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アメブロの記事のURL: http://ameblo.jp/syou-gensai/entry-11464672306.html 「紛吾既有此内美兮又重之以脩能」
「紛(ふん)として吾(われ)既(すで)に
此の内(うち)なる美(び)有(あ)り、
又(また)之(これ)に重(かさ)ねるに
脩能(しゅうのう)を以(もっ)てす。」
「紛(ふん)」は「芬(ふん)」の意味で、
「よい香りがする」という意味から、
「匂い立つような徳」、花が香りを放つように美しい徳を
心の中に秘めている、という意味になります。
「脩(しゅう)」は「修(しゅう)」と同じで、
「おさめる」という意味です。
「脩能(しゅうのう)」はさらに修養を積んで
高い能力を身につけることを指します。
「美しい花が匂い立つように、私の心の中に徳を秘めていて、
それをさらに修養を積んで高めていくようにしていきました。」
「扈江離與闢?兮?秋蘭以為佩。」
「江離(こうり)と闢?(へきし)とを扈(き)て、
秋蘭(しゅうらん)を?(もと)めて以(もっ)て佩(はい)と為(な)す。」
「扈」は「被服(ひふく)」の「被(ひ)」で、「身につける」という意味です。
「江離(こうり)」は「??(きゅうきゅう)」という香草のことで、
セリの仲間だそうです。
「闢?(へきし)」は「白?(びゃくし)」という、
こちらもセリの仲間のヨロイグサの根のことで、
これも漢方薬の一つです。
「?」は「索」、つまり「もとめる」という意味です。
「佩(はい)」は「飾る」という意味です。
行ないが清らかであることを「佩芳(はいほう)」と言い、
光り輝くような徳を持つ人を「佩王(はいおう)」と言い、
物事のもつれを解く人のことを「佩鐫(はいせん)」と言い、
上手く問題を解決する人のことを「佩?(はいけつ)」と言います。
ここから、「佩(はい)」は、
「徳を身につける」という意味になります。
「私は??(きゅうきゅう)の草のように匂い立つような徳を持って、
白?(びゃくし)という薬のように国を治める能力を身につけ、
秋に咲く蘭の花のように美しい徳を探し求めて身につけていきました」
「汩余若將不及兮恐年歳之不吾與」
「汩(なが)れて余は将(まさ)に及(およ)ばざらんと
するが若(ごと)くにして、
年歳(ねんさい)の吾(われ)に与(あた)えざるを恐(おそ)る。」
「汩(べき)」は屈原が入水自殺をした
「汩羅(べきら)」という湖南省から湘水(しょうすい)へ流れる
川の名前にも使われる文字ですが、ここでは「流れる」の意味です。
「年歳(ねんさい)」は年月や歳月のことです。
「私はまだまだ能力が十分に身についていなくて、
この川の流れのように歳月が空しく流れて、
年相応の経験を身につけることができない事を恐れていました。」
「朝搴阰之木蘭兮夕攬中洲之宿莽」
朝(あした)に阰(し)の木蘭(もくらん)を搴(と)りて、
夕(ゆうべ)に中洲(ちゅうしゅう)の宿莽(しゅくぼう)を攬(と)る。
「阰(し)」は「阰山(しざん)」という山の名前です。
楚の国の南にあったそうです。
「木蘭(もくらん)」とはモクレンのことです。
ランに似ていることからそう名づけられました。
「中洲(ちゅうしゅう)」は川の中洲(なかす)のことで、
「宿莽(しゅくぼう)」とは冬になっても枯れない草花のことです。
「搴」も「攬」もともに「取る」という意味です。
『楚辞章句(そじしょうく)』の注釈によりますと、
「木蘭(もくらん)」は春に咲いて強い香りを放つ花のある木で、
陽の気を表しており、それを天を敬うように見上げながら取り、
冬になっても枯れない「宿莽(しゅくぼう)」を、
地面を見下ろしながら取って、長い間も変化することのない
地を敬うように取る、とあります。
父親が自分に名づけた名前のように天と地に倣って
徳を身につけていく、そういうことを述べているのだと思います。
「朝に楚の国の南にある『阰山(しざん)』でモクレンの
春に咲くかんばしい花を、天を敬うように見上げながら取り、
夕べには川の中洲で冬になっても枯れない草花を、
地面を見下ろしながら、長い間も変化することのない
地を敬うように取っていました。」
「日月忽其不淹兮春與秋其代序」
「日月(じつげつ)は忽(こつ)として其(そ)の淹(ひさ)しからずして、
春(はる)と秋(あき)と其(そ)の序(じょ)を代(か)える。」
「忽」は「忽然」、つまり「突然に」ということです。
「淹」は「久しい」という意味です。
長い時間そのままであるということです。
「序」は「順序」のことです。
「太陽や月は突然のように出入りして、
昼も夜も長い間続かずに入れ替わり、
春と秋もすぐに順序を変えて、
あっという間に時が過ぎ去ってしまいます。」
「惟草木之零落兮恐美人之遲暮」
「惟(ただ)草木(そうもく)の零落(れいらく)して、
美人(びじん)の遅暮(ちぼ)するを恐(おそ)るるのみ。」
「零落(れいらく)」は冬になって草が枯れて木の葉が落ちることです。
「美人」とは、屈原が仕えていた楚の国の王の、
懐王(かいおう)を指しています。
君主は徳で美しく飾り立てていますので、
それを美人と表現しているのです。
「遅暮(ちぼ)」は、年を取って顔かたちが老いていってしまうことです。
君主が徳を身につけないままに晩年を迎える事への戒めの句です。
「今、私は草が枯れて木の葉が落ちるように、
美人が時とともに顔かたちが老いてしまうように、
陛下(楚の懐王)がきちんとした徳を身につけないままに
晩年を迎えてしまうことを心配しているだけなのです。」
「不撫壯而棄穢兮何不改此度」
「壮(そう)に撫(やす)んぜずして穢(けが)れを棄(す)て、
何(なん)ぞ此(こ)の度(ど)を改(あらた)めざるや?」
「壮(そう)」は「壮年(そうねん)」のことです。
働き盛りの三十代、四十代のことです。
「撫(ぶ)」は「安んじる」、つまり壮年の時期に安心して
好き勝手なふるまいをして、君主としての徳を修めるのを
怠ることを指しています。
「穢(え)」は「汚れ」のことです。
国王の側近くで讒言を行う者たちを指しています。
「度」は君主としての気持ちのあり方のことです。
王が讒言をあっさり信じて自分を遠ざけてしまった事への
恨みを表しています。
「陛下が働き盛りの壮年の時期に安心して
好き勝手なふるまいをやめて、
君主としての徳を修めるようにして、
陛下の周りで讒言をささやいている者たちを
宮廷から去らせることが大切なのに、
どうして陛下は讒言をあっさり信じるような
ご自身の心のあり方を改めようとしないのでしょうか?」
「乘騏驥以馳騁兮來吾道夫先路」
「騏驥(きき)に乗(の)りて以(もっ)て馳騁(ちてい)し、
来(き)たりて吾(われ)は夫(か)の先路(せんろ)を道(みちび)かん。」
「騏驥(きき)」とは一日に千里を走るような名馬のことです。
「馳騁(ちてい)」は馬に乗って駆け回ることです。
賢明な者たちを家臣につければ、
千里をかける名馬が駆け回るように速やかに国が治まる、
ということです。屈原はその賢明な者たちの中に
自分自身も入れているのです。ここに屈原の自負があります。
「先路(せんろ)」とは国を治める聖人の道のことです。
「陛下が(私を含めて)賢明なる者たちを家臣に登用なさるのならば、
千里をかける馬に乗って駆け回るように、
速やかに国が治まっていくのです。
ですから私は陛下の元へ向かって、
国を治める聖人の道へと陛下を導き入れる役目を果たしたいのです。」
ここまでが今回の部分です。次に現代語訳をまとめます。
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白川さんのおかげで素敵な土曜日が過ごせました。掃除とお洗濯で気持ちいいです!
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2013/2/9(土) 午後 6:02 [ 星紅 ]
星紅さん、おはようございます。温かいコメントをありがとうございます。
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2013/2/10(日) 午前 7:46