玄齋詩歌日誌

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楚辞

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●解説((1)の続きです):



「芳(ほう)と沢(たく)とを其(そ)れ雑糅(ざつじゅう)し、
唯(ただ)昭質(しょうしつ)の其(そ)れ猶(なお)未(いま)だ虧(か)けざるのみなり。」

「芳(ほう)」はすぐれた徳の香り、
「沢(たく)」は実質が潤沢にあると言うことです。

「雑糅(ざつじゅう)」はどちらの文字も「雑じる」と言う意味です。
「昭質(しょうしつ)」の「昭(しょう)」は明るい、
つまり実質が外からも見えるほどに明るくなっていると言うことです。

「虧」は「欠ける」と言う意味です。
屈原は相当な自負があったのがわかる一句ですね。

「私のかぐわしい徳の香りと潤沢な実質が一つに混じり合って、
今はただその自分の実質が欠けることなく残り続けているだけなのです。
(そうして一人、自分の徳を養って失わないようにしております)」


「忽(こつ)として反顧(はんこ)して以(もっ)て目(め)を遊(あそ)ばせ、
将(まさ)に往(ゆ)きて四荒(しこう)を観(み)んとす。」

「荒(こう)」は遠いという意味ですので、
「四荒(しこう)」は四方の遠くの場所を指しております。
遠くまで行って、懐王より賢明な君主に仕えようという意味です。

「私は陛下を補佐して忠誠を尽くすことが出来ないのでしたら、
すぐに後ろを向いて四方の遠く後まで行き、賢明な君主を捜し求めようと思います。」


「繽紛(ひんぷん)たるを佩(は)きて其(そ)の飾(かざ)りを繁(しげ)くし、
芳(かんば)しく菲菲(ひひ)として其(そ)れ弥(いよいよ)章(あき)らかなり。」

「繽紛(ひんぷん)」とはさかんな様子を示す言葉です。
「菲菲(ひひ)」が花が美しく生い茂ることです。

「弥」は「いよいよ」と読みます。

ちなみに「弥栄(いやさか)」という言葉は、
「弥(いよいよ)栄える」、「ますます栄える」という意味から
「万歳」を意味する言葉として使われます。

「章」は「あきらか」です。
どうして外面のことを述べるかと言いますと、『論語』に
「文質彬彬」という言葉がありまして、この言葉は、
修養を積んだ君子は実質だけではなくて目に見える所にも
気をつけて威儀を正していく必要があるという言葉です。

徳を身につけた結果、いつまでもわびしい姿をさらしていれば、
それを見習おうとする人も少ないのです。

苦しい状況を耐えるというのは、ずっとそのまま耐え続けるのではなくて、
後々のための充電期間なのです。そういう風に考えていかないと
人は窮乏生活にいつまでも耐えられるものではないという、シビアな考え方です。

私も実際苦しい状況ですが、後々の日を想像しながら学んでおります。
これは、私の強がりかもしれないですね。

「その香りがさかんな花のような徳を身につけて、さらに自分の徳の飾りを多くし、
かぐわしい花が咲きほこるような徳はますます明らかになってくるのです。」


「民生(みんせい)は各(おのおの)楽(たの)しむ所(ところ)有(あ)りて、
余(よ)は独(ひと)り脩(おさ)むるを好(この)みて以(もっ)て常(じょう)と為(な)す。」

「民生(みんせい)」は民衆の暮らしをさします。

楽しむ所というのはそれぞれの方が楽しいと思うことです。
人によっては君主にこびへつらうことを楽しみとしたり、
欲望を貪ることを楽しみとしたりすることも多いわけです。

そんな中で、屈原は一人徳の修養をすることに楽しんでいるということです。
屈原の強がりの部分と、本当に修養や勉強にはまりこんだら楽しくなってくる、
そんな部分をさしています。楽しくないと続かない、
どんな世界でも結局はそうなのだと思います。

先ほどの文質彬彬(ぶんしつひんぴん)と共に、
徳の修養の上での大切なポイントとなっています。

「民衆は暮らしの中でそれぞれ楽しむ所があります。
人によっては君主にこびへつらうことを楽しみとしたり、
欲望を貪ることを楽しみとしたりすることも多いわけです。

そんな中で私は一人、常に徳の修養をしていくことを楽しみとしているのです。」


「体解(たいかい)すると雖(いえど)も吾(われ)猶(なお)未(いま)だ変(へん)ぜず、
豈(あに)余(よ)の心(こころ)の懲(おさ)むべきや。」

「体解(たいかい)」とは身体をバラバラにする古代の処刑の方法です。
「懲」は「艾」、つまり「おさめる」という意味です。

「たとえ処刑されて身体をバラバラにされても私は自分の意思を
曲げられないのです。そんな状況で、
私の気持ちのおさまりが、どうしてもつかないのです。」


「女嬃(じょしゅ)の嬋媛(せんえん)として
申申(しんしん)として其(そ)の予(われ)を詈(ののし)る。」

「女嬃(じょしゅ)」は屈原のお姉さんです。
「嬋媛(せんえん)」はここでは「引き留める」の意味です。

「申申(しんしん)」は「重ねて」、「詈」は「ののしる」ということです。

お姉さんが屈原を引き留めに来て、屈原を叱りつけているのです。
このお姉さんは屈原の状況をしっかりと理解しているわけではありませんが、
こういう厳しい時の家族の情のこもった叱りつける言葉は結構突き刺さります。。。

「私の姉の女嬃(じょしゅ)は私を引き留めようとして、
何度も重ねてそんな私を叱りつけていました。」


「鯀(こん)の?直(けいちょく)にして以(もっ)て身(み)を亡(ほろぼ)し、
終(つい)に羽(う)の野(の)に殀(よう)するを曰(い)う。」

「鯀(こん)」は楚の国のご先祖とされている、古代の帝王の??(せんぎょく)の
五代後の子孫で、彼の息子には夏王朝を開いた禹(う)がいます。

鯀(こん)は尭(ぎょう)という帝王が天下を治めていた時、洪水が起こり、
治水工事の担当者になっておりました。尭は彼の任用をためらっていましたが、
群臣達が皆推すので、仕方なく担当しました。
ところが、治水工事には失敗していました。

この時に尭(ぎょう)を補佐するようになった舜(しゅん)は、
現地に出向いて状況を確かめた所、その治水現場のひどい状況と、
そして鯀(こん)が羽山(うざん)という場所で亡くなっていました。
天の支配者である天帝(てんてい)に処刑されたとされています。

その後、鯀(こん)の息子の禹(う)が後任となった時に
舜(しゅん)も賛成し、禹(う)は奮起して見事に治水工事をやり遂げたという話です。

その後、尭(ぎょう)は舜(しゅん)に帝王の位を譲り、
さらにその後、舜(しゅん)は禹(う)に帝王の位を譲りました。
これが夏(か)王朝の始まりです。

鯀(こん)も禹(う)も、楚の王族のご先祖だったからこそ、
屈原のお姉さんはこの話を持ち出したということです。

?直(けいちょく)の「?(けい)」は「かたくな」であるということです。
頑なでまっすぐ、融通が利かない、鯀(こん)の性格が
そのように伝えられていたのがわかります。

殀(よう)は若くして死ぬことです。
「終」のあとの「然」は単に発音の調子を整えるための助詞(じょし)です。

「帝王の尭(ぎょう)の時代に治水工事を担当していた、
私たちのご先祖の鯀(こん)は、頑なでまっすぐで融通が利かない性格だったから、
ついには羽山(うざん)の野で若くして死んでしまったのです。」


「汝(なんじ)は何(なん)ぞ博謇(はくけん)にして脩(おさ)むるを好(この)み、
紛(ふん)として独(ひと)り此(こ)の?節(こせつ)有(あ)らんや。」

屈原のお姉さんの厳しい一言が続きます。

「博謇(はくけん)」の「博(はく)」は博学、広く学んでいることです。
「謇(けん)」は忠言をまっすぐに言って憚らないことです。
そこから、広く学んでいることから、あらゆる忠言をまっすぐに述べるということです。

「?節(こせつ)」は美しい徳を持って人と異なる節度を持って
過ごすということです。

「あなたはどうして広く学んで修養を好んで忠言を憚らずにいて、
こんな混乱の中で徳を保って孤高を保つようなことをするのですか。」



「?(し)たる?(りょく)葹(し)を以(もっ)て室(しつ)に盈(み)たし、
判(わか)れて独(ひと)り離(はな)れて服(ふく)せず。」

「?(し)」は多くのものがごたごたと混じり合っていることです。

「?(りょく)」は「王芻(おうすう)」、つまりコブナグサのことです。
湿った所に多く生えている植物です。

「葹(し)」は「蒼耳子(そうじし)」、つまりオナモミのことです。
どちらも雑草ですね。つまり群臣達を指すわけです。


「「?(りょく)」、つまりコブナグサや、「葹(し)」、つまりオナモミが、
ごたごたと生えているような群臣達で満たされている宮廷から、
私は忠義を保ったまっすぐな性格からはっきりとした形で別れて従うことが出来ないのです。」


「衆(しゅう)の戸説(こせつ)たるべからざれば、
孰(いずく)にか余(よ)の中情(ちゅうじょう)を察(さっ)すると云(い)わん。」

「戸説(こせつ)」は一軒一軒挨拶して自分の気持ちを述べることです。
これは正直、どんな人にも不可能です。
でもそうしなければ正しく自分の気持ちが伝わらない、
そんな苦しい時もありますね。

こういう場合は親しい身の回りの人間関係をきちんとしていって、
そこから少しずつ輪を広げるように信頼を増していけばよいのですが、
屈原は王族で、肝心の王に嫌われていては、
それも難しくなってしまっているのです。

「民衆に一軒一軒説いて回らなければ、どうして民衆達が
私の本当の気持ちを察してくれているなどと言うことが出来るでしょうか。」


「世(よ)は並(なら)び挙(あ)げて朋(とも)たるを好(この)まば、
夫(そ)れ何(なん)ぞ煢独(けいどく)たる予(われ)を聴(き)かざるや。」

「煢独(けいどく)」は孤独のことです。

「世の中の人たちが揃って私と友であることを好むようなら、
そもそもどうして孤独である私の気持ちを聴かないということが
あるでしょうか」


ここまでをまとめると、以下のような現代語訳になります。


((3)に続きます)

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