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山椒の葉
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●解説((1)の続きです):
「何桀紂之猖披兮夫唯捷徑以窘歩。」
「何(なん)ぞ桀(けつ)紂(ちゅう)の猖披(しょうひ)として、
夫(そ)れ唯(ただ)捷径(しょうけい)以(もっ)て歩(あゆ)みを窘(くる)しましむるや。」
桀(けつ)は夏王朝の最後の王、
紂(ちゅう)は殷王朝の最後の王です。
彼らは二人とも暴君で、忠言をした家臣を殺したことでも
共通しています。優れた家臣はいたのですが、
その忠言の穴を見つけるほどに悪知恵が働き、
優秀な家臣の忠言に耳を貸すことがなかったのです。
『論語』に「上智(じょうち)と下愚(かぐ)は移らず」
とあるのは、その二つの人は自分の性質を変えることはない、
ということを示しておりまして、
「上智(じょうち)」とは徳と知恵を持つ聖人を指し、
彼らの徳は完成されているから変わることはないのです。
「下愚(かぐ)」は徳と知恵の劣った人、ということではなく、
桀や紂のように自分の悪知恵を振りかざして家臣の忠言を聞かず、
自分の悪い所を改めない様子を指しています。
そんな風だから自分を変えることがない、ということです。
下愚は頭の悪い人を指しているわけではないのです。
ここは注意が必要です。一応、指摘しておきます。
「猖披(しょうひ)」は「衣服を着て帯を着けない」、
つまり、「きちんとした徳と政治の道理を身につけていない」
ということを指しています。言うことも聞かずに自分勝手、
そんな暴君二人の性質を喩えているのです。
「捷径(しょうけい)」は脇道、あるいは邪道を指します。
「道理から外れたよこしまな道」のことです。
「窘」は「苦しむ」ということです。
どうして陛下は脇道、道理から外れたよこしまな道に入り込んで、
ご自身が苦しい思いをされてしまっているのでしょうか、
ということです。
「どうして昔の暴君の夏王朝の最後の王である桀王や、
殷王朝の最後の王である紂王のように、
きちんとした道理を身につけることなく自分の知恵だけを頼りにし、
道理から外れた邪な道に入り込んで、単に自分の勝手を行い、
ご自身の歩み(国の統治)を苦しいものにしてしまっているのでしょうか?」
「惟夫黨人之偸樂兮路幽昧以險隘。」
「惟(これ)夫(か)の党人(とうじん)の楽(らく)を偸(ぬす)みて、
路(みち)幽昧(ゆうまい)にして以(もっ)て険隘(けんいつ)なればなり。」
「党人(とうじん)」とは王の周りの重臣たちです。
徒党を組んで君主に本当のことを話さず、
自分たちに都合の悪い忠臣がいると、君主に讒言をして、
君主が誤ってその忠臣を処刑してしまう、
そして誰も忠言を君主に吐かなくなり、君主の実験は弱まる、
そういう状況があったのです。
『韓非子』の中ではこれを特に悪いこととして批判しているのです。
「楽(らく)を偸(ぬす)む」とはそういう家臣たちが悪だくみをして、
一時の楽しみを得ている、ということです。
悪いことというのはどれも一時の楽しみなのです。
そうやって重臣たちが楽をしていても、国が潰れてはおしまいなのです。
「幽昧(ゆうまい)」は「明るくない」、「政治の筋道が明確でない」
ということです。
「険隘(けんいつ)」とは傾いて危ない、ということです。
重臣たちによって法令が曲げられて、何をすれば罪になるのかも
明確ではない、そんな所でまともな政治が行われるわけはないのです。
「これは重臣たちが徒党を組んで陛下に真実を申し上げる事もなく、
忠義のある家臣には讒言を行って陛下に誤った刑罰を行わせて殺させ、
そうして一時の楽しみを重臣たちが味わっているからです。
そのために民衆は何をすれば刑罰に遭うのかもわからなくなり、
そんなひどい状況で、国が傾いて危うい状態になってしまっているのです。」
「豈余身之憚殃兮恐皇輿之敗績。」
「豈(あに)余(よ)の身(み)の殃(わざわ)いを憚(はばか)るや?
皇輿(こうしょ)の敗績(はいせき)を恐(おそ)るるなり。」
前半は私は自分の身の安全ばかりを心配しているわけではない、ということです。
「皇(こう)」は君主、「輿(しょ)」は君主の乗る乗り物のことですから、
「皇輿(こうしょ)」は国家をたとえて言っているのです。
「敗績(はいせき)」は「功績(こうせき)を敗(やぶ)る」
つまり、国の功績を無くしてしまう、国をダメにしてしまう、
ということです。
「豈(あに)」は「どうして〜なのか、いや、そうではない」
という反語の表現です。反語は誤解も多くなりますので、
次のように訳していきます。
「私は自分の身の安全を心配するわけではないのです。
私が本当に心配しているのは国の功績が失われ、
陛下の身が危うくなることなのです。」
「忽奔走以先後兮及前王之踵武。」
「忽(たちま)ち奔走(ほんそう)するに先後(せんご)を以(もっ)てし、
前王(ぜんおう)の踵武(しょうぶ)に及(およ)ばん。」
「先後」とは君主の前後に立って君主を守ることで、
つまりは君主を補佐するということです。
「前王(ぜんおう)」とは楚の国の代々の王を指し、
「踵武(しょうぶ)」とは「後を継ぐ」という意味で、
代々の王の後を引き継いで、きちんと政治を行うことを指します。
株式会社の特徴の一つとして、 “Going Concern(ゴーイング・コンサーン)” があり、
これは、経営者の代は何度変わっても、
会社自体は永遠に存続していく、そういう意味の言葉です。
こういう経営者のように、
歴代の王から政治を引き継いできちんと政治を行い、
次の王にバトンタッチしていく、そういう意味の言葉です。
実際には会社も潰れることがあります。
それもとても悲惨なことですから、
ましてや国を潰すわけにはいかないですね。
「私はすぐに駆け回って陛下の補佐をして、
陛下が歴代の王の後を引き継いできちんとした政治を行い、
次の王にきちんとバトンタッチをしていくようにしたいのです。」
((3)に続きます)
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楚辞
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