玄齋詩歌日誌

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逢ふことの難きを今日に限らずばいま幾世をか歎きつつ経ん   源氏

長き世の恨みを人に残してもかつは心をあだとしらなん   藤壺




解説


藤壺と源氏の間に起きた事件の話です。


このようなこと(源氏と尚侍の逢瀬)があるときでさえも、源氏と疎遠になって、
薄情な宮(藤壺: 以下、「藤壺」で統一します)のお気持ちを、
源氏は一方では立派だと思いつつも、自分勝手な気持ちから、

「私の心が引きつけられる方のお気持ちとしては、やはり、堪えがたく辛いものだ
 (少しは気にして下さればよいものを)」

と折に触れて思うのでした。


一方で、藤壺は未だに東宮を後見してくれる方がいないことを気がかりに思っていました。
その上、このようなときに頼みにできる人は、源氏以外にはいなかったので、
ただこの大将の君(源氏)を万事において頼りにしていました。

しかし源氏は相変わらず、この憎らしい気持ち(藤壺への懸想)が止まない様子でした。
藤壺は、ややもすれば胸を痛めて、桐壺院が、少しも源氏との関係をご存じでないままであったことを
考えることでさえも、とても恐ろしいことなのに、今また、このようなことが噂になったとすれば、

「私は当然だとしても、東宮のために、(皇太后の悪意で)きっと良くないことが起こるでしょう」

と、藤壺は考えてとても恐ろしくなって、ご祈祷までもさせて、

「これ以上のこと(懸想)を、源氏に思い止まらせなければ」

と思って、あらゆることを行って、源氏の情念から逃れていました。


どのような折にであったのか、源氏は驚くことに、藤壺の寝所へ近づいていきました。
源氏が慎重に企んでいたことで、女房たちも知らなかったので、藤壺は対面を夢のように
思いがけなく思っていました。源氏は(筆者の紫式部が)筆に書き写しがたいほどに言葉巧みに、
藤壺に愛をささやき続けていましたが、藤壺は、とてもこの上なく、源氏につれない態度を取って、
ついには胸の痛みを覚えて苦しみはじめました。藤壺に近くで仕えている命婦や弁などは驚いて、
藤壺のお世話をし始めました。


源氏は、藤壺の気持ちを、

「恨めしく、辛い」

と、この上なく思って、過去も未来も真暗になったような気がして、正気を無くしてしまい、
朝になっても藤壺の寝所を出ることはありませんでした。

藤壺のご病気に驚いて、女房たちは側近くまでやって来て、絶え間なく出入りしているときに、
源氏は意識もないうちに、塗籠(ぬりごめ)に押し込められてしまいました。源氏の衣などを
隠し持ってきた女房も、源氏を恐ろしく思っていました。藤壺は、目の前の有様を
とても辛いと思って、更に気分が悪くなって、苦しそうにしていました。


  塗籠(ぬりごめ): 寝殿造りの母屋のうち、二間四方ほどを壁で塗り込めて、
    明かり窓を付けて、妻戸から出入りする部屋のことです。納戸や寝室に用いていました。
    「押し込めた」というところから、この話の中では納戸に使っていたのでしょう。


藤壺の兄の兵部卿の宮や、中宮大夫などがやってきて、

「僧侶を呼んでこい」

などと騒いでいるのを、源氏は辛い気持ちで聞いていました。

やっとの事で、日が暮れるころには、藤壺の病は快方に向かいました。


「このように、源氏が塗籠の中に居続けている」

ということは、藤壺は思ってもいないことでした。女房たちも、

「(藤壺に)ご心配をかけてはいけない」

と思って、

「このような状況です」

ということは言いませんでした。


昼には藤壺は、御座所(ござしょ: 貴人の昼間の居間)に膝行って出てきて座っていました。
その様子を見て、兄の兵部卿は、

「(藤壺の病状は)大してひどいことはないようだな」

と思って、邸を退出しました。藤壺の周囲は、人が少なくなっていきました。
普段から、近く親しくしている女房の人数は少なかったので、
そこかしこの、物の蔭に女房たちは侍していました。

命婦などは、

「どのように工夫して、源氏の大将を外へお出ししましょうか。このままでは、
 (藤壺は)また今夜もご病気になるかもしれません。そうなってはお気の毒です」

などとひそひそと話していました。


その頃、源氏の君は、塗籠の戸が元々細めに開いているところを、ゆっくりと押し開けて、
屏風の間を伝って、藤壺のいる部屋に入っていきました。源氏はようやく藤壺の顔を
見ることができて嬉しく思い、涙を流しながら藤壺を眺めていました。

「まだとても苦しい。私の命はこのまま尽きてしまうのでしょうか」

と藤壺は言い、外のほうを眺めている横顔は、言い尽くせないほどに、美しいと源氏は思っていました。


女房たちは、

「せめてお果物だけでも(お召し上がりください)」

と言って、果物を入れた箱を置いていきました。その箱のふたなどは、昔を思い出すような風情が
ありましたが、藤壺は箱の中を覗くようなことはせずに、世の中のことをひどく思い悩んでいる風で、
静かに箱を眺めながら、物思いに耽っていました。その様子は、とても可憐に思われるものでした。
髪の具合、頭の形、髪のかかっている様子などはこの上なく美しく、全く西の対の姫君(紫上)と
違うものはありませんでした。源氏はこの頃はそのようなことをあまり気にはしていませんでしたが、

「驚くほどに、(紫上と藤壺が)似ているものだ」

と思って藤壺を眺めていました。少しだけ、藤壺へのかなわぬ片思いを慰める所があるように
思っていました。藤壺の気品があって優れている様子などは、改めて紫上と区別がつかない
くらいだと思っていますが、源氏はそれでも、昔からの思い詰めた恋心からこう思わせるのでしょう。

「(藤壺は)昔よりも格別に、美しくおなりになったものだ」

そんな風に、比べるものがないというように思っていると、心が動揺して、静かに帳台の中へと
伝っていって、藤壺の衣の褄を引き動かしました。源氏とはっきりわかる位に、衣の薫香が
さっと立って、藤壺はすぐに気づいて恐ろしく思い、そのまま倒れてひれ伏してしまいました。

「せめてこちらを振り返って下さい」

と源氏は相手の冷淡さを物足りなく、つらく思って、藤壺を引き寄せようとすると、
藤壺は上の衣を滑らせて脱ぎ捨て、膝行ってその場を立ち退こうとしますが、
知らない間に、藤壺の髪も衣とともに源氏が押さえていました。
藤壺はとてもつらく思って、前世の因縁がどれくらいのものかと、身にしみて思い知らされました。

「何と恐ろしいことでしょう」

と、藤壺は思いました。


源氏の君も、これまで押し殺していた気持ちがすっかり乱れて、正気を失ったようで、
藤壺にいろいろと、泣く泣く恨み言を言っていましたが、

「まったく、(辛くて)気分が悪い」

藤壺はそう思って、返答もしませんでした。ただ一言、

「私は今、気分がすぐれないのです。こんな様子ではない時に、話をしますから」

と源氏に言いましたが、源氏の方は、藤壺を想う尽きることのない気持ちを、
ひたすら言い続けていました。藤壺も、その言葉に対しては、心を動かされるものも
混じっていたのでしょう。源氏との過去の関係は、ないわけではないけれども、
さらにこのような出来事が重なるようなことは、藤壺はとても堪えがたいことだと思い、
昔がしのばれる親しい様子ではありましたが、なんとか言い逃れて、無事に夜が明けていきました。

源氏はなおも藤壺の気持ちに屈したくはないと思いながらも、身分相応の気恥かしさと、
藤壺への決まりの悪さを覚えていたので、

「今となっては、逢瀬はこれだけではありましたが、せめて時々は激しくなる憂いを、
 (お会いすることで)晴らして下さるならば、私は今後、何ら畏れ多いようなことはいたしません」

などと、藤壺の心を油断させるようなことまで言いました。


こうした複雑な関係でなくても、危険な恋愛模様であれば、別れがたい気持ちが重なってくる
ものですが、まして並一通りでない人なので、源氏はそのような気持ちを強く感じていました。

夜はすっかり明けて、王命婦と弁は、源氏にこのままでは大変なことになるなどと言って
帰宅を促しました。藤壺は、半ば魂もなくなったかのような様子になっていて、
源氏は苦しい気持ちになりました。

「『あの男は、まだのうのうと生きている』などとあなたに思われるのを、私は気恥かしく思います。
 それから私がすぐに死んでしまった後で、またこの世への未練を残して魂がさまよい歩くことに
 なるでしょう」

などと藤壺に話す様子は、恐ろしいほどに思い詰めたものでした。


「逢ふことの難きを今日に限らずばいま幾世をか歎きつつ経ん   源氏

訳: 逢うことが難しくなって、あなたを仇と思うことは今日に限ったことではありません。
 今までどれほどの夜を歎きながら過ぎてきたことでしょう。これからは、生まれ変わる来世を
 どれほどか歎いて過ごすことでしょう。


私の思いがどれほどあなたの(往生の)足かせになることでしょう」

と源氏は言いました。藤壺はこの言葉に思わず歎いてこう言いました。



長き世の恨みを人に残してもかつは心をあだとしらなん   藤壺

訳: 私が長い来世の恨みをあなたに残すとしても、一方で、あなたを仇とする人
 (源氏の他の恋人達)の心も知って欲しいものですね。


源氏の言葉を、どうということもない風に取りなした藤壺の様子には、源氏は不満な気持ちを
持ちながらも、長居をすることは藤壺にとっても、自分にとっても不都合になることなので、
源氏は気が進まないながらも、帰っていきました。




源氏の藤壺への強い情念を感じました。
恋におぼれると、人はここまで変わるものなのかと、恐ろしい気持ちになりました。


次の話では、藤壺は源氏との関係に決断を下します。

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