玄齋詩歌日誌

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楚辞

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後楽園の小川(岡山)
Photo by (c) Tomo.Yun

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●解説((1)の続きです):


「羌内恕己以量人兮各興心而嫉妬」

「羌(ああ)内(うち)に己(おのれ)に恕(ゆる)して
以(もっ)て人(ひと)を量(はか)り、
各(おのおの)心(こころ)を興(おこ)して嫉妬(しっと)す。」

「羌」は前回出て来たように楚の国の言葉で、感嘆のため息を漏らす
「ああ」という意味になります。

『己(おのれ)に恕(ゆる)して以(もっ)て人(ひと)を量(はか)り』とは、

「忠恕(ちゅうじょ)」という言葉がありまして、
これは自分の真心を、修養を積んでさらに磨きをかけた清い心をもって、
そこから他の人たちを思いやっていくということです。

ここは、自分の苦しみ、人生での苦難の中で、
「この痛みはきっと他の人も同じなのだろう」というような気持ちから
生じるものであって、単なる綺麗事ではないことに気をつけていただきたいです。

この詩句の中では悪い例として用いられています。
それは身分の高い人たちが欲望に心がとりつかれてしまって、

そんな心を持っている人が他の人も同じようであると考えていけば、
周囲のことをきちんと考えることが出来ない、ということです。

「嫉妬(しっと)」はわざわざ説明するまでもない言葉ですが、一応説明しますと、
「嫉」は有能な人を害することで、「妬」は美しい人を害することを指します。
人の能力や外見の美しい人を妬んで、傷つけてしまうことを指します。


「ああ、そんな身分の高い人たちは、自分たちの欲で乱れている心から、
『他の人もきっと同じだろう』等という誤った気持ちで人々を判断し、

それぞれの人がいろんな怒りの気持ちを起こして、
有能なものたちや見た目に優れた人たちを妬み、
傷つけるようになっているのです。」



「忽馳?以追逐兮非余心之所急」

「忽(たちま)ち?(ど)を馳(は)せて以て追逐(ついちく)するは、
余(よ)の急(きゅう)とする所(ところ)に非(あら)ず。」

「?(ど)」とは「?馬(どば)」のことで、
歩みが遅くて役に立たない馬のことで、
能力が低い人間を指します。屈原の謙譲の表現ですね。

私(屈原)はそんな欲望を追い求めているわけではない、という句ですね。

「すぐに役に立たない歩みの遅い馬のような能力の低い
私(屈原)自身を駆り立てて、そのような欲望をひたすら追いかけるというのは、
私が急務としているところではないのです。」


「老冉冉其將至兮恐脩名之不立」

「老いの冉冉(ぜんぜん)として其(そ)れ将(まさ)に至(いた)らんとして、
脩名(しゅうめい)の立(た)たざるを恐(おそ)る。」

「老」とは七十歳の高齢の老人を指すそうです。
「冉冉(ぜんぜん)」とは「進んでいく」ということです。

「脩名(しゅうめい)」とは何か。
「脩」は「修」で、「おさめる、修養を積む」というところから、

単にそのまま考えてしまうと「修養を積んだ結果、名誉や評判が上がる」
ということではないかと考えてしまうのですが、そうではないです。

『論語』の中で孔子は、「名を正す」ということを重視して、
それを弟子の子路(しろ)が「何でそんな回りくどいことを急務にするのですか」
と呆れるわけですが、これは本当に大切なことです。どういうことかといいますと、

「名が正しい」とは「名目にきちんと実質が伴うこと」を指します。
例えば「君主」という名詞があっても、君主自身がその権力を振りかざしたり、
あるいは人倫にもとるような方法でその地位を手に入れたりしたとすれば、
君主だぞと威厳を示そうとしたところで誰も従わなくなるわけです。

ひどい時には反乱が起こって、君主というものがきちんと存在できなくなるのです。
これが君主の名目と実質が離れた状態なのです。

それを避けるために、君主がきちんと統治が出来るように群臣たちが支え、
君主自身は徳を磨いて人にへりくだって人材を広く求めていく、
そうして「君主」という名目にきちんと実質が伴うようにするのです。

つまりここから「脩名(しゅうめい)」という言葉を考えますと、
修養によって高められた徳と能力によって主君の懐王(かいおう)を支えて、
自分の高められた徳と能力をきちんと発揮して大きな功績を上げる、
こうして実質と名目が釣り合うようにしていく、ということです。

功績を上げて名目と実質を等しくすることが主なのであって、
本人の名誉や、ましてや君主や世間からの評判を指しているわけではないのです。
そういう部分は枝葉であって、ここで屈原が述べたいことではないのです。


「私は日々に老いが進んでいって、『老』の字が指す七十歳に
近づいていくというのに、私が修養をして高めてきた徳と能力を、
きちんと陛下を支える政治の場で発揮して功績を上げる、
ということが出来ないままに亡くなってしまうのを恐れているのです。」


「朝飲木蘭之墜露兮夕餐秋菊之落英」

「朝(あした)に木蘭(もくらん)の墜露(ついろ)を飲(の)み、
夕(ゆうべ)に秋菊(しゅうぎく)の落英(らくえい)を餐(さん)す。」


ここはいろんな漢詩の典拠にもなっているところです。
陶淵明とか、後世の詩人が思い浮かびますね。

「木蘭(もくらん)」はすでに以前に出て来たモクレンのことです。
「墜露(ついろ)」はそのモクレンの葉についた朝露のことです。

「英」とは「花」のことです。「英(はなぶさ)」という名字もありますね。
ですから「落英(らくえい)」とは落花のことで、枯れて花びらが落ちることです。
「餐(さん)」とは飲み食いすることを指します。

モクレンの葉についた朝露は、純粋な陽の気の象徴で、
秋の菊の落ちた花びらは、純粋な陰の気の象徴で、

屈原は一日を過ごすうちには朝夕の純粋な気のように、
かぐわしい徳と生命力を豊富に備えている、ということを表現しています。


「朝には木蘭の葉に降りた朝露を飲み、
夕方には秋の菊の落ちた花びらを食べるように、

一日のうちの陰の気と陽の気を身に備えるように、
かぐわしい徳と生命力を豊富に備えて日々を過ごしているのです。」


((3)に続きます)

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「朝飲木蘭之墜露兮夕餐秋菊之落英」
難しいですが、この辺からは私の婆でも勉強になります。
解かりやすく書いてくださり。ありがとうございます。

玄さんの成長は素晴らしいですね。本当に嬉しいです。

ナイス

2013/3/31(日) 午後 6:40  HOSI 

ほしさん、おはようございます。こちらにも温かいコメントとナイスポチをありがとうございます。
陶淵明などの漢詩にも引用される箇所ですので、元々どういう意味合いから使っていたのかを
きちんと知るのもとても大切だと、そんな風に思いました。
こういうところは特に分かりやすく書いていこうと思います。
今月も療養しながらしっかりとがんばってきます。

2013/4/1(月) 午前 8:21 白川 玄齋


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