玄齋詩歌日誌

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朝廷の官吏の人事異動によって、源氏たちの一族の凋落が見られる場面です。


ここからが本文です。



(春の)司召(つかさめし)の時には、この中宮(藤壺)に仕えている人たちは、
当然に得られるはずの官位も得られず、藤壺の位階についても、当然あるはずの
加階さえもなく、歎く者たちの数はとても多くおりました。


  (注)司召(つかさめし): 「司召の除目(じもく)」の略で、毎年定期的に
   行われる都にある官庁の官吏を任命する儀式を指します。秋(八月)は中央官の
   任免を、春(一月)は地方間の任免を評議します。

   この物語では、春でも中央官の任免も行っているので、春にも中央官の任免を
   決めていた平安時代中期以前の時代設定になっています。


このように藤壺が出家しても、

「ここまで早くは(処置がなされないだろう)」

というほどに、すぐに中宮の位を去って、俸禄の給付が停止することはないはずなのに、
出家を口実にして、待遇が変ることが色々とありました。(藤壺)がすべて以前に
捨ててしまった世の中ではありますが、藤壺に仕えている方々が、頼りとするところのない様子で、

「切なくて悲しい」

と思っている様子などを見ていると、やはり、藤壺の心の動揺する時はありましたが、

「私自身の身はどうなったとしても、東宮が帝になる御世を無事に迎えることができれば、
 それでよいのです」

とだけ藤壺は思いながら、勤行に気を緩めることなく勤めておりました。

ひそかに、東宮のことを気がかりに、不吉なできごとのこと(源氏との過ち)を思っていたので、

「私にその罪を負わせて、東宮をお許し下さい」

と、仏を念じ申し上げて、万事のことを慰めておりました。


大将(源氏)も、そのように藤壺の気持ちを察して、全くその通りだと思っておりました。
この源氏に仕えている者たちも、藤壺に仕えている者たちと同様に、辛いことだけを
経験していましたので、源氏は世間に対して面目が立たないと思って、自邸の二条の院に
引きこもっておりました。


左大臣も、公人としても私人としても、昔とすっかり変ってしまった世間の有様に、
何事にも億劫な気持ちを覚えて、致仕の表(ちしのひょう: 辞表のことです)を奉りました。
しかし、帝(朱雀帝)は、亡き父院のご時世に、院が

「この上なく重要な御後見人」

とお考えになっていて、

「長い御世の、国家の柱石」

と御遺言なされたことをお考えになって、左大臣を見捨てることはできないと思われておりましたので、

「亡き父の御遺言が無駄になってしまうではないか」

とお思いになって、辞表を何度もお返しになりましたが、左大臣はなおも強いて辞意を申し上げて、
ついには自邸にこもってしまいました。それで今は右大臣の一族だけが、よりいっそう栄える様子は、
この上ないものでした。国家の柱石とされていた左大臣が、このように世間から退いてしまったので、
帝も心細く思われて、世間の人も、思いやりのある人たちだけは嘆き悲しんでおりました。


左大臣の子供たちは、誰ということなく、人柄は良く、国に用いられて満足そうに過ごして
おりましたが、今ではすっかり勢力が衰えてしまって、三位中将(昔の頭中将)なども、
世間のことに対して物思いに沈んでいる様子は、この上なくひどいものでした。

中将の妻である(右大臣の娘の)四の君の元にも、中将は以前と同じく、
途絶えがちに通いながら、ぞんざいな扱いしかしておりませんでしたので、
舅の右大臣は、中将をうち解けた婿の中には入れておりませんでした。
それで、

「思い知れ」

とばかりに、今回の司召(つかさめし)では、中将は昇進から漏れておりました。
しかし中将はそのようなことには心を留める様子はありませんでした。
大将(源氏)でさえもこのように勢力が衰えてしまって、世の中は空しいものだと思っているのに、

「(私の不遇は)なおさら、当然のことだ」

と思っていて、源氏の邸にいつも通っていって、学問や遊びなどを、源氏と共にしておりました。


源氏と中将は、若いころから、気が触れるほどに張り合っていたことを思い出して、
お互いに今でも、ちょっとしたことが起こるたびに、やはり同じように張り合っていました。

二人は春秋の御読経(しゅんじゅうのみどきょう)はもちろんのこと、それ以外にもいろいろな
尊いことを、人を招いてさせたりしていたり、自分たちと同じように、不遇に遭っていて
暇にしていた博士たちを呼び寄せて、詩を作ったり、韻塞(いんふたぎ)をしたりと、
気晴らしのことなどを、心のままに行っていて、官吏の仕事はほとんどしておりませんでした。

このように思い通りに遊んでいる様子に対して、世間の人の中には、
面倒なことを言い始める人々もいることでしょう。


  (注)春秋の御読経(しゅんじゅうのみどきょう): 季の御読経(きのみどきょう)のことで、
   春(二月)と秋(八月)に、内裏で各四日間にわたって、大勢の僧侶を招いて『大般若経』を
   講ずる行事のことです。当時は宮中のみならず貴族の家でも催されていました。


  (注)韻塞(いんふたぎ): 平安時代の貴族の文学的な遊戯の一種です。
   漢詩の中の韻字を隠して、詩意からそれを言い当てるものです。



ここまでが本文です。


藤壺・源氏・左大臣が、ついに表舞台を離れてしまいました。
桐壺院のご遺言も、時勢の流れには抗しきれないのでしょうね。

源氏はすっかり世間に背を向けて、風流な生活を行っています。
風流な生活を楽しんでいるとはいっても、内心は苦しいでしょうね。

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