玄齋詩歌日誌

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それがもと今朝開けたる初花に劣らぬ君がにほひをぞ見る   三位中将(頭中将)

我はけさうひにぞ見つる花の色をあだなるものといふべかりけり    紀貫之(古今集 物名 436)

時ならで今朝咲く花は夏の雨に萎れにけらし匂ふほどなく   源氏



解説

源氏と中将が人を招いて歌遊びをする場面です。
韻塞ぎ(いんふたぎ)をしたり詩歌を読んだりして遊ぶ場面です。


  (注)韻塞ぎ(いんふたぎ): 平安時代の貴族が行った遊戯の一種で、
   漢詩の中の韻を踏んでいる部分の字を隠して、それを当てさせるという遊びです。


ここから本文です。



夏の雨が静かに降って、誰もが手持ちぶさたな気持ちになっていた頃に、
三位中将(もと頭中将)は適当な歌集などを供の者に沢山持たせて、
源氏の邸の二条の院を訪れました。

源氏も邸の文殿(ふどの: 書庫)を開けるよう命じて、まだ開いたことのない
御厨子(みずし: 調度品・書画などを納める、両開きの扉がついた置き戸棚)の
中にあった見慣れぬ古集の中でも、趣のあるものを少し選び出させて、
その道(詩文)に精通している者たちを、特別な招待のようにはせずに、多く召し出しました。

殿上人(てんじょうびと: 五位以上の高官)や大学寮(だいがくりょう: 官吏を養成する学校)の
者たちも、とても多く集まって、左右に分かれるように座らせました。

賭ける物なども、二つとないほどにすばらしい物を用意して、お互いに競争していました。
しだいに韻塞ぎをしていくうちに、難しい韻の文字がとても多く残ってきて、
詩文の技量に覚えのある博士たちさえも困っている何箇所かで、
源氏がその韻字を言い当てる様子に、格別に優れた学識を見ることができました。

「どうして源氏の君は、これほどにまで完全なお方なのだろう」

「やはり、そのような運命にお生まれなさっているので、このように万事に渡って、
 人に優れておられるのでしょう」

などと、人々は褒め称えておりました。最後には、右の(中将の)方が負けてしまいました。


二日ほど経って、中将は負け業(まけわざ: 勝負事で負けた方が、勝った方に
贈り物やごちそうをすること)をしました。あまり仰々しくはせずに、
趣のある檜破子(ひわりご: 檜で作った弁当箱)や賭け物などを、いろいろと持参しました。

今日も詩文の腕前のある者たちを、多く召し出して、漢詩などを作らせました。

階段の前の薔薇の花が、ほんのわずかに咲いて、春や秋の花盛りの頃よりも、
しとやかな趣がある中で、人々はのんびりと遊んでいました。


中将の子供の、今年初めて殿上に昇ることが許された、八・九歳ほどの、
すばらしい音で笙の笛を吹いたりする少年を、源氏はとてもかわいがって
大切にしていました。この少年は(右大臣の)四の君の次男に生まれました。
右大臣の孫でもあるので、世間の人もとても思いを寄せており、格別に大切にされていました。
気立ても才気があり、顔かたちもかわいらしくて、今日の遊びが少しくだけてきたところで、
この子が高砂を、高い声で歌い出しました。その姿は何ともかわいらしいものでした。


  (注)『高砂』は、古代歌謡の催馬楽(さいばら : 畿内に伝わっていた民謡が、
   宮廷歌謡に変わったもの)の曲の一つです。

   参考程度に高砂の詞と訳を付けます。


   高砂の さいささごの 高砂の 尾上に立てる 白玉玉椿 玉柳
   それもがと さむ 汝(まし)もがと 汝もがと 練緒(ねりを)染緒(さみを)の
   御衣架(みそかけ)にせむ 玉柳 何しかも さ 何しかも 心もまたいけむ 百合花の
   さ 百合花の 今朝咲いたる 初花に 逢はましものを さ 百合花の

   訳: 高砂の高い山の峰に立っている、白い美しい玉のような椿の花や柳の木よ。
    それがあればなあと、そんな君がいてくれたら、君がいてくれたらと思い、
    ねじって染めた糸で織った衣をさっと掛けているような、玉のように美しい柳よ。
    どうしてそうなのだろうか、そうなのだろうか。心もまた生きていたのだろう。
    小さな百合の花の、今日初めて咲いた花に、逢うことができたらなあ。


大将の君(源氏)は、自分の衣を脱いで与えました。

普段より酔ってうち解けた風の源氏の顔は、似ているもののないほどの美しさでした。
源氏は薄物の直衣や単衣を着ていて、(薄い衣を通して)透き通って見える肌の色は、
なおさら美しく見えました。そんな姿を年老いた博士たちなどが遠くから見ていて、
涙を流していました。


「逢はましものをさゆりばの(小さい百合の花に逢いたいものだ)」

と、高砂の歌の終わりのところで、中将は杯を持って源氏の元へやって来ました(一首目)。


それがもと今朝開けたる初花に劣らぬ君がにほひをぞ見る   中将

訳: それがあればなあと待ちこがれていた、今日初めて咲いた薔薇の花にも劣らない、
 君の美しさを見ているようです。


  (注)上の短歌は、以下の短歌の引用です(二首目)。

   我はけさうひにぞ見つる花の色をあだなるものといふべかりけり    紀貫之(古今集 物名 436)

   訳: 私は今朝の薔薇に見えていた花の色は、移り気なものだと言うことができるに違いない。

   単に源氏の美しさをほめているわけではないようですね。


源氏はほほえみながら杯を取りました(三首目)。


「時ならで今朝咲く花は夏の雨に萎れにけらし匂ふほどなく   源氏

 訳: 季節外れに今日咲いた花は、夏の雨で萎れてしまったようです。香りを放つ間もないままに。


 衰えてしまっているのですよ」


と言って、源氏は中将の言葉を、陽気にはしゃいだ末の戯れの言葉として受け取ったことを、
中将は非難しながら、源氏になおも杯を勧めていました。

沢山できたらしい詩歌を、このような折にできた、まともでない作品を、沢山書き付けることは、

「不注意なことだ」

と、紀貫之が忠告しており、乱れて見苦しい作品が多いので、(紫式部は)書くことをやめておきます。


その詩歌はすべて、源氏をほめているものだけを、大和のもの(短歌)も唐のもの(漢詩)も、
作り続けていました。源氏も心地よくなって得意になったのか、

「文王の子、武王の弟」

と、史記の一節を口ずさむ、その源氏自身が名乗ることは、何とも立派なものです。さらに、

「成王の何」

と、続きを口ずさもうとしました。しかしそれだけは、源氏も口にできないのでしょう。


  (注)「文王の子、武王の弟」は、『史記』の魯周公世家の一節です。この言葉で示されて
   いるのは、周公旦(しゅうこう たん)です。彼は殷の紂王(ちゅうおう)を倒して
   周王朝を立てた兄の武王の死後、武王の子の成王を補佐して周王朝の制度を整えた人物で、
   孔子が夢に見るほどに理想とした人物です。

   文王を桐壺院に、武王を朱雀帝に、周公を源氏自身に見立てたのでしょう。
   くだけた酒の席とはいえ、何とも大胆な発言ですね。

   この後は「成王の叔父」と続くのですが、そうなると東宮を成王のように見てしまうので
   (実際には東宮は源氏の不義の息子なので)、そのようなことを言うことはためらった
   ということなのでしょう。


兵部卿の宮も、源氏の二条の院の邸へやって来て、ともに管弦の遊びをしていました。
こちらも風流な趣味を持つ宮様でしたので、源氏とは風流な間柄でした。



ここまでが本文です。


戯れの席で、大胆な発言も飛び出すようなこともありましたが、全体として寂しげな印象ですね。

中将の子は右大臣の孫でもあって、唯一の明るい話題を提供する存在ですね。
源氏もとてもかわいがっているのでしょうね。


次回は源氏と朧月夜の君との関係が、ついに右大臣にばれてしまいます。転落の危機です。

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