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最初に申し上げておきます。普段、漢詩や漢文になじみのない方、
あるいは、漢詩や漢文に苦手意識を持たれている方は、
三番目の記事の現代語訳(意訳)から読んでみて下さい。
私は漢詩や漢文で最も大切なのは、
「そこに何が書かれているか」ということだと考えています。
私は常にその部分に気をつけて現代語訳と解説を書いています。
どんな人にも分かりやすく説明をすることを第一に考えています。
「三十輻共一轂、当其無、有車之用」
「三十の輻(ふく)の一つの轂(こく)を共(とも)にす。
其(そ)の無(む)なるに当(あ)たりては、車の用(よう)有り」
これを説明するには、実際の車輪の図を作って説明するのが
よいと思います。
車輪は外側と内側の大小の輪の間に、 中心から外側に向けて柱を三十本通してその間をつなぐ、
という構造になっていまして、その三十本の柱、
図で示している
緑色の部分(この図では三十本には足りておりませんが。。。)が、
「輻(ふく)」と呼ばれる部分で、
真ん中の穴が空いている青い輪っかの部分が、
「轂(こく)」と呼ばれる部分です。
この穴に棒を通すことで、二つの車輪をつなぎ合わせて、
「錧(かん)」というくさびを打ってその棒が外れないようにするのです。
「其(そ)の無(む)なるに当たりては、」
つまり、「この轂の穴の空いた空っぽの部分があることによって」
「車の用(よう)有り」
「車としての本来の働きができる」、ということです。
注釈から考えますと、車輪に「轂(こく)」と呼ばれる空っぽの部分が
あることで、車輪本来の、重い荷物を遠くへ運ぶという働きを
可能にさせる、ということです。
「埏埴以為器、当其無、有器之用」 「埴(しょく)を埏(ねや)せて以(もっ)て器(うつわ)と為(な)す、
其(そ)の無(む)なるに当(あ)たりては、器(うつわ)の用(よう)有り」
「埴(しょく)を埏(ねや)せて以(もっ)て器(うつわ)と為(な)す」
「埴(しょく)」は粘土のことです。
「埏(えん)」は「ねやす」と呼んで、土をこねることです。
この部分は注釈と少しずれがありますが、意味は変わっておりません。
「埴(しょく)を埏(ねや)せて以(もっ)て器(うつわ)と為(な)す」は、
「粘土をこねて、そこから陶器を作る」ということです。
「其(そ)の無(む)なるに当(あ)たりては、器(うつわ)の用(よう)有り」
「その陶器の真ん中の空っぽの空間があることで、
陶器としての本来の働きができる」
ということです。
「鑿戸牖以為室、当其無、有室之用」
「戸牖(こゆう)を鑿(うが)ちて以(もっ)て室(しつ)と為(な)す、
其(そ)の無(む)なるに当(あ)たりては、室(しつ)の用(よう)有り」
「戸」は玄関の戸のことです。
「牖(ゆう)」は明かり取りのために空けられた窓のことです。
「戸牖(こゆう)を鑿(うが)ちて以(もっ)て室(しつ)と為(な)す」つまり、
「家に戸や窓を取り付けるために穴を空けて、
そして部屋を作ります」となります。
「其(そ)の無(む)なるに当(あ)たりては、室(しつ)の用(よう)有り」
「戸や窓のような穴が空いて空っぽの部分があることによって、
部屋としての本来の働きができる」となります。
「故有之以為利、無之以為用」 「故(ゆえ)に有(ゆう)の以(もっ)て利(り)と為(な)し、
無(む)の以(もっ)て用(よう)と為(な)す」
「利(り)」とは「利益(りえき)」のことで、
ここでは「人の役に立つ」ということです。
この十一章では車輪と陶器と部屋が、
その役に立つ「有(ゆう)」に相当します。
「用(よう)」とは、「本来の働き」のことです。
十一章では、車輪の真ん中の棒を通す穴の「轂(こく)」と、
陶器の物を入れる空間の部分と、
部屋に人の出入りのために空けられた「戸」と、
明かりを外から取り込むための窓である「牖(ゆう)」が、
その車輪・陶器・部屋が本来の働きを果たすようにする
「無」に相当します。
注釈を踏まえて言いますと、
「有」、つまりここでは世の中の物事が
「利」、つまり世の中の役に立つようにするには、
「無」、つまりそのそれぞれの物事に空虚な部分が存在して、
それによって「用」、つまり「本来の働きをする」ことが
必要であるということを、
車輪と陶器と部屋の中にある空っぽの部分にたとえて
説明をしているということです。
『老子』第三章に
「何かを欲しいという気持ちを弱めるようにして、
その分、人間としての根本の部分を強くしていくのです」
という部分は、実質的な部分、つまり「有」を強くして
役に立つようにさせる、つまり「利」をもたらすということです。
さらに、
「民衆の心を欲望に動かされないようにし、
大切なものを失わせないようにするのです」
という部分は、欲望をなくしていく、つまり「無」を大切にして、
大切な物を失わせずに、本来の働き、つまり「用」を発揮させるのです。 人の世界では有と無が離れることなく存在していて、 どちらも大切だということです。
実質的な物を養って(有)、それに有害となる欲望を減らしていく(無)、
これを両立させることが大切だということです。
「無」、つまり穴の空いた空虚な部分が単独で働くということはなく、
無は有であるその物事に付き従って、その物事をしっかりと働かせていく、
そういう具体的な物事から、
老子のいう「無」を感じ取っていくことができる、
それがこの十一章の重要な部分なのです。
以上を踏まえて、この第十一章の現代語訳(意訳)は次のようになります。
今までの内容を繰り返す現代語訳になります。
次の記事:
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老子
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