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最初に申し上げておきます。普段、漢詩や漢文になじみのない方、
あるいは、漢詩や漢文に苦手意識を持たれている方は、
後半の記事の現代語訳から読んでみて下さい。
私は漢詩や漢文で最も大切なのは、
「そこに何が書かれているか」ということだと考えています。
私は自分で作った漢詩にも現代語訳を付けるようにしています。
その際には常にわかりやすい説明ができるようにと、
気をつけて現代語訳と解説を書いています。
どんな人にも分かりやすく説明をすることを第一に考えています。 この記事もブログの制限文字数の 5,000 文字をこえていますので、
記事を前半と後半の二つに分けています。
この後半の記事は現代語訳と解説になっています。
コメント欄もこの後半の記事に設けています。
原文と書き下し文と語注については前半の記事をご覧になって下さい。 前半の記事
●現代語訳: 題: 「学問に志す気持ちを詠みます」 私の叔父は以前からの病気にずっと苦しめられており、 働き盛りの三十代の内にその寿命を終えてしまいました。
その叔父の慈しみ愛する心を懐かしく思い出して、
叔父があの世へ行ってしまったことを泣き叫んでいました。
葬儀で年老いた僧侶がお経を読み終わった後に、
叔父の戒名が「和光(わこう)」になることを伝えました。
その時にきちんと戒名の解説を聞かなかったことを恥ずかしく思って、
文字の読みと意味を書いた本を何冊も調べていきました。
それは『老子(ろうし)』と仏教の経典の中にある言葉であって、
その字の意味の奥深いことに驚いていました。
その和光(わこう)という言葉の意味である謙虚(けんきょ)を
さらに追求しようと思って、三玄(さんげん)、
つまり老荘や易に関する道理を究めていこうと思いました。
その学に志す決意を示すために、
『老子』から言葉を取って、自分の号を「玄」としました。
●
『老子』はその短い言葉の中で語っており、
その本当の意味は奥深くてよく見えない状況でした。
『荘子』はくだくだしく長い言葉の中で語っており、
道理をひっくり返して人を驚かせるように思えていました。
老子も荘子も両方とも理解できず、
この世の中の道理がわからない私の
賢明でないことを恥ずかしく思っていました。
儒学の経典である四書五経は、その存在を知りながら
長い間読みませんでした。
それは私がその四書五経の意味を間違って解釈していて、
ただ昔のことをかたくなに守っているだけだと思っていたからです。
ですから私の学問は浅いままで、その上で早く賢くなろうと
無理をしてうまくいかないという状況になってしまい、
『論語』は一回読んだだけでおしまいにしていました。
そんな時に一人の儒学者が私に教えるのに
十分な言葉を言っていました。
それは南宋(なんそう)の儒学者であり、朱子学の大成者である
朱熹(しゅき)の論敵であった陸九淵(りくきゅうえん)でした。 彼の言葉に、「六経(りくけい)吾(わ)が註脚(ちゅうきゃく)なり」
という言葉がありました。昔の四書五経の五経は
もともと六つでしたので、儒学の経典の経書(けいしょ)の別名を
「六経(りくけい)」と言っていまして、
それが自分の人生を説明してくれる文章になっている、という言葉です。
このいましめとなる言葉を聞いて、突然にさらりと疑問が解けました。
この言葉は、決して偉そうで傲慢な言葉ではないのです。
昔の人の奥深い道理に沿ったものなのです。
『論語』の子張篇に「切問近思」、つまり
「切(せつ)に問(と)うて近くに思う」、という言葉があります。
この言葉は、儒学の経書の言葉を自分の具体的な経験に当てはめて、
少しずつ考えていって、経書の本当の意味を理解していくようにし、
反対に自分の日常を反省するために、経書の言葉を元に
反省すべき所を検討していく、
この二つの行為によって経書を生きた言葉として
自分の中に身につけていく、それがとても大切なことだと、
そのように理解しました。
そこで、経書の文章を日常に照らし合わせていくと、
目の前に経書の本当に意味が見えてきて、
老荘の書物の言葉を日常に照らし合わせていくと、その一つの道、
つまり自然の道理の広々として果てのない様子を
窺い見ることができたのです。
その道理を究める糸口をしだいに得ていくことによって、
老子の多くの編に向き合っていこうと思います。
そしてその『老子』の本文の五千文字を翻訳して、
この学問を始めるきっかけとなった、
叔父のお墓の前に供えようと、そう思っています。
●解説:
僕の学問の初めから、僕が理解したポイントまでを
長い漢詩に詠んだものです。
これは五言古詩(ごごんこし)の一韻到底格(いちいんとうていかく)と
言いまして、一句五文字で構成される詩句を
一つの韻目(いんもく: 同じ韻の文字のグループ)で
ずっと詠んでいくものです。偶数句の末尾で韻を踏んでいます。 規則の緩いものですので、長い句を詠むことができます。
言い換えれば、規則が緩い分、長い句にしないといけないと思います。
少なくとも八句以上は詠まないと、この漢詩の形式にした意味が
ないと思っています。
漢詩はもともと六十四句の一つの漢詩だったのですが、
その中では二つのことを詠んでいますので、二つに分けています。
その漢詩の二つ目に当たるのがこの漢詩です。
叔父は僕と同じ病気で、早くに亡くなりました。
その人となりの優しいことだけが今でも深く印象に残っています。
この人のことを思うと、日々の自分自身がただただ反省されるだけで、
この人に顔向けのできないようなことだけは決してできない、
そう思っています。
お葬式ではその戒名の和光(わこう)の意味を説明していたそうですが、
そんなことに意識のまわる状況ではありませんでした。
その頃は私は高校生で、期末試験の前でしたので、
お葬式の後で、家族よりも早くに郷里から帰宅していました。
試験勉強のかたわら、その和光という言葉が妙に気になったので、
調べてみることにしました。字書を調べていくうちに、
「和光同塵(わこうどうじん)」という言葉が出て来まして、
二つの意味があることがわかりました。
(一)『老子』の「和其光同其塵(其の光を和(やわ)らげ、
其の塵に同じくす)」より、自分の才能を隠して、
俗世間に交わっていくこと。
(二)仏様が衆生(しゅじょう: 生命あるもの)を救うために、
自身の知恵の光を隠して、姿を変えて塵のような人間界に現れること。
これを見た時には、どちらも叔父にぴったりな言葉の
意味だと思って感激しました。
そしてこの『老子』という書物がどんなものなのか、
とても興味を持ちました。
これが僕の漢文を学ぶきっかけになりました。
特に老荘に関する書物を納得するまで理解しようという気持ちから、
老子の中から「玄」という言葉を取って、これを自分の号としました。
その後に漢詩の師匠から「玄齋」にするように言われて、
そのまま気に入って今でも使っています。
『老子』も『荘子』も、当初はそれぞれ別の意味で難解でした。
市販されている現代語訳を見ても、そこからは本当に納得のいくまで 理解することはできずに、生半可な理解では変な道理を 身につけてしまって良くないのではないか、そう思いました。
その上で当時は儒学の経書は敬遠気味でした、
世の中の多くの人がそうだと思いますが、
昔の道理をそのまま持ってくるような儒学の経書を学ぶことは、
単なる骨董趣味のようなものではないか、そういう気持ちでいました。
「儒学の経書の何が本当に大切なのか」これを理解するまでは、
世の中のそういう考え方と何ら変わるものではありませんでした。
そういう気持ちで『論語』を読んでも、きちんと理解をすることもなく、
ひととおり読んだ後は本棚のすみに置いてしまっていました。
そんな時に読んだのが島田虔次 著の『朱子学と陽明学』でした。
この方の考えをそのまま理解したと言うよりは、
ここに出て来た儒学者の文集を一つ一つ当たって、
どんな考えかをしっかりと理解していきました。
(この本の最後の章に李卓吾(り たくご)という
異端の儒学者の一節はとてもある意味魅力的だったのですが、
きちんとおおもとを理解するまでは避けておこうと思いました。
これは今から考えると正解でした)
その中で出会ったのが朱子学の大成者の朱熹(しゅき)の
ライバルであった、陸象山(りくしょうざん)という号の方が有名な
儒学者の、陸九淵(りくきゅうえん)の言葉でした。
有名な、「六経(りくけい)は吾(わ)が註脚(ちゅうきゃく)なり」
という言葉です。
「六経(りくけい)」とは昔の経書、つまり四書五経の五経は
もともと音楽の経典の『楽経(がくきょう)』を含めて
六つだったのですが、これだけは今に伝わらなかったので
五つになっています。その昔の姿を偲んで、
儒学の経書のことを「六経(りくけい)」と呼ぶことがあるのです。
そして「註脚(ちゅうきゃく)」は文章の意味を説明する言葉のことです。
直訳すると、「自分の人生を儒学の経書が説明してくれる」となります。
ものすごく傲慢な言葉のように思えますが、
僕はここで『論語』を思い出して全く別の意味が見えてきました。
『論語』子張(しちょう)篇の一節です。
(論語の原文) 子夏曰、博学而篤志、切問而近思、仁在其中矣。
(論語の書き下し文)
「子夏(しか)曰(いわ)く、博(ひろ)く学びて篤(あつ)く志(こころざ)し、
切(せつ)に問いて近く思わば、仁(じん)はその中に在り。」
ここでの「仁(じん)」はもともとの「相手への慈しみ」という意味ではなく、
孔子でさえももったいぶって言わない意味での「仁」で、
ほとんど「聖人の道」と変わらない意味で使われています。
ここでは後半の「切(せつ)に問いて近く思わば」が重要なのです。
(論語の現代語訳)
孔子の弟子の一人、子夏(しか)が次のように言いました。
「多くのことを広く学んで大きな志を持ち、
『切に問う』、つまり、儒学の書物のわからないところを、
自分の日常の切実なところをもとに考えていき、
『近く思う』、つまり、 自分の日々の生活の身近なところを 反省するために、儒学の書物の言葉を用いる、
そうしていく中に、『仁(じん)』、つまりすぐれた徳と知恵を身につけた 聖人(せいじん)の道が存在するのです」
と。 (論語の現代語訳はここまでです) ここでようやく理解できました。儒学の経書が腑に落ちないのは、
まさしくこういう考え方を持って学ばなかったからだと思いました。
経書の言葉を日常に照らして考える、これを行った後に、
それの応用編として兵法書の『孫子』や、
法で民衆を支配する考え方を持つ法家(ほうか)の代表者である
『韓非子(かんぴし)』の文章を理解していきました。
こういうところで『老子』や『荘子』の文章がしだいに見えてきた、
そういう状況に今はいます。これによって今までわからなかった
『老子』の文章が見えるようになってきた、そんな現状です。
そうして訳したものを、この学問のきっかけとなった叔父の墓前に
供えることができればいいなと、そう思っています。
日々漢詩を作って楽しく生きることと、
『老子』を訳してその考え方を少しずつものにしていくこと、
この二つをきちんとこなしていこうと思います。
これからもしっかりとがんばっていきます。
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漢詩
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読んだひとそれぞれが実体験に照らし合わせて考えていく、書いたほうもそれを願っているかもしれません、思想だけでなくて科学・工学などあらゆる学問に通じることのように思います。傑作。
2012/4/30(月) 午後 11:07
メールるの具合が悪くしばらく見なかったのですが、この連休に若い者から直してもらい、見たら十三ものコメントが赤文字で出て居り開いてみたら彼方様のが大半で、本当に失礼致しました。沢山のコメント有難うございました。ほちほし〜〜〜
2012/5/1(火) 午後 1:05 [ - ]
ひろちんさん、こんにちは。コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
その昔の言葉を作った当人も、実体験に照らし合わせて読んでもらうことを
望んでいるのではないか、僕もそう思います。本当にいろんな分野でも
それが言えるのではないか、そう思います。あっと思う発見なども、
日常の観察から得られたものも多いように思います。
こういうところを僕もきちんと学んでいこうと思います。
2012/5/1(火) 午後 1:12
みなよさん、コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
PC の具合が直って良かったですね。赤文字はコメントの新着のことですね。
開いてみて膨大にあれば驚きますね。僕のブログも日々チェックして、
多くの記事にいろんな方がコメントが来たときには気をつけようと思います。
以前は何ヶ月も後になってコメントの存在に気づいて、
冷や汗をかいたこともあります。。。こういうところも気をつけていきます。
今日もしっかりと勉強して過ごしていきます。
2012/5/1(火) 午後 1:26
素晴らしいお供えですね(^。^)
きっと叔父様も微笑んでいらっしゃるでしようね✨
私は、おじいちゃんとおばあちゃんの
お墓にも御仏壇にも「私なりに今日も生きてる。いっつもありがとう」だけです\(//∇//)\
自分の人生を優しく楽しく話せるように
過ごしましょうね✨
レットイットビー♪( ´▽`)
2012/5/2(水) 午後 7:09 [ こころ ]
> 大きな志を持ち・・・
最近はあまり聞きませんが、人生をしっかり生きる基本ですね・・・
志が無いと直ぐにあさっての方に行ってしまいます・・
2012/5/2(水) 午後 7:30 [ 夢想miraishouta ]
孔子を理解するだけでも大変なことですのに孟子、老子まで・・・
玄さんの意欲に大きなポチ
2012/5/2(水) 午後 7:33 [ 夢想miraishouta ]
こころさん、コメントありがとうございます。
guutaratei さんの所で時折お見かけしておりました。
叔父に恥じるようなことをしないように日々生きていこうと思いました。
これからもしっかりとがんばっていきます。
2012/5/2(水) 午後 9:14
夢想miraishouta さん、
こんばんは。コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
きちんと志をもって、日々きちんと進んでいければいいなと思います。
いろんな本が最後には一つにつながっていくのではないか、
学んでいくうちにそう思えるようになってきました。
これからもしっかりと学んでいきます。
2012/5/2(水) 午後 9:35
玄さん(*^^)/。・:*:・°★,。・:*:・°☆
ご無沙汰しております。
お体の調子はいがでしょうか?
玄さんらしい一生懸命に励む気持ちはきっと、伯父様に伝わりますよ。
実体験からを作品に収め、後世に人々の心を捉えさせて繫がる事の素晴らしさは書物に限らず、素晴らしい事ですね、
その出会いに逢えて精進している玄さんの生き方も素晴らしいです。
学ぶことの素晴らしさに。。。特大ポチ☆☆〜(ゝ。∂)<
2012/5/3(木) 午後 2:46 [ さんぼうやま ]
さんぼうやまさん、こんばんは。お久しぶりです。
コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
時折反省させられることもありますので、
もっとしっかりとしていこうと思いました。
最近聞いた言葉として、「野心とは、己一代で何かを成し遂げようと
する願望。志とは、己一代では成し遂げ得ぬほどの素晴らしき
何かを、次の世代に託す祈り」という田坂広志さんという方の言葉です。
何か後世につながっていくものに、ほんの少しでも貢献したいなと思っています。
これからもしっかりとがんばっていきます。
2012/5/3(木) 午後 9:36