し上げたいです。とても嬉しいです。
これからもきちんと学んで、良い漢詩を作っていこうと思います。
2012/3/8(木) 午後 8:46
みなよさん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
唐は昔の中国です。昔の韓国ではありません。
韓国(当時は朝鮮)は昔の中国の儒教を取り入れて、国家の規範としています。
韓国で孔子の子孫という俳優さんがいますが、おそらくどこかで
孔子の子孫の一人が当時の朝鮮の国に招かれて、子孫が韓国に存在する、
そういうことではないかと思っています。
(その2へ続く)
2012/3/8(木) 午後 8:47
(その2)
今の中国の国民には儒学が浸透しているわけではないですが、
エリート層も全く漢文を学んでいないかといえば、そうではないと思います。
彼らの何気ない教養や政策(謀略を含めて)の中に、
孫子などの漢籍を学んだ痕跡があると、安岡正篤先生の著作の中で述べられています。
彼らエリートは決して侮ることのできる存在などではないのですが、
日本の若い人たちの発言の中には、彼らを嫌うだけではなくて、
軽蔑するものまで出てくる始末です。
「策もなく敵を侮れば擒(とりこ)になる」という孫子の文章を思い出します。
若い人たちが中国人を嫌うのは、あるいは価値観も絡んでいて
変えることが困難だとしても、少なくとも侮ることは慎むことが
できるはずだと、そう思います。
何の対策も考えることもなく侮って甘く見るのはただの愚か者だと思います。
漢文・漢詩のいろんなところをきちんと学んで、
普段の作詩にも活かせるようにがんばります。
2012/3/8(木) 午後 8:48
korikori1997 さん、コメントありがとうございます。
テストが終わったのですね。お疲れ様です。
漢文・漢詩のいろんな面白さを、漢文や漢詩を習い始めた若い人たちにも
届けたいなと、ささやかながら思っています。
そのためにも、僕もきちんと学んでいこうと思います。
2012/3/8(木) 午後 8:49
玄齋 様
すばらしい御解説をいただき、感謝しなければならないのは私の方です。心からお礼申し上げます。
いただいたお返事(お友達へのコメントを含めて)とても勉強になります。また、この件でコメントしたくなりました(^^ゞ
明日・明後日(10日・11日)は外出しますので、来週にまたお邪魔します(^^)。
2012/3/9(金) 午後 10:04 [ 56rinyahoo ]
56rinyahoo さん、コメントありがとうございます。
返事のコメントを書くまでに一日を費やしましたので、
その間にきちんと調べていきました。
56rinyahoo さんの外出の件は、そちらのブログ記事にも書いていましたね。
またブログを訪問いたします。
2012/3/10(土) 午前 7:16
一碗、二碗、三碗……。
この詩にはゆったりした楽しさがありますね。
ボクも早く、こころ穏やかに詩文を楽しむ日々にたどりつきたいです。
玄さんのような人こそ、日本と中国の文化の架け橋のような存在なのかもしれませんね。
2012/3/10(土) 午後 10:09
ピンパパX さん、コメントありがとうございます。
一碗、二碗、。。。と情景が少しずつ変化する所なども、
この詩がずっと好まれた理由なのかなと思いました。
僕もいろんな形で漢詩を含めた詩歌を楽しんでいければいいなと思っています。
中国の現状も、きちんと学んでいこうと思います。
日本と中国の架け橋への、ささやかな一助になればいいなと想像しています。
これからも日々きちんと学んでいきます。
2012/3/11(日) 午後 0:52