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●原文:
帝高陽之苗裔兮朕皇考曰伯庸
攝提貞於孟陬兮惟庚寅吾以降
皇覽揆余初度兮肇錫余以嘉名
名余曰正則兮字余曰靈均
紛吾既有此内美兮又重之以脩能
扈江離與闢?兮?秋蘭以為佩
汩余若將不及兮恐年歳之不吾與
朝搴阰之木蘭兮夕攬中洲之宿莽
日月忽其不淹兮春與秋其代序
惟草木之零落兮恐美人之遲暮
不撫壯而棄穢兮何不改此度
乘騏驥以馳騁兮來吾道夫先路
●書き下し文:
帝(てい)高陽(こうよう)の苗裔(びょうえい)、
朕(わ)が皇考(こうこう)を伯庸(はくよう)と曰(い)う。
摂(せつ)は貞(てい)の孟陬(もうすう)に提(いた)りて、
惟(ただ)庚寅(こういん)の吾(われ)以(もっ)て降(くだ)るのみなり。
皇(こう)の余(よ)を揆(はか)りて覧(み)る初度(しょど)、
肇(はじ)めて余(よ)に錫(たま)うに嘉名(かめい)を以(もっ)てす。
余(よ)を名(な)づけて正則(せいそく)と曰い、
余(よ)を字(あざな)して霊均(れいきん)と曰(い)う。
紛(ふん)として吾(われ)既(すで)に此の内(うち)なる美(び)有(あ)り、
又(また)之(これ)に重(かさ)ねるに脩能(しゅうのう)を以てす。
江離(こうり)と闢?(へきし)とを扈(き)て、
秋蘭(しゅうらん)を?(もと)めて以(もっ)て佩(はい)と為(な)す。
汩(なが)れて余は将(まさ)に及(およ)ばざらんと
するが若(ごと)くにして、
年歳(ねんさい)の吾(われ)に与(あた)えざるを恐(おそ)る。
朝(あした)に阰(し)の木蘭(もくらん)を搴(と)りて、
夕(ゆうべ)に中洲(ちゅうしゅう)の宿莽(しゅくぼう)を攬(と)る。
日月(じつげつ)忽(たちま)ち其(そ)の淹(ひさ)しからずして、
春(はる)と秋(あき)と其(そ)の序(じょ)を代(か)える。
惟(ただ)草木(そうもく)の零落(れいらく)して、
美人(びじん)の遅暮(ちぼ)するを恐(おそ)るるのみ。
壮(そう)に撫(やす)んぜずして穢(けが)れを棄(す)て、
何(なん)ぞ此(こ)の度(ど)を改(あらた)めざるや?
騏驥(きき)に乗(の)りて以(もっ)て馳騁(ちてい)し、
来(き)たりて吾(われ)は夫(か)の先路(せんろ)を道(みちび)かん。
●解説:
今回は春秋戦国時代の楚(そ)の国の王族で詩人の
屈原(くつげん)が詠んだ詩を中心とした詩集の
『楚辞(そじ)』の中でも、
長編の漢詩である「離騒(りそう)」の翻訳の一回目です。
『楚辞(そじ)』は昔の民謡などをまとめた詩集の
『詩経(しきょう)』の次に古い詩集で、
詩経よりも情感豊かに詠み上げていて、
時事詠にはこの上ない参考となるものです。
特に今回の「離騒(りそう)」は、楚の国の王族でもある
屈原(くつげん)が讒言によって罷免させられた悲しみと
国を憂える気持ちを自然の風物などにも喩えて
長い詩の中で詠んでいて、
憂国の漢詩の中でも代表的なものとなっています。
ですから「離騒(りそう)」と、『詩経』の中の各地の民謡を集めた
「国風(こくふう)」とを合わせて、
詩文を作ることを「風騒(ふうそう)」と呼ぶこともあります。
あるいは国を憂えて漢詩を作る人を
「騒人(そうじん)」ということもあります。
優れた漢詩の代表格とされているわけです。
そんな長文の漢詩の「離騒(りそう)」を、
少しずつ分けて訳していきます。
では、今回の本文に入ります。
「帝高陽之苗裔兮朕皇考曰伯庸」
「帝(てい)高陽(こうよう)の苗裔(びょうえい)、
朕(わ)が皇考(こうこう)を伯庸(はくよう)と曰(い)う。」
真ん中の文字の「兮(けい)」は『楚辞』の中でよく使われますが、
これは発音の調子を整えるための文字で、意味は特にありません。
この「兮(けい)」の前後の文字で、一つの句を形成する、
そういう句の形になっています。
「高陽(こうよう)」とは、楚の国の国王のご先祖とされる、
帝王の「??(せんぎょく)」の号(ごう)です。
屈原も楚の国の王族ですから、
このご先祖を敬う気持ちがあるのです。
「苗裔(びょうえい)」とは「末裔(まつえい)」あるいは
「子孫」のことです。
「苗」は「御落胤(ごらくいん)」などという時の「胤」のことで、
「たね」という意味です。
「朕(ちん)」は「我(われ)」、「私」ということです。
後に始皇帝が皇帝だけの一人称として使用を独占するまでは、
民衆も「私」の意味で使っていました。
「朕」は「物事の兆し」という意味があり、めでたい字ですので、
皇帝や、日本でも天皇の一人称となったのです。
「皇考(こうこう)」の「皇」は「すぐれた徳を備えた」という意味で、
「考(こう)」はここでは「亡き父」という意味です。
「伯庸(はくよう)」は屈原の父親の字(あざな)です。
字(あざな)は成人の時に付けられる名前のことです。
この辺りは自分の父やご先祖を讃える言葉が続きます。
先ほどの訳は、
「太古の帝王の高陽(こうよう)という号で呼ばれた??(せんぎょく)の子孫に、私の亡き父、優れた徳を持つ父の、字(あざな)を伯庸(はくよう)という人がおりました。」
「攝提貞於孟陬兮惟庚寅吾以降」
「摂(せつ)は貞(てい)の孟陬(もうすう)に提(いた)りて、
惟(ただ)庚寅(こういん)の吾(われ)以(もっ)て降(くだ)るのみなり。」
「摂(せつ)」とは太歳(たいさい)、つまり木星が寅(とら)の方角、
つまり東北東にあることを指しています。
「孟陬(もうすう)」とはお正月のことです。
「庚寅(こういん)」とは「『かのえとら』の日」のことです。
屈原が生まれた暦の日を指しています。
とても縁起のいい日に生まれた、ということを
この句で言いたいわけです。
「寅(とら)」は陽の気が正しいということを示しており、
お正月に陽の気がさかんになる、春になっていく、ということで、
「庚(こう)」は陰の気が正しくなり、
秋に万物が実って充実している状態を指しています。
このように陰と陽の気が正しくなるめでたい日に
私(屈原)は生まれました、という意味です。
「お正月の、『太歳(たいさい)』、つまり木星が
東北東の寅(とら)の方角にあり、
暦は庚寅(かのえとら)の日に私は生まれました。
『寅(とら)』は陽の気が正しく陽の気がさかんになる、
お正月に春になっていく、ということを示し、
『庚(こう)』は陰の気が正しくなり、
秋に万物が実って充実している状態を示すのですから、
私はそんな陰と陽の整った、めでたい日に生まれたことになります。」
「皇覽揆余初度兮肇錫余以嘉名」
「皇(こう)の余(よ)を揆(はか)りて覧(み)る初度(しょど)、
肇(はじ)めて余(よ)に錫(たま)うに嘉名(かめい)を以(もっ)てす。」
「皇(こう)」は最初の句の「皇考(こうこう)」、
つまりすぐれた徳を備えた亡き父、を示しています。
「覧」は「観る」、「揆」は「度」つまり「推しはかる」という意味です。
「初度(しょど)」は「最初」という意味です。
父親が生まれた息子(屈原)に初めて会って、
どんな息子なのかとじっと眺めている、そんな風景が浮かんできます。
「肇」は「初め」、「余(よ)」は「私」
「嘉名(かめい)」は「めでたい名前」という意味です。
「私の父が最初に生まれた私を見て、
私にめでたい名前をつけました。」
「名余曰正則兮字余曰靈均」
「余(よ)を名(な)づけて正則(せいそく)と曰い、
余(よ)を字(あざな)して霊均(れいきん)と曰(い)う。」
「正」は「正平(せいへい)」、つまり「公平で偏りがない」という意味で、
「則」は「法則(ほうそく)」のことです。
「霊」は「神霊(しんれい)」のことで、
これは陰と陽の澄みきった気のことを指します。
「均」は「調」、つまり「ととのえる」ということです。
さて、この名前の「正則(せいそく)」と、
字(あざな)の「霊均(れいきん)」には、それぞれ意味があります。
「正則(せいそく)」は「公平で法則として従うことの中で
最も優れているのは天で、その天に則るような
公平で偏りのない人間に育って欲しい」という意味で、
「霊均(れいきん)」は「陰と陽から万物を養い育てて
調和させるものの中で最も澄み切っているものは地で、
その地に則るような穏やかで周囲の人々と
調和していける人間に育っていって欲しい」という意味です。
聖人が天と地の性質を受け継いで世の中の手本となったように、
息子もそんな存在として育っていって欲しい、
そんな切なる願いが込められているのです。
「父は私の名前として、『公平で法則として従うことの中で
最も優れているのは天で、その天に則るような
公平で偏りのない人間に育って欲しい』という願いを込めて
『正則(せいそく)』と名づけ、
私が成人した時の名前である字(あざな)として、
『陰と陽から万物を養い育てて調和させるものの中で
最も澄み切っているものは地で、その地に則るような
穏やかで周囲の人々と調和していける人間に育って欲しい』
という願いを込めて『霊均(れいきん)』と名づけました。」
日本でも「正則(まさのり)」という名前の人がいますね。
とても良い名前ですね。
(2の記事に続きます。)
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私の知人の子供さんが正則います。
物知りになりました。
ナイス
2013/2/5(火) 午後 9:46
ほしさん、おはようございます。温かいコメントとポチをありがとうございます。
「正則」とは天を敬って公明正大な人間に育つようにという
願いを込めている素敵な名前だとわかりました。
しっかりと調べていくと、いろいろと面白いことがわかってきます。
これからも療養しながらしっかりと学んでいきます。
2013/2/6(水) 午前 6:50
正則は学校でもありますね(o^^o)
いろいろ意味があるのですね(^_-)-☆
ブログリンクなとありがとうございました(^_^)/
2013/2/10(日) 午後 10:00 [ 星紅 ]
星紅さん、こんにちは。重ねてコメントをありがとうございます。
正則高校がありますね。数学でも正則行列というものもあります。
『易経』の易の哲学を論じた「繋辞伝(けいじでん)」では、
天地の法則に則って聖人が道理を身につけたとあります。
この詩の中では、それを名前と字の中で親の願いとして名づけた事になります。
こういう所をきちんと調べながらさらに訳していきます。
2013/2/11(月) 午後 4:56