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山椒の花
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●解説((2)の続きです):
「?不察余之中情兮反信讒而齌怒。」
「?(せん)は余(よ)の中情(ちゅうじょう)を察(さっ)せずして、
反(かえ)って讒(ざん)を信(しん)じて怒(いか)りを齌(もたら)す。」
「?(せん)」も香草のことです。これによって
君主(つまり懐王)をたとえているわけです。
「中情(ちゅうじょう)」は心の内、屈原の懐王への思いの事です。
「?(せん)のようなかぐわしい徳を持つ陛下が、
私(屈原)の陛下を心配する気持ちを察することなく、
かえって他の重臣たちの讒言を信じて、
私をお怒りになるのは、何とも悲しいことです。」
「余固知謇謇之為患兮忍而不能舍也。」
「余(よ)は固(もと)より謇謇(けんけん)の患(うれ)いと為(な)るを知(し)りて、
忍(しの)びて舎(お)く能(あた)わざるなり。」
「謇謇(けんけん)」とは「忠実」という意味です。
家臣が君主に忠実であるという言葉です。
「舎」は「やめる」、「捨てておく」という意味です。
「私は以前から私が陛下に忠実で耳の痛いことまで
あえて話すような者ですから、
それが後々心配事になるということを知っていましたが、
私は、国のため、陛下のためにそれを我慢しており、
見捨てることが出来ないでいるのです。」
「指九天以為正兮夫唯靈脩之故也。」
「九天(きゅうてん)を指(さ)して以(もっ)て正(せい)と為(な)し、
夫(そ)れ唯(ただ)霊脩(れいしゅう)の故(ゆえ)なり。」
「指す」は、ここでは「語る」という意味で使っています。
「九天(きゅうてん)」とは、八方向に中央を加えた九つで、
この天下の全てを指しています。
「霊(れい)」とは「物事を見通す不思議な心の働き」のことで、
「脩(しゅう)」とは「遠くまでも見通すことが出来ること」のことです。
そして「霊脩(れいしゅう)」というのは、
「物事を遠くまで見通す明知を持つ者」という意味で、
懐王を敬意をこめて表現しているのです。
「この天下のあらゆる所の正しい所、正しい道理でもって
陛下にお伝えし、お役に立ちたいのです。
これはひたすらに物事の遠くまで見通す明知を持つ、
そんな陛下を思ってのことなのです。」
「曰黄昏以為期兮羌中道而改路。」
「黄昏(こうこん)を曰(い)いて以(もっ)て期(き)と為(な)し、
羌(ああ)道(みち)を中(なかば)して路(みち)を改(あらた)めん。」
「黄昏(こうこん)」は「たそがれ時、夕暮れ」のことです。
「期(き)」は「約束する、誓う」という意味です。
「羌」は楚の国の方言で、感嘆のため息をつく時の言葉、
「嗚呼(ああ)」と同じ意味で使われます。
「私は人生のたそがれ時まで陛下に忠実でいようと固く誓ったのに、
ああ、どうしてまた人生の半ばにして違う道を行かなければならないのだろう。」
「初既與余成言兮後悔遁而有他。」
「初(はじ)め既(すで)に余(よ)と与(とも)に言(げん)を成(な)し、
後(のち)に悔(く)い遁(のが)れて他(た)有(あ)り。」
「言」は「平議(へいぎ)」、つまり国政を議論するという意味です。
「遁」は「逃れる」、懐王に追放された現状を示しています。
「当初は陛下も私と国政を議論されていたのに、
その後に私は悔いを残しながら追放されて陛下の元を離れて、
こんな遠くにいるのです。」
「余既不難夫離別兮傷靈脩之數化。」
「余(よ)既(すで)に夫(か)の離別(りべつ)を難(なん)ぜざれば、
霊脩(れいしゅう)の数(しばしば)化(か)するを傷(いた)む。」
「不難」は「難(なん)ぜず」と訓読していますが、
これは「非難」と同じ意味です。
「霊脩(れいしゅう)」は先ほど述べたように懐王を指しています。
「私はすでに陛下の元を離れて陛下が私をこういう状況に置いた事を
遠方から非難しています。
物事の遠くまで見通す明知を持つ陛下のお気持ちが、
重臣たちの讒言で何度も変化していくことを、
一人で悲しんでいるのです。」
以下をまとめますと、次のような現代語訳(意訳)になります。
((4)に続きます)
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楚辞
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今日はいつも嬉しいコメントありがとうございます。春のよう気になりました!此処数日は暖かいようです!我が家の梅は咲いてません、応援のポチ☆ですよ!
2013/3/6(水) 午後 5:05 [ 清水太郎の部屋 ]
清水太郎さん、こちらにも温かいコメントとポチをありがとうございます。
梅ですか。大阪では各処で五分咲きから満開の所もあります。
明日の暖かい気温で開花が進むのではと思います。
明日は暖かい気候の中元気に過ごしていきます。
2013/3/6(水) 午後 5:12