玄齋詩歌日誌

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月のすむ雲井をかけて慕ふともこの世の闇になほや惑はん   源氏

人のおやの心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな    後撰集 雑一 1102 藤原兼輔

大方の憂きにつけては厭へどもいつかこの世を背きはつべき   藤壺


解説

藤壺が御八講(みはこう)の最終日に出家を宣言したときの話の続きです。


  (注)御八講(みはこう): (前回も説明しましたが、もう一度載せます)
   法華八講(ほっけはっこう)のことで、『法華経』八巻を朝座・夕座に一巻ずつ講じ、
   四日間で全巻を講説する法会のことです。法華八講会(ほっけはっこうえ)とも言います。



ここからが本文です。


亡き桐壺院の皇子たちは、父院の御在世中の(藤壺への御寵愛の深い)様子を思いだして、
現状をいっそうしみじみと悲しく思いながら、皆、弔問の挨拶をしていました。


大将(源氏)は、御八講(みはこう)の席に一人残って、かける言葉も見つからずに、
悲しみに途方に暮れていましたが、

「どうして、(源氏の君は)それほどまでに悲しみにくれておられるのだ」

と、周囲の人に不審に思われるかもしれないと思い、兵部卿の宮や他の皇子たちが退出した後に、
中宮(藤壺: 以下、「藤壺」で統一します)の元へ向かいました。


次第に人々のすすり泣きや狼狽する様子もおさまって、女房たちは鼻をかみながら、
あちらこちらに集まっていました。

月の光は陰りもないほどに輝き、その光に雪が照らし出されている庭の様子にも、
昔のことが思い出されて、源氏はとても堪えがたい気持ちになっていましたが、心を落ち着かせて、

「どのようなご決心から、宮様(藤壺)は、このように突然な出家をなさったのですか」

と、源氏は藤壺に(人を取り次いで)尋ねました。

「ちょうど今、初めて出家を思い立ったわけではありませんが、周囲が騒がしくなってしまうと、
 私の決意が揺らいでしまうと思いましたので(あえて言わないでおりました)」

と、藤壺は例の命婦などを通して源氏に返答しました。


藤壺のいる御簾の中の様子や、そこに集まっている女房たちの衣擦れの音を、
大きくさせないように気をつけて体を動かしながらも、悲しみをなだめることが難しくて、
つい漏れ出てしまう声などには、

「これももっともなことだ、とても悲しい」

と思いながら、源氏は聞いていました。


風は激しく吹雪いて、御簾の中の薫香は、香りの奥ゆかしい黒方(くろぼう: 冬の香)が沁みて、
名香(みょうごう: 仏に供える香)の煙も、かすかに感じられました。さらに源氏の衣の薫香までが
混じり合って香っていて、すばらしく、極楽浄土を想像することもできるような今夜の様子でした。


東宮の御使者もやってきました。別れの日に東宮が母の藤壺におっしゃったことを、
藤壺は思いだしてしまい、気丈な様子で悲しみを堪えていることができなくて、
東宮への返答を御使者に伝えることができない様子でした。
そこで大将の君(源氏)が言葉を添えて、御使者に伝えました。


誰も彼も、ここにいる全員は、悲しみに気持ちが落ち着かないくらいの様子であったので、
(周囲に聞かれてはまずいと思って、)源氏は今いろいろと思っていることを、
藤壺に口に出して言うことはできませんでした。

そこで、次のようにだけ藤壺の取り次ぎに言いました(一首目)。


「月のすむ雲井をかけて慕ふともこの世の闇になほや惑はん   源氏

 訳: 月が澄んだ夜空に懸かっている、そんな澄み切った(御出家を決断した)心を
  お慕いしておりますが、この世の中の、子を思う闇にやはり途方に暮れておられるのでしょう。


   (注)上の短歌の『子を思う闇』は、以下の短歌の引用です(二首目)。

    人のおやの心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな    後撰集 雑一 1102 藤原兼輔

    訳: 子を持つ親の心は闇ではないけれども、子供のことを思うときには、
     闇夜に迷うように、理性を失って何もわからなくなってしまうものだなあ。

     藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)は紫式部の曾祖父にあたる方なので、
     この短歌の引用は各所に出て来ます。


と、宮様(藤壺)がお思いになることは、仕方のないことでございましょう。
宮様が出家を決意なさったことを、私はこの上なくうらやましいことと存じます」


そのときには、女房たちが近くに控えているので、源氏は様々に乱れている心の中さえも、
打ち明けることはできませんでした。藤壺は次のように取り次いで返事を出しました(三首目)。


「大方の憂きにつけては厭へどもいつかこの世を背きはつべき   藤壺

 訳: 世間一般の辛いことからは、出家をして逃れましたが、いつになればこの世を
  すっかり捨てることができるのでしょうか。


私の心は、一方では悟っていながらも、他方ではまだ煩悩に悩んでいるのです」


藤壺の返事の半分は、(命婦など)使いの者の配慮(による付け加え)なのでしょう。

源氏は悲しみだけが尽きなくて、胸の苦しい思いをして、藤壺の邸を後にしました。




ここまでが本文です。

源氏は思うことも告げられずに、『子を思う闇』という形で、藤壺との過ちを暗に
後悔しているように思いました。

藤壺は出家をして少し楽な立場になったとはいっても、息子の東宮のことは最後まで
気がかりなのですね。別れの場面を思いだして、返事も出せなかったと言うところに、
子を思う心が表れているようです。


次回は出家後の藤壺の様子です。

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