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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
『夜航詩話』の五回目は、古い地名が昔の文献に典拠があったとしても、
その昔の地名をそのまま使って良いことにはならないことを述べています。
ここからが本文です。
原文
稱江戸爲東都、山本信有非之、是矣、然其徒以方音相通、借用荏土字、遂稱爲荏城、
不考之過也、荏、弱也、豈可以稱覇王金城乎、葢得之風土記殘本、喜以衒奇、
不逞省其爲不祥耳、夫苟有所本、可以復古稱、則紀之若山舊用弱字、今復稱弱城可乎、
徂徠詩題、染井作蘇迷、秋子帥詩、日光山作二荒山、亦皆有來處、然其爲不祥尤甚、不可不諱避也。
隅陀川稱墨水、亦從徂徠始、諸眞字勢語云、然惡名汚穢、如虜地之水、
詩詞中漫用之、多不與事相稱、亦不考之過也。
國雅用地名、自然鬪湊、不假按排、於詩則殊不稱焉、若使西人學國雅、亦猶是也、故詩用地名、
不可牽強、必待自然入詩而後可也、不然其語生硬氣脈不通、如木株接竹耳、初學好用之、可戒也。
書き下し文
江戸を称して東都と為すは、山本信有これを非とす。是なり。
然れども其の徒は方音の相通ずるを以て荏土(えど)の字を借用し、
遂に称して荏城と為すは、考えざるの過ちなり。
荏は弱なり。豈に以て覇王の金城を称すべけんや。
蓋し、之を風土記の残本に得て、喜びて以て奇を衒い、其の不祥たるを省みるに遑あらざるのみ。
夫れ苟も本づく所有り、以て古称を復すべくば、則ち紀の若山、
旧、弱の字を用う、今復た弱城と称して可ならんか。
徂徠の詩題に、染井を蘇迷に作る。秋子帥の詩に、日光山を二荒山に作る。
亦た皆来処有り、然れども其の不祥たる尤も甚し、諱避せざるべからざるなり。
隅陀川、墨水と称す。亦た徂徠より始まる。諸(これ)を真字勢語に本づくと云う。
然れども悪名汚穢にして、虜地の水の如し、詩詞中に漫に之を用うれば、
多く事と相称わず。亦た考えざるの過ちなり。
国雅に地名を用いるは、自然の鬪湊にして、按排を借らず。詩に於ては則ち殊に称わず。
若し西人をして国雅を学ばしむるも、亦た猶ほ是のごとし。
故に詩に地名を用うる、牽強すべからず。必ず自然に詩に入るを待ちて、而る後に可なり。
然らずんば其の語は生硬にして気脈通ぜず、木株に竹を接ぐがごときのみ。
初学好みて之を用う。戒むべきなり。
語注
※東都(とうと): 東周・後漢の都、洛陽(らくよう)を指して言います。
※山本信有(やまもとのぶあり): 江戸後期の漢学者で、号は北山です。
経学・詩文に優れていました。
※覇王(はおう): 旗頭(はたがしら)、諸侯の長を意味し、ここでは江戸幕府の将軍を意味します。
※金城(きんじょう): 堅固な城を意味します。
※風土記(ふどき): 奈良時代の地誌で、別名『古風土記(こふどき)』とも呼ばれます。
和同六年(713年)、元明天皇の勅命により、諸国の風土・産物・神話や伝説などを
収録させたものです。
※真字勢語(まなせいご): おそらく、『真字伊勢物語(まないせものがたり)』
のことを指していると考えられます。その中で「墨多」という名称が用いられています。
※真字伊勢物語(まないせものがたり): 真字(まな: 漢字)のみで
書かれた『伊勢物語』のことです。
※伊勢物語(いせものがたり): 在原業平(ありわらのなりひら)の短歌を中心とした歌物語で、
作者と成立年代は未詳です。
※国雅(こくが): 『詩経』の「国風」と、「雅頌」のこととして訳しています。
※詩経(しきょう): 儒教の「四書五経」の五経の一つで、中国最初の詩集。
周の時代までの各地の歌謡三千余編から、孔子が三百五編を選定したと言われています。
※国風(こくふう): 『詩経』の「周南」「召南」などの百三十五編の民謡を指します。
※雅頌(がしょう): 『詩経』の中の「雅」と「頌」の詩です。「雅(が)」は宮廷歌謡で、
「頌(しょう)」は祖先の功徳を讃える歌になっています。
※鬪湊(とうそう): 「鬪(とう: 闘)」も「湊(そう)」も、
ともに「集まる」という意味があるので、そのまま「集まる」と訳しています。
※生硬(せいこう): 未熟でなめらかでないことを意味します。漢詩の世界では、
漢詩の言葉では見られない、自然でないパターンの言葉を使ってしまうことを指します。
現代語訳
江戸を中国の都の「洛陽(らくよう)」を意味する「東都(とうと)」と呼ぶのは、
山本信有がこれを間違いだとしていますが、これはその通りです。
しかしながらその一門はその地名の呼び方を昔から通用するところに従って、
「荏土(えど)」の字を借用して、そこから江戸城を「荏城(じんじょう)」としてしまったのは、
文字の意味を考えることがなかったことによる間違いです。
「荏(じん)」の字は「柔弱」を意味していますので、どうしてこの字を
我らが将軍家の堅固なる江戸城の名前に使うことができましょうか。
おそらく、これを『風土記』の残存する本の中に見いだして、喜んでわざわざ奇を衒った名前を用いて、
そのことが不祥であることを省みる暇がなかったとしか言えません。
そもそも、もしその地名に典拠があり、その古い名前に返すほうが常に良いというのであれば、
それはつまり紀州の若山(和歌山)の「若」の字は古くは「弱」の字を使っていたからといって、
今再び若山城を「弱城(じゃくじょう)」と呼んで良いものでしょうか。
荻生徂徠の詩の詩題では、「染井」を「蘇迷」としており、『秋子帥』という詩では、
「日光山」を「二荒山」としています。これらもまた典拠があります。
しかしながら、その名称に「迷う」や「荒れる」の字を使うなど、不祥の最も甚だしいものであり、
忌避すべきものなのです。
隅陀川(隅田川)を「墨水」と呼ぶのは、これもまた荻生徂徠から始まったものです。
これは『真字伊勢物語(まないせものがたり)』に基づいていると言っています。
しかしこれは汚れた悪い名前で、蛮族の土地の水のようなものを思わせます。
漢詩・漢文の中で濫りにこの言葉を使用すると、多くは他の事柄と合わなくなってしまいます。
これもまた、文字の意味を考えないことから来る過ちなのです。
『詩経』の「国風」と「雅頌」の中での地名の使用は、その土地の本来の性質が
集まってできたもので、その名称が時代によって変化してしまうようなことはありません。
普通の詩ではここまで地名がぴったり来ることはありません。
もし西洋人に「国風」と「雅頌」とを学ばせたとしても、また同じようになることでしょう。
ですから詩に地名を用いるときは、無理な故事付け(こじつけ)をしてはいけないのです。
必ず「国風」と「雅頌」のように、自然に詩に入ってくるのを待って、
そうしてようやく可能となるのです。
そうでなければその地名は漢詩に使い慣れない硬い表現になって詩に血が通わなくなり、
ちょうど木の株に竹を接ぐような不自然なものになってしまいます。
初学者は好んでこのような表現を用いることがありますが、厳に戒めるべきことです。
ここまでが本文です。
大昔の文献に載っている地名は、日本の言葉の音を忠実に漢字にしてはいますが、
文字それ自体の意味としてはあまりふさわしくない文字を当てているものがあるので、
昔の文献を探るだけではなく、その文字が持つ意味まで考える必要があると述べられています。
昔の地名に関しては、大昔の文献の使用例があるからといって、
漢詩にすぐに使うのは避けるべきなのでしょうね。
とはいえ、ここで批判されている、隅田川を示す「墨水(ぼくすい)」という地名は、
普通に漢詩の言葉として出てきますので、現在漢詩を作る者としては、
過去の日本の漢詩の中で、普通に出て来る日本の地名のみを使うなどの配慮をして、
この議論に深く立ち入ることは避けるべきではないかと思いました。
次回は漢詩の故事等の使い方についての話です。
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