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ある時は有りのすさびに憎かりきなくてぞ人は恋しかりける 出典未詳
ある時は有りのすさびに語らはで恋しきものと別れてぞ知る 『古今和歌六帖』 第五 物語 2805
解説
桐壺更衣の葬儀とその後の周囲の反応の場面です。
ここからが本文です。
どんな人であろうとも、遺体となれば火葬に収められることになります。
桐壺の葬儀では、桐壺の母の北の方は、
「私も煙となって、娘と一緒に昇っていきたい」
と言って、泣きこがれていました。そして遺体を送る女房の車の後を追って乗り、
愛宕(おたぎ)という所で、とても厳粛にその葬儀を行っていた所に着いたときの
悲しみは、どれほどのものだったでしょう。
(注)愛宕(おたぎ): 東山の五条坂にある珍皇寺のことで、
鳥辺山の火葬場へ向かう道に通じています。
「 『娘はまだ生きている』と思っていますが、いつまでもそう考えていても仕方がないので、
娘の遺骸が灰になっていくのをこの目で見届けて、『もう娘は死んだのだ』と見切りを
付けようと思います」
と、(桐壺の)母親は賢そうに言っていましたが、車から落ちてしまいそうな位に
悲しみ悶えていましたので、
「やはり、心配していたとおりのことになりました」
と、そのときには女房たちはどうしようかと迷うこともありました。
その後、宮中より御使者がありました。桐壺に三位の位が贈られるという知らせでした。
(注)更衣の位階は普通五位で、四位は珍しいものでした。その上、更衣から女御に上がって
三位を贈られることは極めて稀なことでした。三位は女御の位階です。
(注)更衣(こうい): 後宮で天皇の寝所に仕える女官の一つです。女御の下に位し、
ふつう五位で、まれに四位の者がいます。納言以下の家柄の女性から選ばれます。
(注)女御(にょうご): 后の位の一つです。中宮より下位で、更衣の上位にあたります。
摂関家や大臣の娘から出るのが普通です。
勅使がやってきて、その宣命を読んだ時ほど、母親にとって悲しいことはありませんでした。
桐壺が生きているときには、女御(にょうご)とさえ言わせておりませんでしたが、
そのことを帝は常に気に病まれ、不満に思っておられたので、
「せめてもうひと段階上の位を贈りたい」
と仰せになって、桐壺に御追贈なさいました。
これに対しても、桐壺を憎んでいる後宮の女性は多くいました。しかし同情の気持ちを
持っている人は、桐壺の態度や姿が立派であったこと、気立てが穏やかで感じがよく、
憎みきれなかったことなどを、死んだ後の今になって、改めて思い出していました。
帝のみっともないほどの御寵愛ぶりであったからこそ、思いやりなく妬まれていましたが、
桐壺の思いやり深い性格を、帝の女房たちも、しみじみと思い起こしていました。
「 『なくてぞ』というのは、こういう時のことなのでしょう」
と(紫式部には)思われます。
(注)「なくてぞ」は、以下の短歌の引用です(一首目・二首目)。
ある時は有りのすさびに憎かりきなくてぞ人は恋しかりける 出典未詳
訳: ある時にはあるものと安心した気まぐれに、憎くなってしまうことがありますが、
なくなったときになれば、人はそれを恋しく思うものです
ある時は有りのすさびに語らはで恋しきものと別れてぞ知る 『古今和歌六帖』 第五 物語 2805
訳: ある時にはあるものと安心した気まぐれに、語り合うこともなかったのですが、
それを恋しいものと知ったのは、別れてからでした。
その後は空しく日々が過ぎていき、四十九日まで続く七日ごとの法事にも、
帝はきめ細かく配慮されて、弔いの品々を贈らせなさいました。
日々が経過していくうちに、帝はどうしようもなく悲しくお思いになって、
他の女御や更衣たちを宿直にお召しになることも、絶えてしまいました。
帝はただ涙にくれて夜を明かす日々を送っておられましたので、
この帝の御有様を拝見する方々にとっても、涙で湿っぽくなる秋でした。
「亡くなったあとまで、人の心を晴れさせないほどの、(桐壺への)帝の御寵愛ぶりですね」
などと言って、(右大臣の娘の)弘徽殿の女御などは、相変わらず桐壺を許すことはありませんでした。
帝は一の宮(弘徽殿の女御との間の子)をご覧になっても、若宮(源氏)への
恋しさだけを思い出されて、親しい女房や帝の乳母たちを桐壺の郷里に
お遣わしになって、源氏の様子をお聞きになっていました。
ここまでが本文です。
娘が生きているうちはあまり厚遇もされていなかったのに、死んだ後に高い位を贈られるのも、
その娘の母親としては、複雑で辛いものがあるように思います。
桐壺が死んだ後まで桐壺を憎み続けた弘徽殿の女御の憎しみが、
後に源氏に向かうというのも切ないものですね。
今回の二首は、のちの源氏と女性との関係も覗かせているように思います。
亡くなって初めてその人の大切さを知る、人の世の常も感じさせます。
次回は命婦が桐壺の母と源氏の様子を見に行った時の様子です。
悲しみと寂しさをいっそう感じさせます。
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