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皇子(源氏)誕生後の桐壺更衣の受難と、源氏の袴着の儀式の場面です。
ここからが本文です。
桐壺の御殿までの、多くの女御や更衣たちの御殿の前を過ぎて、
帝が絶える間もなく(桐壺更衣の元に)通っておられることで、
ただの通り道になっている御殿の女性たちが気にくわないと思うことも、
「いかにも、道理というものだ」
と思われます。
桐壺更衣が帝の元に伺うことが、あまりに度重なるときになると、
打橋(うちはし)・渡殿(わたどの)のあちこちの通り道に、
他の女御・更衣たちがきわめてけしからぬ仕掛けをして、
桐壺更衣の送り迎えの人の着物の裾が傷んでしまい、見苦しい有様になることなどがありました。
(注)打橋(うちはし):建物と建物との間の渡り廊下の一部に、
取り外しができるように架け渡した板のことです。
(注)渡殿(わたどの):建物と建物をつなぐ、屋根のある板敷きの渡り廊下のことです。
またある時は、どうしても通らなければいけない馬道(めどう)の両端の戸を閉めて、
あちらとこちらの御殿の人が心を一つに合わせて、(桐壺更衣に)きまりの悪い思いをさせて、
悩ませることもしばしばありました。
(注)馬道(めどう):内裏の殿舎の中を貫いている、板敷きの長廊下のことです。
何かにつけて、数えられないほどに、苦しいことだけが増えているので、
桐壺更衣はとても辛い思いをしていたことを、帝は
「ますます気の毒なことだ」
と思し召して、清涼殿の西側にある後涼殿(こうりょうでん)に、
元々住んでいた更衣の部屋をよそへ移して、上局(うえつぼね)として
桐壺更衣に使わせなさいました。
その移された人の恨みは、なおさら晴らすことのできないものでした。
(注)後涼殿(こうりょうでん):内裏の建物の一つで、清涼殿の西側にあり、
女御などの局(つぼね: 屏風仕切りの女官の部屋)として使われたものです。
(注)上局(うえつぼね): 宮中で、后・女御・更衣や女官などが、常の部屋のほかに、
天皇の御座所近くに特に与えられた部屋のことです。
この皇子(源氏)が三歳になったときに、袴着(はかまぎ)の儀式が、
第一皇子の儀式の頃に劣らないくらいに、内蔵寮(くらづかさ)・納殿(おさめどの)の
物を存分に使って、帝はすばらしい儀式をおさせになりました。
(注)袴着(はかまぎ): 皇族や貴族の子供が初めて袴を着ける祝いの儀式のことです。
古くは三歳の頃、後には五歳または七歳の頃に行いました。また、女児にも行っています。
「着袴(ちゃくこ)」ともいいます。
(注)内蔵寮(くらづかさ): 宮中の宝物、天皇・皇后の装束などを納める倉を管理し、
祭式の奉幣(ほうへい:神前に幣をたてまつること)や、佳節の御膳などを管理した
役所のことです。
(注)納殿(おさめどの): 宮中の宜陽殿(ぎようでん)の中にあり、
御物(ぎょぶつ: 皇室が所蔵している品物)を納めておくところです。
この事についても、世間の非難は多かったのですが、この皇子が成長するにつれて、
顔立ちや気立てがめったになく珍しいくらいに見えることを、
世間の人はお互いに憎みきれない様子でした。ものの道理が理解できる人は、
「このような方までが、この末世にお生まれになるとは」
と、ひどく驚いて、目を見張らしていました。
ここまでが本文です。
他の女官の嫉妬から、災難を受けている桐壺更衣の場面が続いています。
帝が対策を講じても、それが新たな嫉妬の火種になるという、桐壺更衣にとっては辛い状況ですね。
源氏は際立った顔立ちの良さが、周囲の嫉妬を和らげているという状況ですね。
相当な美貌だったのでしょうね。
次回は帝の強すぎる寵愛から、桐壺更衣に不運が襲います。
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