玄齋詩歌日誌

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音に聞く松が浦島今日ぞ見るむべも心あるあまは住みけり  後撰集・雑一 1093 素性法師

ながめやる海女の住処と見るからにまづしほたるる松が浦島   源氏

ありし世の名残りだになき浦島に立ち寄る波のめづらしきかな   藤壺



解説


藤壺の出家から、年が明けた頃の話です。


ここからが本文です。



源氏は自邸の二条の院へ帰ってきても、(紫上に会わずに)自分の部屋にこもって
一人で横になっていましたが、眠ることができませんでした。

源氏は人生が嫌なものに思われてきましたが、(自分も出家したとすれば)
東宮のことだけは気の毒だと思っていました。

「『せめてこの子(東宮)の母親(藤壺)だけでも、表向きの後見人として、そばにおかせよう』

 と、桐壺院が仰せになっておりましたが、母宮さま(藤壺)は世間の辛い圧力に
 堪えることができずに、このように御出家なされたので、元の地位のままでおられることも
 できなくなってしまわれた。この上、私までが東宮を見捨ててしまうことになっては・・・」

などと、源氏は何日も夜通し考え込んでいました。さらに、

「今は、宮様(藤壺)のために尼僧用のご調度品の準備をしなければ」

と思い、

「年内にすべて整えよう」

と思って、配下の者に急がせることにしました。


王命婦も、藤壺のお供をして尼僧になったので、源氏はこの方へも配慮をして、
(尼僧用の)見舞いの品を贈りました。そのことを詳細に語るのは、
あまりに仰々しくなるので、(語り手は)省略しているようです。

そうではありましょうが、このような時にこそ、すぐれた詩歌などが出てくるでしょうに。
(省略しているのは)何とも物足りないものです。


  (注)上記のこの部分は、紫式部が伝承めかして作り上げた部分でしょうね。


源氏が藤壺の元に参上した際も、今となっては、藤壺は源氏に気兼ねをする部分も薄らいで、
藤壺が自ら源氏に話しかけるときもありました。源氏が心の中で思い続けていることは、
決して心の中から離れていったわけではありませんが、言うまでもなく、藤壺が尼になった今では、
当然に考えてはならないことだと、源氏は自身に言い聞かせていました。



年が明けたので、諒闇(りょうあん: 帝が親の喪に服す一年)も明けて、宮中では、
賑やかに内宴(ないえん)や踏歌(とうか)などが行われているのを藤壺は聞いていると、
しみじみと悲しい気持ちになっていました。


  (注)内宴(ないえん): 陰暦正月二十日ごろの子(ね)の日に、宮中の仁寿殿(じじゅうでん)
   で催された内々の宴のことで、祝い酒が一・二献出された後に、若菜の羮(あつもの : 熱い汁物)
   を賜ります。

  (注)踏歌(とうか): 年始に宮中で行われた歌舞の行事のことです。中国から伝来したもので、
   歌舞に巧みな男女に、新年の祝詞を歌い舞わせたものです。紫宸殿(ししんでん)で十四日か
   十五日に男踏歌を、十六日に女踏歌を行います。十六日の女踏歌のことを
   「踏歌の節会(とうかのせちえ)」と呼びます。

  このどちらの行事も、尼僧となった藤壺には無関係のものです。


藤壺は勤行などをひっそりと行いながら、後世のことだけを考えていると、
(尼僧の身であるから)期待が持てるようになり、今までの源氏の煩わしい情炎を離れて、
安心した気持ちになっていました。

藤壺の三条の邸の中にある、毎日の誦経のためのお堂の他、(源氏の二条の院の)西の対の
南の少し離れたところにある、新しく建てられた御堂のところへ行って、特別な勤行をしていました。

大将の君(源氏)は、新年の挨拶に藤壺の元へ参上しました。藤壺はまだ喪中なので、
(三条の邸は)年が改まった感じはなく、邸の中は落ち着いていて、人目も少なく、
宮司(みやづかさ: 中宮に使える職員)たちのうち、藤壺にごく親しいものだけが、
少しうなだれており、源氏がそう見えただけかもしれませんが、気が滅入っているように思われました。

白馬の節会(あおうまのせちえ)だけは、まだ昔と変らないものだと思って、女房たちは見ていました。


  (注)白馬の節会(あおうまのせちえ): 奈良時代から行われた宮中行事の一つです。
   正月の七日に、天皇が紫宸殿(ししんでん)に出御して、左右の馬寮(めりょう: 官馬の馬舎)
   から二十一頭の「あをうま」を南庭に引き出し、年中の邪気を除くものとしてそれを天皇が
   ご覧になり、そのあと宴を行った儀式のことです。「あをうま」は、初めは青毛、
   または青みをおびた灰色の毛の馬でしたが、醍醐天皇のころから白馬に変わりました。
   以後の時代は、文字では「白馬」と書きますが、慣習によって「あをうま」と読みます。


昔は隙間もないほどに、三条の邸に参賀にやってきた上達部(かんだちめ: 三位以上の高官)たちは、
今は道をよけながら通り過ぎていき、向かいの右大臣邸に集まっていくのは、当然のことでは
ありましたが、藤壺は(時勢の移り変わりを)しみじみと寂しく感じていました。

そこへ「一人当千」というような姿で、源氏が強い気持ちで参賀にやってきたのを見ると、
女房たちはわけもなく涙が出て来ました。


  (注)この『一人当千』という言葉は、『涅槃経』純陀品第二の語を引用しています。
   「譬うれば人王に大力士あるが如し、其の力、千に当る。更に能く之を降伏する者
    有ることなし。故に、此の士を、一人当千と称す」

   訳: 「たとえるならば人間の王に大きな力士がいるようなものです。
    その力は千人に相当するほどのものです。決して彼を降伏させる者はおりません。
    よってこの力士を、一人当千と呼ぶのです」


客人(まろうど: 源氏)も、とても身にしむ悲しい気配を感じ、周囲を見回していると、
すぐには言葉が出て来ませんでした。(僧侶の邸へと)すっかり様変わりしたお住まいになり、
御簾の端や、几帳も青鈍色になって、物の隙間からかすかに見えている薄鈍色や、
くちなしの色の袖口などが、かえって優美で、洗練されたもののように源氏は思っていました。


「(この邸と比べれば、)解けてきた池の薄い氷や、岸辺の柳の様子などは、春を忘れていない」

などと様々な感慨を持ちながら源氏は景色を眺めていました。

「むべも心ある」


  (注)『むべも心ある』は、以下の短歌の引用です(一首目)。
   音に聞く松が浦島今日ぞ見るむべも心あるあまは住みけり    後撰集・雑一 1093 素性法師

   訳: 評判の高い(宮城県の)松が浜を今日に見ているのだ。なるほど情趣を解する
    海女が住んでいるものだ。

   源氏は「心あるあま」の「あま」を「尼」の意味で口ずさんでいるのでしょう。


と、源氏がこっそりと歌を口ずさんでいました。そんな様子もこの上なく優美なものでした(二首目)。


ながめやる海女の住処と見るからにまづしほたるる松が浦島   源氏

訳: 物思いをしている海女(尼)の住んでいるところと見るからなのでしょう、
 真っ先に松が浜の塩水の滴が垂れてきます(涙で袖が濡れてしまいます)。


と、源氏は尼(藤壺)に言いました。邸のほとんどの場所を仏に譲っていて、
居間も狭くなっているので、源氏と藤壺との距離は短くなったように感じられました(三首目)。


ありし世の名残りだになき浦島に立ち寄る波のめづらしきかな   藤壺

訳: かつての(桐壺)院の御在世の頃の面影もない浦島(三条の邸)に、
 波(源氏)が立ち寄るのも目新しいことのように感じます。


と、女房に取り次ぐ藤壺の声も、かすかに源氏の方でも聞こえたので、
源氏は涙がほろほろとこぼれるのを堪えることができませんでした。
俗世を離れて仏道に専念している尼君たちに見られるのはきまりが悪いと
思ったので、源氏はもあまり言葉をかけることもなく、退出しました。


「(源氏は)比べるもののないほどに、立派になられたものだ」


「何一つ気がかりなこともなく、世の中で繁栄して、時流に乗っていらした頃は、
 恵まれた天下第一の方でおられたが故に、

 『何かをきっかけにして、無情の世の中を知ることができなさるでしょうか』

 と、私たちは心配しておりましたが」


「今になって、源氏の君はとても御思慮も深く落ち着いておられて、ちょっとしたことにも、
 何となくしみじみしたご様子が寄り添っておられるのは、不似合いで、お気の毒なところも
 ございますね」



などと、老いた女房たちは、泣きながら、源氏を思い慕っておりました。

宮(藤壺)も、今までのいろいろな源氏との出来事を思い出していました。



ここまでが本文です。

藤壺が出家することによって、源氏も藤壺との別れを自覚しつつあるのでしょうね。
そのような切ない気持ちが、源氏の成長として老女房たちに見えたように思いました。


次回は官吏の人事交代の話です。右大臣の側の人々に対して、源氏たちの凋落が見られます。

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