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雲の上も涙にくるる秋の月いかですむらん浅茅生の宿 桐壺帝
玉簾明くるも知らで寝しものを夢にも見じと思ひかけきや
『伊勢集』より、「『亭子院、長恨歌の屏風に』と題す」
解説
桐壺帝が桐壺更衣の母君の手紙を見て悲しみを覚えている頃の、弘徽殿の女御の様子です。
ここからが本文です。
帝が秋の風の音や、虫の声を聴く時にも、悲しいお気持ちだけを覚えておられるときに、
弘徽殿の女御は、長い間、御自身の弘徽殿の上の御局(おつぼね:宮中の間仕切りの部屋)へ
上がることもなく、月が趣のある様子であったので、夜が更けるまで、音楽の催しをしていました。
「実に面白くない。不愉快だ」
と帝は思し召して、その音楽の様子をお聞きになっていました。
最近の帝のご様子を見ていた高官や女房などは、
「帝もお気の毒なことです」
と思いながら、音楽を聴いていました。
弘徽殿の女御は、ひどく我を張って、意地を張るところのある方でしたので、
帝が桐壺更衣のために悲嘆に暮れていることを、大したことではないかのように、
無視をするように振る舞っているようでした。
やがて月も沈む頃になってしまいました(一首目)。
雲の上も涙にくるる秋の月いかですむらん浅茅生の宿 桐壺帝
訳: 雲の上(宮中)でも涙に暮れて秋の月がかすんで見えるのに、どうしてあの
桐壺更衣の母君様のいる茅の生えた荒れ果てた家で、月が澄んで見えるだろうか。
桐壺更衣の郷里の様子を心配して想像されながら、灯火をかかげ尽して、起きておられました。
(注)「灯火をかかげ尽して」というのは、長恨歌の以下の一節の引用です。
夕殿螢飛思悄然, 夕殿 螢飛び 思ひ悄然(しょうぜん)たり
孤燈挑盡未成眠。 孤燈 挑(か)き尽して 未だ眠りを成さず
(訳)夕方の宮殿では螢が飛んで、愁い悲しむ気持ちになっていた。
帝の寝室では、まだ明りがあり、何度も明りを付けるために
燈火の芯を掻き尽しても、まだ眠ることができないでいた。
右近衛府(うこんえふ)の役人の宿直申し(とのいもうし)の声が聞こえているので、
丑の刻(午前二時)になったのでしょう。帝は人目を御憚りになって、
御寝室にお入りになってからも、なかなか眠ることはなされませんでした。
(注)宿直申し(とのいもうし)は、衛府(えふ: 宮中の護衛に当たる役所)の役人が、
夜の定められた時刻に自分の姓名を名乗ることを指して言います。亥の刻から子の刻
まで(午前十時〜午前零時)は左近衛(さこんえ)の、丑の刻から卯の刻まで
(午前二時〜午前六時)は右近衛(うこんえ)の役人が、宿直申しを行うことになっていました。
朝になってお目覚めになるときにも、帝は「明くるも知らで」と思い出されておられて、
相変わらず、朝のご公務を怠りがちになっておられるようでした。
(注)「明くるも知らで」は、以下の短歌の一節です(二首目)。
玉簾明くるも知らで寝しものを夢にも見じと思ひかけきや
『伊勢集』より、「『亭子院、長恨歌の屏風に』と題す」
訳: 美しい簾の中で、夜が明けるのも知らずに寝ていたが、夢の中でさえも
会うこともできないとは、予想していただろうか。
「かつては夜が明けるのも知らないで一緒に寝ていたが、今では夢に逢うことも難しくなった」
という意味を含ませていますね。
帝は一言も仰せにはならず、朝餉(あさがれい: 朝の天皇の取られる簡単な御食事)には、
形だけ手をお付けになって、大床子の御膳(だいしょうじのおもの: 昼の天皇の取られる
表向きの御食事)には、とても食べる気になれないと思し召しているので、
御給仕に勉めている者たちは、帝のお気の毒なご様子を見て、嘆いておりました。
帝のお側に仕えている者たちは皆、男も女も、
「何とも辛いご様子ですね」
と言い合いながら嘆いていました。
「帝には、桐壺更衣との間に、早く死別してしまうという、そうなるはずの
前世からのお約束があったのでしょう」
「多くの人々の誹りや恨みも、帝は御憚りになることもなく、桐壺更衣の事に関しては、
人の道理も失ってしまわれて、今もまた、このように、世の中の事さえも、
見捨ててしまわれるようになってしまわれたのは」
「(お国のためには)とても不都合なご様子ですね」
などと、人々は過去の唐の国の朝廷の例まで引き合いに出して、
お互いにささやき合いながら嘆いていました。
ここまでが本文です。
強がっている弘徽殿の女御だけでなく、桐壺帝の側近くに仕える者たちも、
桐壺更衣のことをまだ忘れられない桐壺帝を困ったものだと思っているのでしょうね。
この物語の時代では一人の女性に思いを寄せることはとても難しいと思いました。
次回は若宮(源氏)が宮中に参内してきて以降の話です。
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