玄齋詩歌日誌

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久しぶりに源氏物語を更新します。

帚木(ははきぎ)の巻の始まりです。源氏が十七歳の梅雨のころの話です。


ここから本文です。




光源氏、名前だけが大げさで(ものものしく)、人に非難される出来事が多いことに、

「ますます、このような色好み話が、後の世にも伝わって、軽薄な浮き名を流すのだろうか」

と思いながら、源氏が隠していた隠し事さえも、語り伝えてきたというのは、
世の中の人々の何とおしゃべりで口の悪いことでしょう。とは言うものの、
源氏はとても甚だしく世の中に遠慮して、まじめにしていた所には、
上品で風流な所はなくて、古い物語で好色家として有名であった
交野(かたの)の少将には笑われていたことでしょうね。


まだ源氏が中将であった頃は、宮中に伺候するばかりで、夫人のいる左大臣家へは
途切れ途切れに訪問していました。

「忍ぶの乱れや(人目を忍ぶ恋の心惑いだろうか)」

と、舅の左大臣は噂話に疑うこともありましたが、源氏はそれほどには、
浮気っぽく振る舞うような、ありふれた露骨な好色などは、好ましいとは思わない
性格でありましたので、ごくたまには、いろいろな事情で予想と異なり、
あれこれと気をもむ事の多い恋を、心の中で思い詰める癖が甚だしくて、
源氏という方にふさわしくない振る舞いも、中には入り交じっておりました。



梅雨の長雨が続いて、晴れる間もない頃に、帝の物忌みの時期が続いて、
源氏は宮中にとても長く伺候していた時、左大臣は、

「待ち遠しくてとても残念だ」

と思いましたが、源氏のすべての装束などを、あれやこれやと、
今までに例がないほどにこしらえさせながら、左大臣の息子の貴公子たちは、
ひたすらにこの源氏の宿直所での宮仕えを勤めておりました。

中でも宮様と左大臣との間にできた息子の中将(頭中将)は、
中でも特に源氏と馴れ親しんでいて、遊びや戯れなどの際も、
他の人よりは源氏に気安く馴れ馴れしく振る舞っておりました。

彼の舅の右大臣が、大事に世話をしてくれる妻の家には、この中将も、
とても億劫に思っていて、いかにも好色らしい浮気者でありました。

実家の左大臣家の方にも、自分の部屋の装飾を眩しいほどに素晴らしくして、
源氏が出入りする所には共についていって、夜も昼も、学問も遊びも、
源氏と一緒にして、源氏に少しも引けを取らない様子でした。
源氏とどこでも親しくしているうちに、中将は自然と、恐縮する様子もなく、
心の中に思うことさえも隠し通すことができないほどに、親しみなついておりました。


しみじみと一日じゅう降り通して、ひっそりと静かな宵の雨によって、
殿上の役人の詰め所にもほとんど人がいなくなったとき、源氏の宿直の部屋も、
普段よりは静かな雰囲気がしておりました。

源氏は大殿油(おおとのあぶら: 宮中や御殿の油を用いた灯火)の近くで、
文書などを見ているついでに、頭中将が近くの厨子(ずし: 文書等を入れる両開きの戸棚)から
様々な紙の手紙等を引っ張り出して、ひどく見たがる様子なので、

「差支えないものを少しは見せましょう。中にはみっともないものもありますから」

と、源氏は許可しなかったので、

「その、気を許して、『きまりが悪い』と貴方が思うようなものこそ、
 私は見てみたいのですよ。人並みの普通のものは、取るに足りない私のようなものでも、
 身分相応に合わせて、何度も手紙をやりとりして見ていますよ。
 各自それぞれに、恨めしいその時々の、いかにも待っている顔でいる
 夕暮れ時の文章などは、見どころのあるものでしょう」

などと頭中将は恨み言を言いましたけれども、高貴な、源氏が必死で隠さなければならない方
からの手紙などは、このように、大雑把に厨子などにちょっと置いて散らかすようなことは
あるはずもなく、奥深い所にしまっておくに違いないと改めて思って、
これは二の町(にのまち: 二流。一流の町の区画を外れた、という意味です)の、
気安いものであろう、などと思いながら、頭中将は片端から少しずつ見ていきました。


「よくもまあ、いろいろな手紙があるものですね」

と頭中将は言って、当て推量に、

「これはあの人からの手紙だろうか。あれはこの人かな」

などと頭中将が尋ねる中には、言い当てられたものもありました。
一方で正解とかけ離れたことを思い比べて疑う様子には、

「面白いものだ」

と源氏は思いながらも、言葉少なに、何やかやと紛らわしながら、
手紙を取り上げて隠してしまいました。


「貴方こそ、手紙をたくさん持っているでしょう。少し見せてほしいですね。
 そうしてこそ、この厨子も気持ちよく開けられるというものです」

と源氏が言うと、頭中将が、

「貴方が御覧になるような価値のあるものこそ、滅多にないものでしょう」

などと言うついでに、

「 『女性の、これならば良いと、非難する所のない者は、滅多にいないものだ』

 と、私はやっと理解したところです。

 『単に表面上だけの感情で、手紙をすらすらと書き、その場その場の適切な返答を心得て、
  ちょっと返答するというような女性は、身分相応に悪くないものも多い』

 と私は思いますけれども、それさえも、本当にその分野で優れた者を選び出そうとする際に、
 決して選に漏れることのない者というのは、本当に滅多にいないものです。

 女は自分の心得のあることの程度のもので、各自それぞれ得意になってしまって、
 人を貶めることなどをして、みっともないことをする者が多いのです。
 親などが付き添っていて、娘をとても大切に育てて、将来のある深窓の女性である間は、
 男は単にその女性の僅かな取り柄を評判で聞いて、心を動かすこともあるようです。
 娘の顔が美しく、気持ちはおおらかで若々しく、家の生活に追い回されることのないうちは、
 何ということのない芸事でも、人を真似るのに一所懸命になることもあるので、自然と、
 一つの芸を上手に出来ることもあります。その娘の世話をする人は、娘の欠点を隠して、
 他人に言っても何とかなる(長所の)方の表面を取り繕って、それらしく話して、

 『それは、そうではない』

 などと、いいかげんに、女性をどうして推し量り、けなすようなことが出来ましょうか。

 『本当か』

 と女性を見てつきあっている間に、見劣りしないでいられるというのは、きっとないことでしょう 」


と言って頭中将がため息をつく様子も、恥ずかしそうな様子なので、
源氏も、頭中将の話のすべてではないけれども、源氏自身も思い当たることが
あったのでしょうか。少し微笑んでいました。


  (注)「おひさき籠れる、窓のうちなる程(将来のある深窓の女性である間) 」は、
   以下の長恨歌の一節の引用です。
   (長恨歌の始めの方の、楊貴妃が後宮に上がる場面の一節です)

   楊 家 有 女 初 長 成  楊家 女(むすめ)有り 初めて長成す
   養 在 深 閨 人 未 識  養われて深閨に在り 人未だ識らず

   (訳)楊家に娘がいて、たった今、成長した。
    奥深い婦人の部屋内で育てられたので、人々はその存在を知らなかった。


   昔の資料では、「深閨」が「深窓」となっていましたので、
   源氏物語の中では「窓のうち(深窓の女性) 」となっているそうです。
   



ここまでが本文です。

これから他の人物が加わって、女性談義を始めることになります。
昔の価値観が反映されていますが、その中でも紫式部の目には、
同性が厳しく映っているように思います。

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