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京料理 焼き物(魚の照り焼き)
Photo by (c) Tomo.Yun
こちらが現代語訳になります。
普段、漢文になじみのない方は、先に現代語訳に目を通して下さい。
よろしくお願いいたします。
●現代語訳:
目が目である理由、目の働きは、色を色として識別することにあって、
五色(ごしょく)という基本的な色が他の色を分類するように、
五色の仲間と言えるのです。しかしその識別する働きを失えば、
それは目が見えなくなるのと同じなのです。
耳が耳である理由、耳の働きは、声を声として識別することにあって、
五音(ごおん)という基本的な音が他の音を分類するように、
五音の仲間と言えるのです。しかしその識別する働きを失えば、
それは耳が聞こえなくなるのと同じなのです。
口が口である理由、口の働きは、味を味として識別することにあって、
五味(ごみ)という基本的な味が他の味を分類するように、
五味の仲間と言えるのです。しかしその識別する働きを失えば、
それは口がでたらめでちぐはぐになってしまうのと同じなのです。
目が見えず、耳が聞こえず、口がちぐはぐになるというのは、
本当にそうなるということではなく、
人の心が見たい、食べたいなどの欲望に満たされてしまうと、
目でものを見ても判断を狂わされてきちんと見ていない所ができてしまい、
耳も判断が狂わされてきちんと聴いていない所が出来てしまい、
口も判断が狂わされて本来の味を識別する能力に及ばない所が出来てしまう、
ということです。
馬を駆け回らせたり狩猟をしたり、そんな楽しみに心を奪われ、
珍しいお宝に目を奪われてしまうと、
普通の人は心がそれにすっかりとりつかれてしまって、
狂ったようにそれを追い求めたり、
挙げ句には正しい行いを妨げてしまうようになるのです。
君主の場合は、自分の判断能力を狂わせるだけでなく、
民衆や多くの人々がそれを出世の手がかりとして追い求めるようになり、
そうして普通に生活をしていた人たちが生業を投げ出し、
国中がそれを追い求めて国内が乱れるようになる、ということです。
このことから、優れた徳と知恵を持つ聖人は、
腹、つまりあらゆる物事の重要な部分に注目して、
その重要な部分を大切に扱い、
目、つまり目などから入ってくる様々な欲望に対しては、
出来る限り必要最小限にして、聖人自身や民衆が
それを狂ったように追い求めるようにならないように注意するのです。
彼、物事の重要部分を十分に発揮させるようにし、
此(これ)、それ以外のあまり重要でない部分を
出来る限り離れていくようにしていくのです。
つまり、昔の言葉にある、欲望を少なくする、
あるいは無欲になる、というのは、
とても常人に無理な禁欲を行うことではなく、
自分の目的、よりよく日々を生きることを見失わないように
うまく自分の欲望と付き合いながら、
普通の日々を過ごしていく、ということなのです。
(ここまでが現代語訳です)
明の初代皇帝の朱元璋(しゅげんしょう)による注釈によりますと、
後半部分を「五色(ごしょく)五音(ごおん)五味(ごみ)
田猟(でんりょう)貨財(かざい)、
みな民をしてこれを楽しむことあらしめんと欲して、
君は取らずして君はこれを有(たも)つ」
つまり、様々な欲望に関わる君主の持ち物、猟場や財産等は、
自分が所有しているというのではなくて、
民衆からそれらを預かって民衆を楽しませようという気持ちであれば、
君主の欲望を少し減らして民衆の利益はとても大きくなる、
そんな風に解説しています。
こちらも君主が少し欲望を減らすことによって、
周囲の利益がとても多くなる、ということを示しています。
現代語訳の最後の部分にも書きましたように、
昔の言葉にある、欲望を少なくするというのは、
とても常人に無理な禁欲などではなく、
自分の目的を見失わないようにうまく自分の欲望と付き合っていく、
そんなことを教えてくれる一節です。
私もこうした名文に触れながら、引き続きしっかりと学んでいきます。
今回もとても長い文章を読んでいただいて、深く感謝いたします。(了)
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老子
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ちょっと別のことかもしれませんが、ネットの世界でも目から入ってくる煽るような情報が多すぎます、重要な部分からブレないように自分を律するのはなかなか難しい。
2013/5/12(日) 午前 1:02
おひさしぶりでございます。
何時も立派なお勉強をされて居られますが、
吾々の様な年寄りにはついて行けず失礼していて
御免なさい。でも「玄さん」というお方が頑張って
いらっしゃる事は忘れは致しません。☆☆ 〜〜
2013/5/12(日) 午前 5:33 [ - ]
ひろちんさん、おはようございます。温かいコメントをありがとうございます。
ネット上で普段見慣れない情報を見ると、なかなか難しいのかもしれないですね。
自分から遠ければ遠いほど難しい、そんな風にも思います。
報道や学問など、自分から遠い大上段から振りかぶったものでは難しいとしても、
普段接している所、日常のあれこれやひろちんさんのご専門の分野の学問や短歌、
そういう所から今回の章のポイントを守っていく、それが大事ではないかと思います。
「得難きの貨」というのはまさにそういうことなのだと思います。
自分より遠くて価値のありそうなものが手を変え品を変えてやって来て、
自分自身だけでなく世の中の多くの人が振り回される、
自分から遠いものだからこそ判断能力も働かない、そういう所から少し離れて、
自分の身近で切実な部分、普段から考え工夫し続けている部分から世の中を眺めてみる、
そういうことが大切なのだと思います。
(続く)
2013/5/12(日) 午前 8:14
(続き)
最近は骨董の鑑定額を教えてくれるテレビ番組の中で、
結構いるのが退職金をつぎ込んで大損をしたという話が結構出て来ます。
普段骨董に接しない人が突然にこういう物を欲しくなって、
泥縄的に勉強した結果、かえって詐欺にかかりやすくなる、そんなこともよく見かけます。
私は古典を好む一人ですが、こういう物には手を出しません、
その番組に出てくる鑑定人の方も、そのお仕事の中で何度も痛い目にあって、
それさえも「勉強」として受け入れる志をもって日々努力している人たちを
相手にするわけですから、一朝一夕の勉強程度でどうにかなることはないのです。
私はそういうものがどうしても見たい場合は美術館へ足を運ぶようにしています。
そこのは少なくともプロの方々の鑑定を受けたものが存在するからです。
(つづく)
2013/5/12(日) 午前 8:44
(つづき)
名家の生まれや骨董やさんの出身でもない人が、もし骨董に興味を持ったならば、
実際に陶芸や絵画などを作ることを趣味として、それを続けていく中で
次第にきちんとした目が養われて、鑑賞の目も養われる、
こういうことを年月をかけて取り組むことで、本当に骨董の価値が分かってくる、
こんな人が本当の「骨董好き」になるのだと、そんな風に思います。
見慣れないものに振り回されない、そこが大切なのだと思います。
(続く)
2013/5/12(日) 午前 8:46
(続き)
私も漢文の勉強の中で安岡正篤先生の著書を読み、
戦前の物事への見方は私自身と幾分か相異するとしても、
漢文の解説に関してはとても分かりやすく、本物だということがよくわかります。
漢文の調べ物の中から自然に中国語に接するようになり、
会話はまだ出来なくても文章は読めるようになってきました。
それによって漢文の書籍をより安く手に入れることも出来るようになってきました。
自分が普段から接している所、普段から学び工夫する所から少しずつ世界を押し広げていく、
このことによって、次第にきちんと世の中のことにも対応できるようになってくる、
そんな風に思います。こういうポイントを元にさらに学んでいきます。
今日はすっきりと晴れていますね。ひろちんさんもよい日曜日をお過ごしくださいね。
2013/5/12(日) 午前 8:51
みなよ さん、おはようございます。お久しぶりです。
温かいコメントとナイスをありがとうございます。
最近の記事は文字数としても目を通すことは大変ですので、
そうやって見守っていて下さっていることにも感謝いたします。
此からも健康に気をつけて、しっかりと学んでいきます。
よい日曜日をお過ごしくださいね。
2013/5/12(日) 午前 8:57
よく言う「無欲の勝利」・・・ これも、目の前のことを
一つずつ丁寧にこなすべきだということかな???
2013/5/13(月) 午前 10:14
ある おかん さん、おはようございます。温かいコメントをありがとうございます。
「無欲の勝利」は、欲を減らしていく、つまり出来る限り大切な部分に
焦点を合わせていきますと、自分の周囲の状況がしっかりと見えてくる、
それが解決につながりやすい、ということだと考えています。例を示しますと、
ある地方議員が議員としての資格を問われて辞職を勧告された場合、
自分の資格が正当であることを裁判所等に訴え出る方もおりますが、
かえって徒労に終わることも多く、次の選挙では疑惑の中での立候補に
なってしまうのです。勝訴しても、その間の時間と費用は結構かかるわけです。
(つづく)
2013/5/13(月) 午前 11:17
(つづき)
それよりもむしろ、一時の感情に身を任さずに、それを不本意ながらも受け入れた上で、
次の選挙までの期間、地元に尽くしていけばいいわけです。
そうするとその普段の活動を見ている有権者の方々は、ここまでしてくれるのならばと
次の選挙ではきちんと票を入れてくれる方も増えて、次の当選時には
誰も文句をつけない形で議員としての仕事を行うことが出来るのです。
その後で正当性を主張しても、遅くはないのです。
その人にそこまでする志がないのであれば、公のために仕事をする資格はどうなのか、
それを考え直す必要があるのだと、そんな風に思います。
無欲になると問題の全体が見えてきて、より正しい判断が出来るのだと、そう思います。
今日は暑い中ですが、何とか元気に学んでおります。おかんさんもよい一日をお過ごしくださいね。
2013/5/13(月) 午前 11:23
有難う 全体をみる!!・・・今のアタシに大切な事を
言ってもらいました。
一点しか見ずに 進んでいました。
深呼吸して見直しますね。がんばるよ〜。
2013/5/13(月) 午後 1:04
ある おかん さん、ありがとうございます。
私自身もこういう風に日々学んでいこうと思います。
夕方からも元気に過ごしていきます。今週もよろしくお願いいたします。
2013/5/13(月) 午後 7:37
「目が見えず、耳が聞こえず、口がちぐはぐになるというのは、
本当にそうなるということではなく、
人の心が見たい、食べたいなどの欲望に満たされてしまうと、
目でものを見ても判断を狂わされてきちんと見ていない所ができてしまい、
耳も判断が狂わされてきちんと聴いていない所が出来てしまい、
口も判断が狂わされて本来の味を識別する能力に及ばない所が出来てしまう、
ということです。」
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いつも分かりやすく御解説いただきありがとうございます。
読者の皆さんの貴重なコメント及び玄齋さんの丁寧な御回答も合わせて拝読いたしました。とても勉強になります。ナイス!ポチ☆
2013/5/14(火) 午後 8:55 [ Tenbinza8722 ]
Tenbinza8722(56rinyahoo)さん、こんばんは。
温かいコメントとナイズポチをありがとうございます。
大切なことに目を向けながら、それを邪魔するもの、欲望などから離れていく、
ここには日常生活の上で必要な所もありますから、そういう所を出来るだけ
必要な分に止めていく、という所です。
この部分は昨年夏の入院中に出来ていましたが、
安岡先生の著作を読み直す作業が必要でしたので、今になりました。
これからも療養しながらしっかりと学んでいきます。
2013/5/14(火) 午後 9:25
訳も上手ですねー!
療養中とのこと、病は気から、気持ちを明るく生きましょう!!!
お互いに!!!
2013/5/17(金) 午後 7:25 [ 夢想miraishouta ]
夢想miraishouta さん、こんにちは。温かいコメントをありがとうございます。
私自身の身近な例や、読書を元に説明をするように心がけています。
最近は暑くなりましたので、早朝に集中して勉強をしています。
午後からは休養です。夢想さんもお身体に気をつけてお過ごしくださいね。
2013/5/18(土) 午後 2:32
私も最近はちょっと元気が落ちてきたように思いますが、玄さんと共に頑張りましょう!
2013/5/19(日) 午後 10:06 [ 夢想miraishouta ]
夢想miraishouta さん、こんばんは。温かいコメントをありがとうございます。
今日は通院でした。検査結果に変化がなくてほっとしております。
夢想さんもお身体に気をつけてお過ごしくださいね。
明日もよろしくお願いいたします。
2013/5/21(火) 午後 9:19