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こんにちは。今日も朝から勉強をしています。
儒学の経書(儒学の経典である四書五経)の中に、
「親を三度諫めて聴かなければ泣いて従え」という言葉が
本当にあったのかどうかということで、 過去に『論語』を解説していた本の中でどうもそれは
儒学の経書の中には無いのではないかという話をツイッターでしたところ、 他の方のご指摘により、この文章は実際に儒学の経書の中に
あるということがわかりました。 その一節は、儒学の四書五経の五経の中の、礼法や制度などを
まとめている『礼記(らいき)』の曲礼(きょくらい)下の一節にありました。 その一節を以下に訳していきます。
(原文) 子之事親也、三諫而不聴、則号泣而随之。至親無去、志在感動之。
(書き下し文) 子の親に事(つか)うるや、三諫(さんかん)して聴かざれば、
則ち号泣(ごうきゅう)して之に随え。 至親(ししん)に去ること無くして、志(こころざし)は之を
感動(かんどう)させるに在(あ)り。 (現代語訳) 子どもが親に仕える際には、何度も諫めて聞くことがなかった時は、
大声で泣き叫んで、そうして親の言うことに従うようにしなさい。
親兄弟などの最も近い肉親のもとを去ることをせずに、 親に強い感銘を与えて、親の気持ちを動かすようにと、
そのように考えて行動しなさい。
(ここまでが礼記の一節の現代語訳です)
さらに、この本文を調べた時に、 『礼記』の文章を解説する、後漢の学者の鄭玄(ていげん)が著して、
さらにそれを唐の学者の孔穎達(くようだつ)が解説した、 『礼記正義(らいきせいぎ)』という書も見つけました。
こちらも訳してみました。以下に訳を示します。 (原文)
父子天然,、理不可逃、雖不従、則当号泣而随之、冀有悟而改之。
然『論語』云:「事父母、幾諫」此不云者、以其略耳。
『檀弓』云:「事親無犯」相互耳。又云:「事君有犯」故此論其微。
『檀弓』言「事親無犯」、此論其犯、亦互言耳。
故注云:「至親無去、志在感動之」
(書き下し文)
父子(ふうし)は天然(てんねん)にして、
理(り)として逃(のが)るるべからず、
従(したが)わざると雖(いえど)も、
則(すなわ)ち当(まさ)に号泣(ごうきゅう)して
之(これ)に随(したが)いて、
悟(さと)ること有(あ)りて之(これ)を改(あらた)むるを
冀(こいねが)うべし。
然(しか)るに『論語(ろんご)』に云う、
「父母(ふぼ)に事(つか)うれば、幾(ようや)くに諫(いさ)めよ」と。
此(ここ)に云(い)わざるは、
其(そ)の略(りゃく)を以(もっ)てするのみ。
『檀弓(だんぐう)』に云う、
「親に事(つか)うるに犯(おか)すこと無し」と。
相互(そうご)なるのみ。
又(また)云う、「君(くん)に事(つか)うるに犯(おか)すこと有り」と。
故(ゆえ)に、此(ここ)に其(そ)の微(び)を論(ろん)ず。
『檀弓(だんぐう)』に言う、「親に事(つか)うるに犯(おか)すこと無し」とは、
此(こ)の其(そ)の犯(おか)すを論(ろん)じ、
亦(ま)た互言(ごげん)なるのみ。 故(ゆえ)に注(ちゅう)して云(い)う、
「至親(ししん)去ること無くして、志(こころざし)は
之(これ)を感動(かんどう)させるに在(あ)り」 と。
(現代語訳) 父と子の関係というのは生まれた時からそうであるのであって、
道理の上ではその事実から逃れることはできません。
親を何度も諫めて、たとえ従わなかったとしても、
大声で泣いたうえで親に従って、親がある時にはっと気づいて
自分から改めてくれることを願うようにする方がよいのです。
ですから、『論語』 「里仁第二」の篇の
「父や母を諫めなければならない時は、性急な激しい言葉で
強く意識させるようなことをせずに、それとなく暗に示すようにして
諫めるようにしなさい」
とある、この『論語』の一節で述べていないのは、
この一節では省略して、おおよその所だけを言っているからです。
ですから『礼記』の「檀弓(だんぐう)上」の
「親に仕える場合は激しい言葉で相手を改めさせることがない」
という部分は、この本文とお互いを補い合う関係にあるのです。
さらに「檀弓(だんぐう)上」で、
「君主に仕える時は、君主を改めさせるために
激しい言葉を使うことがあります」
とあるのは、
君主と親の、道理における微妙な点を論じているのです。
ですから、「檀弓(だんぐう)上」の
「親に仕える場合は激しい言葉で相手を改めさせることがないのです」
という部分は、
その相手を改めさせるための激しい言葉について論じていて、
これもまたお互いを補い合う関係にある言葉なのです。
ですから、ここでさらに説明として、
「親兄弟などの最も近い肉親のもとを去ることをせずに、
親に心の衝撃を与えて、親の気持ちを動かすように、
そのように考えて行動しなさい」
とあるのです。
(ここまでが『礼記正義』の一節の現代語訳です)
儒学では本来、君臣の関係と親子の関係とは異なっていて、
「主君は三度諫めて、聞かれなければ官職を去って身を退く」
という風になっています。主君は激しく諫めることはあっても、
親に対してはそうではない、そういう一節である事も分かりました。
今回のご指摘を受けて今朝から訳していました。
一連の文章を二時間ほどで探して訳していました。
こういう事を述べる際には間違いはきちんと正さなければならない
と思っていますので、これでまた僕自身の誤解が解けてとても嬉しいです。
これからもしっかりとがんばっていきます。
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その他の漢文
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玄さん
おはようございます。
仕事上でいろいろと悩み苦しんでいますが、
そんなヒントがあったのですね。
ありがとうございます。
ぽち
2012/5/4(金) 午前 5:53
お早うございます
とにかくお勉強に励まれるのはいつもの事ながら、
驚きの至りです。
吾々老人の頭ではとても理解すると云うよりもこの長文には付いていかれません。あしからずお許しくださいませ・・・・・・。ぽちほわし〜〜〜
2012/5/4(金) 午前 9:36 [ - ]
今の時代、親に仕えるというのは自営業ぐらい?
いつの世にも酷い親はいたでしょうね、いまならモンスターペアレンツとか虐待とか…。傑作。
2012/5/4(金) 午前 10:20
gery さんと izmi さん、おはようございます。
コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
意外なところから情報がやってきて、びっくりしました。
その方にはツイッター上でお礼を述べました。
きちんとその成果をこうして形にできて良かったです。
これからもしっかりとがんばっていきます。
2012/5/4(金) 午前 10:29
みなよさん、おはようございます。
コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
現代語訳は分かりやすく書くようにつとめていますが、
どうしても長文になってしまうのが玉にきずですね。
これからもしっかりと勉強をしていきます。
2012/5/4(金) 午前 10:45
ひろちんさん、おはようございます。
コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
ひろちんさん、とても良い質問です。ありがとうございます。
儒学者がその質問にはぐらかして答えようとするから、
みんな『論語』を敬遠するのではと思います。
その部分に対する僕なりの答えを述べます。
(その2へ続く)
2012/5/4(金) 午前 10:55
(その2)
『論語』憲問第十四の篇の一節を引用します。
孔子の知り合いの原壌(げんじょう)がうずくまって
孔子を待っていました。孔子はそれを見て言いました。
「お前は幼い時には年長者に対する礼儀を持たず、
大人になったら我が物顔で他の者をおそれて身を慎むこともなく、
そんなお前が年をとってもまだ死ぬこともなくのうのうと
生きているとは。。。お前のような奴を道徳を損なう
『賊(ぞく)』と言うのだ」と。
そして孔子は原壌(げんじょう)の脛(すね)を、杖で叩いた、
という話があります。
(その3へ続く)
2012/5/4(金) 午前 10:57
(その3)
こういう原壌(げんじょう)のような人がいると
儒教の社会など成り立たないわけです。
そういう人を孔子は杖で引っぱたくわけです。
つまり、
儒教は年長者を尊重することを基調としながらも、
だからといってどんな年長者でも敬えとしている
わけではないということです。
虐待などをする親にも従えというのはあまりに過酷で、
かえって道徳を破壊してしまいます。
そういうところは皆さんの考えている通りでよいのではないか、
そう思っています。
こういうところをきちんと勉強するための今回の漢文の一節です。
こういうところは僕もしっかりと考えていこうと思います。
これからも頑張ります。
2012/5/4(金) 午前 11:01
読ませて頂きました。
訳してもらわないと
何が何かもわからず通り過ぎるだけ
だったと思います。
ありがとう✨
これからもよろしくお願いしますね。
今は、さらっと読みましたので
後で、もう一度じっくりと
読ませて下さいね(^-^)/
2012/5/4(金) 午後 9:28 [ こころ ]
こころさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
どんな方にも読んでいただけるようにと、
わかりやすく現代語訳を書いています。
これからもきちんと勉強していきます。
2012/5/4(金) 午後 10:23
確かに何度言っても聞き入れてくれない時あったような・・・^^;
あ・・・今でもそうかもですけど^^;
この漢詩を読んで確かにそうかもなって納得出来る様な事が書いてありますね^^
今更ですが再度再認識した感じです^^
いつも素敵な漢詩ありがとうございます☆
2012/5/4(金) 午後 10:33
身につまされる解説です
よくぞここまで勉強されますね・・・
脱帽!
ポチ
2012/5/5(土) 午前 5:42 [ 夢想miraishouta ]
茶碗に「オーロラ」という銘をつけようと思います
カタカナというわけには行きませんので、「王路羅」と書こうかと思いますが、もっといい文字はないでしょうか?
玄さんのIDEAを聞かせてください
2012/5/5(土) 午前 5:45 [ 夢想miraishouta ]
ミライサクさん、おはようございます。
コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
漢文や漢詩を読んで自分の身の回りの具体的な場面で考えていく、
それが大切だと思っています。
親に何かを言うことは時にはとても難しいですが、
言うべき時は言わないといけない、こういうところも難しいのですが、
僕もこういうところもきっちりとして過ごしていこうと思っています。
これからもしっかりとがんばっていきます。
2012/5/5(土) 午前 10:36
夢想miraishouta さん、おはようございます。
コメント + 傑作ポチ、ありがとうございます。
常にしっかりと勉強をしていこうと思います。
今回のようにご指摘を受けて間違いを正せるのも嬉しいです。
これからも元気にがんばっていきます。
2012/5/5(土) 午前 11:08
夢想miraisyouta さん、コメントをありがとうございます。
お茶碗の銘のアイディアについては先ほどそちらにコメントいたしました。
そちらの方も、よろしくお願いいたします。
2012/5/5(土) 午前 11:11
今回もいい言葉を教えてくれてどうも有難う!!!
恩に着ます
2012/5/5(土) 午後 7:58 [ 夢想miraishouta ]
足跡ありがとうございました。
ksk
親とは仲良くしたいですね。
2012/5/5(土) 午後 10:33 [ - ]
夢想miraishouta さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
常にいろんな言葉を勉強していきます。これからも頑張ります。
2012/5/6(日) 午後 2:10
翼さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
翼さんのブログでの僕のコメントを、「足跡」などと言わないで下さい。
そもそも人のコメントを「足跡」と呼ぶのは失礼だと思います。
僕は足跡ではなくて、常にきちんとしたコメントを書くようにしています。
それが相手のブログに訪問した時の礼儀だと思っています。
こういうところは僕も常に気をつけています。
何年も両親と過ごしている内に、「仲良く」だけでは済まなくなってくる、
そういう時にどう考えていくかが大切なのです。
こういう言葉は単なる道徳のお題目のようなものではなくて、
この文章を読んだ人自身の具体的な親子の関係を
考えていく上の手がかりなのです。
私もしっかりとこういう事を、私自身の実際の両親への気持ちや行動に
きちんとつなげていければいいなと思っています。
今日もしっかりと勉強をしていきます。
2012/5/6(日) 午後 2:26