玄齋詩歌日誌

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楚辞

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Photo by (c) Tomo.Yun

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●解説((1)の続きです):


「衆女嫉余之蛾眉兮謠?謂余以善淫」

「衆女(しゅうじょ)は余(よ)の蛾眉(がび)を嫉(ねた)み、
謡?(ようたく)して余(よ)を謂(い)うに善淫(ぜんいん)を以(もっ)てす。」

「衆女(しゅうじょ)」は自分以外の多くの家臣を、
「蛾眉(がび)」は「蛾の触角のように細い眉を持つ」という美女のたとえで、
この美女は屈原を指しています。優れた徳を持ち、
それが外まで溢れた屈原ということです。
懐王の寵愛を奪い合う、そんな意味合いだと思います。

「謡」は「毀」、つまり「そこなう、傷つける」ということです。
「謡」は「譛」、つまり「そしる」ということです。

「善」はここでは善悪の善ではなく、あまりよくない意味で「上手い」ということです。
「淫」はたぶらかすという意味です。

美しさで、口のうまさで陛下をたぶらかしているのです、
そんな風に重臣が讒言を行ったことを指しています。

何か他人事ではないように感じてしまいます。


「多くの女性が美しい人が寵愛を集めるのを妬むように、
多くの重臣たちが私の徳の美しさを妬み、

私をそしって傷つけようとして、美女がその美しさで君主をたぶらかすように、
上手いこと言って陛下をたぶらかしていると、
そんな風に重臣たちが述べているのです。」


「固時俗之工巧兮?規矩而改錯」

「固(もと)より時俗(じぞく)の工巧(こうこう)なれば、
規矩(きく)に?(そむ)きて改錯(かいさく)す。」

「時俗(じぞく)」とは時を得た人、つまり悪賢い重臣たちを指しています。
「工巧(こうこう)」はどちらの字も「たくみ」ということです。
これもよくない意味での「上手い、悪賢い」という意味ですね。

「規」は定規、「矩」はコンパスのことです。
修養をして身を正しくすることのたとえです。

「規矩(きく)」や次に出てくる「縄墨(じょうぼく)」は
儒学を批判する時にも使います。
(縄墨は後に説明します。こちらも大工さんの道具です)

昔の体制に無理に自分を合わせてしまって頭の堅い人間になる、
そういう批判に使うわけです。

儒学の考えは、本来こんなものではないわけです。
今の時代に昔の人の言葉を活かすには、
その言葉をそれぞれの人が直面している具体的な出来事に当てはめ、
この言葉は今の自分にとってどんな意味を持ってくるかを考えていく、
それによって達成されるという風に考えていく必要があります。

そうやって具体的に活かしていくための「規矩」であり「縄墨」なのです。
儒学を学んでいるはずの方々も、旧秩序の枠にはめこむことを
この二文字で表現することは危険だと、そう思います。

「?」は「そむく」です。聖人の言葉にそむいて、修養をしないということです。
「改錯(かいさく)」は「改悪」ということです。誤った方向に持っていくことです。

私もそんな悪い方向に向かわせる一人のように思われることもあるのですが、
旧秩序がそのまま幸福をもたらしてくれるなどという、
そんな幻想を持たないで欲しいと、切に願っています。


「そもそも時を得て高い地位にある重臣たちは悪賢くて、
コンパスや定規のような、自分の実際の体験に照らして
自分の修養に活かすための聖人の言葉にそむいて、
誤った方向に改めてしまっているのです。」


「背繩墨以追曲兮競周容以為度」

「縄墨(じょうぼく)に背(そむ)きて以(もっ)て曲(きょく)を追(お)い、
競(きそ)いて容(かたち)を周(あ)わせて以(もっ)て度(ど)と為(な)す。」


「縄墨(じょうぼく)」とは「すみなわ」のことで、大工さんが木材に
まっすぐな線を引くために、墨を含ませた糸を弾くというものです。

これは一度テレビで見ました。とてもかっこいいです。
相当な熟練がないときちんとした線が引けないのではと思いました。

これも「規矩」と同じで、修養に使う聖人の言葉をたとえています。
同じ意味に解釈していただけるとよくわかります。

「追」は「追随」、随う、という意味です。
「曲」は曲げる、つまり聖人の言葉を曲げる、改悪する、ということです。
そんな改悪されたものに追随していく重臣たちのことを批判しています。

「周」は「あわせる」、「容」は「見た目、外見」の意味です。
「度」は基準です。みんなで同じ事を言ってそれが正しいと君主に思わせる、
ということです。

これについて『韓非子』は面白い実例を引いています。
楚の国の王は笛の演奏を聴くのを好み、多くの楽人を召し抱えて
三百人ほどの大合奏をしておりました。

その王が亡くなり、新しい王が笛の音色を更に楽しもうと、
一人一人、個別に演奏をさせることを命じました。

楽人たちは個別に演奏をすることで自分の本当の腕前がばれることを恐れて、
皆逃げていった、という話です。

みんながぐるになって同じ事を言うような時は、
一人一人個別に聞き取って矛盾点を付き合わせれば、本当のことが見えてくると
さらに『韓非子』で述べております。これは熟練が要りますので、
実際に実行する時には慎重に、と思います。


「木材にまっすぐ線を引く墨縄(すみなわ)のように修養に活かすことが出来る
聖人の言葉にそむいて、間違った方向に改悪されたものに
他の重臣たちまでが追随し、

競うように同じ事を言って、それが世の中の基準であるかのように
陛下をだましているのです。」


「?鬱邑余侘?兮吾獨窮困乎此時也」

「鬱邑(うつゆう)なる余(よ)の侘?(たてい)に?(うれ)えて、
吾(われ)独(ひと)り此(こ)の時(とき)に窮困(きゅうこん)する也(なり)。」

「鬱邑(うつゆう)」「鬱悒(うつゆう)」とも書き、
糸がもつれるように心が晴れない様子を表します。

「侘?(たてい)」「侘」は「立つ」で
「?」は楚の国の人名としても用いて、「住」、「とどまる」という意味になります。
そこから、憂いで志を失って茫然と立っている、そんな意味になります。

「?」は「憂う」という意味です。
「此(こ)の時(とき)」というのは「状況が差し迫ったまさに今」という意味です。

お経の一番最初が「このとき」から始まるのは、
今まさにお経を読んでいる今の自分の「このとき」であると
考える必要がある、そういわれております。


「私の心がもつれて心が晴れず、
志を失ってただ立ちつくすような状態であるのを哀しんでいます。

私は今こそ陛下をお助けしなければならないのに、ただ一人こんなところで
生活に苦しんでいるだけというのは、何とも無念です。」


((3)に続きます)


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