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●初めに:
「〜とは」という形のメタな議論、例えば、「漢詩とは」という形の
漢詩に関する議論というものを口にする時は、慎重にしております。
少なくとも私個人の感想として何もない所から述べることは避けております。
では、どうやって述べていくかというと、
「詩話(しわ)」を叩き台として自分の意見を述べるようにしております。
「詩話(しわ)」とは、昔の詩人が書いた漢詩にまつわる逸話や作法をまとめたものです。
これを解説しながら以下述べていくわけですが、大切なのは、
「全て鵜呑みにしてはいけない」ということです。
こういう詩話のような文章をまとめる能力と、作詩の能力が異なる時もありますし、
その当時には人の耳目を集めるような内容だったとしても、
今を生きる人にはつながっていかないものもあるからです。
今回は北宋の政治家で文人の欧陽脩(おうようしゅう)の著した
『六一詩話(ろくいちしわ)』の一節を解説していきます。
本人の号が六一居士(ろくいちこじ)であることからのネーミングです。
今回はその中の一節の中で、
彼の友人で詩人の梅尭臣(ばいぎょうしん)、
字(あざな)を聖兪(せいゆ)という人物との対話の場面を取り上げます。
この手の話として、著者本人の考えを述べている箇所よりも、
こんな風に友人の話を紹介する箇所の方が役に立つ、そんなこともあります。
梅尭臣は名家の庶子に生まれ、科挙には受からなかったけれども
その名家のおかげを被って官界入りをしたために、
官吏としては低い身分で終わっています。
その分、漢詩に特化しているということも言えるのではと思っています。
さらに梅尭臣は『孫子』の註釈でも有名です。
彼の註釈はとてもシンプルで、あくまでも参考例の一つとしてしか
見ることのできないものですが、彼がこうして注釈を書いたことで、
孫子が広く北宋のころに広まったということが言えます。
では、今回の本文です。
このあとは原文と書き下し文とその訳しながらの解説、
最後に一連の現代語訳をまとめるようにします。
●原文:
聖兪嘗語余曰、「詩家雖率意、而造語亦難。
若意新語工、得前人所未道者、斯為善也。
必能状難写之景、如在目前、含不盡之意、見於言外、然後為至矣。
賈島云、『竹籠拾山果、瓦瓶擔石泉』
姚合云:『馬隨山鹿放、鶏逐野禽栖』等是山邑荒僻、官況蕭条、
不如『縣古槐根出、官清馬骨高』為工也」
余曰:「語之工者固如是。状難写之景、含不盡之意、何詩為然?」
聖兪曰:「作者得於心、覧者会以意、殆難指陳以言也。
雖然、亦可略道其髣髴。
若嚴維『柳塘春水漫、花塢夕陽遲』、
則天容時態、融和駘蕩、豈不如在目前乎?
又若温庭?『鶏聲茅店月、人跡板橋霜』、
賈島『怪禽啼曠野、落日恐行人』、
則道路辛苦、羈愁旅思、豈不見於言外乎?」
●書き下し文:
聖兪(せいゆ)嘗(かつ)て余(よ)に語(かた)りて曰(いわ)く、
「詩家(しか)率意(そつい)と雖(いえど)も、
而(しこう)して造語(ぞうご)は亦(また)難(かた)し。
意(い)新(あら)たに語(ご)工(たく)みにして、
前人(ぜんじん)の未(いま)だ道(い)わざる所(ところ)を
得(え)たるが若(ごと)き者(もの)、
斯(こ)れ善(ぜん)と為(な)すなり。
必(かなら)ず能(よ)く写(うつ)し難(がた)きの
景(けい)を状(かたちづく)り、目前(もくぜん)に
在(あ)るが如(ごと)くにして、
尽(つ)きざるの意(い)を含(ふく)み、
言外(げんがい)に見(あらわ)れ、
然(しか)る後(のち)至(いた)れりと為(な)すなり。
賈島(かとう)云(い)う、
『竹籠(ちくろう)に山果(さんか)を拾(ひろ)い、
瓦瓶(がべい)に石泉(せきせん)を擔(にな)う。』、
姚合(ようごう)云(い)う、
『馬(うま)は山鹿(さんろく)に随(したが)いて放(はな)ち、
鶏(とり)は野禽(やきん)を逐(お)うて栖(す)む。』
等(とう)は是(これ)山邑(さんゆう)荒僻(こうへき)、
官況(かんきょう)蕭条(しょうじょう)たるは、
『県(けん)古(ふる)くして槐根(かいこん)出(い)でて、
官(かん)清(きよ)くして馬骨(ばこつ)高(たか)し』
を工(たくみ)と為(な)すに如(し)かざるなり。」
余(われ)曰(い)わく、
「語(ご)の工(たくみ)なる者(もの)固(もと)より是(かく)の如(ごと)し。
写(うつ)し難(がた)きの景(けい)を状(かたちづく)り、
尽(つ)きざるの意(い)を含(ふく)むは、
何(いず)れの詩(し)か然(しか)りと為(な)すや?」
聖兪(せいゆ)曰(いわ)く、
「作(つく)る者(もの)心(こころ)に得(え)て、
覧(み)る者(もの)意(い)を以(もっ)て会(え)するは、
殆(ほと)んど言(げん)を以(もっ)て
指(さ)して陳(の)べること難(かた)きなり。
然(しか)りと雖(いえど)も、
亦(また)略(ほぼ)其(そ)の髣髴(ほうふつ)たるを道(い)うべし、
厳維(げんい)の
『柳塘(りゅうとう)春水(しゅんすい)漫(そぞろ)に、
花塢(かお)夕陽(せきよう)遅(おそ)し』
の若(ごと)きは、則(すなわ)ち天容(てんよう)時態(じたい)、
融和(ゆうわ)駘蕩(たいとう)、
豈(あに)目前(もくぜん)に在(あ)るに如(し)かざるや?
又(また)温庭?(おんていいん)の
『鶏声(けいせい)茅店(ぼうてん)の月(つき)、
人跡(じんせき)板橋(ばんきょう)の霜(しも)』、
賈島(かとう)の
『怪禽(かいきん)曠野(こうや)に啼(な)き、
落日(らくじつ)行人(こうじん)を恐(おそ)る』
の若(ごと)きは、則(すなわ)ち道路(どうろ)の辛苦(しんく)、
羈愁(きしゅう)旅思(りょし)、
豈(あに)言外(げんがい)に見(あらわ)れざるや?」
(ここまでが書き下し文です)
●解説
このあとは、こちらの部分の解説をしていきます。
「聖兪(せいゆ)嘗(かつ)て余(よ)に語(かた)りて曰(いわ)く、」
まず、聖兪(せいゆ)はこの詩話の作者の友人である
梅尭臣(ばいぎょうしん)の字(あざな)です。
「友人の聖兪(せいゆ)は、以前私にこう語ったことがあります。」
「詩家(しか)率意(そつい)と雖(いえど)も、
而(しこう)して造語(ぞうご)は亦(また)難(かた)し。」
「率意(そつい)」の「率」は「率直」ということです。
心のままに述べるということです。
「詩を詠む人たちは心のままに詠むとは言っても、
そのための言葉を作り出すことは難しいのです。」、
意(い)新(あら)たに語(ご)工(たく)みにして、
前人(ぜんじん)の未(いま)だ道(い)わざる所(ところ)を
得(え)たるが若(ごと)き者(もの)、
斯(こ)れ善(ぜん)と為(な)すなり。
「工」は「たくみ」、「道」は「言う」です。
「(言葉は難しいものではなくても、)その発想が新しく言葉遣いがたくみで、
昔の詩人がまだ言っていない所を詩に述べることができる、
そんな詩がよいわけです。」
「必(かなら)ず能(よ)く写(うつ)し難(がた)きの
景(けい)を状(かたちづく)り、目前(もくぜん)に
在(あ)るが如(ごと)くにして、
尽(つ)きざるの意(い)を含(ふく)み、
言外(げんがい)に見(あらわ)れ、
然(しか)る後(のち)至(いた)れりと為(な)すなり。」
「状」は「かたちづくる」、「見」は「あらわれる」です。
「そんな詩は必ず表現するのが難しい景色を詩句の中に組み立てて、
まるで目の前に現れ出てくるようであり、
汲んでも尽きることのない言葉の意味を含み、
その上で最も優れた詩になるのです」
「賈島(かとう)云(い)う、
『竹 籠 拾 山 果 瓦 瓶 擔 石 泉
(竹籠(ちくろう)に山果(さんか)を拾(ひろ)い、
瓦瓶(がべい)に石泉(せきせん)を擔(にな)う。)』」
「賈島(かとう)」は唐の詩人で、推敲の故事で有名な人です。
詩句の中で、門を「推す」か「敲(たた)く」かで迷ったことがもとです。
「山果(さんか)」は山でとれる果物で、「瓦瓶(がべい)」は陶器でできた容器、
「石泉(せきせん)」は山の泉の流れのことです。
「擔」は「担」、つまり、「になう」ということです。
「唐の詩人の賈島(かとう)の詩句にある
『竹籠(ちくろう)に山果(さんか)を拾(ひろ)い、
瓦瓶(がべい)に石泉(せきせん)を擔(にな)う。』
詩句の中を訳しますと、
『竹でできたカゴに山でとれた果物を入れ、陶器で出来た入れ物
に山の間を流れる泉の流れから取ったきれいな水を入れて
背負っていました』となります。
詩句は書き下し文と訳をこのように併記します。
姚合(ようごう)云(い)う、
『馬 隨 山 鹿 放 鶏 逐 野 禽 栖
(馬(うま)は山鹿(さんろく)に随(したが)いて放(はな)ち、
鶏(とり)は野禽(やきん)を逐(お)うて栖(す)む。)』
姚合(ようごう)も唐の詩人で、当時は賈島(かとう)と二人で
詩人として有名でした。野禽(やきん)は野生の鳥のことです。
「同時期の詩人の姚合(ようごう)の、
『馬(うま)は山鹿(さんろく)に随(したが)いて放(はな)ち、
鶏(とり)は野禽(やきん)を逐(お)うて栖(す)む。』
詩句の訳は、
『馬は山に住む鹿のように放っておかれ、
家畜のニワトリは野生の鳥たちを追いかけて住む
(山の方にある村はそんなひどい状況だったのです)』となります。
「等(とう)は是(これ)山邑(さんゆう)荒僻(こうへき)、」
「山邑(さんゆう)」は山にある村で、
「荒僻(こうへき)」は人が通った形跡もない荒れた土地のことです。
「山にある村々が人も通らない荒れ果てた状態を詩句で表したもので、」
「官況(かんきょう)蕭条(しょうじょう)たるは、」
「官況(かんきょう)」は官吏(かんり)、
つまり役人としての暮らしの中での思いのことです。
「蕭条(しょうじょう)」はもの寂しい様子です。
「役人の日々の暮らしの中での心境がもの寂しい様子を表す詩句は、」
『県(けん)古(ふる)くして槐根(かいこん)出(い)でて、
官(かん)清(きよ)くして馬骨(ばこつ)高(たか)し』
を工(たくみ)と為(な)すに如(し)かざるなり。」
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漢詩
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お早うございます。
今までのを新しき詩的な言葉で解りやすくくわえて読むのですね。
ナイス
2013/6/7(金) 午前 4:32
ほしさん、おはようございます。一つ一つに温かいコメントとナイスポチをありがとうございます。
漢詩の世界ではあまり難しい言葉を使うことは推奨されておらず、
昔の言葉で、かつ、違う発想で詠んでいくことが大切になってきます。
こういう所は師匠に学びながら、しっかりと工夫をしていかなければと思っています。
今日も一日元気に学んでいきます。
2013/6/7(金) 午前 9:30