玄齋詩歌日誌

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老子

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最初に申し上げておきます。普段、漢詩や漢文になじみのない方、
あるいは、漢詩や漢文に苦手意識を持たれている方は、
六番目の記事の現代語訳(意訳)から読んでみて下さい。
 
私は漢詩や漢文で最も大切なのは、
「そこに何が書かれているか」ということだと考えています。
私は常にその部分に気をつけて現代語訳と解説を書いています。
どんな人にも分かりやすく説明をすることを第一に考えています。
 
 
イメージ 1
 
 
この漢文は『老子』の第十章の翻訳です。
合計で 19,000 文字を超えていますので、
記事を七つに分けています。
 
 
この四つ目の記事では、個々の文章への解説の部分の続きです。
 
今回の現代語訳(意訳)は六つめの記事にあります。
 
 六つめの記事
 
コメント欄は七つめの記事の方にのみ設けています。
 
 七つ目の記事
 
この点についてご了承願います。宜しくお願いいたします。
 
 
 
●解説の続きです:
 
 
先ほどの朱元璋(しゅげんしょう)の注釈の訳を解説しながら、
『老子』の個々の本文を見ていきます。
 
 
「民(たみ)を愛し国を治(おさ)む、能(よ)く無為(むい)ならんか」
 
「『民衆を愛して国を治める』ために良く『無為(むい)』でいられるか」
となり、朱元璋の注では「無為(むい)」は世間で言われている
意味ではないと述べていて、
 
君子が何かをする時や国王が国を動かしていく際に、
その時その時にきちんとあった方法で行い、
多くの中からすぐれた人材や物事を取り上げる際には
必ずよい性質の人物や物事を取り上げるようにする、
 
つまり、その時々の目的が要求する道理に従って適切な行動を取り、
良い物事や、良い人材を取り上げて活用するということです。
 
外部から見れば、それはまるでごく当たり前のことが
行われているようにしか見えないので、
特にすぐれた何かをしているとは思われない、これが「無為(むい)」です。
 
 
目に見える鮮やかな成果などではなく、
道理に従って淡々と事をなし遂げる、これが大切なのだということです。
 
 
「天門(てんもん)開闔(かいこう)、能く雌(めす)たらんか」
 
先ほども述べた通り、「天門(てんもん)」とは天の支配者である
天帝(てんてい
)のいる宮殿の門で、
 
「開闔(かいこう)」の「開(かい)」は開く、「闔(こう)」は閉じるを意味して、
天門が開いたり閉じたりしていて、天門の開閉によって
全体を調整している、そんな中に私たちが生きていて、
 
さらに「天門(てんもん)」を鼻の穴にたとえて、
「開闔(かいこう)」の「開(かい)」を喘息、
つまり息が詰まってあえぐ状態に、
 
「闔(こう)」を安定した呼吸にたとえて、
門を閉じるように、呼吸を安定させるように、
 
欲望や血気にはやる心を抑えて、気や血液の流れを
安定したリズムに乗せて働かせるようにして、
 
あらゆる事を受け入れ生み出す「雌(めす)」のような状態で、
自分の言動するときや、あるいは国を治める時に
目の前の状況に落ち着いて対処できるのか、ということを述べています。
 
 
唐の皇帝である二代目皇帝の太宗(たいそう)、李成民(りせいみん)は、
その部下たちとの問答などの言行をまとめた
『貞観政要(じょうがんせいよう)』では、
部下たちの諫めを良く聞き入れて、
私も英明の君主だと感嘆するような人なのですが、
 
外国への遠征を強行したことに対しては、
腹心の部下の諫めも全く聞かずに遠征を断行していました。
 
この一点が玉にきず、李成民が兄を殺したことよりも
よっぽど問題だと思う点です。
 
こういう状況を血気にはやって判断を誤るような
「雄(おす)」の状態だと、老子はそう述べているわけです。
 
 
私も落ち着いて行動しようと改めて思った箇所でした。
 
 
「明白(めいはく)四達(したつ)、能く無知(むち)ならんか」
 
「明白(めいはく)」は「疑う余地がないほどに明らかなこと」で、
「四達(したつ)」は「四方に行き渡らせること」です。
 
つまり「うたがう余地の無いほどに明らかなことを、四方に行き渡らせる」
そのために「『無知(むち)』であることができるか」となります。
 
 
ここで「無知(むち)」は世間で言われるような意味ではなく、
『老子』第七十一章にある「知不知」、「知りて知らずとする」、
つまり「知っていることも知らないこととみなすこと」です。
 
 
知っていると思っていても実はそれほどに知らない、
そういうことは意外に多いです。
 
例えば高校の物理の授業では、何となく授業を聞いているだけですと、
それでもわかったような気になったりするのですが、
 
そのままの状態で家に帰って問題集を開いてみると一問も解けない、
そういうことがよくあります。
 
そんなときに物理で高得点を上げている同級生を観察していますと、
わかっていそうなことでも徹底的に納得しようと、
その後に先生に質問をしたり、他の同級生に聞いたりして
疑問を解決している姿が何度も見られました。
 
それでいざテストになると、その同級生だけが
平均点をはるかに上回る高得点でした。
 
それでテストのあとに「この問題だけはどうもわからなかった」と
言っていたのです。
 
本当にできる人とはこういう人なのだなと思い、
私もとても尊敬し、見習って同じように学んでいきました。
 
 
こういう事はもっとありきたりなことでも起こっているのです。
 
毎日習慣とすべき事でも、一年トータルで見れば
何日かはできなかったりするのです。
 
そういうものはまだましでも、本来大切にすべきごく平凡なことでも、
「理屈ではわかっていても実行できていない」とか、
「口では大層なことを言いながらも実行に移そうともしない」
とかいうことが起こってしまうととても問題があるのです。
 
 
だからこそ「明白(めいはく)四達(したつ)」、
「ごく当たり前なことでもあえて改めて広く行き渡らせる」、
 
みんな知っていることだけれどもその大切さを、
実行することを忘れがちになるので、
 
それを改めてしっかりと認識した上で周知徹底させよう、
それがここでいう「無知(むち)」、「知りて知らずとなす」なのです。

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