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●解説の続きです
さて、先ほどの原文の最初の部分は、
六十四卦の中孚(ちゅうふ)の卦に当たります。
まず、この卦はこんな形をしています。画像で示します。
先ほどの六十四卦は六段階の横に引いた線で表されます。
このそれぞれを爻(こう)と言います。
真ん中が切れていれば陰を、切れていなければ陽を示します。
中孚(ちゅうふ)の中とは
「両極端を避けたその時その時にふさわしい振る舞い」のことで、
物差しで測ったような真ん中を指すものではありません。
「孚」は「信」、つまり信じることと信じられることの両方を指します。
儒学の経書でも「信じる」の意味だけで意味を取ると苦しくなる場合も
「信じられる」の意味で解釈すると良い場合が多いです。
そうしないと「君子は常に素直でしかもだまされない」という
有り得ないものになってしまいます。
実際には、そんなバカ正直な人ではだまされるのは当然なのです。
そういうものを述べてはおりませんので、一言注意点としてあげておきました。
そして、
その中孚(ちゅうふ)の卦の形が、
すでに「人に信じられる」ということを象徴しているわけです。
陽は充実を表し、陰は空虚を示します。
この卦では下から三段目と四段目が陰で空虚になっています。
真ん中が空虚で「欲が少ない」ことを示しています。
六十四卦は上の三段階と下の三段階が分かれて、
この部分が八種類の形になって、それが八卦です。
これもこの卦を解釈する手がかりとなります。
まず、下三段の卦は「兌(だ)」と言います。この卦は兌は「泉」を意味していて、
「悦(えつ)」、つまり「よろこぶ」を意味しています。
「悦(よろこぶ)」と「説(と)く」の象徴でもあります。
卦の説明で説とある時は悦の意味でも考えた方が理解できます。
「兌(だ)」の卦は以下の画像のような形になります。
一方で、もう一つの卦は「巽(そん)」と言います。
風を象徴していて「従う」という意味があり、
木、あるいは水に浮かぶ船を指すこともあります。次のような形です。
下の八卦が人の内面を表し、上の八卦が外見、
或いは外部との交渉を指しています。
この場合は内面が「兌」、つまり心は喜んで、
外部には「巽」、従うということです。
心から喜びながら従うということです。
どういうことかと言いますと、
世の中には本音と建て前がありまして、
もし建前の場合にしても、全く自分の意思のないものだとしたら、
建前を行う人間自体が苦しい思いをして、
その上で相手に見透かされてしまいます。
建前の場合も自分の中にある本当の真心のほんの一部分でも
存在するかどうかが分かれ目になってくるわけです。
これが「よろこんで従う」という意味になるわけです。
さて、その八卦のそれぞれ真ん中に当たる部分、
つまり六十四卦でいうところの二番目と五番目の部分を
中位(ちゅうい)と言いまして、
これも六十四卦の要の部分で、この部分が陽だということは、
「内面が充実している」ということです。
欲を少なくして、修養によって内面を充実させていく、
この両方を兼ね備えて信じられる人間、ということを説いているのです。
前者に傾いていれば隠者のたぐい、後者に傾けば豪傑なわけです。
その両極端の両方の間の、その人その人の特質にあった
程良い所にたどり着けば、人に信じられるということになるわけです。
さて、
今回の原文の最初の部分は、下から二段階目の爻(こう)を説明した
「爻辞(こうじ)」の一節です。再び以下に示します。
その後に加えて、この部分を解説した象伝(しょうでん)の一節を示します。
○爻辞(こうじ)の原文:
「鳴鶴在陰、其子和之、我有好爵、吾與爾靡之
象曰、『其子和之、中心願也』」
○爻辞(こうじ)の書き下し文:
「鳴鶴(めいかく)陰(いん)に在り、其(そ)の子(こ)之(これ)に和(わ)す、
我に好爵(こうしゃく)有り、吾(われ)爾(なんじ)と之(これ)に靡(したが)わん、
象(しょう)に曰(いわ)く、
『其(そ)の子(こ)之(これ)に和(わ)す、
中心(ちゅうしん)より願う也(なり)』」
(ここまでが爻辞(こうじ)の書き下し文です)
では、最初の文から解説していきます。
まず、この爻(こう)は「九二」と呼ばれます。「二」は二段階目の爻を表し、
「九」は陽の数で、その爻が陽であることを示します。
ちなみに「六」は陰の数です。どうして九と六がそうなっているかと言いますと、
昔から五行(ごぎょう)という考え方がありまして、
木化土金水の五つの要素で世の中が出来上がっているという考え方です。
それぞれに番号を1〜5を割り振って、
奇数は陽の数ですので、
それを合計すると1+3+5=9、つまり陽の数「九」になり、
偶数は陰の数ですので、
それを合計すると2+4=6、つまり陰の数「六」になるのです。
細かいことですが、ちょっとした豆知識です。
「鳴鶴(めいかく)陰(いん)に在り」、
「陰」は物陰です。つまり、物陰に隠れて親の鶴が鳴くわけです。すると、
「其(そ)の子(こ)之(これ)に和(わ)す」、
つまり鶴の雛が親の鳴き声に「ここにいるよ」と返事を返すわけです。
「我に好爵(こうしゃく)有り」、「爵(こうしゃく)」は
昔の貴族の位の「爵位(しゃくい)」あるいは権利、権力を指します。
「私は良い爵位(しゃくい)とその地位にふさわしい権力を持っています。」
となります。
「吾(われ)爾(なんじ)と之(これ)に靡(したが)わん」、
「爾(なんじ)」とは「あなた」という意味です
「之(これ)」とは「徳」のことです。この時の徳は、
経書の『大学』にある「明徳(めいとく)を明(あき)らかにする」です。
明徳とはその人その人に備わった優れた性質のことです。
それを明らかにする、つまり修養によって、
更に養って磨きをかけていくということです。
この結果出来上がった徳のことです。
「爾(なんじ)」で言われているのは遠くにいる同じ徳を持つ人のことです。
「わたしは遠くからやって来たあなたと同じように、
人に備わった性質に磨きをかけた徳に従おうと思います。」
となります。
まずは全体の現代語訳をまとめて、
最後の言葉の意味を再検討してまとめとします。
((3)に続きます)
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