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来月は検査入院です。
無理のない範囲でブログのアップ等もしていきます。
フェイスブックとツイッターは時間的・精神的負担を考慮して、
やめることにしました。
よろしくお願いいたします。
(先日はブログをお休みすると書いていましたが、
現時点で正確ではないので改めました)
追伸:
先日のひとことの内容を以下に移し替えます。
理由は、個別のメッセージを公開でやりとりする
理由がわからないからです。
○おとといのひとこと
昨年漢詩を作った美容師の島田先生は男性です。
名前から女性と間違えられやすいそうです。
久しぶりのひとことを投稿してみました。
○昨日のひとこと
月刊 随句詩『草原』八月号を拝読。
戦争について自由律俳句の俊英達が詠む特集でした。
これをもとに戦争について改めて考えるとともに、
ネット上などで行われる戦争、陰湿ないじめなどに荷担している一人に
なってしまっていないかを改めて反省させられました。感謝します。
○今日のひとこと
諸葛孔明の「出師表(前出師表)」を、改行を入れて読みやすくしました。
こういう編集作業も大切だと思いました。
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●現代語訳:
陛下(楚の懐王)が道理に暗く、私を悪い家臣だと思っている事が哀しいです。
ですから、私はその場に長くたたずんでいて、道に還る、
つまり私の志を遂げて死のうと思います。
私の車の向きを戻して命懸けの諌言をして道義に死ぬ、
それを実行しようかどうかと迷うほどに祖国からまだそれほど遠くない所にいました。
私が馬を蘭の生えた沢のほとりを歩ませるように、
かぐわしい徳を持つ陛下の話をじかに見聞きし、
先の尖った丘の上を走らせてしばらくそこに止まるように、
陛下のご命令を待っているのです。
進言をして陛下に聞き入れてもらえない時は陛下のおとがめを離れるために
宮廷を退いて役人になるまえに着ていた服に着替えて
自分の身を修めることにしようと思っていました。
菱と蓮を裁縫して衣装の上半身の衣を作り、
蓮の花を集めて衣装の下半身の裳(しょう)を作る、
そんな風に自分の清らかな気持ちを保って、さらに徳を磨いていこうと思います。
陛下が私を知らないままで終わってしまったとすれば、
私は自分の気持ちを誠実に保って自分の徳をかぐわしい花のようにして
陛下に信じられるようにつとめていき、
私の冠を高くし、私の腰に身につける佩玉(はいぎょく)を長くするように、
私の服装と威儀を整えて、他の者たちに抜きん出る姿をお見せしようと思います。
私のかぐわしい徳の香りと潤沢な実質が一つに混じり合って、
今はただその自分の実質が欠けることなく残り続けているだけなのです。
(そうして一人、自分の徳を養って失わないようにしております)
私は陛下を補佐して忠誠を尽くすことが出来ないのでしたら、
すぐに後ろを向いて四方の遠く後まで行き、賢明な君主を捜し求めようと思います。
その香りがさかんな花のような徳を身につけて、さらに自分の徳の飾りを多くし、
かぐわしい花が咲きほこるような徳はますます明らかになってくるのです。
民衆は暮らしの中でそれぞれ楽しむ所があります。
人によっては君主にこびへつらうことを楽しみとしたり、
欲望を貪ることを楽しみとしたりすることも多いわけです。
そんな中で私は一人、常に徳の修養をしていくことを楽しみとしているのです。
たとえ処刑されて身体をバラバラにされても私は自分の意思を
曲げられないのです。そんな状況で、
私の気持ちのおさまりが、どうしてもつかないのです。
私の姉の女嬃(じょしゅ)は私を引き留めようとして、
何度も重ねてそんな私を叱りつけていました。
「帝王の尭(ぎょう)の時代に治水工事を担当していた、
私たちのご先祖の鯀(こん)は、頑なでまっすぐで融通が利かない性格だったから、
ついには羽山(うざん)の野で若くして死んでしまったのです。
あなたはどうして広く学んで修養を好んで忠言を憚らずにいて、
こんな混乱の中で徳を保って孤高を保つようなことをするのですか。」
と。
「?(りょく)」、つまりコブナグサや、「葹(し)」、つまりオナモミが、
ごたごたと生えているような群臣達で満たされている宮廷から、
私は忠義を保ったまっすぐな性格から群臣達と
はっきりと異なっているから従うことが出来ないのです。
世の中の人たちが揃って私と友であることを好むようなら、
そもそもどうして孤独である私の気持ちが聞き届けられないようなことが
あるでしょうか。
(ここまでが現代語訳です)
本当に世の中で生きるためには屈原のように節義を保って過ごすことは難しく、
屈原のお姉さんが指摘したような生き方になってしまうのではと思いました。
こういう所を改めて考え直す機会になるのも嬉しいです。
これからもしっかりと学んでいきます。
今回も長文にお付き合いいただき、感謝いたします。
(了)
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「芳(ほう)と沢(たく)とを其(そ)れ雑糅(ざつじゅう)し、 唯(ただ)昭質(しょうしつ)の其(そ)れ猶(なお)未(いま)だ虧(か)けざるのみなり。」 「芳(ほう)」はすぐれた徳の香り、 「沢(たく)」は実質が潤沢にあると言うことです。 「雑糅(ざつじゅう)」はどちらの文字も「雑じる」と言う意味です。 「昭質(しょうしつ)」の「昭(しょう)」は明るい、 つまり実質が外からも見えるほどに明るくなっていると言うことです。 「虧」は「欠ける」と言う意味です。 屈原は相当な自負があったのがわかる一句ですね。 「私のかぐわしい徳の香りと潤沢な実質が一つに混じり合って、 今はただその自分の実質が欠けることなく残り続けているだけなのです。 (そうして一人、自分の徳を養って失わないようにしております)」 「忽(こつ)として反顧(はんこ)して以(もっ)て目(め)を遊(あそ)ばせ、 将(まさ)に往(ゆ)きて四荒(しこう)を観(み)んとす。」 「荒(こう)」は遠いという意味ですので、 「四荒(しこう)」は四方の遠くの場所を指しております。 遠くまで行って、懐王より賢明な君主に仕えようという意味です。 「私は陛下を補佐して忠誠を尽くすことが出来ないのでしたら、 すぐに後ろを向いて四方の遠く後まで行き、賢明な君主を捜し求めようと思います。」 「繽紛(ひんぷん)たるを佩(は)きて其(そ)の飾(かざ)りを繁(しげ)くし、 芳(かんば)しく菲菲(ひひ)として其(そ)れ弥(いよいよ)章(あき)らかなり。」 「繽紛(ひんぷん)」とはさかんな様子を示す言葉です。 「菲菲(ひひ)」が花が美しく生い茂ることです。 「弥」は「いよいよ」と読みます。 ちなみに「弥栄(いやさか)」という言葉は、 「弥(いよいよ)栄える」、「ますます栄える」という意味から 「万歳」を意味する言葉として使われます。 「章」は「あきらか」です。 どうして外面のことを述べるかと言いますと、『論語』に 「文質彬彬」という言葉がありまして、この言葉は、 修養を積んだ君子は実質だけではなくて目に見える所にも 気をつけて威儀を正していく必要があるという言葉です。 徳を身につけた結果、いつまでもわびしい姿をさらしていれば、 それを見習おうとする人も少ないのです。 苦しい状況を耐えるというのは、ずっとそのまま耐え続けるのではなくて、 後々のための充電期間なのです。そういう風に考えていかないと 人は窮乏生活にいつまでも耐えられるものではないという、シビアな考え方です。 私も実際苦しい状況ですが、後々の日を想像しながら学んでおります。 これは、私の強がりかもしれないですね。 「その香りがさかんな花のような徳を身につけて、さらに自分の徳の飾りを多くし、 かぐわしい花が咲きほこるような徳はますます明らかになってくるのです。」 「民生(みんせい)は各(おのおの)楽(たの)しむ所(ところ)有(あ)りて、 余(よ)は独(ひと)り脩(おさ)むるを好(この)みて以(もっ)て常(じょう)と為(な)す。」 「民生(みんせい)」は民衆の暮らしをさします。 楽しむ所というのはそれぞれの方が楽しいと思うことです。 人によっては君主にこびへつらうことを楽しみとしたり、 欲望を貪ることを楽しみとしたりすることも多いわけです。 そんな中で、屈原は一人徳の修養をすることに楽しんでいるということです。 屈原の強がりの部分と、本当に修養や勉強にはまりこんだら楽しくなってくる、 そんな部分をさしています。楽しくないと続かない、 どんな世界でも結局はそうなのだと思います。 先ほどの文質彬彬(ぶんしつひんぴん)と共に、 徳の修養の上での大切なポイントとなっています。 「民衆は暮らしの中でそれぞれ楽しむ所があります。 人によっては君主にこびへつらうことを楽しみとしたり、 欲望を貪ることを楽しみとしたりすることも多いわけです。 そんな中で私は一人、常に徳の修養をしていくことを楽しみとしているのです。」 「体解(たいかい)すると雖(いえど)も吾(われ)猶(なお)未(いま)だ変(へん)ぜず、 豈(あに)余(よ)の心(こころ)の懲(おさ)むべきや。」 「体解(たいかい)」とは身体をバラバラにする古代の処刑の方法です。 「懲」は「艾」、つまり「おさめる」という意味です。 「たとえ処刑されて身体をバラバラにされても私は自分の意思を 曲げられないのです。そんな状況で、
私の気持ちのおさまりが、どうしてもつかないのです。」
「女嬃(じょしゅ)の嬋媛(せんえん)として 申申(しんしん)として其(そ)の予(われ)を詈(ののし)る。」 「女嬃(じょしゅ)」は屈原のお姉さんです。 「嬋媛(せんえん)」はここでは「引き留める」の意味です。 「申申(しんしん)」は「重ねて」、「詈」は「ののしる」ということです。 お姉さんが屈原を引き留めに来て、屈原を叱りつけているのです。 このお姉さんは屈原の状況をしっかりと理解しているわけではありませんが、 こういう厳しい時の家族の情のこもった叱りつける言葉は結構突き刺さります。。。 「私の姉の女嬃(じょしゅ)は私を引き留めようとして、 何度も重ねてそんな私を叱りつけていました。」 「鯀(こん)の?直(けいちょく)にして以(もっ)て身(み)を亡(ほろぼ)し、 終(つい)に羽(う)の野(の)に殀(よう)するを曰(い)う。」 「鯀(こん)」は楚の国のご先祖とされている、古代の帝王の??(せんぎょく)の 五代後の子孫で、彼の息子には夏王朝を開いた禹(う)がいます。 鯀(こん)は尭(ぎょう)という帝王が天下を治めていた時、洪水が起こり、 治水工事の担当者になっておりました。尭は彼の任用をためらっていましたが、 群臣達が皆推すので、仕方なく担当しました。 ところが、治水工事には失敗していました。 この時に尭(ぎょう)を補佐するようになった舜(しゅん)は、 現地に出向いて状況を確かめた所、その治水現場のひどい状況と、 そして鯀(こん)が羽山(うざん)という場所で亡くなっていました。 天の支配者である天帝(てんてい)に処刑されたとされています。 その後、鯀(こん)の息子の禹(う)が後任となった時に 舜(しゅん)も賛成し、禹(う)は奮起して見事に治水工事をやり遂げたという話です。 その後、尭(ぎょう)は舜(しゅん)に帝王の位を譲り、 さらにその後、舜(しゅん)は禹(う)に帝王の位を譲りました。 これが夏(か)王朝の始まりです。 鯀(こん)も禹(う)も、楚の王族のご先祖だったからこそ、 屈原のお姉さんはこの話を持ち出したということです。 ?直(けいちょく)の「?(けい)」は「かたくな」であるということです。 頑なでまっすぐ、融通が利かない、鯀(こん)の性格が そのように伝えられていたのがわかります。 殀(よう)は若くして死ぬことです。 「終」のあとの「然」は単に発音の調子を整えるための助詞(じょし)です。 「帝王の尭(ぎょう)の時代に治水工事を担当していた、 私たちのご先祖の鯀(こん)は、頑なでまっすぐで融通が利かない性格だったから、 ついには羽山(うざん)の野で若くして死んでしまったのです。」 「汝(なんじ)は何(なん)ぞ博謇(はくけん)にして脩(おさ)むるを好(この)み、 紛(ふん)として独(ひと)り此(こ)の?節(こせつ)有(あ)らんや。」 屈原のお姉さんの厳しい一言が続きます。 「博謇(はくけん)」の「博(はく)」は博学、広く学んでいることです。 「謇(けん)」は忠言をまっすぐに言って憚らないことです。 そこから、広く学んでいることから、あらゆる忠言をまっすぐに述べるということです。 「?節(こせつ)」は美しい徳を持って人と異なる節度を持って 過ごすということです。 「あなたはどうして広く学んで修養を好んで忠言を憚らずにいて、 こんな混乱の中で徳を保って孤高を保つようなことをするのですか。」 「?(し)たる?(りょく)葹(し)を以(もっ)て室(しつ)に盈(み)たし、 判(わか)れて独(ひと)り離(はな)れて服(ふく)せず。」 「?(し)」は多くのものがごたごたと混じり合っていることです。 「?(りょく)」は「王芻(おうすう)」、つまりコブナグサのことです。 湿った所に多く生えている植物です。 「葹(し)」は「蒼耳子(そうじし)」、つまりオナモミのことです。 どちらも雑草ですね。つまり群臣達を指すわけです。 「「?(りょく)」、つまりコブナグサや、「葹(し)」、つまりオナモミが、 ごたごたと生えているような群臣達で満たされている宮廷から、 私は忠義を保ったまっすぐな性格からはっきりとした形で別れて従うことが出来ないのです。」 「衆(しゅう)の戸説(こせつ)たるべからざれば、 孰(いずく)にか余(よ)の中情(ちゅうじょう)を察(さっ)すると云(い)わん。」 「戸説(こせつ)」は一軒一軒挨拶して自分の気持ちを述べることです。 これは正直、どんな人にも不可能です。 でもそうしなければ正しく自分の気持ちが伝わらない、 そんな苦しい時もありますね。 こういう場合は親しい身の回りの人間関係をきちんとしていって、 そこから少しずつ輪を広げるように信頼を増していけばよいのですが、 屈原は王族で、肝心の王に嫌われていては、 それも難しくなってしまっているのです。
「民衆に一軒一軒説いて回らなければ、どうして民衆達が 私の本当の気持ちを察してくれているなどと言うことが出来るでしょうか。」 「世(よ)は並(なら)び挙(あ)げて朋(とも)たるを好(この)まば、 夫(そ)れ何(なん)ぞ煢独(けいどく)たる予(われ)を聴(き)かざるや。」 「煢独(けいどく)」は孤独のことです。 「世の中の人たちが揃って私と友であることを好むようなら、 そもそもどうして孤独である私の気持ちを聴かないということが あるでしょうか」
ここまでをまとめると、以下のような現代語訳になります。 ((3)に続きます) |
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●原文:
悔 相 道 之 不 察 兮 延 佇 乎 吾 將 反。
回 朕 車 以 復 路 兮 及 行 迷 之 未 遠。
歩 余 馬 於 蘭 臯 兮 馳 椒 丘 且 焉 止 息。
進 不 入 以 離 尤 兮 退 將 復 脩 吾 初 服。
製 ? 荷 以 為 衣 兮 集 芙 蓉 以 為 裳。
不 吾 知 其 亦 已 兮 苟 余 情 其 信 芳。
高 余 冠 之 岌 岌 兮 長 余 佩 之 陸 離。
芳 與 澤 其 雜 糅 兮 唯 昭 質 其 猶 未 虧。
忽 反 顧 以 遊 目 兮 將 往 觀 乎 四 荒。
佩 繽 紛 其 繁 飾 兮 芳 菲 菲 其 彌 章。
民 生 各 有 所 樂 兮 余 獨 好 脩 以 為 常。
雖 體 解 吾 猶 未 變 兮 豈 余 心 之 可 懲。
女 嬃 之 嬋 媛 兮 申 申 其 詈 予。
曰 鯀 ? 直 以 亡 身 兮 終 然 殀 乎 羽 之 野。
汝 何 博 謇 而 好 脩 兮 紛 獨 有 此 ? 節。
? ? 葹 以 盈 室 兮 判 獨 離 而 不 服。
衆 不 可 戸 説 兮 孰 云 察 余 之 中 情。
世 並 舉 而 好 朋 兮 夫 何 煢 獨 而 不 予 聽。
●書き下し文
道(みち)を相(そう)することの察(さっ)せざるを悔(く)いて、
延佇(えんちょ)して吾(われ)将(まさ)に反(かえ)らんとす。
朕(わ)が車(くるま)を回(めぐ)らせて以て路(みち)に復(かえ)り、
行(おこな)うに及(およ)びては之(これ)に迷(まよ)うこと
未(いま)だ遠(とお)からず。
余(よ)が馬(うま)を蘭臯(らんこう)に歩(あゆ)ませ。
椒丘(しょうきゅう)に馳(は)せて且(しばら)く焉(ここ)に止息(しそく)す。
進(すす)みて入れられざれば以て尤(とがめ)を離(はな)れ、
退(しりぞ)きて将(まさ)に復(また)吾(わ)が初服(しょふく)を脩(おさ)めんとす。
?荷(しか)を製(た)ちて以(もっ)て衣(ころも)を為(つく)り、
芙蓉(ふよう)を集(あつ)めて以(もっ)て裳(しょう)を為(つく)る。
吾(われ)を知らずして其(そ)れ亦(また)已(や)めば、
余(よ)の情(じょう)を苟(まこと)にして其(そ)の信(しん)芳(かんば)しく、
余(よ)の冠(かんむり)の岌岌(きゅうきゅう)たるを高(たか)くし、
余(よ)の佩(はい)の陸離(りくり)たるを長(なご)うせん。
芳(ほう)と沢(たく)とを其(そ)れ雑糅(ざつじゅう)し、
唯(ただ)昭質(しょうしつ)の其(そ)れ猶(なお)未(いま)だ虧(か)けざるのみなり。
忽(こつ)として反顧(はんこ)して以(もっ)て目(め)を遊(あそ)ばせ、
将(まさ)に往(ゆ)きて四荒(しこう)を観(み)んとす。
繽紛(ひんぷん)たるを佩(は)きて其(そ)の飾(かざ)りを繁(しげ)くし、
芳(かんば)しく菲菲(ひひ)として其(そ)れ弥(いよいよ)章(あき)らかなり。
民生(みんせい)は各(おのおの)楽(たの)しむ所(ところ)有(あ)りて、
余(よ)は独(ひと)り脩(おさ)むるを好(この)みて以(もっ)て常(じょう)と為(な)す。
体解(たいかい)すると雖(いえど)も吾(われ)猶(なお)未(いま)だ変(へん)ぜず、
豈(あに)余(よ)の心(こころ)の懲(おさ)むべきや。
女嬃(じょしゅ)の嬋媛(せんえん)、
申申(しんしん)として其(そ)れ予(われ)を詈(ののし)る。
鯀(こん)の?直(けいちょく)にして以(もっ)て身(み)を亡(ほろぼ)し、
終然(しゅうぜん)として羽(う)の野(の)に殀(よう)するを曰(い)う。
汝(なんじ)は何(なん)ぞ博謇(はくけん)にして脩(おさ)むるを好(この)み、
紛(ふん)として独(ひと)り此(こ)の?節(こせつ)有(あ)らんや。
?(し)たる?葹(りょくし)を以(もっ)て室(しつ)に盈(み)たし、
判(わか)れて独(ひと)り離(はな)れて服(ふく)せず。
衆(しゅう)の戸説(こせつ)たるべからざれば、
孰(いずく)にか余(よ)の中情(ちゅうじょう)を察(さっ)すると云(い)わん。
世(よ)は並(なら)び挙(あ)げて朋(とも)たるを好(この)まば、
夫(そ)れ何(なん)ぞ煢独(けいどく)たる予(われ)を聴(き)かざるや。
●解説:
では、本文に入ります。
「道(みち)を相(そう)することの察(さっ)せざるを悔(く)いて、
延佇(えんちょ)して吾(われ)将(まさ)に反(かえ)らんとす。」
「悔」は「恨」、つまり「恨み哀しむ」ということです。
「相(そう)」は「視(みる)る」ということで、
「延佇(えんちょ)」の「延(えん)」は「長い」、
「佇(ちょ)」は「佇立(ちょりつ)」、「たたずむ」という意味です。
「反」は「還」、つまり「還る」ということです。
どこに還るのか、『老子』でいう所の「道に還る」です。
この場合は「自分の志を遂げて死ぬ」ということです。
「陛下(楚の懐王)が道理に暗く、私を悪い家臣だと思っている事が哀しいです。
ですから、私はその場に長くたたずんでいて、道に還る、
つまり己の志を遂げて死のうと思います」
「朕(わ)が車(くるま)を回(めぐ)らせて以て路(みち)に復(かえ)り、
行(おこな)うに及(およ)びては之(これ)に迷(まよ)うこと
未(いま)だ遠(とお)からず。」
この「迷う」とは、何に迷うかといいますと、
主君の懐王の元を去ることができない、
なぜならば屈元自体も王族で、同じ姓を持っている以上、
「去る」という道義がないとすれば、
道義に死ぬ、命懸けの諌言をするということです
「朕」は「我」を指す言葉で、始皇帝が皇帝の一人称として使い始めるまでは、
普通の人も「我」という意味で使っておりました。この点は要注意です。
「私の車の向きを戻して命懸けの諌言をして道義に死ぬ、
それを実行しようかどうかと迷うほどに祖国からまだそれほど遠くない所にいました。」
「余(よ)が馬(うま)を蘭臯(らんこう)に歩(あゆ)ませ。
椒丘(しょうきゅう)に馳(は)せて且(しばら)く焉(ここ)に止息(しそく)す。」
「臯(こう)」は「沢のほとり」のことです。
蘭は君主のたとえです。懐王に直にあって言葉を聞くことのたとえです。
「椒丘(しょうきゅう)」とは先の尖った丘の事です。
一節には「山椒の木の生えた丘」もあります。こちらは前者で解釈していきます。
その丘に止まって、懐王の命を待とうということです。
「私が馬を蘭の生えた沢のほとりを歩ませるように、
かぐわしい徳を持つ陛下の話をじかに見聞きし、
先の尖った丘の上を走らせてしばらくそこに止まるように、
陛下のご命令を待っているのです。」
「進(すす)みて入れられざれば以て尤(とがめ)を離(はな)れ、
退(しりぞ)きて将(まさ)に復(また)吾(わ)が初服(しょふく)を脩(おさ)めんとす。」
「尤」は「とがめ」、懐王からのとがめ立てのことです。
「初服(しょふく)」とは役人になるまえに着ていた服です。
役人の制服は「朝服(ちょうふく)」と言います。
「進言をして陛下に聞き入れてもらえない時は陛下のおとがめを離れるために
宮廷を退いて役人になるまえに着ていた服に着替えて
自分の身を修めることにしようと思っていました。」
「?荷(しか)を製(た)ちて以(もっ)て衣(ころも)を為(つく)り、
芙蓉(ふよう)を集(あつ)めて以(もっ)て裳(しょう)を為(つく)る。」
「製」は「縫製(ほうせい)」、つまり裁縫のことです。
「?荷(しか)」は「菱(ひし)」と「蓮(はす)」の事です。
「芙蓉(ふよう)」は「蓮の花」の事です。
「衣(ころも)」は衣装の上半身、
「裳(しょう)」は衣装の下半身です。
「菱と蓮を裁縫して衣装の上半身の衣を作り、
蓮の花を集めて衣装の下半身の裳(しょう)を作る、
そんな風に自分の清らかな気持ちを保って、さらに徳を磨いていこうと思います。」
「吾(われ)を知らずして其(そ)れ亦(また)已(や)めば、
余(よ)の情(じょう)を苟(まこと)にして其(そ)の信(しん)芳(かんば)しく」
「不吾知」で「吾(われ)を知らず」となります。
懐王が自分の本当の姿や気持ちに気付かないということです。
「苟」は「誠」、つまり「まこと」の意味です。
「陛下が私を知らないままで終わってしまったとすれば、
私は自分の気持ちを誠実に保って自分の徳をかぐわしい花のようにして
陛下に信じられるようにつとめていき、」
「余(よ)の冠(かんむり)の岌岌(きゅうきゅう)たるを高(たか)くし、
余(よ)の佩(はい)の陸離(りくり)たるを長(なご)うせん。」
「岌岌(きゅうきゅう)」は「高い」事を表すものです。
「陸離(りくり)」は多くの人と異なる、人に抜きん出る、ということです。
「佩(はい)」は「佩玉(はいぎょく)」、腰に付ける玉製の装身具のことです。
「私の冠を高くし、私の腰に身につける佩玉(はいぎょく)を長くするように、
私の服装と威儀を整えて、他の者たちに抜きん出る姿をお見せしようと思います。」
((2)に続きます)
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●原文:
插秧風景 玄齋 (下平聲一先韻)
五 月 一 村 農 事 忙 苗 田 處 處 意 軒 昂
晴 天 雨 日 難 推 測 祈 念 豐 年 詣 祀 堂
●書き下し文:
題: 「挿秧(そうおう)風景(ふうけい)」
五月(ごがつ)の一村(いっそん)農事(のうじ)忙(いそが)しく
苗田(びょうでん)処々(しょしょ) 意(い)軒昂(けんこう)たり
晴天(せいてん)雨日(うじつ)推測(すいそく)し難(がた)く
豊年(ほうねん)を祈念(きねん)して祀堂(しどう)に詣(まう)づ
●現代語訳
題: 「田植えの風景を詠んだものです」
五月は村じゅうで農作業が忙しく、
苗を植えた田んぼでは、所々で意気盛んでした。
晴れの日と雨の日は推測するのが難しい気候で、
今年が豊作になることを願って、
ご先祖のほこらや神社へお参りに行きました。
●語注:
※挿秧(そうおう):稲の苗を植える、田植えのことです。
※一村(いっそん): 村じゅうが、という意味です。
※農事(のうじ): 農作業のことです。
※苗田(びょうでん): 田植えをした田んぼのことです。
※軒昂(けんこう): 意気盛んな様子を示します。
※豊年(ほうねん):豊作の年のことです。
※祀堂(しどう): 先祖をまつったほこらや神社のことです。
●解説:
今月の漢詩の会の課題です。田植えの風景を漢詩に詠みました。
今年は晴れの日も多く、水田が出来ない所もあると聞きましたので、
本当に、各地で真剣に雨乞いの儀式も行われていると思います。
豊作になって欲しいなと思います。
今日は雨です。降る時にはしっかりと降って欲しいなと私も思います。
昨日は通院で、先ほどまで休養でした。今日も元気に学んでいきます。
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