玄齋詩歌日誌

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荘子

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今回は『荘子(そうし)』の外篇(がいへん)という荘子の真筆かどうかを疑われる篇の中の「在宥(ざいゆう)篇」の一節です。今回の一節は私が老荘を読み解くヒントとなった重要な箇所です。

まず概要を説明しますと、古代の帝王である黄帝(こうてい)と彼の師である仙人の広成子(こうせいし)が対話する場面です。一見しますと奇妙奇天烈な展開に思えるわけですが、そこで述べられている道理は明確です。簡単に言えば「人のことより自分のこと」です。

では、本文に入ります。書き下し文の後にその部分の説明という形で続けていきます。

「黄帝(こうてい)立ちて天子(てんし)と為(な)りて十九年、令(れい)は天下に行(おこな)わる」、

古代の帝王の黄帝が天子(てんし)、
つまり帝王の座に就いて十九年がたち、
為政者としての号令は天下に広く伝わって、
天下の民衆はそれに従っていました。

「広成子(こうせいし)の空同(くうどう)の上に在るを聞き、
故(ゆえ)に往(ゆ)きて之(これ)に見(まみ)ゆ」、

広成子(こうせいし)とは黄帝の師にあたる仙人のことです。
空洞(くうどう)は ??(くうどう)という山のことで、
今の中国の甘粛(かんしゅく)省にある山の名前だそうです。
今でも道教のお寺がたくさんあるそうです。

「仙人の広成子(こうせいし)が??(くうどう)という山にいることを聞き、
そこで直接出向いて会いに行くことにしました。」

「曰(いわ)く、我(われ)吾子(ごし)の至道(しどう)に達するを聞き、
敢(あ)えて至道(しどう)の精(せい)を聞かん」、

「至道(しどう)」は「道」武道や詩歌や職業や、
日常をよりよく生きるための道理をまとめて述べています。

吾子(ごし)は相手を親しみを込めて呼ぶ言葉です。
「あなた」ということです。

「達」は「悟る」と同じ意味です。
精は精髄(せいずい)、中心となる部分のことです。

「あなた(広成子)がこの世を生きるためのこの上ない道理を
悟ったということをお聞きしました。
あえてその道理の精髄、中心となる所をお尋ねいたします」

「吾(われ)天地の精(せい)を取りて、以て五穀(ごこく)を佐(たす)け、
以て民人(みんじん)を養(やしな)わんと欲(ほっ)す」、

「五穀(ごこく)」は一般的な五種類の穀物のことです。
「佐」は「助ける」です。「民人」は民衆のことです。

「天地の精(せい)」とは「精気(せいき)」、
つまり天地万物の根本となる気のことです。
天候や時間の変化をもたらすためのものです。

「私は天候や時間の変化をもたらす天地万物の根本となる気を自分のものとして、
それで五穀の生長を助け、それによって民衆を養い育てていきたいのです」、

「吾(われ)又(また)陰陽(いんよう)を官(つかさど)り、
以て群生(ぐんせい)を遂(と)げんと欲(ほっ)す。
之(これ)を為(な)すこと奈何(いかん)?」

「陰陽(いんよう)」は万物の元となる陰と陽の気のことで、
官(つかさど)るは「主宰者となる」ということです。

「群生(ぐんせい)」は多くの民衆のことです。

「万物の元となる陰と陽の気の主宰者となって、民衆を養い育てていきたいのです。これを行うには、どのようにすればよいのでしょうか」

黄帝の質問は一言で言いますと
「万物や天地の気を用いて天下を治めるにはどうすればよいですか」
ということです。

これに対する仙人の広成子(こうせいし)の返答は辛辣です。

「広成子(こうせいし)曰(いわ)く、『而(なんじ)の問(と)わんと欲(ほっ)する所の者は、物の質なり。而(なんじ)の官(つかさど)らんと欲する者は、物の残(ざん)なり」

「而」はここでは「爾(なんじ)」、「お前」という意味です。「問わんと欲する所」とは、万物の道理の中心となる重要部分のことで、「官(つかさど)らんと欲する所」とは、
万物を養い育てる天地や陰陽の気の主宰者となるということです。

「身を修める」ということと「天下を治める」ということです。

身を修めることは「物の質」、註釈では「未(いま)だ散ぜざるの樸(ぼく)」、
つまり生まれ持った大切な部分がまだ失われていないということです。

一方で天下を治めることは「物の残」、註釈では「樸散(ぼくさん)の気」、つまり、
生まれ持った大切な部分がすっかり失われた残りかすの部分だということです。

ここで言いたいのは、身を修めるということと天下を治めるということがずいぶんと異なってしまっているということです。

道は『易経(えききょう)』の易の哲学を論じた、道は繋辞伝(けいじでん)の中の万物のご先祖である太極(たいきょく)のさらにご先祖に当たり、それが最も重要な部分に当たるわけですが、そこからどんどん枝分かれした万物は、その本質が分かれて少なくなった箇所だということです。

重要な部分を身につけてそれがほとんど失われた所に手を入れていく、このように修身と天下を治めるということの両者を異なった物としてとらえてしまいますと、

闇雲に自分が相手の意図を推しはかろうとして、結局その人のためにならない、

これを簡単に言い換えますと「相手におもねる」ということになってしまったり、「まるで相手のためにならない無益なアドバイスやお説教」につながったりしてしまうのです。こんな状況を道理とは到底言えないということです。

さらに仙人の広成子(こうせいし)の言葉が続きます。

「而(なんじ)の天下を治めしより、 雲気(うんき)は族(むらが)るを待たずして雨ふり」、「雲気(うんき)」は雲のことで、「族」は「簇」、つまり「むらがる」です。

「お前が天下を治めるようになってからは、雲が集まる前に雨が降ったり」、

「草木(そうもく)は黄(き)ばむを待たずして落ち、日月(じつげつ)の光(ひかり)は益(ますます)以(もっ)て荒(あ)る」、

「黄」は昔の礼法や制度を示した『礼記(らいき)』の暦の変化を記した月令(がつりょう)という篇のなかにある、「草木(そうもく)は黄(き)ばみ落(お)つ」、草木が枯れて黄色く変色して落ちるということです。

「草木は黄色く変色する前に枯れて落ちてしまい、太陽や月の光はさらに荒々しいものになってしまっています」

「而(なんじ)佞人(ねいじん)の心の翦翦(せんせん)たる者、又(また)奚(なん)ぞ至道(しどう)を語るを以て足らんや』」

ここも厳しい言葉です。「佞人(ねいじん)」は「こびへつらう人」のことです。人気を集めるような政治手法や、人付き合いの中でも人の意向を伺ってばかりいる状況のことです。「翦翦(せんせん)」は知恵が足りず愚かな事を示します。

なぜ愚かかと言いますと人の気持ちをくみ取ることは確かに大切なのですが、そう簡単ではないということと、「人と自分は違う」と思っている場合、「自分にはよくわからないけれど、こうすれば相手は喜ぶだろう」という安易な考えで相手のためを思って動いても、実際には相手のためにならなかったり、あるいは逆に相手を傷つけてしまうことになり、

あるいは相手に拒絶された後に「あいつのためを思って行動したのになぜあいつは云々」という恨み言が残ることにもつながりかねないのです。

「お前は佞人(ねいじん)と呼ばれるあの愚かな者であるから、一体どうして優れた道理のことなど一緒に語り合うのに十分と言えるのか」です。

((2)へ続く)


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